序章ⅩⅩ~お忍びのお嬢様~
三人連れの旅人に
興味を覚えて同行す
お嬢様とその従者
伯爵領にやってきた
そこで話すは切なる願い
無事落着と相成るか
雑事も役立つお調子者の
我らがサムトー、今日も行く
時に神聖帝国歴五九八年一月二十日。
ざんばら髪の茶色の頭に引き締まったやや長身の体。背と腰に剣を下げ、二十才になったばかりの青年が一人街道を行く。旅の剣士サムトーである。
景色を眺めながら、のんびりと街道を行く。午前中は雨が少し降ったが、今は雲も流れて良い天気である。
日も傾き始め、そろそろ次の町に着こうかという頃、街道の先に何人もの人が集まっているのが見えた。旅人の一群だろうかと思いながら、サムトーは近づいていった。
その姿がはっきりと分かるくらいに近づくと、それはのどかな光景ではなく、剣呑とした雰囲気だった。片方は男ばかり五名。二十代半ばから二十才くらいの若者達である。もう一方は、二十才くらいの若い女性が二名と初老の男性が一名。男達の側が、女性達に絡んでいるようだった。
「こりゃまた、何かトラブルみたいだな」
そうつぶやくと、サムトーは静かに歩を速めた。必要があれば割り込むつもりである。トラブルを見ると、首を突っ込みたくなる性分だった。
近づいていくと、五人の男達が通行の邪魔をして、三人の足止めをしているのが分かった。
「何度も言ってるだろ。通行料を払えば、ここを通してやるって」
男達がにやにやしながら、そんなことを言っている。一人旅の間に何度も見かけた光景だ。騎士や警備隊は基本街中にしかいない。周りに何もない街道の途中だと、駆けつけてくるにも時間がかかるので、時折彼らのような何をしても良いと勘違いする輩が現れるのだ。
「こちらも何度も申し上げました。あなた方のような者に支払う金銭などありません、と」
毅然とした態度で、年若い女性の一人が答える。輝くような金髪で、肩甲骨までの長さの美しい髪だ。それに青い瞳が良く似合っている。容貌も繊細で整っていて、かなりの美人である。服装も華美と言うほどではないが、仕立ての良い上着やスカートが目に入った。よほどの金持ちなのだろう。だからこそ、男達も金をせびろうと考えたようだった。
隣にいたもう一人の女性が声を掛けた。
「お嬢様。これ以上の話し合いは無意味かと思います。もう実力行使でよろしいかと」
こちらは栗色の髪を一つ結わえにしていた女性だった。長さは肩までくらいである。年の頃は金髪の女性と同年代、つまりサムトーと同じ二十才くらいではないかと思われた。服装は普通の上着に長ズボン、後ろ姿だけなら男と見間違えるかもしれない。やや硬質な容貌だが、目鼻立ちもくっきりしていて、こちらもかなりの美人であった。腰には短剣を下げていて、武芸の心得があるようだった。
実力行使ねえ。それならせっかくだし、協力しようかな。美人二人と仲良くできるかもしれないし。そんなことをサムトーが考えていると、栗色髪の女性が、思い切り男達を挑発していた。
「何が通行止めだ。大して強くもないのに、口先だけで相手を脅かすなどただの卑怯者だ。だが、私は弱い者いじめをする趣味はないのでな。さっさと立ち去るがいい」
挙句に嫌な虫でも追い払うような仕草をした。悠然と構えていた男達も、ここまでされては頭に血が上ったようだ。表情を怒りに染めて、この態度の悪い女性を睨み付けた。
「何だ、この姉ちゃん、そんなに腕ずくが好みかよ」
「そっちがその気なら、遠慮なく叩きのめしてやるぜ」
サムトーが割って入ろうかと思った時には、すでに手遅れだった。男達が拳を振り上げ、栗色髪の女性に殴りかかろうとしていた。
「セザール、お嬢様を頼む」
一言言うと、女性が男達が迫ってくる方へ、自分がら近づいていった。
一人目の拳が女性の顔を捉えようと伸びてくる。それを軽く横に動いてかわすと、女性の膝蹴りが男の腹部にめり込んだ。突っ込んでくる勢いの分、威力が増して、男が苦痛にうめいて膝をついた。
そして右手から迫ってきた男の拳をかわすと、その腕を取って、足を掛けて投げ飛ばす。その男が一回転して背中から地面に落ちる。ぐえっという声と共に、背中の痛みで男が動けなくなる。
