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序章ⅩⅨ~狼の群れとの戦い~

 町できいた噂では

 狼達が出たという

 村を襲う強い群れ

 退治しようとやってきた

 生死を賭けた戦いに

 一人で挑む剣士あり

 真剣だけれどお調子者の

 我らがサムトー、今日も行く

 時に神聖帝国歴五九七年十二月二十八日。

 茶色のざんばら頭に引き締まったやや長身の体。背には長剣、腰にはやや短い剣。旅の剣士サムトーはもうすぐ二十才になる。朝から山中へと分け入り、狼の群れを探して三時間。麓の村で聞いた情報を元に、一人で退治に出てきたのである。

 普通、狼は人を襲わない。武器を使って戦える人間という存在は、狼にとって脅威なのだ。狼は警戒心が強く、そういう強敵を避ける。しかし、よほど頭の良い個体がリーダーになったのだろう。今回出現した群れは、村の家畜を襲い、撃退しようとした人々を何人も倒した。死者も出る惨事となっていた。

 サムトーが、山のかなり深い場所まできたところで、狼の群れが姿を現した。狼は基本夜行性だが、昼間であっても、縄張りを荒らす相手が現れたのであれば話は別だ。侵入者を撃退しようと出てきたのである。

 そして今、サムトーは狼の群れと対峙していた。その数は三十一頭。

 恐ろしい相手だが、サムトーは恐れない。背の剣を右手で抜き、左手には腰に下げた剣を構える。

 しびれを切らした若い狼が一頭飛びかかってきた。その鋭い牙で噛みつかれては、一噛みでも戦闘力が激減してしまう。

 サムトーはわずかに下がって間合いを変えると、右手の剣を真っ直ぐに振り下ろした。剣先が狼の頭蓋を捉えた。それを割砕く感触と共に、狼の頭が二つに割られ、体が地面を転がる。即死である。

「まず一頭」

 サムトーが淡々とつぶやく。油断は全くない。

 狼の群れがわずかに後ずさった。警戒すべき敵だと認識したようだった。威嚇の声を上げながら、侵入者の隙を窺うように鋭い眼光で睨んでいた。

 戦いはまだ、始まったばかりである。


 サムトーは、元奴隷剣闘士である。

 十才まではカターニアという大都会の養護施設で育ったが、ある日人買いにさらわれ、奴隷剣闘士を抱える親方に売り飛ばされたのだった。以後八年間、奴隷剣闘士として過酷な環境を生き延びてきた。

 昨年、神聖帝国歴五九六年五月、百名ほどの仲間と共に反乱を起こした。半数ほどの仲間が逃亡に成功し、そのうちの一人がサムトーだった。逃亡奴隷は例外を除いて処刑される。生きるためには、とにかく逃げ続ける必要があった。

 逃亡直後、山中を逃げている時に猟師達に救われ、三月ほど彼らの村で暮らした。その後、素性を知られる危険を避け、旅芸人の一座に身を寄せる。ここでも三月ほど同行したが、事件をきっかけに素性が明らかになりそうになったため、一人旅を始めた。

 七か月余りの間、いろいろな人物と出会い、その手助けをしながら一人旅を続けた。方々を巡った末に、五九七年六月、助けてもらった猟師達の村を再び訪れ、そこで一月余りを過ごした。七月下旬からは旅芸人の一座と合流し、十月の末まで同行して楽しく過ごした。

 城塞都市クローツェル周辺でいくつかの活躍をした後、つい先日、ボルナンの町で狼が出没するという噂を聞いたのだった。しかも単独ではなく群れで出現し、近隣の村に被害が出たという。サムトーは一体何事なのかと、その真偽を確かめるべく足を運んだ。

 そこで、噂の出所である、山奥の村コートへとやってきたのが昨日の話である。人口は三百人にも満たない小さな村だ。気候の関係で山と言っても森林は発達せず、草地が多いため放牧に適した土地だった。主産業はチーズなどの乳製品とハムやベーコンなどの加工肉、リンゴやミカンなど日持ちのする果物くらいで、豊かとはとても言えない土地柄だった。それでも人は住んでいて、日々の生活を営んでいた。


 サムトーは村に立ち寄ると、まずは宿屋を探した。小さな村なので、居酒屋を兼ねた宿が一軒しかない。それも滅多に泊る客などいないこじんまりとした建物だった。

「いらっしゃい。こんな村によく来たねえ」

 宿の女将が愛想良く声を掛けてきた。サムトーもその愛嬌に釣られて、笑みを浮かべた。

「たまにはこういうのんびりした場所で過ごそうかと思ってさ。三泊、頼めるかい」

「あいよ。じゃあ記帳頼むね」

 サムトーが宿帳に名前と職業を書く。背と腰に剣を下げているので嘘ではないが、職業が旅の剣士というのは、いつ書いても胡散臭いと思う。

「剣士さんなら、狼とも戦えるのかねえ」

 女将が不意にこぼした。表情が曇っている。

「どういうことなんだ」

「いや、何ね、ここ最近、狼の群れが出るようになってさ。昔は村まで来ることなんてなかったんだけどさ。こないだから、何十頭もまとめて襲ってくるようになったんだよ。家畜が何頭も食われてさ。それで、村の衆で集まってやっつけようとしたんだよ」

 切実に話をしてきた。思っていたより悪い状況のようだ。

「でね、結局追っ払うことはできたんだけど、何人もケガ人が出てね。そのうち一人は、噛み傷が元で死んじまったのさ。狼ってのが、あんなおっかない相手だったとは、村の衆もそれまで良く知らなくてさ。今度襲ってきたらどうしようかって、本気で困ってるんだよ」

「そうだったんだ。そいつは大変だったな」

 サムトーは相槌を打ったが、同時に眉根が寄っていた。好奇心に釣られてここまで来たのだが、並の人間では歯が立たない相手らしい。一対一なら熊をも倒すサムトーだが、何十頭もの狼に勝てるかどうか、さすがに自信がもてなかった。

「ああ、ごめんなさいね、愚痴なんて聞かせて。とにかく珍しい泊りのお客さんだ。歓迎するよ」

 そう言うと、女将が部屋の鍵を渡してきた。サムトーが礼を言って受け取り、部屋へと向かう。

「まずは、村の様子でも見てみるか」

 荷物を一通り置かせてもらい、サムトーは様子を見に出かけた。


 村の周りは山で囲まれている。それほど険しくはなく、丘陵地に近い感じだった。村の中にもあちこちに坂があり、山地の中だということを強く感じる。所々、牧場があり、また果樹園があった。

 一軒の農家に人がいたので声を掛けてみる。

「こんにちは。俺は旅の者です。少しお話いいですか」

「おや、珍しい。こんな何もない村に何の用かね」

「はい。狼が出たって聞きまして。一体どこから来たものなのかと」

 サムトーの問いに、農夫は深くため息をついた。

「どうやら北の山から来るみたいなんだ。けど、ありゃあ恐ろしい群れだったさ。牛が一頭やられたんだけど、騎士様方みたいにきちんと統制が取れていて、最初に大きな狼達が牛を食って、その間、残る狼が周囲を警戒してるんだ。一段落すると、食ってる奴と警戒してる奴が交代してな。全然隙がないから、駆けつけたわしたちも、何もできずに見守るだけだったのさ。で、食い終わるとリーダーが吠えて合図して、群れの全部があっという間に立ち去って行ったんだよ。本当に怖かったな」

 サムトーはそうかとばかり、何度も相槌を打っていた。狼相手でも数頭なら倒す自信はある。だが、数が多く、しかも統率が取れているとなると、かなり厳しそうだ。

「何頭くらいいたんだい?」

「ああ、三十頭くらいだったな。ホルスって中年男がこの村にいたんだけどな。村の若い衆と一緒に二度目の襲撃の時、その狼の群れと戦ったんだよ。けど一頭も倒せなくて。ケガ人は何人も出るし、ホルスは噛み傷が元で、ついこの前亡くなっちまったんだ。それからは、わしらも手出しは控えていてな。本当にどうすりゃいいんだか、困ってるのさ」

 サムトーは狼を甘く見ていたようだと反省した。かつて熊を狩った時のように、簡単に退治できるものと思っていたのだ。それでこの村までやってきたのである。しかし、話を聞く限り、容易ではない相手のようだ。

