第一章 血塗れの部屋(3)
相手がまともな人間であれば百発百中の腕前を見せるウィザードには、弾丸の予備はさほど必要ない。
アルフレッドは、だから、その分を減らして、できる限りの水と食料を携行している。
もちろん他の者もある程度の携行品は各自で持つが、強力な直感力と戦闘力を持つシャーロットだけは不測の事態に備えて軽装とし、アルフレッドが肩代わりした。いくらエクスニューロが優れていても、筋力そのものまでを増強することはできない。重い荷物のために行動に遅延が発生すれば、エクスニューロによる弾道予測があっても回避に失敗することはありうるだろう。斥候を兼ねて先頭を歩く彼女には、万が一にも倒れられては困るのだった。
五人のウィザード兵と交戦した曲がり角を通り、その奥のセキュリティまで、誰にも邪魔されずに到達出来た。
セキュリティを解除して忍び込み、内側から、セキュリティログを巻き戻す。つまり、シャーロットが不思議な力でセキュリティを解除する前の状態に戻すのだ。それさえも、シャーロットの力を使えば容易なことだった。工事作業権限のさらに上の管理者権限を彼女は突破し、内部データのウェイバックを許可した。
侵入して改めて観察すると、問題の部屋からさらに別の部屋が続いていることが分かった。それらは、はめ込みガラス窓で接続されていて、この部屋のモニタリングや物資・資材の保管を目的としているように見えた。
入ってみると、外の惨状が嘘のように清潔な通路、その先のカーテンで仕切られた空間、となっていた。
カーテンで仕切られた向こうは、たくさんの椅子とベッドが並んでいる。そのさらに奥には、再び重そうな引き戸があった。
そこまで来たところで、アユムがつぶやく。
「来たことがあるわ、ここ」
「あの、あたしも」
シャーロットも同調する。
「ここに、だって?」
思わずアルフレッドが問い返す。
「ええ、どうして忘れていたんだろう……私は、『ここで』手術を受けたのよ」
「それから?」
エッツォが促す。
「分からない。気づいたら、配属されていたわ。――エッツォ、あなたもそうなんじゃないの?」
「いや、違うんだ。僕は、はっきりと覚えている。軍属の病院に連れて行かれて、リスクの説明を受け、サインをして、手術を受け……目が覚めてから、もう一度書類にサインをして、いくらかの手当をもらって……どうも、僕と君とでは、何かがまるで違うらしい」
「そうらしいわね。すくなくとも、私とロッティ、それにセシリア? ――と、いうことね、女三人は、どうやら、この秘密の施設で手術を受けたってことね」
うなずくセシリアを確認しながら、アユムが周囲を見回す。
確かに、言われてみればここだった、と彼女は思う。
記憶を消す、そんな技術は、聞いたことも無い。
でも、記憶を想起する刺激は、わずかな数のニューロンで制御されている、それを抑えることくらいならエクスニューロの技術で可能かもしれない――いいえ、確かにそうに違いないわ。
今ここに立ち、視覚野から入った直接の情報は、この光景は、おそらくニューラルネットワークのう回路を作ってしまい、私たちの記憶をよみがえらせてしまった。
私たちには、ほかにどれだけ、こんな記憶があるのかしら。
遮断しなければならないほどの私たちの記憶には、どんな秘密があるのかしら。
それこそを知らねばならなかった、とアユムは改めて思う。それは、彼女自身が、本当の人生を歩むために必要なことに違いない、と。だから、アルフレッドの申し出は、やはり必要なことだったのだ。
「脇に薬品室と……ロッカールームか? どちらにでも隠れられる。ロッカールームの奥に洗面室があるな、潜むならロッカールームだ。水の節約にもなる」
アルフレッドはすでに潜伏場所をここと決めて、施設を確認している。
「トイレの水量計か何かでばれないかしら」
「分からない、でも、管理というものは、管理しないで済むものを最大化することが仕事だ。トイレの水量など、真っ先に監視先から外されるだろう」
「名言ね。いいわ、ここに潜みましょう。夜間は三交代。私、セシリア、エッツォの三人で交代で見張り」
「ロッティは」
「悪いけど、もう少し重要な役割を負ってほしいの。一旦ここを出て、図書館のシェルターの外側で見張っていて。なるべく早く危険を察知したいから」
彼女の提言は理にかなっている。
もっとも感覚の鋭いシャーロットが、最も外側で警備することは、確かに、危険を早期にキャッチするのに最良の選択だろう。
「僕が補給も兼ねて時々見に行く。頼む」
アルフレッドが言うと、シャーロットは微笑んでうなずいた。
「……それで? 僕は眠りこけていていいのかな」
「ウィザードより優れた認知能力を持っている自信があるなら四交代にしましょうか?」
笑いながらのアユムの軽口に、まいったな、と素直に降参するアルフレッド。ちょっと前なら、こんなことを言われたら真に受けてカチンと来ていたかもしれないな、などと思う。
「じゃ、異常のない間は、可能な限りの施設の調査と、敵の正体を確認したらすぐに退けるよう撤退戦の準備をしておこう」
「撤退が前提か、ま、当然そうなんだろうね、退路の仕掛けの方は、アルフレッドに任せよう」
全員が役割を確認し、いよいよ、潜伏が始まった。
***
潜伏開始から十二時間は何も起こらなかった。
思ったよりも敵の動きは遅いのか、あるいは、もはやこの拠点は放棄したのか。
その心配は増大したが、昼前に突如として解消した。
大部屋の結晶格子錠が解除されたことを知らせる小さなベルがアルフレッドの手元で鳴る。
撤退時のトラップと合わせて仕掛けておいたものだ。
それが彼を心底驚かせたのは、その何者かが、シャーロットの警戒をかいくぐってそこに到達したことだった。
「ロッティ、こちらに誰かが入ってきた。異常はないか」
『うん、異常はないよ。――え? そっちに?』
簡易中継器を経由した戦術通信機の向こうのシャーロットも驚いた声色に変わる。
「さて、裏をかかれたってわけかしらね」
アユムが突撃銃を脇に抱える。
「静かに、まだ僕らがここにいるとばれているわけじゃない」
アルフレッドの警告に、アユムも注意深く音をたてないように銃のセーフティを解除した。
やがて、彼らのいる手術施設の扉が開いたことが分かった。
「――こも、問題は無いようだ。結局、なぜ警備のウィザードはいなくなったのかね」
男の声が聞こえてくる。
「その……私にもどうにも分からないのです。交戦中を示すシグナルが出たのですがすぐに途絶えて……彼女たちは忽然と消えてしまったのです」
「だが、侵入された形跡は無い。もちろん、あのセキュリティを破れるものはいるわけがないし、現に破られていない」
話し声に伴って、いくつかの足音が聞こえる。
話し手二人分に加えて、規則正しい足音があと三人分ほどあるようだ。
「君のところには随分実験体を兵士として融通してやったつもりだったがね……この前も逃亡を許して、どのような扱いをしているのかね」
「逃亡と決まったわけでは――」
「失礼します。マスター、お下がりください」
突然、男二人の会話に、女性の声が割り込む。
「どうしたエレナ――」
「準備室に何者かいます。……四名、武器を所持」
その声に、アルフレッドたち四人はびくりとした。
完全に彼らの存在が見透かされている。
何か、ミスをしただろうか。
見逃したセンサーがあったか?