三人目も拳をかわすのと同時に、肘打ちを男の頬に叩き込んだ。頭が揺らされ、ふらついたところに首筋に手刀の一撃を見舞う。前のめりになって男が倒れた。
四人目の男は、仲間達が倒される様子を見て怯んでいた。女性が構わず男の間合いに踏み込む。それを振り払おうと、男が横殴りに拳をふるった。女性はいとも簡単にそれをかわすと、がら空きになった顔面に拳を一発、さらに腹部へも強烈な拳をお見舞いした。男が膝をつき、そのまま倒れる。
「な、何なんだ、この女」
最後の一人が怯えて後ずさった。女性がそれを睨み付け、恐らく善意からくる言葉を発した。何せ剣を抜くこともなく、素手で男達を翻弄するほどに強いのである。
「仲間を連れてさっさと失せろ。それとも、お前も痛い目が見たいか」
冷酷な響きだった。女性の表情も視線も実に冷たい。
無事だった男は仲間を助け起こし、捨て台詞を吐いた。
「きょ、今日はこのくらいで勘弁してやる。覚えてやがれ」
そう言うと、仲間達と一緒に元来た道を戻って行った。この女性達三人組と、そしてサムトーの進路の方向だった。後でまた絡んでくるようなことはないだろうかと、サムトーはふと思ってしまった。
その間、三人組は何事もなかったかのように話をしていた。
「お嬢様、ご無事ですか」
栗色髪の女性が、金髪の女性に声を掛ける。
「もちろん。さすが、相変わらずの強さですね、ソニア。セザールも護衛をありがとうございます」
少し離れたところにいたサムトーにも、そんな会話が聞こえてきた。声を掛けるなら今だろう。もう少ししたら、彼女達は何事もなかったかのように出発してしまうだろう。
「あの、みなさん、大丈夫ですか」
サムトーが近づきながら声を掛ける。栗色髪の女性が、金髪の女性と初老の男性の前に立ち塞がった。
「何者ですか。さっきの連中の仲間ではないようですが」
あんなことがあったばかりなので、女性も警戒しているようだ。
サムトーは軽く肩をすくめると、先に名乗った。
「俺はサムトーっていう、ただの旅の剣士です。いやあ、災難でしたね。あんな妙な連中に絡まれてしまって」
「旅の剣士が、私達に何か用でもあるのか」
「はい。さっきのようなことがあると大変でしょうから、もしよろしければ同行させて頂けないかと」
栗色髪の女性が値踏みするようにサムトーを睨んだ。
「あなたの言い分は分かりました。ですが、先程の様子を見ていたのならお分かりでしょうが、そんな気遣いは不要です」
「そうですよねえ。いやあ、あなたはお強い。俺もびっくりしましたよ」
「ならば、先に行かれるといい」
そこでサムトーが、みっともなく懇願した。こういうところで見栄を張らないのがお調子者の本分である。
「そんなつれないこと言わないで下さいな。俺も一人旅で、退屈してたとこなんですよ。次の町までくらい、ご一緒して話でもしませんか」
思わず揉み手までしている。栗色髪の女性がため息をついた。
「お嬢様、いかがいたしましょう」
金髪の女性が、呆れたような表情でうなずいた。
「まあ、退屈だというなら、同行させてあげましょう。セザール、彼のお相手をしておあげなさい」
「はい、分かりました、お嬢様」
セザールと呼ばれた男性がうなずき、了承の返答をした。
「では、二人共、そろそろ次の町へ参りましょう」
こうしてサムトーは、お嬢様と護衛の女性、世話役の男性の三人連れと一緒に行くことになったのであった。
前を二人の女性が、その後ろをサムトーとセザールと呼ばれた男性とが並んで歩いていた。一人旅で退屈していたのは嘘ではなく、せっかく話し相手ができたことで、サムトーはいろいろとセザールに話しかけていた。
「まずお名前を伺ってもよろしいでしょうか」
「先程、お嬢様がお呼びになっていた通り、私はセザールと申します」
「あちらの女性二人は?」
「金髪のお嬢様はカタリナ様とおっしゃいます。護衛の女性はソニアという名前です」
「カタリナさんに、ソニアさんね。失礼だけど、年を聞いてもいいかな。俺は二十才なんだけど」
「お嬢様は十七才、ソニアは十九才、私は五十才でございます」
「丁寧に答えてくれてありがとう、セザールさん」
