第四章 殺人鬼(2)
「お願い、どいて……アル」
ようやく彼女の口から、言葉らしいものが出てきた。
刃身をもったまま、そこから血をしたたらせているのも気にせず、アルフレッドはナイフをシャーロットに示し、
「……もう、こんな真似はしないな? だったら、どく」
それを見たシャーロットは、再び何粒かの涙をこぼす。
「やだ……死にたくない……」
「じゃ、やめるんだな」
「殺されちゃう……」
「もう僕らはミネルヴァを逃げ出した、もう大丈夫なんだ」
「殺人鬼がいる……あたしを殺しに……」
「そんなものはいない!」
「いるよ……ここに……殺さなきゃ、殺されちゃう……」
彼女の言葉に、ようやく四人は彼女の心の内を察した。
自らの行いを信じられず、別の殺人鬼として投影している。
そして、その投射先を殺して安心を得ようと。
誰よりも臆病で怖がりな彼女だからこそ、そんな結論を出してしまったのだろう。
ただの錯乱と言うには、あまりに残酷な結論。
エクスニューロがそうさせたのか?
エクスニューロとは一体何だ?
再び、その疑問が、アルフレッドの頭の中で首をもたげる。
その時、その雑居室の扉が開いた。
騒ぎを聞きつけた宿舎の管理官が戸の隙間から顔を出す。
「どうした」
言ってから、アルフレッドが血まみれの手でナイフを持っているのに気が付く。
「おい、動くな」
管理官は、すばやく銃を構える。
「彼は大丈夫、この子が錯乱して、自傷行為を。彼はそれを止めただけ」
アユムが簡潔に状況を説明する。
「急いで鎮静剤をお願いします」
エッツォが頼むと、状況を察したのか、管理官はあわてて飛び出していった。
カチリ、と小さな音がしたのでアルフレッドが視線を移すと、泣きながらエクスニューロを取り外しているセシリアだった。
「もういやです……どうしてこんな……もういや……」
ぐすんぐすんと鼻を鳴らし、外したエクスニューロを、力なく床に取り落とした。
樹脂の音を響かせ、床に跳ね返ったそれは、静かに床に横たわった。
泣きながらもがくシャーロット以外の誰もが、それに視線を奪われ、動けなかった。
やがて入り口が開き、白衣を着た医務官らしき男が四人、どかどかと入ってくる。
「はい、離れて」
的確にシャーロットの四肢を押さえつけ、一人の白衣が三人に命ずる。三人は素直に従い、一歩下がる。
「バイタルチェック準備、鎮静剤静注、急げ」
一人がさらに体重をかけてシャーロットの左腕の押さえつけ、もう一人が手早くそこに注射する。
わずか十秒ほどで、もがいていた彼女の体から力が抜け、手足が投げ出された。
それは、死体と区別がつかなかった。
アルフレッドはそれをぼんやりと眺めていたが、ふと右手に触るものがあるのに気付く。
医務官の一人が、彼の右手をとり、彼も意図を理解してナイフを手放した。
その右手は、手早い止血と、感染防止の処置が施され、あっという間に包帯でぐるぐる巻きにされていた。
シャーロットは担架に乗せられて出て行くところだった。
無理もあるまい。
当面は、入院措置が取られるだろう。
医務官たちが出て行って静寂が戻ると、急に力が抜け、アルフレッドもその場にへたり込んでしまった。
***
床の一部がアルフレッドの血で汚れているのに気付いたアユムが、備え付けの洗面シンクで汚れたタオルを濡らし、床を拭き始めた。
無言で、無表情で、彼女は床を何度もこすって綺麗にすると、タオルをシンクで洗った。
真っ赤な水が音を立てて下水口に吸い込まれていった。
それを見送って、彼女は大またで部屋を縦断し、ベッドの一つに腰掛けた。
そしてまだ涙を流しているセシリアの肩を抱き、優しく頭をなでる。
「馬鹿なことをしたわ」
吐き出すような口調で、彼女は口を開いた。
「なんで分からなかったんだろう、私」
誰に同意を求めているわけでもなかった。
