第二章 量子の魔人(1)
■第二章 量子の魔人
フェリペは、どさりと体をリラックスチェアに放り出した。
「たまらん、状況的に完全に無意味な局面で閃光弾など使いおった」
向かいにいた小柄な男――と言ってもフェリペと比較するとだが――は、それを聞いて大笑いした。
「どうやらそれを阻止できなかったと見た。情緒的な発作反応まではエレナには読めんだろうよ」
「見て来たかのようだな」
「元は私が作ったのだ、何が起こったかくらいの想定はできる。……そして結果として、シャーロット君を取り逃したわけだ」
「どちらにせよ私とエレナだけで人間一人を運ぶのは難があった」
「くっく、負け惜しみか」
「負けてはおらんよ。勝った。圧勝だった。――だが、あのよくわからん男と一緒だと何をしでかすか分からん怖さはある。ひとまずお眠りいただいたがな」
「シャーロット君はいずれ回収するつもりなんだろう?」
「もちろんだ。――だが、少し面倒なことになるかもしれんな」
「ほう?」
「やつらも薄々シャーロット・リリーの特殊性に気付きつつある。であれば、あれを破壊された奴らがどんな行動に出るか――」
「――なるほど、シャーロット君を『修理』しようとするかもしれん」
「何しろウィザードだ。もしかすると、あちこちの防備を破って情報をあさり、私か君にたどり着くかもしれん。――私はエレナが守るとすれば、奴らは君のこめかみに銃を突きつけるかもしれんな」
「くっく、そうなったら私はいくらでもしゃべるぞ? 楽しみだ」
「そんなことはさせんよ。エレナの安定にもまだ時間がかかる、連盟か海賊を潰す準備も必要だ。当面――あと何か月か、何年かは、眠って過ごしてもらうのがよかろう。君の情報は徹底的に消しておくことにしよう」
「こんなことで失職することになろうとは思わんかったよ」
「サラリーは私が出すよ」
と、フェリペは口の端を上げる。彼が自由にできる金など、いくらでも湧いてくる。
「……ところで、戦闘の権化であるエレナ君と比べて、シャーロット君の完成度はどうだったかね」
「悪くない。だが、あのような感情的な発作を起こすようではな」
「エレナとは違って同化が進んでいる証拠だよ、くっくっ。早く起こして育ててやれ」
「ふん、出来ぬことを知ってて言うのだから、気に食わん奴だ」
「接合強度をいじったエレナでは、ああはいかんだろうが、どうだ、エレナの教育をしてやろうか」
「それこそ気に食わん。いずれ奴らに食いつかれて奴らに蜂の巣にされてしまえ」
「ひどいじゃないか」
そう言いかえす小柄な男――リチャード・エンダーの低い笑い声が続いた。
***
散発的な戦闘の音が響く中、何名かの学生らしき若者を捕らえては尋問することを繰り返すと、すぐに情報は得られた。
情報科学と脳科学の権威、という条件に合致する一人の専門家、リチャード・エンダー教授。
脳神経の拡張機器みたいなものに関与しているかもしれない人物と問えば、十人中十人がまずその名を挙げた。
さらに締め上げた結果その他何名かの候補も挙がってはいるが、まずは、エンダー教授を訪ねてみなければなるまい。
彼の教官室を訪ねたが、もぬけの殻だった。室内に、少し嫌な臭いが沁みついていたくらいだ。学内でこれだけの闘争が起こっていて、まともに出勤している教授がいるとは思えない。それこそ、学粋派に与する教授くらいのものだろう。しかし、出勤していないというよりは、元からそんな人物がいなかったかのように、何も痕跡が残っていないことに、一抹の不安を覚える。
次に訪ねたのは、医学部付属病院。シャーロットとエレナが戦った場所だ。もし脳外科的な仕事もしていたのであれば、ここに痕跡があるかもしれないと考えてのことだ。
前日と同じく病院には誰も職員がおらず、フェリペが陣取った防弾樹脂の奥の事務スペースには容易に侵入できた。
情報化機器をあまり信用しないというマリアナ共通の慣習に則ってか、この病院でもカルテや医局員名簿は紙のファイルとして事務所の棚にびっしりと並べられていた。その鍵は、アルフレッドがちょっとした道具を使って力づくでこじ開けた。
職員カードを漁る。しかし、掃除のパートタイマーまで含めて数千名分の名簿を四人で手分けして探しても、見つからず、最後は患者のカルテまで総ざらいしたが、リチャード・エンダーの名前はなかった。
「……消されている」
アルフレッドは、半ば直感のように、つぶやいた。
「……殺されてるってこと、ですか?」