「いえ、どういたしまして」
セザールは仕方なく相手をしている風で、あまり会話自体を好まない様子だった。それでも遠慮なく質問を重ねるサムトーだった。
「カタリナさんをお嬢様と呼んでいるってことは、相当のお金持ちか、身分の高い方だと思われますが、どうなんですか」
「やんごとなきお方だとは申し上げておきます。それ以上は話せません。余計な詮索はなさいませんように」
「そうですか。それで、どういったご用件で旅などされてるのですか」
「お嬢様の大事なご用事を済ませるためです」
「どんな用事かも話せないってことだよね」
「はい。その通りでございます」
「行き先は決まっていますよね。それくらいは話して下さいよ」
段々サムトーも遠慮がなくなってきた。
「クレージュの城下町です。伯爵領の」
「なるほど、確か三日ほど先の貴族領でしたね。おっと、どんな用事かは聞かないことにしときます。それでですね、俺も結構暇してるんです。だから、そこまで同行してもいいですかね」
図々し言い草だった。サムトーはそれを自覚しつつ、それでもこの三人組に興味を覚えていた。こっそり跡をつけるのは流儀に反する。どうせなら旅仲間になりたいと思っていた。
その訴えを聞いた側のセザールは、思わず眉間に手をやっていた。何とも頭の痛い話である。素性の知れぬ旅の剣士などを同行させるのは、とてもではないが賛成できない。
しかし、話を聞いていたカタリナが割って入った。
「サムトーと申しましたね。あなたは何か私達の役に立ちますか」
思わぬ援軍に、ここは一つ便利なところを聞いてもらおうと、言葉を重ねるサムトーだった。
「もちろんです。水汲み、洗濯、パンや雑貨など必需品の買い出し、宿での交渉や情報収集、必要なら荷物運びでも何でも致しますよ、はい」
そう言えば、セザールはずっと小さな車輪付きの大きな箱型の荷物を、ゴロゴロと引きずって歩いていた。どうやらお嬢様の大事な荷物が入っているようだった。その程度の物なら、代わりに運んでやろうかとも思う。
しかし、カタリナが反応したのは、全く別の事だった。
「洗濯、ですか」
サムトーが首を傾げた。なぜここに反応するのか。もしかして、そんなことも考えず、旅に出てきたのではなかろうか。
「家を出られて今日で三日目。着替えはしましたが、確かに洗濯は必要かもしれません」
ソニアも話に入ってきた。彼女も、武芸の腕は立つが、日常生活面ではそれほど役立つわけではないようだった。
「ごめんなさい。今にして思えば、ソニアとセザールは、風呂にも入ってなかったですね」
カタリナが申し訳なさそうに言った。旅の間にも、そういう俗事が必要なことを、完全に失念していたようだった。
思わぬ方向から、役に立ってしまったサムトーである。
「確か、クレージュ伯爵領は、このまま南に下って、あと三日くらいの所でしたよね。洗濯や風呂も補給のうちですし、俺で良ければ手助けしますよ」
もう一押ししてみる。その言葉で、カタリナは、旅の用事をこなすのにサムトーが有用だと認めていた。
「分かりました。同行を認めましょう」
「ですが、お嬢様」
セザールが難色を示した。得体の知れない人物を伴うなど、何があってもおかしくはない。当然の反応だった。
しかし、ソニアが賛成に回った。
「サムトーでしたね。この者は俗事には役立ちそうです。あと三日、無事に旅程を進めるためにも、力を貸してもらうのがいいでしょう。もちろん、不埒な行いをするようなら、この私が成敗しますゆえ」
「ソニアがそこまで申すなら、承知致しましょう」
渋々だが、セザールも了承した。
「ではサムトー、あなたの働きに期待します」
カタリナがそうまとめると、連れの二人も黙ってうなずいた。
こうして、サムトーは役立つことを期待されて、このお嬢様達三人組と同行することになったのだった。
それから二時間ほど歩き、タルクスの町に到着した。人口は五千人程度とあまり大きくはない。宿場もそう広くなく、宿屋の数も少ない。
その中で、街道筋にある一番大きな宿屋にカタリナは入ろうとした。
「ちょっとお待ち下さい、お嬢様」
