出逢い
「またか……っ、くそっ」
大きく震える自分の手から人形の部品がこぼれ落ちる。
勢いで転がる部品を作業台から落ちないようになんとか掴むが、今度は作業台も巻き込むように痙攣した。
落ち着け、と大きく息を吸う。
大きく溜めて、ゆっくりと息を吐き出した。
(────大丈夫)
何が大丈夫なんだと自分に問いながら、ゆっくりと呼吸を繰り返す。
呼吸も震えている。その事実に、また焦りが生まれた。
手の中にある部品を握りしめる。
無機質な冷たいその感触に、自分の芯もスッと冷え込んでいくような気がした。
(情けない……)
何度も何度も人形創りや修繕に挑戦するが、その度にこうした症状ですぐに途中で作業が止まってしまう。
この症状せいで、人形作家なのに人形に関する仕事ができないボンクラになってしまっている。
(簡単な仕事なら、時間さえかければなんとかできるけど……)
それじゃあ生活がなり立たなくなる。
人形作家だから人形に関わる仕事を主軸にしたい。でもそうすると時間がかかり過ぎて、生活する事もままならなくなってしまう。
自分の情けなさに反吐が出る。
心臓がどくどく鳴っている。何度も、ゆっくりと呼吸を深く繰り返す。それでもまだ手の震えは治らない。
目に見えて抑えられない震えをどうにかしようと、苛立ちとともに手を横に払った。
目の前の作業台には修繕を頼まれた人形があった。
さらりとした金髪、目には淡く澄んだ水色の硝子が嵌め込まれた、幼い顔立ちの美しい少年の人形。
知り合いからの頼まれものだから時間がかかってもいいと言われてやらせてもらっているが、本当に自分のダメさに怒りがわく。
毎日少しずつ作業していて簡単な部分、表面的なところは綺麗にできたけれど、複雑な関節部分をもう少し調整したかった。
もう少しなのに。
まだ震えの取れない両手を見る。
試しに工具を手に取ってみるが、力が入らなくて工具も落としてしまう。
(……また今日も無理なのか?)
いい加減、どうにかしたい。
どうにかして欲しい。
この情けない、俺の体を。
根性でなんとかランプをつかむ。
立ち上がり、人形から、自分の情けなさから逃げるように、自室に向かった。
◇◇◇◇◇
────ぼんやりと大きな白い丸が見えた。
目がいたいとかはないけど、大きな白い丸は光っている。やわらかく、やさしく、つつみこむように、あたたかい。
大きな白い丸からあふれるようにこぼれた光は、こちらにゆっくりと流れてくる。
少しずつ、少しずつ、でもきらきらとかがやきを増しながら、“わたし”に流れ込んでくる。
光がふれたところから、ほわっとなにかが反応する。あたたかいような、あついような、胸がぎゅっとしめつけられるような、そんな感じがする。
でも“わたし”が小さいのか、すぐに入りきらなくなって光はあふれた。
ああ、やだなって思ったら、それでもその光は押し合うように“わたし”に入ってこようとした。そんなに?と思って、それがなんだか、少しうれしい。
きらきらするその光はなんだかこちらに何か話しかけてくるような、そんな感じもする。
ああ、すきだな、ここ。
────ここは、とてもあたたかいね?
そう思ったら、いきなり目の前がぐわんぐわんと回り出して────急に世界が動いた。
反射で右足を前に出して、倒れないように耐える。
右足にジンとした痺れが走る。
「────え!?」
初めて耳が音という振動を捉えて、キンッと痛くなる。
思わず耳を押さえる。
──────痛い。
そうだった。“痛み”ってこうだった。“痺れ”ってこうだった。
手のひらを確認する。
“血”はない。
私に血は流れていないから、どれだけ傷ついても出血だけはしないんだった。
“そうだった”
声という音の発信源を探す。
その動きに合わせて、ふわり、そう表現するのが相応しい栗色の髪が視界の端に入る。肌に触れる度にくすぐったいような、心地いいようなそんな感触がする。
視界を滑らせると声の発信源と目が合った。
よく見える。はっきりと。
一番に赤色の癖毛が目に入った。
華やかで人目を引くだろうそれは、今はぐちゃぐちゃになっている。
口をぽかんと開け、優しげな顔つきに似合っている青空を思わせるような双眸がこれでもかと見開いている。
長袖の白いシャツに黒のスラックス、シンプルな装いが細身の体に似合っている。
スラリと伸びた腕は白い長袖のシャツがまくりあげられていて、左手にランプ、右手はドアノブを持ったまま器用に固まっていた。
私は少し首を傾げた。
どうしたのだろうか?
震える薄い唇が動いた。
「──────ティア…………?」
ガツンと、頭を殴られたような衝撃が走る。
────なぜ、知っている?
私は目の前の人物を知らない。
頭の中にある人物達を呼び出しては何度も洗い直す。
やはり知らない。
ドクンと、ないはずの心臓が跳ねた気がした。
────なぜ知っている? 何を知っている?
ドクン、ドクンと、それはだんだん、強く大きく跳ねていく。
ああ、嫌だと、何度も繰り返し言われた言葉や、ゴミのように扱われた事。
私の存在が、まるで人生の汚点だと言葉や行動、態度で示された事。いないものとして扱われた事。
そして。
────────名前を、呼ばないで。
胸が締め付けられる。
締め付けて押さえつけて、自分の存在がなくなればいいと言うように、消えてなくなって誰も知らないで欲しいと言うように、ぎゅうぎゅうと締め付ける。
そこから漏れるなにかが、体にしみる。
“痛い”って。
意味のある事なの。名前は、贈り物なんだよ。生まれた時に一番最初に貰う、贈り物なんだ。
だから。
──────呼ばないで。
“涙”と名付けられたその意味に、私が、傷つかないように。
呼ばれた意味、呼ばれなかった現実、その意味に傷つかないように。
目から溢れて止まらなくなったものが、熱くて苦しい。
とめどなくこぼれ落ちるそれは、何を意味しているのだろうか。
「────大丈夫」
そっと頭の上にあたたかさが降りてくる。
優しく優しく、私が剥き出しにした傷を、そっとあたたかさで隠してくれるように。
そのままでいいんだよと、守ってくれるように。
────呼ばないで。
たしかにそう心が叫ぶけど、名前を呼ばれた喜びと、私を傷つけない今が、心地いいと思った。




