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12話 お譲りします

 ヒューゴと昼食を一緒に食べた翌々日は、週に一度だけとヒューゴがセレスに許してくれた、鍛錬の見学が出来る日だった。


 あんな事があったのだから気が向かなかったのだが、一年以上も続けてきた習慣だったので、放課後になるとセレスの足は鍛錬場へと向かってしまう。


 貴族科の校舎を出て鍛錬場へと歩きながら、セレスは一年前の自分を思い出していた。あの頃はヒューゴと同じ学院に通えるだけで幸せな気分になれた。


 素っ気ない態度のヒューゴの事をカッコイイなんて思っていたし、これから彼と仲良くなっていくのだと、セレスの心はやる気と希望で満たされていた。


 最初の頃はヒューゴも少しずつ辺境に慣れていけばいいと言って、辺境は自然が豊かな土地で人々の距離が近いと、辺境伯領の良いところを教えてくれた。他の土地から辺境に嫁いでくれる女性はあまりいないから、セレスのような女性は貴重だし頑張って欲しいとも言ってくれたのだ。


 サンドイッチを一緒に食べた時に、ヒューゴはセレスの事を親の決めた相手だと言っていた。誰かに教えられたのか、状況から彼がそう判断したのかは分からないが、彼はセレスとの縁を政略だと思っている。


 しかし、セレスの両親は辺境へ嫁ぐ事を賛成していないし、レーデンの辺境伯家と結びついてもセレスの生家にとっては何のメリットも無い。


 セレスがあまりにも強情だったから、セレスの強い意思に折れた形で、セレスの両親は仕方無く伝手を頼り、レーデン王国のミュラー子爵に話を通してもらい、こうして学院へ通っているのが本当の理由だった。


 セレスの両親が望んでいる事は、帝国の学院へ通い、卒業後は両親の決めた相手と結婚をする事なのだ。


 だから両親は条件を付けた上で、ヒューゴの婚約者候補という譲歩案を出してくれた。


 両親からの条件は、まずどのような形であっても帝国の学院での卒業資格を取る事だった。学年を飛ばすスキップをして帝国の学院を卒業してからレーデン王国へ留学する方法もあったが、初等部から通っていなかったセレスには時間があまりなく、高等部からの入学で出来るスキップはどんなに頑張っても一年が限界だった。


 せっかくヒューゴとは歳が同じなのだから、学院へもヒューゴと同じ年に入学をしたかったセレスは、レーデン王国の学院に通いつつ、帝国の学院は単位のみを取って卒業資格を取る事を選んだ。


 次の条件が、セレスがヒューゴの元へ嫁いだ後は、実家との縁を完全に断つ事で、両親に愛されて育てられたセレスにとってはこれが一番辛い条件だった。


 つまるところ、両親は自分たちとヒューゴのどちらかを選べと言いたいのだ。


 レーデン王国の辺境に嫁ぐのなら、これまでセレスの持っていたものは全て捨てなければいけない。


 セレスの選んだ相手が帝国人ならば、両親もここまで厳しい条件を出さなかっただろう。


 ヒューゴは次男で継ぐ家もないから身軽ではあったが、セレスの両親にとって彼は婿とし迎えるのにはふさわしくない相手だと判断をされている。セレスがどんなに好きでも、彼の人柄が良かったとしても、帝国貴族の生まれではない彼では駄目なのだ。


 だからセレスがヒューゴに嫁ぐ時はただのセレスとして辺境へ行く事を条件に入れられた。嫁入り前に子爵家の養子にさせてくれるのは、せめてこれくらいはという両親からの最後の愛情だろう。


 両親にはヒューゴとの結婚の事はよく考えた方がいいと言われ、同時に考える時間として、レーデン王国学院の卒業までの三年という時間を与えられていた。


 学院の卒業までにセレスの意思が変わらず、両親がこの結婚を認めてくれたらのなら、セレスはヒューゴの元へ嫁ぐ事が出来る。


 セレスの気持ちが変わったり、両親が嫁入りに納得ができないと判断をした時は、セレスは両親の決めた相手と婚約をしてすぐに結婚する事をセレスは両親と約束をした。あちらはもう帝国の学院を卒業しているので、常識的な婚約期間を挟めばいつでも結婚は出来る。こうしてセレスはレーデン王国へ侍女も付けずにひとりで来たのだった。