そう言って止めたのはサムトーである。街道筋の宿は、馬車も一緒に泊まれるようになっているため値段が高い。それに、目立つのを避けたいのであれば、一つ通りを離れた、普通の宿の方がいいのではと提案した。
「それもそうですね。分かりました。ここはサムトーに従います」
そして、路地一つ分入った通りの、ごく普通の宿屋を選んだ。
「部屋は、お嬢様とソニアさんで一室、俺とセザールさんで一室、二部屋借りるのでいいですか」
サムトーがそう言うと、カタリナが考え込んだ。何を迷うことがあるのだろうと不思議に思っていると、やがて返答があった。
「四人で同室にしましょう。何かあった時、別々の部屋では困りますから」
「着替えとか、洗濯干すのとか、同室の方が問題ありそうですけど」
サムトーがそう言ったが、カタリナは首を振った。
「その洗濯の干し方とかを、サムトーには教えてもらいたいのです」
はあ、そういうことならいいか。変な気を起こさなければ、別に問題はないだろうしな。そんなことを思い、サムトーは宿屋へと入った。残りの三人も後に続く。
中に入ると、年配の男性が出迎えてくれた。宿屋の主人だろう。
「いらっしゃい。飲みに来たのかい?」
「いや、泊りで。四人、一泊同じ部屋で頼みます」
「分かった。じゃあ、記帳を頼むよ」
サムトーを筆頭に、それぞれが署名し、職業を書いていく。
サムトーの旅の剣士というのも胡散臭いが、カタリナの商家の娘というのはかなり無理があるし、ソニアのカタリナの護衛というのもどうかと思える職業だ。セザールに至ってはカタリナの世話役である。それが同室なのだから、宿屋の主人も奇妙な表情になるわけである。
「では、二階の一室をどうぞ」
一泊二食付きで一人当たり銀貨一枚、合計四枚をセザールが支払い、鍵を貰って、階段を上がっていく。神聖帝国の宿屋はどこも同じような作りで、大体の場合、一階が食堂兼居酒屋、二階より上が宿泊部屋となっている。ここもその例外ではなかった。セザールの持つ箱状の荷物は大きく、持ち上げるのが大変だったので、サムトーが手伝った。
鍵を開けて部屋に入る。ベッドが四つ並んでいる、広さもそこそこの部屋だった。それぞれに荷物を下ろし、部屋の脇に置いておく。
「では、まず洗濯を済ませましょう」
「そうだな、分かった。……では、私とセザールでやりますから、お嬢様はお部屋でお待ち下さい」
「いえ、どのようにするのか興味あります。私にも見せて下さい」
結局、全員で洗濯物を持って、井戸端へと下りていった。
そこでサムトーが粉せっけんを少量取り出し、宿に常備してあるたらいを三つ借りてくる。そのたらいに洗濯物を広げて水を掛け、粉せっけんを振りかけて、ひたすらに揉んでいく。ソニアとセザールもそれに倣った。二人とも慣れておらず、手つきがたどたどしい。
揉み終わると、それを一度絞る。井戸端の脇には排水を流す溝があり、そこで一着ずつ絞るのだ。それが終わると、また水を掛けて良く揉む。二度ほどすすいで、また洗濯した物を絞る。洗いはこれで完了である。
それを部屋に戻って干す。この種の宿では、部屋の中に綱を渡せるようになっていて、そこにハンガーに掛けた洗濯物を吊るして干せるようになっている。この三日洗ってなかったそうなので、量もかなり多かったが、四人分何とか干し切れた。これで明日の朝には乾くはずだ。女性二人の下着は、まあ見なかったことにしたサムトーであった。
一休みして、次は風呂である。
話を聞くと、この三日間は、上等な宿で風呂付きの部屋を借り、カタリナはその風呂に入っていたそうだ。しかし、残りの二人は、主人の前でも後でも同じ風呂に入るわけにはいかず、風呂に入らず我慢したそうだ。神聖帝国では、公衆浴場がどの町、どの村にもあり、二日か三日に一度は入浴する習慣がある。毎日入る者も多い。ソニアもセザールも、旅に出る前は毎日入っていただろうから、相当の我慢をしていたことになる。それでも主人を第一に考えているのが従者の鏡と言えようか。
さて、普通の宿に泊まったからには、もちろん宿には風呂がない。近くに公衆浴場があるのだから、よほどの上客が泊まる宿でもない限り、風呂を作る必要もないのだ。言い換えれば、公衆浴場の利用が前提での宿泊になるわけだ。ここで問題は、カタリナが公衆浴場に入れるかどうかである。それを避けるため、今までわざわざ風呂付きの宿に泊まっていたほどだ。
