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君のいる未来のために  作者: 伝説のぴよ
第二章 やさしさのかたち

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応えるもの

──────その時、鐘が鳴った。


 低く、深く。体の奥まで沈み込むような振動が、私を包んだ。

 私の奥まで染み込んだ震えはどこまでも震えて、細かくなるほど透明感を持っていくような気がする。

 冷たい石畳みから、夜空へと顔を上げる。


────また、鐘が鳴った。


 じん、と胸に響く。

 厳かなのに、どこか優しさを含む音に促されるように、ゆっくりと体を起こす。

 上半身を起こして、異常がないか、簡単に確認していく。

 問題ない。

 慎重に立ち上がり、動けるか、歩けるかどうかを確認する。


(……大丈夫そう)


 ほ、と息をつく。


────もう一度、鐘が鳴った。


 今度は優しく、包まれるように音が響く。

 鐘の音が聞こえる方向を見る。

 建物があって何も見えない。

 けれど、そんな事あるわけがないのに、鐘の音に呼びかけられているように感じた。


 足を、鐘の音に向けて動かす。

 なんとなく、そうしたかった。


────また、鐘が鳴る。


 止めどなく流れていた涙は、いつのまにか止まっていた。

 足の震えも、消えていた。

 それでも力は入りきらない。


 けれど鐘の音に向かって、また一歩、踏みしめるように進む。

 それでいいと、微笑まれているような気がする。

 そんな、自意識過剰な事を思った。




 





────鐘が鳴る。


(ここは──左かな)


 左に曲がって、また耳を澄ます。


(────博物館に、行くつもりだったのに……)


 今の自分がやっている事に、少しだけ呆れる。

 でも同じくらい、ほっとしている私がいた。

 ゆっくりと歩きながら、すっかり夜に沈んでしまった石畳みを、暗い気持ちでぼんやりと見つめる。


 ふ、っと自嘲した。

 博物館の建物すらまだ見えてないのに、何をしているのだろうか。

 博物館の気配すらしてないのに、私は何に、怯えているのだろうか。


 足を止め、両手で顔を押さえた。

 ぽろりと、一粒だけ涙が零れる。

 情けない自分に、笑みが深くなる。


 ジョイが整えていこうと言った意味が、嫌でもわかった。

 せめて、行手を立ち塞がれた時くらい、自分で立てるようにならないといけない。

 じゃないと簡単に倒れる。

 何もできずにあっという間に負けてしまう。


(…………じゃあ、立つためには、どうしたらいい?)


 考えろ。

 今私がやるべき事は、博物館に行く事じゃない。


────鐘が鳴る。


 は、と我に返って、いつのまにか止めてしまっていた足を前に踏み出す。

 コツ、コツ、と自分の足音が静かに響く。


(…………博物館に行く事は、今の私には無理だ)


 過去を思い出して感情が爆発してしまう。

 感情だけならまだいい。

 我慢できる、自制できる程度まで抑えられるなら、なんとかなる。


(でも────)


 今、力は入らないが、たしかにしっかり歩いている自分の足をじっと見る。


(足が……体が、自分の言う事を聞かないのが、一番問題)


 そう思った瞬間、ずん、と体が重くなった。

 体に鉛がまとわりついているように感じる。


(どうしたら……これがなくなる?)