 しかも村人の協力を頼むのも難しそうだ。一度覚えた恐怖心は、容易には消えない。そして、恐怖心を抱えた味方は、間違いなく足手まといである。

「そうかあ。そいつは災難だったな」

「ああ、全くだ。これから一体、どうしたもんだか」

 農夫の嘆きが終わりそうにないので、サムトーは話を切り上げた。

「話してくれてありがとうな。じゃあ、俺はこれで」

 そう言って、サムトーは立ち去った。

 それから何軒かの農家で話を聞いたが、結果は同じだった。相手は優れたリーダーに率いられた三十頭くらいの狼の群れ。統率が取れ、集団で現れて家畜を襲い、腹を満たしたらすぐに去る。邪魔をする相手とは戦うが、見ているだけの人間には手出しはしない。食事という目的を達成することが優先で、無理に人間と戦って被害を出さないようにしているのだろう。

 ざっと話を聞いて回ったところで、夕方近くになっていた。

 サムトーは宿に戻り、風呂の支度をして村の公衆浴場へと向かった。広くない村なので、一軒しかない。遠い家からは片道二十分くらいかかる。

 この時間は一番混む時間だった。男風呂だけで、年配の者から子供まで、四十人ほどが入っていた。サムトーの全身が傷だらけなのを見て、驚く者が多かった。

 それでも好奇心の旺盛な者はいる。中年を過ぎたくらいの男が、わざわざサムトーのところに寄ってきて声を掛けてきた。

「よお、兄ちゃん、どっから来たんだい」

 人懐っこいのは嫌いではない。サムトーは愛想よく答えた。

「遠くの都会から。一人旅をしてるんだよ」

「へえ、わざわざこんな辺鄙なところまでよく来たな。その体の傷、さしずめ兵隊さんか何かかい」

「ただの旅の剣士さ。あてもなくぶらぶらしてるんだ」

 そこで男の表情が急に真剣さを帯びた。

「なあ、兄ちゃん、剣士ってことはすごく強いんだろ。例えば、狼とかも倒せるとか」

 ああ、またその話になったかと、サムトーは思った。この村の全員が、恐ろしい狼の群れに相当困ってるのだと感じた。

「四、五頭くらいなら、多分倒せるだろうな」

 おお、と周囲から声が上がった。何気に二人の会話を聞いていたのだ。

「ならよお、もう話は聞いてると思うんだけどな、この村、狼の群れに襲われて、すごく困ってるんだ。兄ちゃんの腕で、何とかならねえか」

 サムトーとしても返事に困るところである。正直、三十頭の群れを相手に勝てる保証はない。それでも内心、挑戦してみたいという気持ちが強く湧き上がっていた。好奇心もあるが、それ以上に人々に仇なす存在を放ってはおけない質であった。

 狼達からすれば、自分達は必死に生きているだけで、たまたま餌の多い村という場所が近くにあっただけなのである。冬で獲物の少ないこの時期に、探さなくても固定した場所で飼われている家畜という絶好の獲物を、見逃す道理は狼達にはない。

 そこまで分かっていながら、それでもサムトーは群れに挑もうかと思っていた。だが、返事は素っ気ない物になった。

「何とかって言っても、ちと難しいだろうな」

「そっか。兄ちゃん強そうなのに、それでも無理か」

 目に見えて周囲の人々が落胆していた。

「やっぱ、騎士様方にお願いするしかないんじゃないか」

「そうだけどよ。こんな田舎に何十人もの騎士様が来て下さるとは、とても思えねえよ」

「だけど、わしらだけじゃ、どうしようもないじゃろ」

 そんな会話が聞こえてきた。

 サムトーはふうと息をつくと、言葉を付け加えた。

「様子だけは見に行ってみる。期待されても困るけどな」

 見に行けば、縄張りを荒らされたとばかり、狼達も襲ってくるだろう。さて、無事に倒し切れるかどうか。負ければ間違いなく命はない。群れになった狼達はそれほど強敵だ。それと承知で、サムトーはそう言ったのである。だが、村人達にはその辺は分からない。

「分かった。それだけでもありがたい」

「ああ。何とかする方法を、見つけてくれるだけでも助かるしな」

「じゃあ、俺は先に上がるわ。いろいろ話してくれてありがとな」

 サムトーはそう言って立ち上がり、浴場から立ち去った。

 最初から放っておく気はなかったサムトーである。こうして命懸けの戦いに、自ら身を投じることにしたのであった。


 宿で一泊した後、サムトーは、朝も早いうちから山の中へと入っていた。目的地は不明だ。とにかく、北の方だということしか手がかりがない。装備は背と腰に剣、そして猟師達にもらった狩り用のナイフが一本。それに昼食用の堅焼きパンと水筒。それ以外の荷物は、全て宿に置いてきてある。

 山中に、獣が集団で走った跡があり、どうやらそれが狼の群れのものと思われた。ゆっくりと歩きながら、その痕跡をたどっていく。

 時間をかけて山の深い場所まで分け入る。すると、群れの斥候役の狼が一頭、サムトーの姿を捉えていた。サムトーからもその姿が見えた。どうやら接触するまであと少しのようだ。

 長時間の追跡の末、少し開けた場所で、次々に狼が姿を現した。さほどの時間もかからず、群れ全体が姿を見せた。縄張りに入ってきた人間を倒すためなのは間違いない。

 サムトーは足を止め、静かに待ち構えた。


 そして話は、戦いの開始直後へと戻る。

 狼達も仲間を倒されて、警戒心を高めたようだった。

 包囲しようと、群れが左右に分かれた。

 そのまま包囲されては圧倒的に不利になる。サムトーは右手の方に向かって走った。群れの先頭にいた狼に斬りつける。狼は避けようとしたが、あまりの剣速に反応が遅れ、頭をかち割られていた。

 サムトーは動きを止めず、続けざま切り上げを一閃。もう一頭の首を刎ね飛ばす。

「これで三頭」

 ここで狼達の反撃が来た。一頭が右手の地上から、もう一頭が正面から跳躍し、左手からも一頭が突進してきた。

 サムトーは正面に突進し、跳び上がった一頭の首を刎ね飛ばした。

 右からの一頭は避けて、左手の剣を振り下ろし、左手から迫ってきた狼の首を刎ね飛ばした。

「五頭」

 そこまでは優位戦いを進めていたサムトーだったが、二頭が犠牲になった隙に、残る狼が押し寄せてきて乱戦になってしまった。

 一頭斬り伏せても、すぐ次の一頭が別の方向から襲ってくる。それを避けては、小刻みに動いて狼の狙いを外す。そして、進路上にいた一頭を切り下げて、その首を刎ねる。

「七頭」

 倒した直後に、前面からもう一頭が飛びかかってきた。避けることも斬ることもできず、肩口に狼の牙が当たった。噛みつかれなかっただけ幸運だったのだが、そんなことも考える間もなく、肘で下あごをかち上げて距離を取る。そこで左手から一頭が突進してきた。噛みつこうと飛びかかってきたところを、左手の剣で斬り伏せる。

 しかし、そうしてできたわずかな隙に、一頭の狼がサムトーの左足に嚙みついていた。

「くそっ」

 即座にその狼の首を刎ね飛ばしたサムトーだったが、さすがは狼、すね当て兼用のブーツの上からでも、皮の当て具を貫通し、足にまで牙が届いていた。サムトーの左足から血が流れる。

 わずかに体勢を崩したサムトーに、次の一頭が飛びかかる。右手の剣を斬り下げて、その一頭の頭をかち割る。

「十頭」

 サムトーの全身は、すでに狼の返り血でかなり濡れていた。

「うおぉぉーん」

 ここで一回り大きな狼が一声鳴いた。どうやら群れのリーダーらしい。他の狼も強かったが、それ以上に迫力のある個体だった。

 リーダーの声は、群れの被害があまりに大きく、仲間を守るために下がるよう命じたもののようだった。他の狼達が左右に広がって、リーダーに道を開けた。

 そのリーダーは唸り声一つ上げず、サムトーに近づいた。そして姿勢を低くして、突進する構えを取る。

 サムトーも剣を構え直し、リーダーの襲撃に備えた。

 やがて、リーダーが間境を超えた。サムトーが右手の剣を振り下ろす。しかし、リーダーの反応が勝り、その一撃が空を切った。

「!!」

 リーダーは噛みつこうとせず、頭突きでサムトーの体勢を崩そうと突進してきた。その攻撃に意表を突かれ、サムトーの反応が遅れた。正面から体当たりされ、重い衝撃がサムトーの胸に走った。勢いに押されて、後ろによろめく。

