第五章 最後の任務(2)
半日ほどかけて準備を整えた。
装備、弾薬、水、食料。
どれを持ち、どれを置いていくか。
置いていくロレッタたちのためにも、それは重要な作業だった。
エレナを相手にするとなれば、いずれにせよ弾数はさほど必要ないだろう。多くを消費しないうちに、いずれが勝者かが決まっているはずだ。
だから、いずれも、残すものに多めに配分することとなった。
ロレッタたちの中にも、エクスニューロなしでそれなりに銃や格闘を扱えるものがいることが分かり、夜盗相手にはそうしたものを中心に集団戦術で応じるよう念を押した。
夜半までの戦いで疲れた身体を休めるため、そうした作業は昼過ぎから始められ、出発は夕暮れに近かった。
「……気を付けてね、アユム」
そう声をかけたのは、彼女の隣に座る、ロレッタだった。
アユムとロレッタは、マリアナ川のほとりに、並んで座っている。
このほんのわずかな日々の間に芽生えた二人の友情を、確かめるように。
「大丈夫よ、私たちには、女神がついてるの」
アユムは、夕焼けに照らされる、マリアナ川の水面を見つめながら、微笑んで返す。
鮮やかなオレンジは茜色へ――そして血潮のよう移ろい、青い水面とのコントラストを深めていく。
水面を撫でる風が、宇宙の深い紺を連れてくる。
「そうだよね。それに、セシリアさんもエッツォさんも、アルフレッドさんも、本当に、強い」
「ええ。私なんて、きっと出る幕がないわ。……帰ったら、みんながどれくらい強かったか、聞かせてあげる」
その言葉に、ロレッタはふとアユムの横顔を眺めて、それから、アユムと同じ夕日を見つめる。
「楽しみにしてる。ここで。マリアナ川のほとりで待ってるから」
「……ん。それじゃね、ロレッタ」
そうして立ち上がり、待っているアルフレッドのもとに向かうアユムを、ロレッタはしばらく目で追っていた。
そして、出航の時を迎える。幾人かの元ウィザードたちが見送りに来て、それに手を振って返した。
エンジンが巡行最大出力にセットされ、疾走を始めた。
沿岸索敵にかからないよう、大陸南岸から百キロメートル以上空けて東に疾走する。
見渡す限り、海原。
やがて夜が明け、真珠のように輝く太陽光が、浅い海を青緑に染めている。
いつの間にか、海を我が家のように感じていることに、アルフレッドは驚く。
灰色の第三市で決められた路を行き来するだけの人生だった数か月前、これほど美しい世界があるなど想像もしなかった。
この美しい世界を永遠に旅していたい。
命を惜しむ気持ちは、世界の美しさへの愛だ。
それに気付いてよかった、と思う。
生き延びよう。
彼女のために。
丸一日走り続け、やがて、暗闇が降りてくる。
夜半を過ぎ、第五市の沖に到達した。
ナビに従い、船の針路を左にとる。
一時間も走った頃、第五市半島の背骨を形作る尖った山並みが星明りに透かして見えてきた。
***
エッツォは、フェリペのいる正しい位置を伝えられていた。
フェリペの属する秘密組織の会議場は、まさに戦術計算機センターに置かれていた。
エレナもそこにいて、彼女自身のエクスニューロとフェリペを守っているのだろう。
戦闘艇は、いつかシュウ・ジャネスが散った海岸に向かって突き進み、そして砂浜に無造作に乗り上げた。フェリペさえ除けば脱出のことは何とでもなる。
ミネルヴァに占領されて間もない第五市は、防備らしい防備もなく、彼らの戦闘艇の突入にもなんの反応も見せなかった。警察官が大勢で駆けつけたのは、彼らが船を捨てて三十分以上経ってからだった。
いつかと同じように、夜明けに近いが、辺りは真っ暗だ。
通りに人通りはない。
五人は走って緩やかな坂を上る。
戦術計算機センターはすぐだった。
「――前と同じように、上の階から検索するか」
「いや、地下」
エッツォの問いにアルフレッドは即答する。
あのエクスニューロの積まれた機械室。
その近くでエレナは警備しているに違いない。
建物に近づくと、前の戦いのときについた弾痕が生々しく残っている。
「待ち伏せされるのはまずい。どうにかしてフェリペをおびき出さなきゃならない。袋小路のあの地下室は、追い詰めるにしても待ち受けるにしても理想的な場所だ」
「なるほど、道理ですね」
アルフレッドの意見に、セシリアが相槌を打つ。
「――騒ぎをあえて起こせば、奴は僕らの襲撃だと勘付いて『戦術的に有利な場所』に向かうかもしれない。僕らがあの地下室を襲撃したことを奴は知ってる。僕らがあそこが戦術的に有利な場所だと知っていることを、奴は知っている。先んじて押さえようとするはずだ」
「やってみる価値はある」
エッツォが同意する。
わざと、エントランスの仮施工の扉を派手に破る。
警報音と赤ランプが辺りを満たす。
「これでフェリペがあわててどこかに駆け出して――それが地下のあの部屋なら良いわね」
「先回りして防弾ガラスに守られたあの部屋で迎え撃てればなおいい、急ごう」
一度は通った階段ホールを抜け、地下に向けて駆けた。
廊下を折れ曲がった先に、その向こうに中枢機械室が見える防弾ガラスがすぐに見える。
透明のガラスの向こうには、以前見た通りの中枢機械室の雑然とした景色。
――その中に、フェリペはいた。
彼らの到来をそこで待ち受けていた。
アルフレッドは反射的に銃を構え、放った。
当然ながら、それは、防弾ガラスに阻まれ、火花となった。
一方、フェリペはそれを見て笑いさえ浮かべて見せた。
おそらく、エレナの千里眼で、彼らの襲撃をずいぶん前に察知したのだろう。彼らが最初に地下の機械室を狙うことさえも。