 原因は考えなくてもわかってる。

 元凶の二人がいるかもしれない場所に行く事。

 それが、怖い。

 怖くて、行きたくなくて、動かなくなる。


 それが、一体何を意味するのか。

 それを体が、覚えているから。心が、それを拒否しているからだ。


 今も落ち着いていたはずの手のひらが、小さく震えている。

 微弱な痺れが肩まで響いて、関節がぎちぎちと鳴り動きが鈍る。


────そうだよね。


 小さく笑う。

 体は覚えている。

 壊れたくないと言ってる。


 きっと、壊れた痛みだけじゃない。

 それがどれだけ苦しかったのか、痛かったのか。

 何が“壊れた”のか。

 それを、覚えているからだ。


 だんだんと緩んでいた歩みが、止まる。

 じっと、自分の影に飲まれた石畳みを見つめる。

 夜のひんやりとした風が、私をそっと撫でる。

 緩やかにうねる栗色の髪が柔らかく風に流れ揺れる。

 暗闇に浮かぶ街灯の光が、目に痛かった。


────また、鐘が鳴る。


 手招きされているのに応えるように、体が勝手に動いた。

 鐘の音は、もうすぐそこだった。








────目の前で、鐘が鳴った。


 呼ばれるように顔を上げると、この前ジョイと見た月よりさらに削れた月を背景に、深い赤茶色の煉瓦が何十層にも積み重なって作られた時計台があった。

 夜の深みに沈んでいるのに、不思議とその輪郭ははっきりわかる。

 遠目でもわかるほど大きな時計の上に、大きな鐘がひとつ吊られている。

 今の鐘の音は、この時計台から鳴らされたものだった。


 何人もの人が私の横を通り過ぎる。

 ざわざわとした人の気配の海に埋もれて、ただじっと時計台を見つめていた。


「────ティアさん?」


 すぐそばの右横から声をかけられる。

 そちらに目をやると、少しだけ驚いたような顔をしたエレナがいた。

 月の光の下、エレナの動きにスモーキーグレーの髪がきらきらと輝き、身に纏っている深い青色のワンピースは落ち着いた静かな光の波を作る。

 なんとなく現実感がなくて、ぼんやりとエレナを見つめていると、エレナはハッとして私に駆け寄ってきた。


(……どうしたんだろう?)


 小さく首を傾げる。

 駆け寄ってくるエレナの髪が光る。

 小さな光がエレナの周りを舞っているようでとても綺麗だった。

 エレナは私のそばまできて、眉間に皺を寄せた。


「これを」


 エレナが口を開いて何かを言う前に、エレナの後ろから低い声がした。

 エステヴァンが差し出した紺色の上着を、エレナは受け取る。

 エレナは私の肩にそれをそっとかけた。

 エステヴァンは目を伏せて、すぐに一歩後ろに下がった。


「ありがとう……ございます」


 その様子に首を傾げる。

 何か、してしまったのだろうか?