 これはまずいとサムトーは思った。噛み殺されるかもしれないという考えが一瞬頭をよぎる。それでも勝機をつかむべく、一歩下がって、何とか倒れずに踏みとどまった。

 すかさずリーダーは次の攻撃に入っていた。首筋を狙って、跳躍して噛みつきに来たのである。

 サムトーは今度も反応が遅れた。右手の剣を立てて防ごうと動くが、狼は前足でそれを振り払った。首を噛まれたら負ける。とっさに右腕で首筋をかばった。そこにリーダーの鋭い牙が突き刺さる。

 その瞬間、リーダーに隙が生まれた。サムトーが苦痛に耐えて、左手の剣を鋭く振るう。リーダーの牙がサムトーの右腕を噛み砕くより早く、その剣がリーダーの首筋を斬り裂いた。苦痛にリーダーがのけぞって離れる。

 次の瞬間、サムトーは傷を負った右腕の剣を突き出した。リーダーは首筋に深い傷を負っていたが、それでもその一撃を避けた。サムトーは突いた勢いを利用して間合いを詰め、左手の剣を振り下ろす。固い手ごたえがして、リーダーの頭蓋を見事に斬り割っていた。

 リーダーが地に倒れる。周囲の狼達が恐怖に駆られたようだった。元々狼達は警戒心が強い生き物だ。群れで最強のリーダーが倒されては、どうして良いのか分からないようだった。

 やがて、一頭、また一頭と、その場を立ち去っていく。

 サムトーは最後まで油断せず、剣を構えて立ち尽くしていたが、しばらくして全ての狼が立ち去ると、ふうと大きな息をついた。

「危うく食い殺されるとこだったが、何とかなったな」

 サムトーはそうつぶやくと、周囲を見回した。狼達の死体が無残に転がっている。一歩間違えれば、サムトー自身が転がる側になっていたのだ。かわいそうではあるが、葬ることもできず、放置していくしかない。

「これも俺達人間が生きるための戦いだ。すまないな」

 そう言うと、サムトーは山を下り始めた。

 戦いが始まってから、ほんの十分程度の出来事であった。


 思ったよりも傷は深そうだった。右腕は、痛みを通り越して、感覚がなくなりつつある。左足も、ずきずきと痛みを訴えてきて、歩くのにも難儀する有様だった。リーダーに体当たりされた胸の辺りにも、鈍痛が走る。何とか狼のリーダーは倒したが、さすがに傷は深い。

 道なき道を下りること二時間。昼食の頃合いだった。

 草地に座り込むと、サムトーは堅焼きパンをかじった。体に浴びた狼の返り血の匂いがきつく、パンの味がしない。それでも何とか咀嚼し、腹を満たしていく。水も飲んだが、やはり血の味がするような気がして、うんざりした気分になった。

「おや、あんなところに家があったのか」

 偶然の発見だった。山の中腹にいくつかの建物が立っているのが、遠目に見えたのだ。麓まではまだまだ時間がかかる。少し休ませてもらおうかと、サムトーはその家を訪ねることにした。

 その家の前まで十数分歩いた。二階建ての母屋が一つ。家畜小屋、倉庫、干し草小屋といくつかの建物があった。なぜか屋外に炊事場まである。井戸はなく、家の裏にある小さな崖に金属の円筒が差し込んであり、そこから水が流れ出ていた。それが水場らしい。周囲にはモミの木が何本かそびえ立っている。山に吹く強い風から家を守っているのだろう。こんな山中の辺鄙な所に、良く家を建てたものだと思った。だが、この際はありがたい。

「ごめんください」

 扉をノックして声を掛ける。中から女性の声がした。

「はい。どちら様ですか」

 扉が開かれ、三十才くらいの女性が姿を現した。そして、サムトーを見るなり顔を青ざめ、悲鳴を発した。

「きゃーっ!」

 女性は両手で口元を押さえ、それ以上悲鳴が出ないように必死でこらえていた。怯えるのも無理もない。何せ血まみれの姿の男が目の前に立っていたのだ。

 サムトーは自分の格好を見直して、うっかりしていたことに気付いた。

「どうしたホトア。なんぞ恐ろしい物でも出たか」

 六十才くらいの男性がそんなのんびりした口調で奥から出てきた。だが、女性と同じように、サムトーの姿を見るなり奇声を発した。

「うおっ」

 サムトーもこの家の住人を驚かせに来たわけではない。慌てて事情を説明した。

「驚かせてすみません。俺はサムトーという旅の剣士です。ちょっと山の中でケガをしたものですから」

 事情のほとんどを省いてそんなことを言った。その言葉で、冷静さを取り戻した年かさの男性が、サムトーの姿を上から下までまじまじと見た。血は彼のものではなさそうだ。どうやら返り血らしい。左足と右腕には歯形があり、どうやら噛み傷のようだ。それで事情を察したようだった。

「サムトーさんや、そのケガ、狼と戦ってこさえたものだな」

「あ、分かりますか。やっぱり」

「それに返り血が凄まじいのう。一体何頭倒したんだね」

「十一頭。後は逃げられました」

 ふーむと男性が唸った。ケガの具合が心配である。

「サムトーさん、わしはスブ。スブ爺と呼ばれておる。こちらは息子の嫁のホトアという。とにかく、ケガの具合を見よう。ホトアは村まで行って、薬屋を連れてきておくれ」

「分かりました。すぐ行ってきます」

 女性が急ぎ家の外に出る。村には医者はいない。薬を処方してくれる店が一軒あるだけだ。そこの店員が医者の代わりに薬を処方し、出来る範囲で手当ても行うのである。

「サムトーはこっちへ」

 スブ爺が小さな椅子を持ってくる。

「服を全部脱いでおくれ。靴もだ。脱いだ服は、その籠に入れてくれ」

 そう言うと、桶に水を汲み、タオルを濡らした。

 サムトーが服と靴を脱ぎ、椅子に腰かけると、スブ爺はサムトーの体を丹念に拭い始めた。傷口を拭かれた時は、さすがにサムトーも痛みで顔をしかめた。それに暖炉があるとはいえ、冬のこの時期、裸ではさすがに寒い。

「思ったよりは浅いが、深手には違いないの。ただ、もう血も止まっとる。噛まれてからかなりの時間が経った証拠だな。これ以上傷は悪くならんじゃろ。しかし、狼の噛み傷となると、きっとこれから熱が出てくる。今から寝床を用意してやるから、横になるとええ」

 拭きながら、そう説明してくれた。

「お世話掛けます。助かります」

 サムトーは礼を言った。確かに、段々と体の自由が利かなくなってきているのを感じる。発熱の予兆だった。

「それから服はもうダメだな。こんなに血まみれじゃ洗っても落ちんわい。着替えはあるのか」

「荷物は全て村の宿に置きっぱなしです」

「それも後で息子に取りに行かせるかの」

 そしてスブ爺は、奥の部屋にあったベッドへとサムトーを案内した。新しいシーツを敷き、サムトーを寝かせると、毛布を二枚重ねて掛けた。

「とりあえず、目をつぶって横になってるとええ。これからしんどくなると思うが、頑張れや」

「ありがとうございます」

 そしてサムトーは目を閉じた。右腕、左足、胸と狼にやられた箇所がうずくが、とにかく大人しく回復に努めるのだった。


「スブ爺、戻りました」

 ホトアが村の薬屋を連れて戻ったのは、出かけてから一時間以上経ってからだった。それだけ、この家が村から離れていたのである。

「それでケガ人はどちらで」

 スブ爺が薬屋をサムトーのところへ案内した。サムトーはまだ起きていたが、予測通り熱を出していて、かなり苦しげな様子になっていた。

「では、ちょっと失礼」

 薬屋が毛布をはがす。服は脱いだままなので裸である。

「まず、傷口から手当てしましょう」

 薬屋が用意してきた塗り薬を傷口に塗り込む。血は止まっているが、それでも染みるらしく、サムトーが顔をしかめた。それでもうめき声一つ出さなないのが我慢強さの証拠だった。

