Ⅰ.Dr.N -Jin Eden-
――もう、君をひとりにはしない。
君は、すぐに無茶をして怪我をしてしまうから。
傷付いた君がまた飛べるように、君を支えられたら……なんて。
もう二度と、君にだけ辛い思いはさせないから。
「あ、おかえりなさい、二人とも!」
裏警察本部、執務室の扉を開けたら、Jが笑顔で出迎えてくれました、まる。
――バタン。
弥王は、何も見なかった、とでもいうかのように無表情のまま執務室の扉を閉めた。
「……璃王。
オレは疲れているのかもしれない。
今すぐに休養が必要かもしれない」
「はぁ?
何があった――」
様子のおかしい相棒の言葉に首を傾げつつ、璃王も扉を開いて顔を上げる。
執務室には、上機嫌なJがいた。
――バタン。
璃王までもが、その姿を見た瞬間に何かを察知したのか、それともその違和感に耐えられなかったのか、扉を閉めた。
しゃがみこんでいる弥王の隣に璃王もしゃがむ。
「J……だよな?」
「やっぱりJだよな!?
ウチであんな美人で綺麗な赤い髪って言ったら、Jしかいないよな!?」
「何があったんだ……あんな表情のJなんてキャラ崩壊どころじゃないぞ!?」
J・クレッジェと言えば、素直で可愛げのある少女ではあるが、あまり表情は動かない。
しかも、あんな満面の笑みで自分たちを出迎えてくるなんて、有り得ないのだ。
Jの笑顔と言ったら、控えめな笑顔しか見たことがないのだ。
そんな彼女が、満面の笑みで出迎えてくるなんて……一体何があった?
「璃王、オレ、あの扉開けるの怖いんだけど」
「奇遇だな、弥王。
俺もあの扉は開けたくない……」
普段、笑わないような人間が満面の笑みで話しかけてくる。
それはもう、“異常”なのである。
その異常を察知してしまった二人は、心当たりを探す。
二人には、軽くトラウマになり兼ねないような教訓があった。
そう、遥か昔、小さい時の話だ。
弥王の父親、璃王の両親はそれこそ表情が表に出にくい性格だった。
そんな彼らがにっこり、と満面の笑みを零した瞬間がある。
その時の彼らはどうだったか。
確か、何かのパーティーの時だった気がする。
弥王と璃王に貴族の子息やその親が喧嘩を売ってきたのだ。
“喧嘩を売って来た”と言うのは、殴る蹴るの暴力的な話ではない。
遠回しに嫌味を延々と言ってくるような、陰湿なモノだ。
それを聞いてしまった弥王と璃王の父親は、今まで見せたこともないような笑顔を浮かべていたのだ。
そして、一言。
“今日は天気もいい事ですし……ハンティングでもいかがです?”
今思い出しても、ガクガクと体が震えてくる。
勿論、彼らの言うこの誘い文句は、“それ以上舐めた口利いていると、ご先祖様の元へお送りするがよろしいか?”という言葉が隠れているのである。
以来、璃王も弥王も親を怒らせまいと幼心に誓っていた。
そんな経験がある二人は、Jもきっと、怒った時に満面の笑みが出るタイプなのだろうと思ったのだ。
「弥王、心当たりないのか? お前の部下だろ」
「あるわけないだろ! お前こそ、何か――」
二人が小声で言い合っていると、ギィィ……と、木製の重厚な扉がゆっくりと音を立てて開く。
その音に二人は最期を悟ってしまい、身を寄せ合った。
――さよなら人生。 享年15年……。
「何やってるの、二人とも?」
身を寄せ合って最期を悟った二人の耳に届いたのは、何処か艶を感じさせる女性の声。
そっと見上げてみれば、綺麗なプラチナブロンドを肩より少し長めに伸ばしたルビーの瞳の女性が呆れたように二人を見下ろしていた。
「ロラン!」
弥王と璃王の声が重なった。
―― ――
―― ――
「改めまして、サン・エデンの弟、ジン・エデンです。
この度は、僕と姉を助けていただいて、ありがとうございました」
執務室には、ボスであるグレアとJ、カナメ、明日歌にロラン――裏警察本部で主に活躍している死宣告者たちと専属の女医がいた。
Jの隣には、彼女と瓜二つの容姿の少年がおり、彼は丁寧に弥王と璃王に頭を下げる。
Jと違い、彼は礼儀正しい律儀な性格の様だった。
ちなみに先ほど、弥王と璃王がJだと思っていた人物はジンだったらしい。
よく見たら、ジンの痣は痣ではなくタトゥーの様で、Jの左頬にある痣と同じ模様のタトゥーが右頬にあった。
「まぁ、それが仕事だったしな……」
弥王はバツの悪い緑玉の瞳を伏せる。
何をどう言っても、彼らの養父を殺したのは自分なのだ。
――それも、復讐心に駆られるまま。 感情のままに。
それに罪悪感がないわけではない。
弥王の表情の理由を悟ったジンは、「それでも」と首を振って、弥王の手を両手で包むように握った。
温かい手の温度に弥王はジンへ視線を向ける。
彼は、ふわり、と花開くような可憐な笑みを零した。
「貴方達が僕ら姉弟を助けてくれたことには変わりないんです。
だって、あのままいたらきっと、サンは壊れてたから……。
だから、自分を責めないでくださいね」
「ジン……」
ジンの言葉が、弥王の強張った心を解してくれるかのようだった。
自分は彼らに恨まれても仕方ないと思っていたのだ。
Jは自分に心酔して付いてきてくれてはいるが、それが本心だという自信はなかった。
むしろ、どこかで自分を見限って寝首を掻こうとしているのではないか、と思う瞬間がなかったわけではない。
それでも、彼女の人生を、彼らの運命を変えてしまった自分にできる事は、最後まで彼女たちに償うことだと自分に言い聞かせてきたのだ。
そんな思いが、溶けていくような気がした。
「それで、エデン。 お前はどうする?
