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君のいる未来のために  作者: 伝説のぴよ
第一章 それでも、この世界で

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名前を呼んでくれた人たち

「わかった。……とは言っても、俺も知ってる事は少ない」

「それでもいいわ。わかる事だけでも聞かせて。でももうすぐ行かないと仕事に間に合わないから、しっかり聞きたいけど簡潔にお願い」

「だよな。じゃあ、まずティアは人間じゃない。人形だ」

「――――はっ!?」


 クリスが驚愕の表情で私を見てくる。

 なんて答えたらいいのかわからないけれど、とりあえずおずおずと頷いた。

 そしてジョイはやっぱり人形だと知っていた。そもそも名前を知ってる時点で私の存在を知っていたという事だからよく考えたら当然か。


 ジョイもクリスも今まで友好的だったし、今までジョイは人形である事をわかった上で気を使って接してくれていた。

 交わした言葉は少なかったけれど、それでも心に沁みるような優しさを感じている。

 そんなジョイが決めて、クリスに話そうとしてる。

 そしてクリスも、今までの対応を見ていて優しい人間なのだろうと思った。クリスの発するジョイに対しての言葉だったり、私に対しての言葉だったり、その全てが相手の事を考えて出されていると思う。

 だから。


(ジョイを信じる。そして、クリスを信じる)


 これが一番良い答えが出ると思った。


「俺のじいちゃんと父さんが時間をかけて取り掛かってた仕事、知ってるか?」

「え……たしかあの百年前の事件の遺産の修繕、だったかしら?」

「そう。この街は百年前の事件で沢山のものを失った。それらの修繕を請け負ってたんだ。戒めの遺物として価値のあるものは博物館に引き取ってもらったけど、破損が酷かったり状態が悪いものは個人的に持っていたんだよ」

「それがティアさん、なの?」

「そうなる。……でも」

「でも?」


 そこで言葉を切って、ジョイは私を見つめた。


(……なんだろう?)


 見つめているはずだけど、なぜかその目は私を見ているようで私の向こう側を見ているようだった。

 届かない想いを悔やむように。掴みたくても掴めない何かを、想うように。

 そして、そのままジョイは口を開く。


「ティアは酷い状態を通り越して、ほとんど原型を留めてない状態だったって聞いてる。部品ひとつひとつ、一から作り直したとも。それをじいちゃんと父さんが本当に時間をかけて少しずつ、少しずつ、修繕したんだ」

「――――そうなんですね」


 自分の両の手のひらに視線を落とす。

 違和感なく動く体、むしろ軽くなったといってもいいくらいに良くなった体。

 最初に人間化した時、倒れないように反射的に右足を出したけど、前の体ならそんな事すらできなかった。

 痛いと思って耳を抑える行為、それも当たり前なんかじゃない。

 

――――――ああ、思い出す。


 一歩踏み締める事、まっすぐ前に進む事、それが苦しいどころの話じゃない。

 それ以前の、まず立ち上がる事から困難だった。腕を上げる事すら、難しかった。

 私は、まだ未熟な腕で、しかも最初に作られたから。


――――――だから、しょうがない。


 動く事すらまともにできなかったのは、しょうがないんだ。


「……戦ったせいもあるけど、体の全ての関節がぼろぼろになってたと思います。もともと限界が来てた体ではあったけど。最後に高所から落ちたから、それが止めになったのかも」


 歓喜に震えた、百年前のあの時。

 事件の元凶の二人。その二人を倒せると思った、あの瞬間。

 自分も終わるとわかってた。

 でも、それでも、守れると思ったら、歓喜で震えた。


「それなのに……今こうやって手が、指が動く。言葉も話せる。人として違和感なく、存在する事ができている。丁寧に丁寧に、根気よく修繕してもらえなかったら、私はもう私としての人生は送れなかったと思います」


 私は立ち上がり、ジョイに向き直る。

 驚いたようにこちらを見つめている高く抜けるような青い瞳が揺れている。

 やっぱり、優しい人なんだろうなと思った。

 私のこの少ない独白で、どんな事があったのだろうかと私の背景を見つめようとしている。読み取ろうと、察しようと、理解しようとしてくれている。

 そんなジョイのお父さんとお祖父さんなら、やはり優しくて、根気強くて、私の体がこんなに素晴らしい出来なのは当然であり必然なんだろう。


「ありがとう」

「えっ……」

「私は百年前、元凶の二人を倒したあの時に、終わったはずだった。だから、今こうしてここに存在できる事を感謝します」


 ゆっくりと頭を下げた。

 沈黙が落ちる。

 私が頭を上げて二人とも喋らずに黙っているだけだった。

 ジョイ、そしてクリス。二人を見るけれど、二人は固まったままだった。


「えっと……話に割り込んですみませんでした」


 そんなに悪い事をした気はないけれど、なんとなく気まずくて謝ってしまう。

 二人が私を見た。


「えっと、何か変な事、言いましたか……?」


 二人の顔を交互に見る。

 二人とも真剣にこっちを見つめている。

 でも、嘘は言っていない。

 私が実際に体験して、経験して、やってきた事。

 嘘は、言ってない。


「いや、そうじゃないんだ。ただ百年前の事件は、この街の住民達が暴動を起こした事が表向きの理由になってる。暴動だけでも異常事態なのに、この暴動は街も人も全滅に近い程の被害をもたらした」