 一年前のセレスには覚悟と強い意思があり、自分の思いを貫くという強い気持ちでこの学院へ通っていた。


 実際にこの国へ来てみたら、思っていたものとは違う事ばかりだった。


 レーデン王国で慣れない生活を送る中でヒューゴは素っ気ないし、学院からは他の留学生のお世話係を任されてしまう。帝国の学院からの課題は時間のかかるものが多く、実家から持ってきた本だけで足りないところは、休みの日に王立図書館へ行って調べるが、マナーでは帝国とレーデンでは違う事も多く、レーデン語の帝国史には間違った記載もあり、資料探しの方に時間を取られてしまい、慌てて実家に本を送ってもらうようにお願いしたのだった。


 そうやって何とか一年過ごして二年生に進級をしたというのに、ニーナが学院に入学してからは、精神的な負担が増えてしまい、セレスの我慢は限界に近付いていていき、セレスの気持ちには揺れと迷いが生まれていた。


 せめてヒューゴが少しでもセレスを気に掛けてくれたのなら、セレスも頑張れたのだが、ヒューゴに大切にされているという実感が感じられず、セレスはすっかり疲れてしまっていた。


 ヒューゴにとって鍛錬が何よりも大切なのは理解している。だからセレスと過ごすよりも鍛錬に時間を割くのは仕方無い、そう思っていた。しかしニーナは違う。ヒューゴはセレスに許さない事もニーナには許しているし、明らかにニーナと話している時の方が楽しそうなのだ。それに彼はいつもセレスよりもニーナを優先している。


 それにヒューゴはセレスに対して特別な感情を抱いていない。想っているのはセレスだけで、ヒューゴにとってのセレスは家同士が決めた結婚相手でしかないのだ。


 本当に彼でいいのだろうか、戻れない道を選んでしまい、数年後の自分は後悔しないのだろうか。


 最近ではこんな事ばかり考えるようになってしまい、ヒューゴでは無理だという両親の言葉が、少しだけ理解出来るようになってしまった。


 自分が愛しているのなら愛される、そう思っていた。

 何の約束もしていなかったのに、どうして自分は愛されると思っていたのだろう。


 塞いだ気持ちのまま鍛錬場に着いたセレスは、休憩スペースの後ろの方に立って稽古の様子を見ていた。見学する令嬢達の最前列にはニーナがいて、ヒューゴを甲高い声で応援している。一応ヒューゴに渡す飲み物と汗を拭うための手巾をセレスは持ってきていたが、それはニーナの手にもあった。


 ぼんやりと生徒たちが鍛錬に打ち込む様子を眺めているうちに休憩時間になってしまう。ニーナは飛び跳ねるようにヒューゴの元へ掛け寄り、彼に飲み物を渡して甲斐甲斐しそうに手巾で額の汗を拭い始める。


 ヒューゴはそんなニーナを押しのけるくらいセレスには強くなる事を望んでいる。そして婚約が決まらない可愛そうなニーナの心情を理解して、さらに彼女がやりたいようにするのを暖かく見守る事をセレスに望んでいるのだろうか。


 それは両立できない矛盾した考えだった。前者ではニーナとの対立する事になるし、後者は協調する姿勢を示す事になる。相反する事が成立するはずなんてない。


 何もしないで立っていて、ふと顔を上げたらヒューゴと目が合ってしまった。セレスは社交用の笑みを浮かべながらヒューゴの元へ近づくが、ヒューゴのために用意したはずの手巾と飲み物を自分の背に隠すようにした。どうせ使ってもらえないのだ。いつもの習慣でつい持ってきてしまった自分が馬鹿みたいに思えてしまう。