 右腕と左足に薬を塗ると、傷口を保護するように包帯を巻いた。そして、その塗り薬の入った瓶をスブ爺に渡す。

「一日一回、傷が塞がるまではこの薬を塗って、包帯で保護して下さい」

「分かった。して、熱の方はどうする」

 薬屋が毛布を掛けなおしながら答えた。

「今から飲み薬を処方します。ただ、お腹が空だと効き目が悪いので、軽く食べられるものを用意して下さい」

 ホトアがうなずいて、台所へと向かった。時間がないので、山羊の乳で煮た麦粥を用意した。その間に、薬屋はいくつかの生薬を混ぜ合わせ、解熱剤を処方していた。

「サムトーさんよ、起きてこれを食べておくれ」

 スブ爺に促され、サムトーが体を起こす。さすがにしんどい。かなり高熱を出しているのだと、自分でも分かるほどだった。

 それでも何とか麦粥を口にしていく。噛まずに飲み込めるのがありがたいところである。さすがに固い物を咀嚼する元気はない。

 食べ終えると、処方された薬を水で流し込んだ。以前も発熱した時に飲んだ薬と同様、良薬口に苦しというやつだった。その時世話になった薬屋の娘は元気だろうかと、具合が悪化して朦朧としながらも、サムトーはそんなことを思い出していた。

 飲み終えると、ほっとしたようにサムトーはまた横になった。さすがにまだ起きていられる状態ではなかった。

「これでしばらく様子を見て下さい。具合が悪くなるようでしたら、またお知らせ下さい」

 薬屋の言葉にスブ爺とホトアがうなずく。

 そして三人はサムトーを残して、食堂へと場所を移した。ホトアが湯を沸かし、茶を入れて薬屋を労った。

「しかしまあ、あれは狼の噛み傷ですよね。まさかと思いますが、あのサムトーって人、一人で狼と戦ったんですかね」

 薬屋が茶を飲みながら、驚いたように言った。

 スブ爺とホトアは顔を見合わせて、首を傾げる。

「サムトーさんが言うには、十一頭倒したってことだったんだが。さすがにわしらもそれを見たわけではないからのう」

「でも、あの人の服、血まみれでした。ケガの出血じゃなく、返り血だったように見えました。だとすると、本当に倒してきたのかも」

 薬屋が目を丸くした。そして、ふうと大きく息を吐き出し、呆れたような感心したような口調で言った。

「もし本当なら、あの凶悪な狼達を相手に、よくぞ生きて帰ってきたものです。それどころか倒してきたなど、人間技ではありませんね」

「そうじゃな。この先どうなるか、それで分かるかも知れんな」

 お茶で一息入れながら、三人がそんな会話をしていた。あの剣士の青年が回復したら、詳しく事情を聞きたいものだが、まずは無事に回復してからである。一家全員で面倒見てやろうと、そう思っていた。


「ただいま。もどったぞ」

「遅くなったのう。今戻ったよ」

「ただいま、お母さん、スブ爺」

 夕方になって、三十才過ぎの男性が一人、六十才くらいの女性が一人、そして女の子と男の子が一人ずつ、そして犬が一頭、この家に帰ってきた。残りの家族達である。

「何事かあったみたいだな。どうしたんだ」

 そう尋ねたのは二人の子供の父親、サルフである。妻が安堵の表情を浮かべたので、気になったのである。

「客がいます。サムトーという名の剣士さんです。何でも、狼の群れと戦ってきたのだとか。家に来た時には、全身返り血で真っ赤でした。手傷も負っていて、薬屋さんを呼んで治療してもらいましたが、今は高熱を出して寝込んでいます」

 サルフが呆気に取られた表情になった。

「熱を出して寝込んでいるなら、面倒を見るのは当然だ。それはいい。しかし、狼の群れと戦ったって、本当なのか。それもたった一人でか」

 スブ爺が出てきて、言葉を引き継いだ。

「わしが聞いたのは、十一頭は倒したということだけじゃな」

 老女の名はクスタという。子供達からはクスタ婆と呼ばれていた。その彼女が、まあまあとみなをなだめた。

「とにかく、ゆっくりと休ませてあげるがええかの。熱が下がれば、事情も聞けるだろうて」

 その間に、子供達二人はその客人の顔をこっそり見に行っていた。この辺鄙な家に客は珍しい。それも寝込んでいるとなれば、何事だろうかと興味も湧くものだ。娘はレチカ、息子はマルティという。

「ほんとだ。良く寝てるね。こんな若い人だったんだ」

「うん。こんなに若い人だとは思わなかったな」

「まあ、そっとしておいてあげましょ」

「そうだね。早く具合良くなるといいね」

 子供達もさすがに病人への気遣いくらいはできる。小声で話しながら眺めた後は、そのままそっとしておいたのだった。

「それでな、彼の荷物が村の宿屋にあるらしくてな。服は血まみれでもう着られないし、着替えとかを持ってきてやらんといかんでな。戻ったばかりですまんが、一つ、取りに行ってもらえるか」

 スブ爺が一家全員に話したところ、サルフと子供二人がそれを引き受けることにした。

「日が暮れる前に行って来よう。レチカ、マルティ、行くぞ」

 三人がそう言ってすぐに出かけていく。

「それじゃあ、わしらは夕食の支度をしてようかの」

 クスタ婆がホトアと一緒に台所へ向かう。

「じゃあ、わしが看病役じゃな」

 スブ爺がタオルを濡らして、サムトーの汗を拭いてやった。

 サムトーは熱にうなされながらも眠っていた。そんな不意の病人でも、きちんと面倒を見てくれる、親切な一家だった。


 それから丸二日、サムトーは寝たきりだった。時々起こされて、軽い食事をもらい、服薬をした以外は高熱で動けなかったのである。一家も交代で面倒を見てくれて、傷薬も日に一度塗り直してくれた。

 ようやく起き出せたのは、十二月三十一日の朝になってからだった。

「どこだ、ここ」

 見知らぬ部屋で、ベッドに寝込んでいたサムトーは、体を起こし、周囲を見渡した。そう言えば、狼と戦った帰り、途中で家を見つけて立ち寄ったのだったと、しばらく考えてから思い出す。

「気が付いたようじゃの。良かったわい」

 近くにいた老女が声を掛けてきた。サムトーは初対面である。この家の住人の一人だろうと、慌てて挨拶をした。

「お世話をお掛けしています。剣士のサムトーと申します」

「ああ、話は家の者に聞いておるよ。朝食はどうだい、食べられそうかい」

「はい。多分大丈夫だと思います」

「そうかい。じゃあ、まずは服を着ておくれ。ほれ、荷物は宿屋から持ってきておるから」

 サムトーは、今頃になって自分が裸のままだと気付いた。そう言えば、傷の手当てをする時、返り血まみれの服はもうダメだと、全部脱いだことを思い出した。

 荷物の中から一通り着替えを出して、そそくさと着ていく。しかし、丸二日も寝ていたせいか、体の自由があまり効かず、服を着るだけでも時間がかかる始末だった。前回熱を出した時より調子が悪い。

 ようやくにして服を着ると、改めて礼を言う。

「お待たせしました。荷物まで運んで頂き、ありがとうございました」

 背を向けていた老女が振り返って答えた。

「なに、気にせんでもええ。それより、名乗るのが遅れたの。わしの名はクスタ、クスタ婆と呼ばれておる。よろしくな剣士さんや。じゃあ、朝食に行こうかの」

 奥まった部屋を出て、食堂へとやってくる。厨房、居間と一緒になった広い部屋である。

 食堂のテーブルには、すでに家族全員が席についていた。

「みなさん、この度はどうも。俺は剣士のサムトーと申します。具合が悪い間、親身に面倒を見て頂き、本当にありがとうございました」

 サムトーは改めて名乗り、礼を述べた。

 一家も年の順に名乗りを上げていく。一家六人と大型犬が一頭、それぞれの名前をサムトーが頭に入れていく。スブ爺とクスタ婆は六十才過ぎ。サルフとホトアが三十台半ば。レチカは十才。マルティが八才。犬の名前はムーン、六才とのことだった。

「まあ、詳しい事情は食べてからにしよう。では、いただきます」

「いただきます」

 挨拶が唱和する。サムトーも一家に倣った。

 朝食はベーコンエッグとチーズに薄焼きパン、ジャム、山羊のミルクだった。年明け前最後の朝食なので、少し奮発した献立だった。卵もチーズもミルクも自家製である。ジャムも村の特産品だ。どれも素朴で、とてもおいしい。久々にまともな食事をしたサムトーには、一層おいしく感じられた。

 しばらくの間は、一家はいつものように話をしながら食事が進んだ。この日の話題は、新年祝いの献立作りのために、鶏を一羽丸ごと捌くとか、日持ちのする焼き菓子を作るとかであった。サムトーにはさすがに入れない会話である。

