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11話 伝わらない気持ち

 翌日のアルウィンは何事も無かったかのように、いつも通り自分の席に座り、いつも通り本を読んでいた。

 セレスもいつもなら教室でアルウィンに話しかけるような事はしないのだが、今朝はいつもとは違い、自分からアルウィンに声を掛けるという事をしてみた。


「おはようございます、フォレット様」

「ああ、ミュラー嬢おはよう」

「昨日の事なのですが……」

「え、何の事かな?」


 アルウィンは彼がよく見せる、隙の無い完璧な笑顔を浮かべる。


「昨日のまどう……」


「ああ、ミュラー嬢、そういえば今日はレーデン語の単語テストがあったね。今朝の俺はその事で頭がいっぱいなんだ」


 セレスの話を遮るように、早口に言葉を挟んだアルウィンは笑みを深める。この人はこんな人だったろうかと思いながらセレスは小さくため息を吐いた。


「……わかりました、あの事はもう話題に出しません。単語テスト、頑張ってください」

「ありがとう、良い点数が取れるように祈っていてくれ」


 にっこりと微笑んだアルウィンは、手元に置いて開いていた本の頁に目を落とす。彼が瞳を伏せ気味にすると、緑色の瞳を縁取る長い睫毛が朝の光に反射して黄金色に見える。本の表紙には「麦と土壌改良について」と帝国語で書かれてあり、レーデン語の単語テストとはまったく関係の無い本を彼は読んでいた。




 ◆◆◆




 昼休みになり、軽めのサンドイッチを買うために食堂へ行こうとしたセレスが教室を出ると、廊下を少し歩いたところでヒューゴとばったり行き会ってしまった。どうしてここに彼がいるのか不思議に思ったところで、ヒューゴの口からその理由を聞かされる。


「良かった、セレスを探しに行こうと思っていたんだ」


 彼の手には三つのサンドイッチの袋があり、食堂でテイクアウトが出来るものだった。その数に嫌な予感がしたセレスは、ヒューゴが次の言葉を話すより先に話し出した。


「この後ニーナ様をお探しになられるのでしたら、私はご遠慮いたしますわ」

「これは俺の分だから」


 ヒューゴは持っていた袋のうちふたつを右手でつまみ、残りのひとつを押しつけるようにセレスへ渡す。


「えっ、違いましたの?」


「今日は二人で食おうぜ」


 重さのあるサンドイッチの袋を両手で受け取りながら、セレスは不思議そうな表情を浮かべる。どういう心境の変化なのか、今日のヒューゴは友人でもなくニーナでもなく、セレスと昼食を食べてくれるらしい。


「ニーナに見つからないうちに早く行くぞ」


 ヒューゴが玄関へ続く階段の方へ歩き出したので、一歩後ろを歩くセレスも後に続く。貴族科の校舎を出た後にヒューゴがセレスを連れて行ってくれたのは騎士科の校舎前で、いつも使っている鍛錬場の休憩スペースだった。


「ここで食おう」


 言いながらヒューゴが先にベンチへ座るので、セレスもひとり分のスペースを空けて隣に座る。先ほど手渡されたサンドイッチの袋を開けると、チキンサンドがふたつも入っていた。食べ盛りのヒューゴらしい選択だったが、セレスには多い量だった。


「……ありがとうございます」


 正式な婚約者ではない事を遠慮して、セレスはヒューゴと一歩引いた関係でいた。ヒューゴからもこれといった歩み寄りがないので、ふたりはこれまで贈り物のやり取りをした事がなかった。


 お互いの誕生日についても話した事はなかったし、自分から何かを強請る事も憚れたので、セレスにとってこのサンドイッチは、婚約者候補となったヒューゴから初めてもらったものになる。今日はニーナよりも自分の事を考えてくれたのだと思ったセレスは嬉しくて、大切に食べようと頬を緩ませる。


「この間、貴族科の食堂で食べた時に美味かったんだ、それ」


 何気ないヒューゴのひと言で、セレスの表情が固まる。


 彼の言う〝この間〟とは歌劇のチケットの埋め合わせをするはずだった日の事だろう。あの時ニーナは、ヒューゴが好きそうなメニューを一緒に選ぼうと話していた。このサンドイッチは、あの日ニーナと一緒に選んで食べたものと同じなのだ。