「エクスニューロには感覚遮断機能がある。思考でオーダーすればすぐに、体のどこでも感覚を遮断できる。小さな怪我で戦闘力が落ちないように」
そう言う彼女は、エクスニューロを外そうともしない。
「ロッティは。無意識のうちに、恐怖とか悲しみとか良心とか……そういう感情を遮断するオーダーを出してたのよ、きっと」
アユムの視線は床の一点から動かない。
「どうして今日までそのことに気付かなかったのか。私は本当に馬鹿だわ」
「彼女が妙に強いのも、そのせいなのか」
エクスニューロが彼女らの頭の中でどのように感じられるものなのか、全く想像のつかないアルフレッドが訊く。
「そうかもしれない。でも私が同じことをしようとしてもできないから、やっぱり、彼女は相性が良いのよ」
「相性が……良すぎるから……」
「……没頭できてしまうのよ、エクスニューロの無感覚に」
シャーロットがそれを着けたとき、しゃべり方までがらりと変わってしまう、これこそがその理由なのだろう、とアルフレッドは推定する。
「シャーロットさんはとても死ぬのを怖がってたから……いつも怖がって、怖くて耐えられなくなったらエクスニューロに手を伸ばしてたから……着けたら怖さも感じなくなるからそうしてたんだ……きっとそう」
すすりあげながら、セシリアは小さな声を絞り出した。
「私が気づいてあげられれば良かったのに……私だって怖いもの……これをつけてれば安心って気持ち、分かってたのに……」
そう言って再び涙を落とす彼女を、アユムはもう一度抱きしめた。
「ずっと逃げ場を探してたのね、ロッティは」
こんな時に、どんな言葉を仲間にかければいいのか、アルフレッドには分からなかった。
彼女たちの苦悩を分かち合うだけの時間を過ごしていない彼は、何も言うことができなかった。
ただうつむいて、今頃になって右手がひどく痛むのを感じているしかなかった。
「僕らの有用性には、きっと疑問符がつくね」
エッツォが無表情で言う。
「彼女が精神的に崩壊した。少なくとも彼らにはそう見えるはずだ。そして、エクスニューロ自体に、そんな危険性が含まれているかもしれない、と」
彼らがこの場にいることができるのは、彼らが、兵器として有用だと考えられたからに他ならない。
それに疑問符がついてしまったら?
「もう、いられないかもしれないわね」
アルフレッドの思考を先回りして、アユムがつぶやく。
しかしそうだとしても。
彼らがおおっぴらにしてしまったエクスニューロの秘密を知りたがるものが、正統政府の中に現れるかもしれない。
もちろん、欲しがるなら、くれてやればいい。
けれどもそれは、脳手術を伴う秘術だ。
その接続先である脳も、興味深い『リバースエンジニアリング』対象となってしまうだろう。
無用となった改造兵士、それを破壊することをためらう気持ちは、もはや失せているかもしれない。
また、逃げ出すしかないのだろうか。
ある意味で、ミネルヴァの学粋派たちの言うことは正しかったな、と、アルフレッドは思う。
そもそも戦うことに何の意味もない。
お互いに傷つくだけだ。
ただ、学問の砦を守るだけなら、武器をとる必要なんてなかったはずなのに。
最初の人は、山賊まがいの武装勢力による略奪から身を守るためだった、と言うだろう。
けれども今は、新連盟と立派に戦争をしている。
そこまでエスカレートして、ようやく、本来の目的を思い出した学粋派たちこそが、実は正しかったのだろう。
あのように恐怖に震える少女までもが戦わなければならないなんて、間違っている。
この世界に戦わずに済む場所などあるのだろうか。
たとえ逃げ出したとしても。
結局この日、シャーロットは自身の部屋に帰ってくることはなく、部屋で待ち続けたアユムもセシリアも眠れぬ夜を過ごすこととなった。
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