 やがて食べ終わったところで、主のサルフが口を開いた。

「さて、仕事に掛かる前に、サムトーさんの話を聞こうか。本当に狼と戦ったのかとか、どういった事情で家に来たのかとかな」

 子供二人も興味があるようだ。サムトーをじっと見ている。

 サムトーとしても、ここまで世話になった以上、全て偽りなく答えるつもりでいた。

「はい。ではお話します。事の起こりは、街道沿いの町、ボルナンで狼が出たという噂を聞いたことなんです」

 一人旅の途中、いつもしている通りに宿屋に入り、一人エールを傾けていると、飲み客が狼の群れについて話しているのが聞こえた。興味を覚え、詳しく事情を聞いたところ、山にあるいくつかの村が被害に遭ったという噂が流れてきたのだという。サムトーもお調子者だけに好奇心が強く、それならばと、噂の真偽を確かめようと、その中の一つであるコートの村までやってきたのだった。

「それでこの村まで来たら、死人まで出る大きな被害が出たと聞きまして」

 最初は無理に手を出すつもりはなかったと、サムトーは話した。しかし、村人達が本当に困っている様子を見て、放置できないと考え直した。自分の腕で撃退できる保証はないが、負けるつもりも全くなかった。警戒心が強いと言われる狼は退治が難しい。しかし、縄張りに入られれば姿を見せ、迎撃してくるに違いないと考えた。それで一人山の中へ分け入り、群れを誘い出したのだと説明した。

「狼の群れは三十一頭いました。最初は乱戦になり、左足はその時に噛まれました」

 戦いの詳細については、とにかく狼の攻撃を避けて反撃を加え、一頭ずつ剣で斬り伏せたのだと話した。何をどうしたと説明しても、あまり意味はないからである。狼達は強く、次々と襲ってくるため、かなり苦戦したが、それでも何とか十頭倒したと語った。

「体が一回り大きな奴がいて、それが群れのリーダーだったようです。最後に、そいつが一対一の勝負を挑んできました」

 リーダーは他の狼達より強く、体当たりで態勢を崩された時は、殺されることも一瞬頭をよぎった。その際に右腕を噛まれたが、逆にその一瞬が最大の隙となって、何とか逆転に成功、斬り倒せたのだと語った。

「そうだったのか。ありがとう、サムトーさん。これで村も救われるかもしれない」

 サルフが深々と頭を下げた。子供達も含めて、一家全員が同じ仕草をしていた。それほど村にとっては大きな危機だったのだ。

「話してくれてありがとう。ではスブ爺、悪いがこの話、村長にも聞かせてやってくれないか。その間、私達で新年の準備を進めるから」

「あい分かった。わしから話をしておくよ」

「それからクスタ婆は、サムトーさんの傷を見てやってくれ」

「任せとき。ちゃんと手当てしておくさね」

「サムトーさんはまだ休んでいて下さい。起きられたとは言え、まだ調子は戻ってないでしょう。落ち着くまでは家でゆっくりして下さい」

 一家の主の差配で、サムトーはまた手当てを受けて休むことになった。

「ありがとうございます。では、お言葉に甘えて、休ませてもらいます」

 サムトーは改めて礼を言うと、主の言葉に従ったのだった。


「レチカ姉さん、湯加減はどう?」

「うん、ちょうどいいみたい」

「よし、なら火を小さくしようかの」

 この家には風呂があった。神聖帝国では、よほどでない限り一軒の家が風呂を持つことはなく、公衆浴場を利用するのが普通だった。しかし、この家から公衆浴場まではかなりの距離がある。通うだけでも一苦労なので、ずっと以前、家を建てた時に、一緒に風呂場も作ったのである。

 さすがに毎日入るような贅沢はできないが、二日か三日に一度は、一家全員が入っていた。明日は新年なので、一年の最後に風呂に入るため、娘レチカと息子マルティ、スブ爺とで風呂を沸かしていたのだった。

「なら、最初は女性陣からですね」

 夕方になって、妻ホトアが娘と義母と一緒に入浴する。すでに今年最後の食事の用意はできている。豪勢な料理の数々だった。新年の分も、もちろん調理済みである。

 男連中は、その間に食卓の支度を行った。サムトーも起き出し、皿を並べたり料理を運んだりするのを多少は手伝った。

 それが済むと、風呂も交代である。今度は男性陣が入浴になる。食卓の仕上げは女性陣が行った。

「サムトーさん、すごい傷だらけだね」

 風呂場で、マルティがサムトーの全身の古傷を見て、驚きの声を上げた。狼と戦える強さの秘密がここにあるのだろうと、子供心ながらに思ったようだった。

「サムトーさんはまだケガしてるから、マルティ、洗うのを手伝ってやれ」

 父のサルフが言うと、マルティはうれしそうにうなずいた。小さい手で懸命に背中を洗う。体の前側や腕、足とは違い、背には傷跡は少なかった。敵に背後を取られることが少なかったためだ。代わりに、鞭打ちの跡が何本も走っている。奴隷時代に受けた罰の跡だった。さすがにそんなことは一家の三人には分からない。とにかく無数の傷を体に残すほどの、歴戦の人物なのだろうと思っていた。

 体を洗い終わると全員で浴槽に入る。浴槽は四人同時に入っても余裕があるほど広かった。村外れの一軒家には破格の風呂である。

「何日ぶりかの風呂、ありがたいです。ちょっと傷に染みますけど」

 サムトーがそう言うと、三人が軽く笑った。

「いい風呂だろ。この家はな、わしのじいさんの、そのまたじいさんの代からあってな。山で放牧するための拠点として、ずっと大事にされとったんだよ。傷んだところをあちこち直しながら、ずっとここで暮らしてきた。だから、わしらには自慢の家なのさ」

 風呂の中で、スブ爺がそんな説明をしてくれた。

「そしてちょうど新年を迎える時に、サムトーさんが客となった。しかも村の危機を救ってくれた。これも何かの縁かも知れんなあ」

「そうかもしれません。この家のみなさんのおかげで、俺は命拾いしたわけですから、きっと何かの縁があったのでしょう」

 サムトーは大真面目に答えた。狼を倒した帰り、ここに立ち寄ったおかげで、具合が悪化する前に休むことが出来たのだ。もし、村の宿まで向かっていて、途中で倒れていたら、命も危うかったことだろう。おかげでこうして風呂も楽しめる。ありがたいことだと思った。

「まあ、そう固くならなくてもいいさ。サムトーさんはうちの客人、傷が治るまで、気兼ねなくのんびりしていってくれ」

「そうだよ。ぼくもお兄さんができたみたいでうれしい。しばらくの間、仲良くして欲しいな」

 サルフとマルティが優しい言葉を掛けてくれた。こんな温かな一家に救われて、本当に運がいいと思った。

「分かりました。俺からもお願いです。俺はただの旅の剣士ですから、さん付けは不要です。気軽にサムトーとお呼び下さい」

「分かった。サムトー、よろしくな」

 久々の風呂で、心身共に温まることができ、満足したサムトーだった。


 夕食は新年を迎えるためのご馳走だということで、とても豪勢だった。鶏一羽を丸ごと捌くと聞いていたが、そのローストがどんとテーブルの中央を陣取っている。羽の部分はフリッターにされて、明日の朝食になるそうだ。内臓もしっかり煮込んであって、これは明日の夜以降に出すようだ。そして冬野菜をふんだんに使った、大きな自家製のピザが四枚。屋外にあった大型のかまどで焼いたものだった。加えてデザートにドライフルーツを使った日持ちのするケーキ。それにリンゴのワインがついてきた。子供達の分はリンゴジュースである。

 テーブルの周りに座って、みなで食事となる。

「今年一年、良い年が過ごせたことへの感謝と、来年も良き年であることを願って、乾杯」

 一家の主サルフの音頭に合わせ、全員が唱和する。

「乾杯」

 杯を合わせて軽く口を付ける。リンゴワインは甘く爽やかで飲みやすい。するするといくらでも飲めてしまう感じだ。度を超さないよう気を付ける必要があるだろう。

 娘のレチカが気を利かせて、鶏のローストを切り分け、サムトーの分を用意してくれた。この種の仕事に慣れているようで、まだ十才と小さいのに手際がいい。

「呼び捨てて欲しいって、話は聞いたわ。というわけで、サムトー、これをどうぞ」

「ありがとう、レチカ」

「お客だと自分から料理には手を出しにくいもんね。私に任せて」

 こうして世話を焼かれるのは悪い気分ではない。かつて猟師の村や旅先で出会った、同じ年代の少女達のことを思い出す。どの娘も気立てが良く、素直で優しいいい子ばかりだったなと、懐かしく思う。レチカもそんな娘達に似て、気立ての良さが感じられた。