 セレスが去った後に、ヒューゴはニーナと一緒にこれを食べたのかと思うと、喜びの気持ちがどんどん小さくなっていく。裏庭でひとり涙を流した事までセレスは思い出してしまい、喜びも食欲も一気になくなってしまった。


「ヒューゴ様はニーナ様と仲がおよろしいのですね」


 それでもセレスはサンドイッチを少しずつかじる。そして小さな声でそう話す。

 今までヒューゴとニーナの関係について、セレスから話題に出した事はなかったが、ニーナがいない今のうちにヒューゴの考えを聞きたかった。


「あいつとは小さな頃からの付き合いだからな。ニーナもさ、縁談がうまく纏まらないらしくて最近ずっとイライラしているんだ」


「ニーナ様は侯爵家のご令嬢ですし、縁談でしたらいくらでもありそうですが、同世代で婚約者のいないご令息はいらっしゃいませんの?」


「あいつは帝国の高位貴族に嫁ぎたいようなんだ」


「まあ」


 帝国の高位貴族は家同士の繋がりを重視するので、他の国と比べて婚約者選びの時期がとても早い。


 公爵家や侯爵家の嫡男ともなると一歳になる前に話が持ち上がり、十歳を前に婚約を結ぶのはよくある事だった。少し爵位を落とした伯爵家でも嫡男であるのなら、学院の高等部へ入学する前までに婚約が結ばれている事は当たり前だった。


 家の繋がりよりも子ども同士の相性を重視したいという考えなら、高位貴族でも正式な婚約を結ぶ時期が遅い場合もある。


 しかし、そういったケースでも、早いうちに家同士で内々に話を進めていて、子ども同士の相性を見ながら、社交界デビューをする頃に婚約を結ぶのだ。なので、正式に婚約を結んでいなくても、相手は既に決まっている。つまり、帝国の高位貴族の嫡子は、学院に入学する年頃なら婚約者探しは既に終わっているのだ。


 だからニーナの年齢で、帝国貴族の中から婚約相手を探すのなら、子爵家か男爵家の中から探すのが妥当なところだった。


 レーデン王国では学院に入学してから婚約者を探し始める貴族家が多いらしく、レーデン王国の貴族と帝国とでは結婚相手を探し始める年齢が大きく違っている。


 なので帝国貴族へ嫁ぎたいのなら、もっと早くに動かないと間に合わない。


 そもそも帝国貴族にとって、レーデン王国は周辺にいくつもある小国のひとつに過ぎず、侯爵家であってもレーデン王国の貴族家では政略的な魅力を感じないだろう。


 それでも帝国貴族に嫁ぎたければ、帝国の学院へ通い、学生時代に目立った活躍を見せるか、上位の成績を修めた上で自分自身をアピールするくらいしないと可能性はかなり低い。


「ニーナはきっとセレスが羨ましいのだと思う」

「私が、ですか?」


「セレスは平民だけれど、帝国語が話せるだろう? ニーナは末っ子として甘やかされてきたから努力する事が嫌いなくせに高望みだけはするんだよ。だからセレスもニーナの事をもう少し理解して優しくして欲しいんだ」


 セレスの頭の中で疑問符が浮かぶ。幼い頃からニーナは家族やヒューゴから甘やかされてきたから、セレスにもニーナを甘やかす仲間になれと言われた事に、理解も納得もできなかった。


 セレスは信じられないといったように、ヒューゴに対して目を瞠るが、大きな口を開けてサンドイッチを食べているヒューゴは、セレスに見つめられても気にしていない様子だった。


「これまでセレスには辺境は自然が多いとか、細かいところは気にしない人たちばかりとか、良いところばっかり話してきたけれど、王都の貴族たちから見たら辺境の人間って荒っぽいところが多いんだ。男は腕っ節が強くて、女は口が強い。屈強な騎士でも家だと奥さんの尻に敷かれてる事も多くて、そういう家の奥さんって相手がデカイ男でも平気で喧嘩をするような人たちなんだ。もちろん口喧嘩だけれど」


 ひと袋目のサンドイッチを食べ終えたヒューゴは、ふた袋目の紙袋を開いてサンドイッチを食べ始めている。黙って話を聞いているだけなのに、セレスの方はほとんど食べ進んでいない。