お前の姉は裏警察に入ることにしたそうだが……、お前には、平凡な幸せを選ぶ権利がある。
お前の人生を強制するモノはここにはいないから、選ぶのはお前次第だ」
グレアが口を開く。
彼の言うように、ジンはまだ13歳。
未成年である彼には、子供らしい平凡な幸せを、その日々を過ごす権利があるのだ。
Jはそれを捨てて裏社会で生きる道を選んだが、何も彼まで同じ道を選ぶことはないのだ。
「僕の……幸せ……」
ジンは、まるで今まで考えもしなかったとでもいう様に驚いたような表情を浮かべた後、目を伏せる。
ちらり、と隣の姉を見てみる。
エデンカンパニーにいた時は、研究者兼人質として飼い殺しになっていた自分を守るために殺戮の道を歩んできたサン。
久しぶりに会った彼女は、その瞳に温かな色を湛えて優しく微笑むようになった。
きっと、この組織での生活は彼女にとって“悪い生活”ではないのだろう。
夕闇に強く輝きながら沈んで行く黄昏を抱いた瞳を閉じ、そして、それを見開いてジンは口を開いた。
「――分かりました。
僕もここに置いてください」
「そうか。
では、グレイに連絡してすぐに――って、は?」
ジンの言葉に頷いたグレア。
しかし、彼はジンの口から出た言葉が予想外だったのか、途中で言葉を切ってジンへ視線を向ける。
その瑠璃色の瞳は困惑した色を彼に向けていた。
「裏警察だぞ? 幾ら姉がいるからと、お前まで同じ道を行かなくてもいいだろうに……。
ほら、クレッジェ。 お前からも何か言ったらどうだ。
弟がお前について行きたがっているぞ」
「えぇっ!?」
自分では説得は無理だと判断したグレアは、ジンの説得をJに丸投げする。
突然話を投げられた彼女は困惑したオレンジの瞳を自身の弟へ向ける。
その弟本人は、Jが浮かべる笑顔よりも明るい笑顔を浮かべて言う。
「サンが居るのに、僕だけ呑気に生活なんてできないよ。
サン、目を離すとすぐ無茶をするんだから。
それに――」
そして、ジンはJからロランへと視線を移す。
「あの血塗れの女医が居るなんて!
光属性の医療系呪幻術に特化した天才医術師!
誰もが認める奇跡の女医――ロラン・デュランダンテさんが居るんですよ!?
彼女の論文や呪幻術の術式案は、あの世紀の天才医術師、カゲツ・ユヅキに追随するほどで……、僕みたいな研究者なら誰もが憧れる存在ですよ!?」
ジンは突然、子供のように目をキラキラと輝かせ、語りだした。
そう、ロランはロランで医術師――医療系呪幻術を扱う呪幻術師――界隈では名を馳せる天才医術師なのである。
“血塗れの女医”、それが彼女の異名である。
医術師である反面、その技術を応用して死宣告者としても活動する彼女は、いつしかその異名で呼ばれていた。
「そ、そうか……。
お前がそこまで熱烈に志願するなら、歓迎するよ……」
ジンの勢いに若干引きつつ、彼の入隊をグレアは許可した。
その言葉に、ジンは年相応に――少し子供っぽいかもしれない――「わーい!ありがとうございます~!」と全身で喜びを表現するように両手を上げた。
Jとは対照的な反応に弥王と璃王も顔を見合わせて肩を竦める。
これで、ロランよりもまともな医者が入ったと思いたい。 医者の卵ではあるが。
「なら、彼は体も弱いという事だし、何より、デュランダンテ、お前を慕っているという事らしいから、お前が面倒を見てやれ。
成人までは助手としてな」
「えぇ、分かったわ。
私もちょうど、手伝ってくれる助手が欲しかったのよ~。
璃王ってば、目を離すとすぐに無茶をするんだもの。
骨折を自力でくっつけてきたり……今回の任務、何もなかったでしょうね?