公衆浴場に入ることが障害となるということは、カタリナは相当に身分の高い人物だろうと、サムトーは察した。身分は王族、貴族、騎士、平民、奴隷と大別される。大富豪でも平民なら、同じ平民が利用する公衆浴場を避ける理由がない。そこまで分かったが、さすがに素性を探ろうとは思わなかった。必要があれば、自ら話すだろうと思ったのだ。
「公衆浴場の入り方くらい、ソニアさんに任せていいですよね」
風呂の支度を済ませて、サムトーがそう言った。言われたソニアの方は、渋面を浮かべて、主人に詫びた。
「カタリナ様、申し訳ございません。ここはサムトーの言葉に従い、公衆浴場をご利用下さいますよう、お願い申し上げます。もちろん、私が全てお手伝い致しますので、何も心配はございませんので」
それを聞いたサムトーの悪い虫が騒いだ。お嬢様とその従者相手に、これまで言葉遣いなどを遠慮していたが、ついここで素が出てしまった。
「もし必要なら、この俺が、カタリナ様のお風呂の面倒を見させて頂きますよ、ええ。それはもう、上から下まで全部面倒見ますとも」
カタリナ本人は、目下の者に面倒を見られるのが当然だという意識があるので、サムトーの言葉に違和感を感じなかったようだった。激烈に反応したのは従者の二人である。ソニアもセザールも目を吊り上げて怒った。
「何を無礼な。カタリナ様の柔肌を、お前のような下賤な者の前に、晒すわけにはいかぬだろが」
「そもそもサムトーは女湯に入れなかろう。ふざけたことを申すな」
サムトーはいい反応だな、やっぱり突っ込みはこうでなきゃと思いつつ、口に出しては素直に詫びの言葉を告げた。
「申し訳ありません。カタリナ様がお困りのようだったので、お手伝いを申し出たまでで、他意はないのです」
嘘である。ただ冗談を言いたかっただけであった。もちろん、そんなことを正直に言えば、火に油を注ぐだけである。一応は従順なサムトーの言葉を聞き、ソニアもセザールも矛を収めた。
「何はともあれ、お嬢様にはご不便をお掛けしますが、とりあえず公衆浴場までご足労下さいませ」
セザールがそうまとめて、四人で公衆浴場へと向かった。
「良い経験でした。自分で体や髪を洗うのも、悪くないものですね」
どうやらカタリナも無事に入れたようだった。一歩控えているソニアが安堵の表情でうなずいている。その主人の方は初めての経験に、少し興奮気味だった。
「浴槽も広くゆったりと入れて良いものでした。他のお客もみな気持ちよさそうに入っていましたね。そんな光景を直に見るのも、とても参考になる経験でした」
風呂から宿への帰り、カタリナがサムトーにそんな話をしてきた。
「公衆浴場の利用を勧めてくれたこと、感謝致します。おかげで、ソニアにもセザールにも、入浴してもらうことができました」
ということらしい。サムトーも謝辞を素直に受け取った。
「そう言って頂き、俺もお勧めして良かったです」
そして、きちんと自分の希望を言ってみた。
「カタリナ様に、お願いしたいことがございます。よろしいですか」
「今度は何ですか」
「宿に着いたらエールを一杯頂いてもよろしいでしょうか」
一人旅の時はそれが定番だ。風呂の後の一杯がとにかくうまい。猟師の元で暮らしていた時や、ついこの前、狼との戦いの後ケガの治療をしていた時など、酒のない日ももちろんあった。だから、今回も遠慮すべきかとも思ったが、飲みたいものは飲みたいのである。
反応は予想の斜め上だった。
「エールですか。確か普通の人々が好むお酒でしたね。風呂の後に飲んでも大丈夫なのですか」
「というか、飲む人の方が多いと思いますよ」
「それも興味ありますね。分かりました、許可します。私も一緒に一杯頂くことにいたしましょう」
目を剥いたのは従者二人である。カタリナが実家で食事の時、ごく普通にワインを飲んでいたのを二人も知っているので、酒を飲むことに反対なわけではない。神聖帝国では飲酒に年齢制限はない。上流階級では、大体十五、六才を過ぎたあたりで、ごく普通に食事にワインを付ける。グラス二杯程度なら問題なく飲んでいる。平民でも、経済的に余裕があるなら、大体同じ年代でエールなどを飲み始めることが多かった。