 さて、その鶏肉だが、少し肉が固かった。その分味は濃く感じる。当然ながら、若い鶏は卵を生ませるのに大事にしているため、年のいった鶏を捌いたようだった。しかし焼き加減は見事で、きちんと芯まで火が通っていながらも肉汁も十分残っていておいしい。

 ピザも切り分けてもらったのを食べたが、山羊のチーズ独特の癖はあるものの、こってりまろやかな旨味に冬野菜の歯ごたえや苦みがアクセントになり、こちらもおいしい。年に一度だけのご馳走を分けてもらって、本当にありがたい。

「どう、おいしいでしょ」

「ああ、すごくおいしいよ。山の家だからこその味だな」

 サムトーが、レチカの問いに思ったままを答えると、嫁のホトアが顔をほころばせた。

「あら、ありがとうございます。腕を振るった甲斐がありますね」

「そうじゃな。旅人さんにも喜んでもらえると、自信がつくのう」

 クスタ婆も笑顔でそう言った。

 そこで前からずっと聞きたかったのだろう。レチカが尋ねてきた。

「ところで、サムトーは今までどんなところを旅してきたの?」

 それは一家全員が気になるところである。全員、この村で生まれ育ち、他の町のことなどは、伝え聞いた程度でしか知らないのである。

「他のところには、大きな町とかお城とかがあるんでしょ」

 マルティも興味があるようで、話に乗ってきた。

「そうだよ。俺もあちこち巡ってきたけど、大きな町には人がたくさん住んでいて、お店や宿屋もたくさんあるんだ。それから城塞都市って言って、町が城壁、えっと石造りの大きな壁だな、それで囲まれてる町もあるんだよ。そういう町には騎士様もたくさんいて、悪い奴らを捕まえてるんだ」

「そうなんだ。騎士様って強いんでしょ。狼退治をお願いしようかって、村長たちが話してるって聞いたわ」

「うん。悪い奴らを捕まえられるなら、きっと退治できるんだよ」

「ああ。お願いできてたら、きっと退治しただろうな」

 子供達の考えは間違いではない。完全武装の騎士が二十人もいれば、三十頭の狼を退治するのも容易に行えることだろうと、サムトーも思う。

「それから、大きな町には人がたくさんいるんだ。多いところでは十万人を超えるな。この村が三百集まったより多い人数だな。だから、店だって、雑貨屋に道具屋、洋服屋や古着屋、青果店、パン屋、お茶屋、料理屋、数え上げるときりがないな。そんな風にいろんな種類の店があるんだよ」

 店の種類がいくつもあることには、全員が感心していた。この村では、店と言えばいわゆるよろず屋が一軒あるだけだ。野菜類なども自家製か近所で融通し合うかで、売り買いはしない。さすがに小麦粉などは村で作れないので、他の町から仕入れてくるのである。

「そうなんだ。大きな町は便利なんだね」

「そうじゃな。わしらの村じゃあ、よろず屋一軒しかないからな。そこの仕入れを村全員で応援して、やっとこさ必要な物が手に入るんだ」

 スブ爺の説明を聞いて、逆にサムトーは、この不便な村で、そうやって助け合って暮らしていることに感心していた。換金できる生産物も限られていて、村全体の産物をまとめて、隣町、もしくはさらには大きな町で生産物を売り払い、必需品を購入して戻ってくるのはかなり大変だ。それこそ村中で協力し合って馬車を仕立て、時間の融通をして売り買いに行くのだろう。大変なことだと思った。

 そんな風に、大きな町の様子についていろいろと話をしている間に、時間は過ぎていった。サムトーもまだ完全回復には遠く、さすがに話すだけでも疲れが出る始末だった。

「ありがとう、サムトー。疲れているところ、いろいろ話をしてくれて。聞くだけでも楽しかったよ。料理も一通り食べたことだし、そろそろ休むことにしようか」

 サルフがそう言って話を畳んだ。一家のみなもうなずき、食器などの片付けの時間となった。サムトーは休んでてとレチカに言われ、呆然と働く一家を見守ることになったのは余談である。

 片付けが終わったところで、子供達は先に就寝となった。

「それじゃあ、おやすみなさい。良い新年を」

 そう言うと、二人が二階にある自室へと引き上げる。それと合わせて、サムトーも休むことにした。借りている一階の寝室へと引き上げる。

「年の最後にお世話掛けてすみません。おかげで本当に助かりました。年が明けてもお手数かけますが、よろしくお願いします」

 そう言って、深々と頭を下げる。

「ああ。ゆっくり休むといい」

 一家の大人四人は、まだ話をしていて、リンゴのワインをもう一杯飲んでから寝るようだった。回復途中のサムトーは眠気に負け、ベッドへと潜り込んだ。

 こうして五九七年最後の夜は過ぎていった。


 一家の朝は早い。日の出よりも早く、全員が起き出していた。

 この日、さすがのサムトーも、まだ回復しきってはおらず、朝食の支度の物音でようやく目覚めた。

 寝室を出て食堂に来ると、すでに支度もほとんど終わっていた。

「おはよう、サムトー。今年も良い年でありますように」

 一早くサムトーを見つけたレチカが、そんな挨拶をしてきた。サムトーもそれに倣って挨拶を返す。

「おはよう。今年も良い年でありますように」

 一家も口々に挨拶の言葉を掛けてきた。互いに挨拶し合うと、それぞれが席について、朝食となった。

「やっぱり新年っていうのは、気分も新鮮な気がするな。では、今年も良い年であることを願って、いただきます」

 挨拶が唱和し、みなが食事を始めた。昨日作り置いた鶏の手羽を使ったフリッターとスープ、それに薄焼きパンである。昨日の夕食と同様、今朝もおいしい料理であった。

 朝食後は家畜の世話をして、畑の面倒を見て、その後はのんびりする予定だと言う。その辺の仕事も手伝いたいが、サムトーは剣の手入れが必要なことを思い出していた。自分のブーツが血まみれなのも洗いたい。まだ腕も足も痛みは残るが、傷口は塞がっていて、後は完治を待つだけである。剣の手入れや靴洗いくらいはできるだろうと、思ったのである。

「分かった。道具を貸すから、好きに使ってくれ。草刈り用のだが、砥石もちゃんとある。それから湧き水の隣に洗濯とかをする石畳があるから、そこで洗ってくれ。その間は、私の古靴を履いているといい」

 サルフが親切にそう言ってくれた。好意を謝して、作業に取り掛かることにする。

 朝食が終わって、片付けになる。この日もお客さんはやらなくてもいいと言われて、サムトーは片付けを見守るだけになった。

 それから家畜と畑の世話。サルフ一家が飼っているのは山羊ばかり三十頭である。他に鶏が二十羽ばかり。家の近くの土地で、自宅で食べる分の野菜もわずかながら作っている。こうした仕事に休みはない。新年初日から、一家はみな元気に働いていた。

 一家とは別に、サムトーも作業を始めた。

 まずは剣の手入れだ。普段腰に下げている反りのある片刃の剣は、普通の長剣より短いのだが、無銘ながらも名刀であり、しかも魔法の力で強化してあると言われている優れた品だった。何頭もの狼を斬ったが、血の曇り一つ残っていない。丁寧に布で拭いて回り、きれいにするだけで済んだ。

 背の長剣は、貴族領でもらった名剣である。刃の鍛えも拵えも良い物なのだが、やはり普通の剣であることに変わりはない。こちらは砥石を使って血の跡をこすって落とし、その後刃全体を研ぎ直し、布で丁寧に拭って磨き上げた。かなり時間のかかる作業で、終わった時は、さすがのサムトーも安堵のため息をついたほどである。

 その後、サムトーはブーツ洗いに格闘していた。狼の返り血だけでなく、噛みつかれて穴の開いたところを中心に、自分の血もこびりついている。少量の粉せっけんを付けたたわしで、必死に汚れを落とそうとするが、何日も経っているので、頑固なことこの上もない。それでも時間をかけて、何とか汚れは落とし切った。代わりに、皮にも痛みが残ってしまった。そもそも噛み跡の穴も残っている。

