10 ニ度目の余命宣告と緊急事態
この時期が体力的にもメンタル的にも病気になってから一番きつかった。
12月に診察と検査に母と東京に行き、母のいる診察室で言われたのは
「腫瘍がかなり大きくなってます。このままですとあと1年です」
と二度目の余命宣告。
私は二度目だったので、ちょっと冷静だったけど、一緒にいた母が真っ青だった。
その場で二度目の摘出手術を2月と決めて一旦帰宅。今度は8割取りますって先生言ってたけど、後遺症どうなるんだろ……とひたすら怖かった。
そのまま2月に入院して二度目の摘出手術。実は、秋に頭に入れたシャントが頭の中で裏返ってしまっていてまったく機能していない状態であったことが分かったので、水頭症の症状も悪化していて、摘出手術とシャントの入れ替え手術を同時にすることになり、手術時間は15時間だったらしい。
ICUで目が覚めた時、先生に「少し多めに取ったけど、落ち着いたらもう一度手術が必要かも」と言われて、え、3回目確定?と二回目が終わったばかりの私には大分きつい宣告だった。
だがその前に大変なことが起こる。シャントの傷口が開いてしまい、髄膜炎に感染してしまったのだ。
枕がびしょぬれになっていることに看護師さんが気づいて、熱を測ると42度。なんかめっちゃ朦朧とするなぁ、とは思ってた。
すぐ解熱剤を点滴されて、熱が下がった翌日に先生がやってきて、今日これからシャントの抜去手術をします、と言われた。え、緊急手術?ってあれよあれよという間に準備完了して、午後には手術室へ。
髄膜炎に感染しているので、新しいシャントはすぐには入れられないとのことだった。
手術のあとは、腰にドレーンを入れた状態で、とにかく菌を全部出すことが必要と言うことで、そこから一か月寝たきりとなった。これが本当にきつくてきつくて、ずっと天井を見るだけで、手足も拘束されて(もちろん了解はした)3月の頭から4月の半ばまでずっとベッドの上から一歩も動くことはなかった。
今でもこの時のことがトラウマで、私はこれ以降あおむけで寝ることができなくなった。
頭を起こせるのは食事の時だけで、15分以上はダメと言われていて、厳しく管理されていた。
やっとベッドから降りていいよ、と言われて降りたけど全く歩けなくなっていた。立ち上がる力すら足からなくなっていた。寝たきりになることの弊害を自分の体で知ってしまった。
そして菌が完全に体の中からなくなって再度新しいシャントを入れる手術をしたのだけど、短期間での何度もの手術に体力もメンタルもかなり限界だった。
こんな状態で3回目の摘出手術とか無理では?と思う私と先生も同じだったようで、一度退院して体力着けて体重戻してから3回目をしましょうと言われた。この時点で私の体重は30キロ台に落ちる直前だった。(身長は160センチです)
通常歩行での退院が許可されなくて、車いすを用意された。車いすで新幹線に乗るのは初めての経験だったよ。
それから次の手術は6月と決まり、大量の薬と一緒に退院。
次の手術まではとにかく体力着けて体重を戻すことに専念。この体重でも全身麻酔は可能だけど、感染症の危険が大きくなるので、と麻酔科医の先生に言われていた。
それから6月、再度入院。
2か月ぶりに会うS先生に「増悪が早いから、今回はやれるだけ取ります」と言われた。
3回目となるとさすがに慣れもあった。