 ジョイがそう説明してくれる。

 クリスが同意するように頷いた。

 

「そう。だからみんな、痛ましい事件として、忘れてはならない事件として、心に刻んでいるの。もう二度と、こんな事は起こしてはならないって」

「でも……百年前の事件を起こした元凶がたしかに存在していて、そして今、その元凶はもういない、ってことだよな?」


 ジョイがおずおずと聞いてくる。はっきりさせたくなる気持ちはわかる。


(――――この反応は百年前の事件の原因が、人形にあると知られていないという事だろうか?)


 たしかに、まさか私のように人形が人間化して、人々を戦わせるなんて想像もつかないだろう。

 しかもそれが、“そうしたかったから”というだけだという事も。


「元凶は……」


 ふと思った。

 私がこうして存在できているなら、あの二人はもっと早く、修繕されて行動できているのでは?


(――――――あり得る)


 むしろそうだと、勘が言う。

 それはたしかに、ただの可能性でしかないけれど。

 でもあの二人は私より人形としての出来も良かったし、最終的な破損具合も悪くなかったはずだ。

 だから修繕されているのなら、もう人間化して活動していても全くおかしくはない。

 ジョイやクリス、二人の様子から街でそんな異変が起こっているという感じを受けないので、今はまだ、何も起こってないのかもしれない。


(水面下で活動してる可能性は十分あるけど)


 むしろ、こっちの方がありそうか。

 百年前の時も急に始まった。

 気づいた時には止められないものになってしまっていたから。


(ただ、ひとつ気になる事はある)


 自分の手のひらを眺める。

 私がこうしているという事は、一人は、もういないかもしれない。


(それなら行幸だけど)


 あまり楽観的に捉えない方がいいのかもしれないな。

 問いかけてきたジョイに答える。


「信じられないかもしれないですが、元凶は二体の人形です。ただ“そうしたかったから”それだけの理由で、あの事件は起こりました」

「自分で聞いておいてなんだけど、あの事件を起こした元凶が本当にいたんだな……」

「はい。そして元凶は、まだ存在している可能性があります。たしかに倒したと思うけど、私がこうしてここに存在している事が、逆にそれを証明してしまっているかもしれない」


 ジョイもクリスも息を呑む。

 クリスがふるふると首を振る。


「……昔、聞いた事があるんだけど」


 クリスが自信がなさそうに言った。

 ジョイがそれに頷く。


「クリスも思ったか。都市伝説だろ?」

「そう。学生時代に歴史の教師が語っていたのよね。この街に住む者の心の傷の元凶は、ひとつの人形だと、そういう話があると」

「全く裏も何も取れていない話だけど、なぜかその説だけはずっと消えないんだよな。他にもたくさん理由なんてありそうなのに」


「しかも……ジョイは知らないと思うけど、この街の再建に携わって大きく貢献した設計者は、その説を信じていたって話も聞くわ。だからなのか知らないのだけど、設計の段階でこだわった場所があるんだって。そういう話が、役場では結構常識として語り継がれてる」

「そうなのか?」

「ええ。まさかこんなふうに、話が繋がるんて考えもしなかったんだけど……」


――――――でも。

 ジョイとクリスの会話がそんなふうに続きそうな気配がした。

 やはり一応言っておこう。疑われるのは嫌だから。信じてもらえる、もらえないは置いておいて、自分のやるべき事はやっておきたい。

 私は話の切りが良さそうなところで口を開いた。


「一応言っておきたい事があります。その都市伝説に出てくる元凶のひとつの人形は、私ではないです。証拠なんて出せないけど、私は元凶の二人より人間化が遅かったんです」


 単純に人形としての質が悪かったから。

 もっと早く人間化できていたなら、この街の被害は減っていたかもしれない。

 楽観的に考えても二人は強すぎるから、返り討ちにあってもっと悪化してた可能性もあるけれど。


「二人が人の心を操って争わせて、もう取り返しがつかない大きな被害になりかかってる時、私は人間化しました。そして二人を運良く止める事ができたけど、人々の争いを止める事まではできなかった」


 二人の少し驚いている顔を見る。

 私にはこれしかできない。全てを素直に話す事、これだけしか。


「私の事は信じなくても構いません。でも、この街のために、自分の大事なものを守るために、気をつけていてもらえたらと思います」


 私が言い終えるとしん、と静寂が広がった。

 今話してはダメだっただろうか? おかしな事を言ってしまったのだろうか? そう一瞬過ぎってしまう。

 ふっ、とジョイとクリスが笑った。

 どこか張り詰めていた部屋の空気が軽くなる。


(――――大丈夫、だった?)