「こりゃ、どこかの町で、新しいのを買うようだな」

 残念だが仕方ない。これも無茶をした代償と、サムトーはため息と共に結果を受け入れたのだった。

 洗ったブーツは室内で乾かさせてもらう。そこにちょうど仕事を終えた一家も戻ってきて、サムトーの苦戦の跡を見て、苦笑を浮かべた。

 そこでレチカとマルティが、読み書き、計算の教本を持ってきて、勉強を始めた。新年早々、熱心なことである。

「そう言えば、レチカとマルティは学舎に通ってないのか」

「うん。小さな村だからね。家の仕事もあるし、村で学舎に通ってるのは五人くらいしかいないの。だから、勉強は家で少しずつやってる。仕事の合間にちょっとずつね」

 興味を覚えたサムトーは、二人の勉強に付き合うことにした。

「へえ、レチカ、字が上手だな。マルティももう引き算ができるのか」

 などと、二人の頑張りを褒める。そうなると子供達もうれしくなり、サムトーに読む練習するから聞いててとか、この計算、これで合ってるのかなとか、しきりに話し掛けてきた。そうやって頼られると悪い気はしない。そのまま二人の勉強を見てやったのであった。

 サルフとホトアとしても、自分の子供達が楽しそうに勉強している姿はうれしいようだった。面倒を見てもらって喜んでいる我が子がかわいい。スブ爺もクスタ婆も一緒に、茶で一服しながら、笑みを浮かべて見守っていた。

 しばらく時間が過ぎ、昼食の時間となった。昨日の鶏ローストの残りを温めなおしたものと、薄焼きパン、チーズと山羊の乳だった。山の一軒家らしい献立だった。これで二度目だが、山羊の乳から作った自家製のチーズは、癖はあるが独特の風味がおいしく、旨味も濃く感じる。

「このチーズ、よそにはないうまさがありますね」

「うちの自慢のチーズだからね。気に入ってくれてうれしいよ」

 クスタ婆がそう言って喜んでくれた。ご馳走になっているサムトーとしては、正直に感想を伝えただけである。それでも喜んでもらえて何よりだ。

 チーズ作りには根気が必要である。乳をしばらく放ったらかしておくと、発酵して固形物が出来る。カードと呼ばれるその凝固物を大きな釜に満たし、火にかけながらゆっくりじっくりとかきまぜて、乳清を分離させる。それから乳清や水分を除いて型詰めし、塩を加え、熟成させるのだ。毎日しているわけではなく、何日かに一度、乳清を分離させ、型詰めする作業を行っている。出来たチーズは、出来が良ければ出荷する。いまいちなら一家がそのまま自分達で食べるのだ。

 昼食を食べながら、そんな説明もしてもらった。どんな物でも作るのには大変さが伴うものだと、サムトーは感心しながら聞いていた。この一家に限らず、村中全ての人々が、そうやって日々努力して生活しているのだろう。狼退治が役立ってくれるなら、ケガした甲斐もあるというものだった。そんなことを思いながら、味わって食べていた。

 サムトーの食欲が十分に戻った様子を見て、一家の全員も安心していた。何せ丸二日寝込むほどの大ケガだったのである。順調に回復している姿が見られて、良かったと思っていた。


 この日は新年になったばかりなので、必要最小限の仕事以外はせず、一家も休みにしていた。村中どこの家でもそれは同じだった。

 そこで子供達二人が、サムトーを散歩に誘った。

「ねえ、せっかくうちのお客になったんだから、この辺を案内させて」

 レチカがそう言ってくれた。足はまだ痛むが、長い距離でなければ十分歩けるだろう。そう思って、サムトーも誘いに乗ることにした。

「ふふ、レチカったら、すっかりサムトーに懐いたわね」

「うん。サムトーいい人だから、一緒に何かしたいなあって思って」

 母娘がそんな会話を交わした。気に入ってもらえて何よりだと、サムトーは思う。ありがたいことだとばかり、礼を言った。

「レチカがそう言ってくれるのはうれしいな。ありがとう」

「じゃあ、少しこの辺を歩いてくるね。マルティはどうする?」

「うん。せっかくだし、ぼくも行くよ」

「それなら、犬のムーンも連れていってあげなさい」

 これは父サルフだ。さすが一家の主、犬も家族の一員として大事にしているのである。

「それじゃ、いってきます」

 三人と一頭で、山の斜面を登っていく。所々に木々も見えるが、基本的には草原になっている。そこに出来た道を、ゆっくりと進んでいく。

 冬なので、草も枯れて一面黄土色だった。今は土の中で種たちが眠っているのだろう。春になったら一斉に芽吹き、美しい緑に染まるだろう。

 遠くに見える高山には雪が積もっていて、白い峰が美しい。その山々が、登っていくに従って高さが増すように感じられる。町と街道ばかり見てきたサムトーには、山の景色は何とも壮観に思えた。

「冬でもきれいでしょ。景色がきれいなのも、うちの自慢なんだ」

 レチカが自慢げに言う。山の中腹の一軒家なので不便さはあっても、いろいろと良い事もあると思っているのだ。その純真な心のあり方が、とてもまぶしく感じる。大自然の厳しさに耐えながら、日々の仕事を頑張って、楽しく暮らしているのが分かる。

「そうだね。ここは本当にいいところだ」

 サムトーが答えた。掛け値なしにそう思う。

「ムーンも一緒に散歩できてうれしいみたい」

 これはマルティだ。確かに心なしか喜んでいるように見える。

 ただ斜面を登っているだけなのに楽しい。この二人と一頭が一緒だからだろう。サムトーも思わず笑みを浮かべていた。

 しばらく行って、小高い丘の頂上に着いた。

 辺り一面がぐるりと見渡せる。遠くの山々が青空に映える。反対側には村の建物が小さく見える。なかなかの絶景だった。

「春から秋までは、村の山羊達も連れて、この辺とか、他の場所にもあるんだけど、山の草場に放牧に来るの。山羊達もうれしそうに草を食べたり、遊んだりしてるのよ。サムトーとも一緒に来てみたいな。群れからはぐれないようにする仕事もあるけど、とっても楽しいんだよ」

 レチカの言葉にサムトーがうなずく。

「それはのんびりしてて、良さそうな感じだな。そっか、レチカやマルティも、山羊の群れの面倒を見る仕事をしてるのか。頑張ってるんだな。感心するよ」

「ありがと。天気が悪い時はきついけどね。山羊達も友達だから、一緒にいるのが楽しいんだ」

「そうそう。時々、子山羊と一緒に遊んだりね。あと、逆立ちすると、景色がひっくり返って面白いんだ。こんな風に」

 マルティが逆立ちしてみせる。釣られて姉も逆立ちをしてみせた。何とも逞しい子供達である。自分の仕事に誇りもあるのだろう。サムトーは二人のことを一層気に入ったのだった。

「楽しそうだな」

「サムトーは逆立ちできるの?」

「もちろん。とは言え、ケガが治らないと無理かな」

「そっか。それもそうだね」

 二人は逆立ちを止めて、今度は指笛を鳴らした。甲高い音が山々に鳴り響くように聞こえる。器用なものだった。サムトーも挑戦してみたが、簡単には音が出ない。

「指を舌の裏にくっつけて、指と下唇の隙間から息を出すの。後は、指の場所を変えながら、音が出るところを見つければいいの」

 レチカに教わって、繰り返し挑戦しているうちに、サムトーも音が出せるようになった。口笛より響く。思った以上に大きな音がした。

「サムトーは覚えるのが早いわね。さすがだわ」

「レチカの教え方が良かったんだよ。ありがとな」

 ちょっとしたことだが、できるようになるのは楽しいものだ。教わった通りに何度か繰り返し音を出してみる。なるほど、山の中ではいくら大きな音を出しても大丈夫なので、これはなかなか楽しい。町中では何事かと思われるだろうが。

 それから草原に寝転んで、青空をのんびりと眺めた。寒空の下だが、日差しが柔らかく心地良い。何も考えず、ただ雲の流れる様子を眺めているのも、気分が良いものだった。

 そんな風にして、のんびりとした時間を過ごした。何をしたわけでもないが、気分はすっきりしていた。これも山ももたらす恩恵なのだろう。

「そろそろ帰ろうか」

 日が傾き始めた頃、三人と一頭は家に戻って行った。


「じゃあ、今度は俺から指笛を教わったお礼」

 家に戻ると、サムトーは荷物の中から銅の縦笛を持ち出してきた。

「うわあ、本物の楽器だ。初めて見た」

 子供二人は大喜びである。

 そして旅芸人の一座で吹いていた曲をいくつか披露した。明るい旋律が家の中を満たしていく。一家の大人四人も、滅多に聞けない楽器の演奏に聞き入っていた。

 一通り吹き終えると、一家全員が拍手をしてくれた。

「試しに吹いてみるか?」

 サムトーが尋ねると、レチカもマルティもやってみたいと食い付いた。

「口をつけて息を吹くだけで音が出るから。音の高さを指で穴を塞いで調節するんだ」

 レチカとマルティは交代で吹いていた。楽器は子供心を大いに刺激するらしい。飽きることなく、穴の塞ぎ方をいろいろと試しながら、繰り返しいろんな音を出して楽しんでいた。