相手を慌てさせるつもりが、すっかり相手のペースに巻き込まれつつある、と、アルフレッドは舌打ちする。
『焦るな、来たまえ。魔人エレナがお相手しよう』
内と外をつなぐスピーカーから、フェリペの声が響いてくる。
あの病院での一戦を丸ごと再現しようとでもしているかのように。
「……罠か」
「かもしれないわ」
『罠などない。私は、シャーロット・リリー、君が欲しいのだ。私が勝ったら君を頂く。君らが勝てば、私を好きにするがいい。純粋な力比べだ』
その声を聞き、アルフレッドはガラスの目前まで歩み寄る。
中を見渡すと、フェリペが一人で立っている。エレナの姿は見えない。
「なぜロッティを欲しがる。エレナがいれば十分じゃないのか」
エンダー教授さえ目的は分からないと言った、彼がシャーロットを欲しがる理由を問いただす。
戦わずに彼をあきらめさせられないか。
『……こう言えば分かるかね。エレナは、効率的に魔人化するために、脳接続強度を通常の十六倍、回路弾性を八十倍にしてある。おそらく普通の接続強度では魔人にはなれなかっただろう』
それは、おそらくエンダー教授も詳しく知らぬ間に施された処置なのだろう。二人目の魔人を作るために行われた残虐な実験の一つとして。
『そのおかげか、感情的なものに支配されずに強力な戦闘力を維持している。戦うことにかけては、シャーロットなど足元にも及ばんよ。引き換えに、おそらくあと一年と生きられまいな』
フェリペは、最後に、シャーロットを慈しむように睨みつけた。
『それ無しに魔人として立つシャーロット・リリーこそ、真の魔人なのだ』
「……ひどいことを」
アルフレッドは思わずフェリペに向かって吐き捨てるようにつぶやく。
『エレナのことかね? 私が拾わねば、エレナは身寄りのない女としてどこぞの金持ちの性奴隷としてもてあそばれ、もっと早くに命を落としていただろう。少なくとも私はその馬鹿者よりは長くエレナを生かしているつもりだよ』
「生きているだけだ。ただ死を待つために生きているだけだ!」
かつて自分がそうだったから、アルフレッドは、それが許せなかった。
世界を愛でる自由こそ、生だ。
それを知らずして、生きていると、言えるものか。
あれは――エレナは――昔の僕は――ただ、鼓動し呼吸するだけの人形だ。
『ふむ、熱いな。教授の言っていた通りだ』
「教授は僕らを――」
裏切ったのか、と問いただそうとしたが、思いとどまった。
彼はどちらの味方でもない、そんなことは分かっていた。ただ彼は、自ら知ることを無造作に漏らしているに過ぎない。
『くく、あいつめが君らに余計なことを漏らしてくれたおかげで、計画は狂ったが、期せずして新連盟とランダウ騎士団を潰せたよ。ま、あいつを責めてやるな。あれはああいう男なのだ』
こんなところで雑談を楽しんでいる場合じゃないのに。
アルフレッドは、フェリペに上手く踊らされていることに、これまでもずっとそうだったことに、苛立ちを覚える。
「……僕らが勝てば、もう二度とロッティに関わらない、約束できるか」
『もちろんだとも。おそらくそのとき私はもうこの世にいるまい』
言外に、勝負とは命のやり取りにほかならぬ、と告げるフェリペ。
「……行こう」
アルフレッドは、フェリペを睨みつけたまま、後ろのアユムたちに声をかけた。
防弾ガラスの廊下は右に折れ曲がっている。
その先は不透明な壁で、その壁の向こうに、確か、もう一室、機械室があったはずだ。
十数メートルほど進んだ一番奥に入口があり、一口の先がその機械室。
その機械室を通り抜けることで、今フェリペが立っている、防弾ガラスで囲まれた、最奥の機械室にたどり着く構造。
思い出しながら進むと、最奥には以前破った扉がある。そこは、今は仮の扉がついているが、それも開け放たれている。
そこから中に入れば、全て透明なパーテションで区切られた二つの機械室の奥まで見渡せるはずだ。奥の機械室にいるフェリペの場所も分かる。
確か、透明パーテションも防弾ガラスだった。直接フェリペを狙い撃つのは難しいが、位置を確認次第、一気に突入してフェリペの身柄を抑える。
小声で作戦を伝え、開け放しのドアにぴたりと身をつける。
シャーロットが制止しないところを見ると、ここには危険は無いようだ。
ゆっくりと第一の機械室に踏み込んだ。
そこからパーテションの向こうの中枢機械室を見ると、驚くべきことに、フェリペの姿が消えていた。
ただ、中枢機械室にはいくつか機械ラックが置いてあり、その陰に隠れているのだろうと思われる。
相変わらず人の気配はないが、誰かが隠れてフェリペを守っていることは、想像に難くない。
第一の機械室、十メートル四方はあるその機械室には、テーブルといくつかの端末しかなく、何の障害もなく素通りできる。
「奥の扉を破って、位置を確認、フェリペだけを撃つんだ」
「もちろん」
アユムはうなずいて、突撃銃の安全装置を外し撃鉄を起こす。
シャーロットも拳銃を両手に持ち、正面に構える。
セシリアは一歩引いて、狙撃銃を水平に構える姿勢をとる。
エッツォも右手にサブマシンガン。
アルフレッドが先頭に立ち、扉に手をかける。
思い切りよく手前に引き開けた。
明るい中枢機械室の光が扉の隙間からあふれるように差し込んできて彼らの視野を照らし――。
そこに、無敵の魔人、エレナの姿があった。
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