「エールなどという、あまり上品と言えないお飲み物は、お嬢様にはいかがなものかと」
というのが、二人が反対した理由であった。
あ、何か箱入りのお嬢様を、悪の道に誘い込んでるな、俺。サムトーはそう思ったが、今さら撤回する気もなかった。
「ソニアとセザールは飲まないのですか」
逆にそんなことを聞いてくる主人だった。暗に一緒に飲みましょうと言っているのだ。二人はため息をついて、了承するのだった。
「分かりました。一杯だけ、お付き合いいたします」
「私めもご一緒させて頂きます」
結局、二人の方が折れる羽目になったのだった。
宿に戻って荷物を片付けると、一階の食堂のテーブルに四人で座る。カタリナの隣にソニアが、向かいにはセザールが座り、お嬢様をしっかり守る配置で席に着いていた。
「エールを四つ」
こういう場に慣れたサムトーが、給仕に注文を告げた。
しばらくして、酒杯が四つ運ばれてくる。
「乾杯はどうします?」
サムトーが聞いた。カタリナにはそんな習慣はない。首を傾げて、問い返してきた。
「会食やパーティの席でもないのに、乾杯などするのですか?」
言葉を聞けば聞くほど、素性を聞かないのに身分が高い人物だと分かってしまう。このお嬢様は、そんな自覚はないんだろうなと思いつつ、サムトーはごく軽く返した。
「誰かと一緒に酒を飲むとき、理由はなくても乾杯することは多いですね」
「そうですか。なら乾杯しましょう。乾杯」
カタリナは素直に言葉に応じた。ソニアとセザールもそれに応え酒杯を掲げる。サムトーと四人の酒杯が軽く当てられた。
「では、どんな味でしょうね」
早速、カタリナが口をつけてみる。まず苦みが舌にくる。次に爽やかさと旨味が舌に残り、飲み込むと喉が軽く焼かれたように少し熱くなる。後口は苦みと旨味の混じった感じで、喉奥まで清涼感が残る。酒なので、頭に少し酔いが回り、頬がわずかに赤く染まる。
「悪くない、いえ、結構いいお味です。ワインより軽いですし、飲みやすさもいいですね」
それがお嬢様の感想だった。従者二人が頭を抱える。大切な主人が、酒飲みのようなことを言い出したのだから当然だ。
「ですが、度を超さないよう、気を付けないといけませんね」
その言葉で、安堵の息をつく二人だった。
そんな三人の様子は、見ていて楽しいと思うサムトーだった。うまそうにエールをあおって、大きく息を吐く。
「飲み終わったあたりで、夕食を頂きましょう。お嬢様には質素な食事で申し訳ないのですが、これも良い経験となるでしょう」
サムトーがきちんと予告を入れた。お嬢様には貧相でも、普通の人々には十分な食事なのだ。文句を言うようなことがあれば、宿の者もいい顔はしないだろう。そこで先んじて質素だと告げたのである。
「そうですか。ですが、今の私は旅の身の上、贅沢を言うつもりはありません。心配は無用です」
カタリナも、サムトーの配慮を分かっていたようだ。世間知らずではあるが、聡明な人物だった。
「しかし、このエールと言うのは、良い飲み物ですね。多くの人が好んで飲むのが分かります。私も気に入りました」
そう言って、こくこくと少しずつ飲んでいく。
「ところで、サムトーはずっと一人旅なのですか」
酔いが回ってきたためか、元からサムトーという奇妙な青年に興味があったからか、カタリナの方から尋ねてきた。
「そうですね、一人旅をしていたのは一年と少しくらいでしょうか。一時期は旅芸人の一座で一緒に地方を巡っていたこともあります」
「旅芸人と言うと、街の広場でいろいろ芸をするという者ですか」
「いえ、それは大道芸人ですね。俺がいたのは、三十人ばかりの集団で、空き地に天幕を設営して、町の人達を客として芸を見せる一座でした」
話をしながらも、カタリナはエールを少しずつあおる。よほど気に入ったようで、おいしそうな表情で飲んでいた。
「サムトーも何か芸ができるのですか」
「俺は楽器担当で、銅の縦笛を吹いていました」