「お疲れ様です、ヒューゴ様」

「……ああ」


「ねえヒューゴったら聞いてるの? 私ね、学院に入学したお祝いに生徒会主催のパーティーでエスコートをして欲しいの」


「えっ……」

 小さく驚きの声を上げたのはセレスだった。


 学院では夏期休暇の前に生徒会主催の夜会が開かれる。デビュタントを控えた令嬢達にとっては社交界に出る前の練習にもなるし、学生同士の親睦を深める機会にもなるので、夏期休暇直前の定期テスト明けに毎年行われている行事だった。


「ねえヒューゴったらお願い! 私をエスコートしてくれる人がいないのっ。ヒューゴだって正式にはまだ誰とも婚約をしていないのだからいいでしょう!」


 あくまで生徒会主催のパーティーで、実際の社交とは違う事と、多くの生徒に参加をして欲しいという願いから、パーティーへはエスコートがなくても参加ができるようになっているし、ひとりで参加をする生徒を馬鹿にする行為を生徒会は禁止している。


 昨年のセレスはヒューゴと共に参加したので、今年もそうするのだと思っていた。

 ヒューゴの黒い瞳がちらりとセレスを見る。彼はセレスに選べといっているのだ、ここで強さを見せてニーナに反対をするのか、彼女を甘やかすのかを。


(私に選べという事なの?)


 選ぶのならヒューゴが選べばいいのだ、ニーナかセレスのどちらかを。しかしセレスを選んだらしつこいニーナを振り切るのが大変なのは予想できた。そして彼がニーナを選ぶのはこれまでの経験で身に沁みて分かっていた。


 セレスは顔に笑みを浮かべる。きっと今の自分はアルウィンのように貴族的な顔をしているのだろう。


 ――辛い時は笑えばいい、そうしていれば気持ちが明るくなるから。


 遠い昔にどこかで誰かに言われた記憶が、声変わり前の少年の声としてセレスの中で甦る。幼い自分にそう教えてくれたのは誰だったのだろうと思い返した時に、彼の端正な顔と彼から贈られた紫色のライラックの花が思い出されただのだった。


 セレスは彼からの言葉を思い出しながら、笑みを深めた。


「ニーナ様、私からもヒューゴ様のエスコートを入学のお祝いにプレゼントさせて下さい」


 どうしてなのか、ヒューゴのエスコートを強請ったニーナの方が驚いた顔を浮かべる。


「何よっ、別にヒューゴはセレスさんのものではないでしょう。何で私があなたの許可をもらわないといけないのよっ! だってあなたはヒューゴに付き纏っているだけで本当の婚約者じゃないじゃない!」


 高い声でそう言いながらニーナはヒューゴの腕にしっかり抱きつく。周りにいる令嬢たちが、ちらちらと自分たちを見ているのが感じられる。結局セレスはヒューゴのそばまでたどり着けないままでいる。この人の隣は近いように見えて、どこまでも遠い。


 ヒューゴの顔を見たらどうしてなのか、彼は少し傷ついたような表情をしていた。己がニーナに譲られた事に傷ついているのだろうか? それとも彼は自分を取り合うニーナとセレスを見たかったのだろうか? でも生憎セレスにもプライドというものがあり、そこまでするほど落ちぶれてはいない。


 ニーナは譲らないし、ヒューゴはニーナに甘い。最後に譲らされるのなら、こちらから笑顔で渡してしまった方がいい。譲らされるのではなく、譲ってあげるのだ。


 休憩を終えた生徒たちはちらほらと休憩スペースから出て行く。そろそろ休憩時間が終わろうとしていた。


「ごきげんよう、ヒューゴ様。鍛錬を頑張って下さい」


 セレスは微笑みながらそれだけ言うと、言葉だけを残して足早に鍛錬場を後にした。


 ヒューゴとニーナに背を向けたセレスは、奥歯をグッと噛みしめる。


 表面上は強がる事ができたが、心は違う。セレスは手巾をポケットに戻し、飲まれなかった果実水は裏庭の隅に捨ててから容器だけを食堂へ返した。


 居た堪れない気持ちになってヒューゴの前から去るのはこれで何度目になるのか、セレスはもう数える事すらやめてしまった。

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