「マティアス」


 じっと私を見ていたエレナが、エステヴァンをそう呼んだ。

 エステヴァンはエレナに向かって頷いた。


「レーベンさんに連絡してきます」

「お願いね」


 エステヴァンはエレナと私に向かって頷いて、左手に並んでいる店の方に足早に去っていく。


「ティアさん、こちらに」


 そっと背中に手が当てられ、エレナに右手側に促される。

 促された先には、白い石壁に、銅が少し錆びたような緑色の屋根が乗っている小さな宮殿のような建物があった。

 窓枠や屋根の縁をなぞるように繊細な装飾が施され、洗練された美しさを感じさせる。

 長い時間を過ごしている静かな品がそれに重なり、独特な深みを生んでいた。


 目が離せない。

 流れていく人達の合間を促されるまま歩きながら、静かに圧倒するような世界観にしばらく目を奪われる。


「入って」


 エレナはその小さな城の入り口のドアを開けて、私を中に入れた。

 小さな宮殿の中では、舞踏会が開かれているようだった。

 エレナがデザインした服達が躍動感を持って展示され、まるで見えない生きているものがその服を纏ってそこに存在しているようだった。


 エレナはそんな私を見て、頬を緩めた。

 私の髪を包むように撫でながら、私を見て柔らかく目を細める。

 どうしてそんなふうに、私を見つめるのだろうか。

 エレナが何を思っているのか気になって、じっと見つめてしまう。

 エレナは、小さく微笑んだ。


「ティアさん、向こうに行って着替えましょうか」


 そう言われて、自分の状態を確認した。

 紺色の上着からのぞくエレナにもらった柔らかい桃色のワンピースは、ぐちゃぐちゃに汚れていた。

 小道で転けた事を思い出す。

 心がぎゅっと、握りつぶされた。


 エレナは奥にある小部屋に案内してくれる。

 エレナがクローゼットから取り出した服を受け取り、着替える。

 ふわふわとした着心地のいい、月明かりを含んだような白いワンピースだった。

 肩にそっと、空気に溶けそうな青灰色のショールをかけられる。


「エレナさんに貰った服を……こんなふうにしてしまって、すみません……」


 大事にできなくて、ごめんなさい。

 汚れてしまったワンピースを抱きしめるように触れる。

 申し訳なさすぎて、エレナの顔を見る事ができなかった。

 ふ、っとエレナが笑った。


「それでいいのよ」


 そんなわけない。

 目が熱くなる。

 自分の情けなさに涙が出そうになる。


「綺麗に、大切に着てもらえるのは、とても嬉しい。でも、何よりも大事なものは、ティアさん自身なの」


 エレナは俯いてる私の顔をのぞきこんで、微笑んだ。


「そのワンピースは、ティアさんを守ったのよ」

「…………守った……?」


 その言葉が服から連想できなくて、エレナを見つめてしまう。

 エレナは私の顔にかかっている栗色の髪をそっと私の耳にかけながら、少しだけ首を傾げる。

 私の目を柔らかく見つめながら、頷いた。


「そう。そのワンピースがティアさんの代わりに傷ついて、汚れて、ここまで連れてきてくれたのよ」


 無事でよかった、そうエレナは言う。

 そして一度目を閉じて、悲しげに私を見つめた。


「………思い詰めて、しまったのね」


 そんな事ないって言いたくて、口を開く。

 取り繕う言葉を探すけど、何を言っても説得力も何もなくて、エレナのその言葉に何も答えられなかった。


 エレナはまた包むように私の髪を撫でる。

 私を包む柔らかさは、ゆるゆると続く。

 そのままでいいと、そう言うように。


────────ジョイ。


 ジョイが最初に、そう言ってくれたのに。


「…………私」


 ぽろりと、言葉が漏れる。

 目から熱いものも、一緒に零れた。


 守りたくて、そうしないといけないと思ってた。

 大事で壊したくないなら尚更、そうしないといけないと思ってた。

 罪悪感に追われて、自分の状態も省みず、無謀にも一人で博物館に向かってしまった。


「馬鹿、だったんです……あれだけ、心配してくれたのに」


 私を思って、言ってくれていたのに。

 両手で顔を覆う。

 ぽろぽろと涙が零れた。

 情けなさすぎて、顔を上げられない。


「一人でできると思って飛び出して、でも、何もできなかった。むしろ、できないどころか、動けなくなって……迷惑でしかなかった」


 私は弱い。

 知ってた。


 知っていたけどどこかで、自分は特別だと思っていたところがあるのかもしれない。

 百年前から運良く存在してるだけなのに、私が存在している事に何か特別な意味があるんじゃないかって、そう思っていたのかもしれない。


「きっと、自惚れていたんです。自分ならできるって。特別だって……自惚れていたんです」


 百年前の元凶の二人を見つけられるのは私だけ、止められるのも私だけだって無意識に、そう驕っていたのかもしれない。


「私……っ」


 そっと、涙で濡れた手を取られた。

 ジョイに手を取られた事を思い出して、思わずエレナを見る。


 エレナは眉尻を下げながら、まるで自分が痛いというように笑っていた。

 そして私の手を見つめる。

 愛おしそうに、ふわりと撫でた。


「…………たしかに、そうだったのかもしれない。事実、そんなふうに見えたのかもしれない。でも……本当にそうなのかしら」


 エレナは私を優しく見つめ、微笑む。


「今、こうしてボロボロになってまで、それでも大事にしたかっただけでしょう? それだけ、大事に想っていただけでしょう?」


 ぽろぽろと、もう飽きるくらい零れた涙が、熱を持って溢れる。

 優しく笑っているエレナがぼやける。


「一生懸命なだけだったティアさんを、そんなふうに言わないであげて。そんなふうに、責めないであげて」


 エレナにとふわりと頭を撫でられる。


「……苦しかったよね」


────苦しかった。


「悲しかったよね」


────悲しかった。


 私、すごく、悲しかったよ。


 私が泣き続けている間、エレナずっと、頭を撫で続けてくれた。








 どのくらいそうしていたのか。

 泣き疲れてぼんやりとしていると、コンコンと、ノックの音がした。


 エレナは声をかけるように私の頭を撫でた。

 そしてぼんやりしている私の顔を見て、首を傾げる。

 私はエレナに向かって頷く。

 エレナは微笑んで、頷き返してくれた。


「────どうぞ」


 エレナがそう言うと、ドアがゆっくりと開いた。

 その向こうには、息を乱し肩を大きく揺らしたジョイがいた。

 ジョイの吸い込まれそうな青い瞳と視線が絡む。


────怒られる。


 そう思った瞬間、ジョイはぐしゃりと顔を歪ませた。


 

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