「それは後でぜひ聞かせてもらいたいですね。では、サムトーは剣士としての腕前は、どの程度なのですか」
「まあ、そこそこです。もちろん、出来心で人を脅すような、ごろつきなどには負ける気がしません」
酔いのせいもあるだろうが、意外とこのお嬢様とは会話が成り立つ。もっと物堅くて、話し辛いかと思っていたので、良い事だと思った。ただ、いつもと違って丁寧語を駆使しているので、少し気疲れするサムトーだった。
そうこうしている間にも、エールを飲み干した四人は、夕食をもらうことにした。
メニューはブラウンシチューにチーズとパン、それにサラダ。料理数が少ない分、シチューは具沢山で大皿だった。
「なるほど、質素ですね」
あ、それ正直に言っちゃうんだと、サムトーは思った。だが、質素なのを責めている口調ではなく、これが庶民の食事だと感心している風だった。根も純粋なお嬢様である。
「それでは、いただきましょう」
カタリナの合図で、ソニアとセザールもスプーンを手に取る。そうやって合図を待つ当たり、本来なら従者は主人とは食事を一緒に取らないのが慣例なのだろうなと、サムトーは思ったが、口には出さなかった。
「いただきます」
三人に従って、サムトーも食事を取る。
「優しい味。素朴で、ほっとします」
カタリナの反応は上々だった。普通の宿屋でも、客に出す料理は満足してもらうために作るものだ。悪かろうはずもない。食べ方が上品すぎるのが、誰かに見られると少し困るかもしれない程度だ。
ある程度シチューを食べたところで、チーズとパンをいただく。サムトーは行儀悪だが、パンにチーズを挟んで食べていた。
「それ、面白そうですね。私もやってみます」
カタリナがサムトーのまねをする。パンとチーズの食感が合わさり、素朴な旨味のパンの味と、濃厚なチーズの旨味が合わさって、これが案外おいしいのである。
「これもいいですね。おいしさが合わさって、良い感じです」
カタリナも表情には出さないが、おいしそうにもぐもぐと咀嚼していた。
ふとサムトーがソニアとセザールを見ると、二人共渋い顔をしながらも、静観するつもりのようだった。その辺からも、カタリナが身分の高い人物だと分かってしまう。だからこそ、サムトーがそう察していることを、二人には伝えておいた方が良いかもしれない。
「ソニアさん、セザールさん、俺も行儀は悪いですが、お嬢様に無茶をさせるつもりはありませんよ。やんごとなきお方だということは承知していますので、どうかご安心下さい」
ちゃんと身分が高いことはわきまえてますよ、それを口外するつもりもありませんよ、そういう意味を込めた言葉だった。
神聖帝国の身分制度は強固なものだ。先述の通り、王族、貴族、騎士、平民、奴隷の身分の上下は絶対である。本来であれば、平民のサムトーが、恐らく貴族であろうカタリナと、直接会話することなどあり得ない。しかし、身分を隠し、お嬢様として扱うだけで済ませている以上、それに合わせて接するべきだとサムトーは考えていた。
勘の良いソニアが、それを察して口を開いた。
「サムトーは察しが良いな。薄々分かっているだろうが、素性に関しての詮索はせぬように。それさえ守れるなら、私もサムトーを、クレージュ伯爵領までの同行者として認めよう」
セザールも同様だった。
「ソニアの言う通りです。しかと頼みますぞ」
二人がサムトーにそんなことを言っているのを見て、カタリナが首を傾げた。今さら何を言っているのかという感じだった。
「サムトーのおかげで、今日一日でいろんなことが分かりましたし、初めての経験もたくさんできました。連れていくことにして正解でしたよ。これからの旅が楽しみなくらいです」
サムトーが、そのカタリナの言葉に礼を言った。
「ありがたいお言葉。このサムトー、この先もお役に立ちましょう」
「ええ。よろしく頼みます」
そう言うと、カタリナはおいしそうに食事の続きに戻った。主人が食事を喜んでいる様子に、従者二人もほっとして自分の食事を取る。
こうして夕食も、和やかに進んでいった。
サムトーは、元奴隷剣闘士である。
十才まではカターニアという大都会の養護施設で育ったが、ある日人買いにさらわれ、奴隷剣闘士を抱える親方に売り飛ばされたのだった。以後八年間、奴隷剣闘士として過酷な環境を生き延びてきた。