後で透過検査するから、医務室に来なさいよ」
「げぇっ……。 分かったよ」
ムスッと軽く眉を顰めてじとり、と睨んでくるロランに、璃王は面倒くさそうに返事をした。
彼女は月に1回、定期的な検査が必要なのだ。
その検査をロランが受け持っているため、璃王は従わざるを得ない。
璃王は彼女からの診察しか受けないのだ。
ロラン自身も、璃王の診察は他の人間には任せない。
「ところで、サンって入隊する時に改名したんだよね?」
「あぁ……、そうだな」
話を変えるようにJへ質問を投げるジン。
その言葉にJは頷いた。
「サンが名前を変えるなら、僕も名前を変える!
っていうか、Jって……僕の事好きすぎるでしょ、サン」
「な……ッ! お前まで変えなくていいんだぞ!?
ジンが好きなのは本当の事だけど!」
ニヤリ、と悪戯っぽい笑みを向けてくる弟にJは焦ったような口調で言う。
本音が漏れているが、サンも中々の“弟スキー”の為、否定はしない。
「だって~、僕の名前はサンが名乗っちゃってるし。
じゃあ、僕はこれからDr.Nって名乗るよ!
サンの名前も、僕の名前も一緒に名乗れるっていいね!
今日から僕は、Dr.Nだ!」
――こうして、裏警察に、まともな医者(の卵)が入隊したのである。
―― ――
―― ――
ウェストスター校女子失踪事件が無事に解決し、我が家でもある裏警察本部に戻ってグレアに任務報告をした後に任務の報告書類で埋め尽くされたデスクを片付けていたら、いつの間にか寝てしまって翌日、目が覚めたら女王陛下が自分の顔を覗き込んでニヨニヨしているなんて、日常茶飯事だ――
「──え?」
弥王は寝ぼけながら開きかけた目をまた閉じる。
――嘘だ。
報告書類にノックアウトされて朝に目が覚めると、女王陛下ことグレイ・ゼル・ファブレットが自分の顔を覗き込んでいるなんて幻覚だ、夢だ。
もう一度眠れば姿が消えているだろうかと期待しながら、再び眠りに入る。
しかし、現実はそう甘くない。
現実逃避を始めた弥王の背中にのしかかるように、グレイが抱き着いてきた。
背中に服越しにも感じる温もりは、生きている人間のモノだと現実を突き付けてくる。
「ミ・オ・ン!
ウェストスター校女子失踪事件解決、おめでとう!」
グレイは弥王の頬を突きながら、満面の笑みを浮かべて言う。
駄目だ、これは正真正銘、生きたグレイである。
幻覚や夢でないことに若干ガッカリしながらも、弥王は寝不足ではっきりしない頭を必死に起こした。
時は進んでDr.Nの入隊から翌日。
眠たい目を擦って卓上時計に目を向ければ、時間は九時前。
朝日が目に沁みる時間になってしまっていた。
「ゔーっ……。
陛下、また窓を突き破って入ってきたんですか……」
弥王は頭を上げる。
寝ぼけ眼の視線の先、目の前には淹れたての紅茶が置かれていた。
もしかして、グレイが淹れてくれたのだろうか?
「失礼な!
ミオンの部屋の窓が開いていたから、そこから入った!
その事に関しては反省も後悔もしてないよ!」
いつものハイテンションなグレイの声が建造物侵入罪を自白してくる。
だが、今の寝不足の弥王には、それがかなり堪えた。
頭痛にハイテンションの大きな声は頭に響くというモノだ。
しかし、弥王は女王陛下である彼女の手前、これ以上無様な姿を晒す訳にはいかない、と切り替える。
「……で、今日はどういった御用件で?
できれば、暫くは任務行きたくないかなーとか、っつーか、行けなくね?
この書類片さなきゃとか思ってたりするんですが」
寝不足で痛む頭を支えながら背筋を伸ばすと、弥王は眠りについたことで机の上に転がってしまったペンを取る。
彼女のデスクの周りには沢山の書類が積まれていた。
グレイはそれを気にせずに弥王が持っているペンを取ると、彼女の腕を引っ張る。
「ちょっと執務室に来て!