 満足するまで音を出した後、レチカが尋ねてきた。

「サムトー、どうして楽器を持ってるの?」

「ああ、旅芸人の一座に何か月かいたんだよ。その時もらったんだ」

「へえ、旅芸人かあ。一度見てみたいなあ」

 この辺鄙な村では稼ぎにならないので、大道芸人でさえ滅多なことでは立ち寄ることがない。大きな一座ならなおのことである。だから、一家全員、そんな芸などを見たことはなく、年配の二人でさえ、それは見てみたいものだと言ったくらいだった。

「でも、サムトーのおかげで、笛の演奏は見られたから良かったわ。いろんなことができてすごいのね」

 レチカの言葉に家族がうなずく。

「それは良かった。お聞き頂き、ありがとうございました」

 ちょっと格好をつけてサムトーが一礼した。一家がみな笑みを浮かべた。

「さて、夕食の支度にしましょうか」

 この日の夕食は、仕込んであった鶏のもつ煮をメインに、冬野菜のソテーと薄焼きパンだった。良く煮込み、じっくり寝かせてあったので、もつがとてもおいしくなっていた。柔らかいのに弾力があって歯ごたえは十分、それでいて旨味もたっぷりと、満足のいく味わいだった。

「ご馳走ばかり食べさせてもらって、本当にありがたいです」

 食後、サムトーが礼を言った。

 そして、食事の礼にと、持っていたカードを出してきた。

「少しこれで遊びませんか」

「何これ、面白そう。どうやって遊ぶの?」

「いろんな遊びが出来るんだけどね。とりあえず、簡単なところでババ抜きをしよう」

 そう言って、やり方を説明する。ルールが単純なので、一家全員がすぐにやり方を飲み込めた。

 一家六人とサムトーとでゲームが開始される。人数が多いと、一ゲーム終えるのにも時間がかかる。その間、ババが次々に移っていき、いつの間にか全員が夢中になっていた。

「やった、上がった!」

「あっ、負けた。悔しい」

 全部で五ゲームほどやって、夜の一時を楽しんだ。

 一通り遊んだところで、サムトーがカードをレチカに渡した。

「良かったらもらってくれるか。一家のみんなに楽しんでもらえると、俺もうれしいかな」

「いいの? 貴重なものなんじゃないの?」

 サムトーは首を振った。

「大きな町に行けば、また手に入るから。遠慮なくもらって」

「そういうことなら受け取るね。ありがとう、サムトー」

 そんな一幕もあって、新年早々、一日中楽しく過ごせたのだった。


 それから十日。少しずつサムトーも回復していき、傷口に薬を塗る必要もなくなっていた。剣の素振りも再開できるようになった。この間、サルフ一家が親身に面倒を見てくれたおかげである。

 一家の人々は、二日目から普段通りの仕事に戻っていた。山羊や鶏に水や餌をやり、運動をさせる。乳搾りをして、チーズを作る。畑に水をまき、時には肥料を与え、具合の良い物を収穫する。

 さすがのサムトーもその辺の作業を手伝うことはできず、ただ見守るばかりであった。手伝えたのは家の掃除くらいである。それでいて、食事は一緒に取らせてもらっている。ありがたいことなのだが、心苦しいとサルフに話したところ、客をもてなすのは当然のことだ、遠慮なくのんびりしてくれと言われ、一層恐縮したものである。

 そして、サムトーが狼の群れと戦って以来、狼が村を襲うことは一切なくなっていた。初めの内は半信半疑だった村人達も、襲撃のない日が繰り返されるうちに、どうやら本当に退治されたのだと思えるようになった。村長の他、義理堅い者が何人もサルフの家を訪れ、狼が出なくなって喜んでいることを告げ、退治してくれたサムトーに礼を言うのであった。

 この村を救えて良かったとサムトーは思う。何より、サルフ一家に被害が及ぶ前に片がついたのが良かった。命を奪われた狼達には気の毒だが、やはり人の生活を守ってこその剣士だろう。

「明日にでも山を下りるか」

 体調は完全ではないが、もう十分に歩けるようになっている。のんびり出来る範囲で歩いていけばいい。

 朝食の時、一家のみなにその話をした。

「そうか。残念だが、サムトーにはサムトーの都合があるだろう」

 サルフが本当に残念そうに言った。最初はケガ人として現れたサムトーという客人は、実に楽しい人物だった。本当にいくらいてもらっても構わないと思っていたのである。

「それでな、サルフ。宿代代わりに、少し金を渡したいんだけど、受け取ってもらえるか」

「そんな気遣いは無用だ。と言いたいところだが、サムトーはタダで寝泊まりするのが嫌なのだろう。分かった。受け取っておく」

 サルフの返事を聞いて、サムトーは金貨二枚をサルフに渡した。銀貨換算で四十枚である。ケガの治療費、食費、宿泊費、十四泊分としては少し多いが、多過ぎるということはなかった。

「ありがとう。本当なら、こんな小金でなく、しっかりとした額を払うべきなんだけどな。何せ一家は俺の命の恩人だからな」

「いや、十分さ。これで子供達にも服とかを買ってやれるし、小麦粉代も賄える。助かるよ。ありがとう」

 サルフ一家としては、あくまで人助けでやったことだ。別に金が欲しくて助けたわけではない。しかし、経済的に苦しいのも確かだった。遠慮なく受け取った。

 朝食後、サムトーにとっては一家で過ごす最後の一日なので、無理を言っていろいろ手伝わせてもらった。

 山羊を運動させる時には、一緒に連れて歩いて、群れから外れたら呼び戻すのを繰り返し行った。ぐるりと家の近くの山を巡って戻って来た後は、一頭ずつ小屋へと追い立てていく。サルフ、レチカ、マルティと犬のムーンは良く仕事に慣れていて、山羊を見事に動かしていた。

 野菜に水を上げるのはそう難しくはなかった。桶に汲んだ水を柄杓で撒いていくだけである。収穫はどれを取るかの判別が難しく、教わりながらやってみた。自分の手で収穫するのは、ことのほか気分が良かった。

 チーズ作りはスブ爺、クスタ婆が、交代で乳を火にかけながらかき混ぜているところに加わった。なるほど、いくつもの塊ができていて、これを固めて寝かせておくとチーズになるのかと、作業しながら感心したものだ。

 そして掃除。埃を集めて捨てるのと、床や壁などを一通り水拭きする作業だ。これはあちこちでやってきたので、十分役に立てた。

 サムトーはそうやって一通りの仕事を手伝った。一家は恩人でもあるが、今日まで一緒に暮らしてきた仲間でもあった。そんな一家のみなと仕事を共有できたことがうれしかった。

 夕食の後は、またカードで遊んだ。七並べという遊び方も新たに教えることができた。遊びを通して、一層親しみが増すのを感じた。そんな人々と明日は別れになる。サムトー自身も残念に思いつつ、それでも新たな旅へと気持ちを向けるのだった。


 翌五九八年一月十二日、朝食をご馳走になって、いよいよ出発である。

「今日まで本当にありがとうございました。みなさんが良き暮らしができますよう、願っております」

 サムトーが心からの礼を言った。本当に良い一家だった。

「サムトーも気を付けてな」

「元気で旅するんだよ」

「狼退治、ありがとう。サムトーのことは忘れない」

「うちの料理気に入ってくれてありがとうね」

「楽しかったよ。サムトーも元気で」

「またいつか、うちに遊びに来てね」

 一家六人が口々に言葉を掛ける。思いの籠った言葉の数々。サムトーも命懸けの戦いと共に、一家に救われたことを一生忘れないだろう。

「それじゃあ、いってきます」

 元気にそう告げると、サムトーは山を下りていった。

 一家六人が手を振ってくれた。姿が見えなくなるまでそれは続いた。

 サムトーの新たな旅が、また始まった。


──続く。

エピソードⅠで出てくる狼との戦い編です。ほぼ無敵のサムトーも、今回はさすがに手傷を負います。今回は残酷描写濃い目なので、ご容赦下さい。逆に介抱してくれた一家との交流はいつものほっこりです。今回は風刺的なものも入れてません。命懸けの戦いとほっこり描写をお楽しみ頂ければと思います。序章もずいぶん描きました。エピソードⅠまであと三か月ほどとなりました。序章はあと二、三本書く予定です。

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