 でも、あれは言わないといけない事だったと思う。言っておかないと、二人に迷惑がかかると思った。

 空気が緩んだ後特に何も発言はないまま、なぜかこの話は終わりだというゆったりとした空気が流れている。

 クリスは残った紅茶を優雅に飲み干し、そんな私を見ながら目を細める。


「オッケー。わかったわ」


 クリスはそう言って快活に笑みを深める。

 ジョイはどこか機嫌が良さそうに私の頭を撫でた。

 二人の様子をみるに、怒ったり機嫌を損ねているわけではなさそうだ。


「クリス、さっき言ってた頼みなんだけど、ティアの身の周りのものを用意してもらえないか?」

「ああ、頼みってそういう事だったのね。わかったわ。帰りにまた寄るわね」

「助かる」

「構わないわ」

 

 クリスは立ち上がり、私に声をかける。


「ティアちゃん、またあとでね」

「あっはい。えっと、話を聞いてくれてありがとうございました。あと、ミルクパンもすごくおいしかったです」

「こちらこそ、貴重な話を聞かせてくれてありがとう。ミルクパン、気に入ってくれて嬉しいわ。また一緒に食べましょうね」

「――――はいっ!」


 よかった。

 話が途中で終わった感じがしていたし、それが私が変な話をしたせいな気がして、不安だった。

 拒否されてしまうかと、怖かった。


(――――あれ? ティアちゃん?)


 呼び方が変わってる。

 そう思って女性にしては身長が高めのクリスを見上げると、クリスは柔らかく笑みを深めて私の頭をぽん、と優しく撫でた。


「安心して、とは言えないわ。私の力はそんなに大きくないから。でも、協力する事はできる。大事なものを守りたいのは、みんな一緒だからね」

「あ、ありがとうございます……!」

「こちらこそ。じゃあ、今度こそまたね」


 クリスは私にひらひら手を振りながら入り口に向かい、置いていた荷物を持って風のように出勤して行った。

 

(――――よかった)

 

 気持ちはちゃんと伝わったみたいだ。

 少しだけ目が熱くなる。

 ジョイがクリスの後ろ姿を見送って、玄関のドアを閉めながら言った。


「ていうか、完全に遅刻だな。めちゃくちゃ余裕で出て行ったけど」

「あ」

「気にしなくていいぞ。なんやかんや上手い言い訳作って連絡するはずだから。そういう世渡りめちゃくちゃ上手いんだよなぁ」

「できる女というやつですか?」

「ほんっと認めたくないけど、そうだな。クリスって仕事馬鹿でもあるから」


 ジョイはキッチンまで行くと、パンの入ってる紙袋を開けてのぞいている。

 美味しそうなあの幸せの香りが広がった。


「いや、馬鹿っていうか、恋してるのかもな」

 

 ジョイはそう言って、ヒョイっとミルクパンをつかんで口に放り込む。

 美味しそうにジョイの口の中に消えて行くミルクパン。

 その光景にミルクパンを食べてる途中だった事を思い出した。


「ティアも朝食途中だよな? とりあえず食べよっか。一人暮らしで空いてる部屋もあるから、食べ終わったら家の中と工房、案内するよ」

「……いいんですか?」

「もちろん。俺もこの街が大事だから、守りたい気持ちは変わらないよ」

「――――ありがとう」


 話してよかった、勇気を出して、信じてよかった。

 そして、信じてもらえてよかった。

 ジョイは私を見つめて、ふっとどこか嬉しそうに笑った。

 男性にしては優しげで中性的な顔立ちのジョイが笑うと、どこか空気が華やぐ気がする。


「それにさ、ティアもせっかくだから楽しんでみたらいいと思うよ」

「え?」

「元凶の二人がいる可能性もあるから警戒は必要だけど、いない可能性もある。それにせっかく人間化してるんだから、人間の世界、楽しんでみたらいいんじゃない?」

「私が人間の世界を、楽しむ……?」

「知りたかったって、さっき言ってたから」


 私から視線を逸らして、そう小さくジョイが言った。

 まさか私のよくわからない独白を覚えているとは思わなかった。

 人形の私の話なんて、人間のジョイからしたら大した話ではないだろうから。

 戸惑った気持ちのまま、ジョイを見つめる。


「ティアという存在として、この世界を見て、知って、楽しんでみたらいいと思うよ。警戒はみんなでしながらさ」


 そう、照れくさそうにジョイは言った。

 少し頬が赤くなっている。

 私は口を開くが、うまく言葉にならなかった。


 人間からしたら、人形なんて、言って人生に関わる程大きなものじゃない。

 人形作家とか、美術館とか、博物館とか、そういう関わる仕事や趣味以外は、人形なんてそうそう大きな意味を持たない。

 それでも人はこうやって、時間や気持ちを共有したりできたりした存在には、何に対してでも誠実に向き合ってくれる。

 それが嬉しくて、優しくて、あたたかいと思った。


「ありがとう」


 それだけ言う事が精一杯だった。

 言葉にできない想いが溢れて、ぽろりと涙が少しだけ溢れた。

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