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「——あぶなかった~」


 心底ほっとしたから、うっかり今まで取り繕っていた素が出てしまった。

 腕の中にいる娘は、ぐったりと目を閉じている。

 彼女の灰色がかった青い瞳に、自分が映っていないことに不満を覚えるが、またの機会があるからと思い直した。

 ——そう、まだ、機会はあるのだ。

 彼も第一王女の国への献身の程を知ってはいたが、彼女が一寸たりとも迷うことなく自分の首へ短剣を突き込んだ時は、本気で肝が冷えた。

 咄嗟に彼女の自害を阻止できた自分を、今はもうひたすらに褒め称えたい。

 彼女がいなくなったら、彼の今までの苦労と忍耐が全て水泡に帰すところだった。

 万が一が怖いので、彼女の手に固く握られた短剣から、華奢な指を引き離す。

 彼女に似合わない刃を適当に放り捨てたところで、無粋な声がかかった。

 ……もう少しぐらい、達成感に浸らせてほしい。

 曰く、咎人を引き渡せ、と。


「いやだ。 断る」


 言葉にしなければ、分かりようがないと、まだ獣同然だった自分に彼女が言った時のことを、何となく思い出す。

 細い身体を抱え直せば、呆気にとられた目を向けられた。

 一体、何が可笑しいというのやら。

 まあ、漸く面倒な契約が終了し、彼は未だかつてない程寛大な気持ちになっているので、放っておくことにする。

 裏切るのか、と、元同僚が怒鳴ってきた。

 意味不明な言葉に、彼は首を(ひね)る。

 裏切るも何も、彼と元雇い主や元同僚との間には、裏切りの前提となるものなど、存在していないのだが。

 利害が一致した上での関係に、忠誠も糞も無かろうに。

 彼が裏切ったのは、……それでも赦されたかったのは、腕の中の娘だけだ。

 本当に欲しいものを手に入れるため、彼女を絶望させるのを承知で、彼は傍を離れたのだ。

 がなりたてる元同僚が鬱陶(うっとう)しく、彼は口を開いた。


「——言ったよな? 欲しいものを手に入れるまでだと」


 途端、元同僚の顔が真っ青になった。

 思ったよりも、冷たい声が出たせいだ。

 もとより彼は、自分の本質が彼女と出会った時から変わったなどとは思っていない。

 多少なりとも変化があったのは、取り繕う術を得たことぐらいか。


 彼は、昔から普通の人間とは違っていた。

 力が強く、身体が頑丈で、——他者を害するのに、何ら罪悪感を覚えない。

 二足歩行で、頭部に被毛があり、衣服を身に纏う。

 瞳は二つ、手の指は五本で、足の指も五本——。

 それなりに共通点が在る筈なのに、どうしても、彼は他の人間達を自分と同じモノだとは、思えなかった。

 親に捨てられたせいなのか、生まれ持った異質により、他者に恐れられ続けたせいなのか。

 獣以下の奪い合いしか知らなかった彼に、手を差し出したのは、まだ幼かった彼女だけ。


 ——おいで。 人間らしい生き方が分からないなら、教えてあげるから。


 賊とは言え、大の男を何人も血祭に上げた彼に、少し震えながら彼女は言った。


 ——自国の民一人救えない王族に、存在意義など、あるのかしら?


 後々湧き上がったどうしてへの返答は、彼を落胆させた。

 彼は、彼女の一番にも、唯一にもなれないと、思い知らされたので。

 それでもいい、とは、彼は思えなかった。

 彼女は彼の一番なのに、彼女の一番が彼にならないのは、理不尽に感じた。

 だが、彼女に嫌われるかもしれないと考えると、国を滅ぼすのも、彼女を(さら)うのも躊躇(ためら)われた。

 憎悪を向けられるのは、良い。

 彼女の目に、自分以外が入らなくなるのなら。

 だが、もし彼女が壊れて、彼女の世界から、彼が締め出されてしまったら?

 彼女からの無関心だけは、どうしても耐えられなかったから、身勝手な欲望を彼は抑え込むしかなかった。


 秘密裏に国王夫妻から呼び出しを受けたのは、彼女の元で人間としての振る舞いを覚え、護衛として働き初めて暫くした後だった。


 国王夫妻から第一王女は偽物の捨て駒だと教えられ、正当な後継者である第二王女につくよう命じられた時、彼はこれ以上ない程歓喜した。

 彼女が、己の一番である国を捨てることなどあり得ない。

 だが、国に彼女を捨てさせれば、彼が彼女の一番になれるかもしれないのだ!

 彼は、彼女が欲しかった。

 彼女がいなければ、人間の振りを覚えたことなど、何の意味も無い。

 だから彼は、彼女を利用する人間達を、余すことなく活用することにしたのである。

 彼女を得られるのなら、彼には非常に疲れる作り物の笑顔を、誰であっても大盤振る舞いするのも苦ではなかった。

 第二王女もその取り巻き達も、果てしなくどうでもよかったが、彼女を傷つけたことは、嬉しいと同時に、心苦しかった。

 彼女の中の自分の地位が傷付くくらいに高かったことに、彼は優越感を覚えたが、それでも、彼女を悲しませたいわけではない。

 自分が、彼女にとってのその他になったと気付いた時、彼女を傷つけるもの全てを殺したくなる程の吐き気を覚えた。

 彼は忍耐に、忍耐を重ね、漸く、彼女の不毛な努力の終わりを確認した。


 最後はとてつもなくヒヤッとしたが、成功と言っていい結果に、彼はそれなりに満足していた。

 後は、彼女の心を得るために、彼が誠意を尽くすだけだ。


 ねえ、ひーさま。

 俺のひーさま。

 どうか、俺を見てください。

 貴女が、笑顔をくれるなら、何だってしますから。


 数々の敵対者を冥府に送り込み、第二王女の狂犬と名高い青年は、蕩けるような笑顔を浮かべ、愛しい娘に口づけを落とした。


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