「排除は」
「可能ですが、この場所はいけません。流れ弾がマスターおよび重要設備を害する可能性があります」
「退くぞ」
女性の言葉に対して、マスターと呼ばれた男はすぐに決断し、踵を返した音がする。
どうする。
貴重な手掛かりに、目の前で逃げられてしまう。
焦ったアルフレッドは、アユムに視線を送る。
アユムはアユムで、一瞬の判断ができない自分を苛立たしく思っている。
相手は、自分たちが見逃すような手がかりで、こちらが武器を持った四人だと見透かすような手練れ。
そこに飛び出して行って無事でいられる自信がない。
だが、今追わねば、おそらく二度とこのような機会は無い。
このような形で危険が迫っていると相手に知らせてしまった今が、最初で最後のチャンスとなるだろう。
これは、自らの命を賭すほどのことなのだろうか。
――いや、そう。
あの子の……ロッティの、自分のような少女をこれ以上増やしたくないという気持ちに応えたいから、こうしているんじゃないの。
その結論に至るや、アユムは、自分に決断を求める三つの視線に素早く視線を送り返し、指先の簡単なジェスチャーで『GO』を命じた。
後方支援がセシリアとアルフレッド。アユムとエッツォが前方に位置取り、飛び出す。
敵の姿が見えた。男二人、女三人。
彼らの足音を聞いた前方の敵は、一瞬振り返ったが、応戦より逃亡を優先し、駆け出した。
エクスニューロが、すぐに、相手が狙撃圏内から脱したことをアユムの脳に告げ、それを受理したアユムは、突撃のジェスチャーを出す。
四人は一斉に駆け出す。
同時に、アルフレッドは通信機の送話をオンにする。
「ロッティ、敵だ、応援に来てくれ」
『はい!』
応答を受け、なおも前を逃げる五人を追う。
エッツォは走りながらもサブマシンガンを真横に構えて、わずかでも射程に入れば一撃を撃ち込もうと狙うが、際どいところで、相手はひらりと通路を曲がる。
「……ウィザードだ」
と、彼がつぶやく。
相手の動きは間違いなくウィザードのそれで、ぎりぎり撃たれない間合いを把握しながらの逃亡なのだ。
血塗りの部屋を出て廊下の角を曲がりすぐのところで、彼らの姿がふいに消える。
だが、その行先は分かった。
原始的な錠がかかっていて入れなかった、『機械室』の札のついた小さな扉が開け放たれている。
その扉は、別ルートからこの秘密の場所にたどり着くための通路の扉であり、敵がシャーロットの監視を潜り抜けたからくりであった。
「ロッティ、あの部屋の前の『機械室』が別ルートだ、追って来てくれ」
シャーロットの応答があったかどうか分からないまま、アルフレッドたちは、その通路に飛び込む。
数メートル先に数段の下り階段、低い天井をいくつもの配管が通るじめじめとした通路を半ば中腰で突き進む。
その先に確かに気配があるが、通路は何度もくねくねと曲がり、相手の姿を掴ませない。
床は水が落ちてたくさんの水たまりを作っており、否応なく彼らの足音を水音として反響させる。
ある角を曲がったところで、その通路は突然、広くてまっすぐな通路に変わった。
これだけまっすぐなら敵の姿も見えてよいはずなのに、それが見えない。
一体どこへ――。
そう思いかけたとき。
「右に上り階段があります! きっとそっちです!」
セシリアが後ろから叫ぶ。
よく見れば確かに狭い隙間があり、階段の入り口のように見える。その入り口の前の水たまりで、確かに水面の揺れが止まっているようだ。
アルフレッドは再びシャーロットにこの場所のことを告げたが、やはり応答はない。もう戦術無線機の中継器のカバー圏外かもしれない。もう一台予備を持っておくべきだったか。
アユムとエッツォに続いて階段を駆け上がると、その先に、明るい光が見えている。間違いない。地上だ。
飛び出すと、そこは、大学公園の池のほとりの管理小屋。
そして、逃げ行く、男二人と女一人の姿が、あった。
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