「だからニーナみたいなのがいても辺境の女だったら鼻で笑ってると思う。セレスもさ、家の繋がりで俺の婚約者候補になったんだろうけれど、俺はセレスにはもっと強くなって欲しいし、これからの事を考えて辺境に馴染む努力をして欲しいんだ」


(それは違うわ……)


 声を大きくして否定する言葉を言いたかったが、セレスには両親との間に約束があり、ヒューゴの婚約者候補となった本当の理由を話せなかった。


「でも、政略だと思われていても、私はヒューゴ様の事を……お慕いしています」


 つい滑るように口から言葉が出てしまった後で、セレスは自分の頬に熱が集まって下を向いてしまう。告白めいた言葉を口にしてしてしまい、言った後になってドキドキと胸が大きく脈打つのを感じていた。


「うん、親の決めた相手と良い関係を築きたいっていうセレスの気持ちは嬉しいんだ。だけど辺境の人間は男も女も食べるのが早いし、セレスみたいな食べ方はしない。貴族令嬢のような子は辺境にはいないんだ」


 ヒューゴはあっという間に最後のサンドイッチまで食べ終えようとしているのに、食欲が落ちてしまったセレスは、まだひとつ目のサンドイッチが途中だった。食べ終わっていない自分の手の中にあるサンドイッチを見て、セレスは居たたまれない気持ちになってしまった。


 セレスでは辺境で暮らせない、ヒューゴはそう言いたいのだろうか?


 淡々と話すヒューゴの口調に熱は感じられなかった。


 それに彼は先ほどのセレスの話をちゃんと聞いていたのだろうか? 聞いた上で何も感じる事がなかったというのだろうか?


 セレスが今、ヒューゴへの想いを伝えたのに、彼は顔色ひとつ変えていない。


(もしかして聞き流された? この方にとって私の気持ちというものは、気に掛けるほどのものではないということ?)


 ヒューゴとの温度差に気付いてしまったセレスの心臓の音は平常に戻り、頬の熱も冷めてしまう。


 自分の思いを受け取ってもらえなかった。セレスの中でヒューゴへ落胆する気持ちは、布に落とした黒いシミのように、どんどん大きくなっていく。


「辺境は……、遠いですものね」


 セレスは物悲しそうにぽつりとそう言ったが、セレスの気持ちに気付かないヒューゴはよく分からないといった顔をしていた。


 ヒューゴはセレスのためを思って言ってくれている。そう思いたかったが、そう思えない何かがセレスの胸の中にはあった。


 ちょうどその時、昼休みの終わりを告げる予鈴が鳴った。


 ヒューゴと初めての食事の時間だったのに、食欲はなくなってしまったし、食事はまったく進まなかった。彼と結婚をしたら今のような食事の風景が毎日続くのだろうか。


 自分がどれだけ熱を伝えても伝わらない。何もなくても愛があればいいと思っていたが、その愛すら存在しないのだったら、セレスがここにいる意味はあるのだろうか?


 愛情を育めない結婚を選ぶのなら、ヒューゴでなくても良かった。

 セレスの両親が本当に願っている〝彼〟が結婚相手でも、セレスの結婚に愛というものが存在しないのなら同じ事なのだ。


「話の途中で悪いけれど、授業の準備があるから先に行くな。それ、無理して食べなくていいから」


 一方的にそれだけ言うと、座ったままのセレスを気にする事なく、ヒューゴは騎士科の校舎の方へ走って行ってしまった。目の前の鍛錬場には午後の授業を受ける為に稽古着を着て刃を潰した鍛錬用の剣を持った生徒たちが集まり始めていた。


 セレスはゆっくりと立ち上がって貴族科の校舎の方へ向かったが、ふらふらと歩いているうちに、目からは涙がとめどなく落ちていくのだった。


「うっ、……レーデンまで、来たのにっ……。あの人にとって、私って、何なのよぉ……」


 セレスを愛していないヒューゴの言葉はセレスをいつも傷つける。何とも思われていないから、ヒューゴの行動や言葉はとても分かりやすくて迷いが無い。それがセレスを寂しい気持ちにさせる。


 セレスにとって、ヒューゴとの恋は苦しさを感じてばかりだった。


 胸の痛みを感じながらセレスはとぼとぼとした足取りで、教室ではなく養護室へ向かう。自分の泣き顔を見せたくはなかった。

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