リオンとミオンに頼みたい事があるから!」
その言葉に弥王はグレイを見る。
彼女は良からぬ事を頼もうとしているらしく、その端正な白い顔に悪戯っぽい笑みが浮かんでいた。
それに弥王は嫌な予感を覚える。
こういう表情をしている時のグレイは、大体よからぬことを頼もうとしてくるのだ。
「陛下、何を企んでいるんです?」
「さぁ? 何だったかな、まぁ、執務室行けば解るよ」
じとり、と怪訝なエメラルドの瞳を向けてくる弥王にグレイは話を曖昧に返す。
これで、弥王は嫌な予感が確信へと変わってしまったが、ここでグダグダしていても仕方ない上、あまり待たせるのも失礼なので、弥王はグレイと共に部屋を出た。
―― ――
―― ――
執務室には、既に相棒である璃王とボスであるグレア、そして、明日歌やカナメ、Jと言ったいつものメンバーが揃っていた。
どうやら、弥王が最後だったらしい。
「──でさ、ちょっと、こいつを拉致って来てほしいんだけど」
執務室に入って唐突に言われた一言。
弥王と璃王はその言葉に耳を疑った。
聞き間違いではないよな?とお互いの顔を見合わせれば、やはり、相棒も困惑した似た表情を顔に走らせている。
いや、待てよ。
女王陛下が無茶を言うのは昔からだ。
それは知っている。 問題はそれじゃない。
「ちょ……女王陛下。
そんな、子供に“ちょっとそこまでお使い行ってきてくれる?”ってノリで何頼んでるんですか」
漸く口を開いたのは璃王。
その声色からは、困惑と呆れの感情が滲んでいる。
グレイの隣のやや後方、デスクに座るグレアは苦笑いを零していた。
「女王が犯罪を認めて良いんですか」
流石の弥王もグレイの暴挙に苦言を呈する。
基本的にグレイへは絶対服従の弥王と璃王でも、流石に今回の仕事は……と引け腰だ。
引き気味の二人にグレイは真顔で答える。
「何言ってんの?
裏警察公認してる時点で、犯罪公認してんじゃん」
眉一つ動かさず尤もな事を言われ、二人は確かに、と納得してしまう。
グレイの言うことも確かに間違てはいないのだ。
裏警察は、女王陛下直属の裏社会の番人。
裏社会の力で表社会を蹂躙する者が在るなら、絶対的な力で抹殺する権限を女王により与えられている。
簡単に言えば、“死宣告者が一般市民を殺せば、そいつは殺ってよし”という権限をグレア達はグレイから与えられているのだ。
だから、グレイの言うことは正論である。
「だが、彼は一般市民だろう?」
今まで黙って静観していたグレアが、見かねて自身の妹へ問いかける。
その言葉にグレイは、長い睫毛を伏せ気味にして深刻そうな表情を顔に走らせた。
「彼は、後見人である祖父によって家庭内暴力に遭っているんだ。
それがあまりにも不憫で……」
「つまり、こういう事だな。
彼には特殊な力があるから、精神崩壊の末に死なれても勿体無い。
それなら裏警察に引き込もう、と言うワケか」
グレイの言葉の裏を察知したグレアが彼女の話を纏める。
彼女がただの善意で一般市民を保護しようなんて、余程の理由がなければない。
自身の妹は聖人君子でも聖母様でも聖少女でもないのだ。
何なら、目的の為なら法の抜け道すら駆使してしまうような人間である。
自身の目的を見透かされたグレイは内心、舌打ちした。
自身の兄には、自分を良く見せようとしても無駄だったらしい。
一体、彼の中で自分はどんな人間に見えているのだと問い詰めたくなる。
「何で解ったんだよ……まぁ、そう言うことだから、この少年を拉致って来て」
グレイの満面の笑みに何も言えなくなる弥王と璃王。
彼女たちは黙って、グレイの差し出す資料を手に取った。
笑顔なのに目が笑っていないのだ、二人には、黙って任務を遂行する以外の道はなかった。
ジン・エデン(Dr.N/13)
誕生日:1939年9月9日
星座:乙女座
血液型:B型
身長:165㎝
体重:50㎏
趣味:薬や毒薬の調合、読書
特技:毒薬づくり
好き:サン、未知の薬草
嫌い:サンを傷付けるモノ、サンに近付く毒虫
異名:-
武器:劇薬入り水鉄砲
サン(J・クレッジェ)の双子の弟。
似ているのは外見だけであり、姉とは違い病弱。
物心ついた時からサンに守られており、彼女が世話を焼いてくれていたこともあって、サンだけが彼にとっての世界。
つまり、姉大スキー。
心優しい少年ではあるが好奇心が旺盛で好きなモノに真っ直ぐな為、暫し暴走気味である。
水鉄砲を魔改造したものを武器としており、その中には劇薬が入っている。
裏警察では医者の卵として、ロラン・デュランダンテに師事することになった。