怯えるようにセシリアが問い返すと、
「いいや、情報が徹底的に掃除されているということだね。僕もこちらのコンピュータを操作してみたが、全く出てこない。……リチャードという名前の人が、一人も、ね。アルフレッド、患者のカルテには、リチャードという名前は、あっただろう?」
とエッツォに言われ、アルフレッドはうなずきながら、手元に用意してあったカルテを示す。Rから始まる患者のリスト。確かに、リチャードという患者は、十八名いる。
「おそらくこちらの職員カードは、リチャード・エンダー教授のものが抜き取られている。そしてそちらのコンピュータは、リチャードという名、エンダーという姓を持つ人間をまとめて削除してるんだ。消された、と僕が感じたのは、職員カードの保管ケースの鍵がいくつか半端に開いていて、おそらく、教授のカードを抜き取ったところで作業をやめてそのまま戻ったのだろうと思ったからだ。そんな雑な仕事をする奴だから、データの方はもっと雑なことをするだろうと思っていた」
それが、Rから始まるカルテリストを持ってエッツォの仕事を待っていた理由だ、と説明するアルフレッドの言葉、にエッツォもうなずく。
「でも、その雑な仕事でも、私たちの追跡を諦めさせるには十分ということでしょ?」
アユムが、皮肉気に付け加えると、それも正しい、とアルフレッドはうなずく。
「そして、これが正解の道だと、僕は確信するね。他の何人かの候補――例えば二番目に名が挙がったペンローズ教授の情報は無事だった。他も大体がそう。少なくとも、名か性が一致するデータは必ず出てくる。出てこないのは、リチャード、そしてエンダーだけだ」
「リチャード・エンダー教授を、見つけなきゃならない」
今もまだ、うつろに部屋の中に視線をさ迷わせているシャーロット。彼女が一体どんな状態になっているのか、それを教えてもらわなければならないし、一方、彼女の状態のヒントを与えて彼女が回復されては困る相手がいる――おそらくそれが、フェリペであろうことが、間違いないように思える。
しかし、今、そこへの道が断たれたように見える。
アルフレッドは、改めて、彼が漁った職員カードを、じっと睨みつけた。
何か、見落としがあるはずだ。
適当に開いたカードに記された住所。
エンダー教授の自宅の住所さえ割り出せれば、後は力業で何とかなるはずなのだ。
住所。なぜ必要なのか。それは身元を正確に把握するため――だけではない。
例えば、何か必要な手紙や荷物を送り届けるために、能動的に使われる。
ふと見上げた棚に、封を切っていないいくつかの医療キットが見える。
――薬。そして、酒やたばこも、ミネルヴァでは、大学が管理している。
正確には、精神治療において重要な役割を果たすアルコール類、たばこ、マリファナ、その他、身体治療や身体研究に使う可能性のある薬物すべて。
もしエンダー教授が、酒かたばこを嗜むとしたら?
――ふと、あのもぬけの殻だった研究室で、彼の鼻孔にかすかな嫌悪感を与えた香りを思い出す。あれは、めったに嗅いだことがない、たばこの残り香――
アルフレッドは立ち上がり、奥の部屋に向かう。
そこにあるのは、医療用ではなく、事務員用の書類棚だ。
サラリーの支払いから、配給品の管理まで、ありとあらゆるロジスティクスの資料がそろっているはずだ。
棚をいくつかこじ開け、アルフレッドは目的のものを見つけた。
その棚の中に並ぶ書類には、『配送計画・嗜好品・職員』の文字が並ぶ。
一つを手に取り、並んだ住所を、持ってきていた職員カードと突き合わせていく。
一つ一つ、赤い鉛筆で横線を引きながら。
察した三人も参加し、作業を始める。
――やがて、赤い線の引かれない住所が一つ、浮かび上がった。
「……酒と、たばこを配給する計画書。エンダー教授は、酒もたばこも、嗜むらしいな」
アルフレッドが見つけたルートは、計画書に記された住所と、全職員の情報を突き合せること。
もしリチャード・エンダー教授の情報だけがカードから抜きとられているのであれば、逆に言えばそれ以外の職員の住所を配送計画から消してしまえば、リチャード・エンダー教授の住所だけが浮かび上がる、と考えたのだ。
「よく、こんなことを思いつくものだ」
エッツォは、賞賛とも呆れともつかないため息を、漏らした。
それは、アルフレッドの知恵だけでなく、その執念に対する、言葉だった。
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