昨年、神聖帝国歴五九六年五月、百名ほどの仲間と共に反乱を起こした。半数ほどの仲間が逃亡に成功し、そのうちの一人がサムトーだった。逃亡奴隷は例外を除いて処刑される。生きるためには、とにかく逃げ続ける必要があった。
逃亡直後、山中を逃げている時に猟師達に救われ、三月ほど彼らの村で暮らした。その後、素性を知られる危険を避け、旅芸人の一座に身を寄せる。ここでも三月ほど同行したが、事件をきっかけに素性が明らかになりそうになったため、一人旅を始めた。
七か月余りの間、いろいろな人物と出会い、その手助けをしながら一人旅を続けた。方々を巡った末に、五九七年六月、助けてもらった猟師達の村を再び訪れ、そこで一月余りを過ごした。七月下旬からは旅芸人の一座と合流し、十月の末まで同行して楽しく過ごした。
城塞都市クローツェル周辺でいくつかの活躍をした後、つい先日、狼の群れと戦った。深手を負ったが無事に回復し、こうして再び一人旅に戻ったのだった。
夕食の後、部屋に戻ってからは、四人でのんびり会話しながら、くつろいだ時間を過ごした。
サムトーは、夕食の時に話に出た銅の縦笛を出してきて、三人に何曲か演奏して聞かせた。意外な特技に三人が目を丸くしつつ、それでも拍手をしてくれたものである。
お嬢様が夜着に着替えるときだけ、男二人が部屋の外で待たされた。その程度の配慮で済むのだから、四人同室でも問題ないわけだ。
ベッドは一番奥にカタリナ、その隣にソニア、セザールと並び、サムトーはお嬢様から一番離れた場所を割り振られた。まあ、これは大事な主人を守るため、当然の措置だろう。
サムトーとしては、他の旅仲間と一緒に寝るのは久しぶりだった。腕利きのソニアもいるし、気分も安らかに、のんびりと休めたのだった。
翌朝、サムトーは四人の中で一番に起き出した。日の出より少し早い時間である。
他の三人を起こさないように気を付けながら、普段腰に下げている短い方の剣を鞘ごと取り、部屋を出て井戸端へと向かう。
顔を洗って水を飲み、一人旅の時は日課にしている剣の素振りを始めた。基本の型だけ六種類、左右の腕でそれぞれ百本ずつ。いつ何があってもいいように、必要最小限の鍛錬を行っていたのである。
しばらく素振りを熱心にやっていると、ソニアも井戸端へとやってきた。サムトーと同じように、愛用の短剣を鞘に収めたまま持ってきている。
「考えることは同じらしいな、サムトー」
ソニアも顔を洗って水を飲むと、サムトーと同じように剣の素振りを始めた。サムトーが素振りを続けながら眺めた限りでは、やはり相当の修練を積んでいるように見えた。恐らくは騎士ではないかと思われた。
「サムトーの素振りも堂に入ったものだ。速く正確でずれもない。昨日は謙遜していたが、よほどの腕利きと見える」
「お褒めのお言葉、ありがたく頂戴致しましょう」
「そう固くならなくていい。とは言え、私が物堅いから、砕けて話すのも難しいか」
ソニアが、珍しく苦笑に近い表情を浮かべていた。こうしてみると、やはり年齢相応に若く、幼い部分があることもわかる。遠慮して言葉には出さなかったが、かわいいところもあるなと、サムトーは思った。
「いえいえ、俺が砕けると本当に失礼ですしね。このくらいでちょうどいいんでしょうよ」
「そうか。しかし、私相手では話もしにくいだろう。こんな性分で済まないと思っている」
「そんなことはありませんよ。いつもきちんと話を聞いて頂けるので、ありがたいと思ってますよ、ホントに」
二人共素振りの手を止めることなく、話を続けていた。それでも素振りは正確で、それだけ動作が体に染み付いている証拠だった。
二人が一通り素振りを終えた辺りで、カタリナとセザールも井戸端にやってきた。目覚めたので顔を洗いに来たのである。
「うーん、寒いです。良く二人は平気で素振りなんてできますね」
カタリナが、セザールに水を汲んでもらい、顔を洗って水を飲む。
「冷たいです。でも目が覚めてちょうどいいかもしれません」
昨日から思っていたが、このお嬢様は意外とおしゃべりだ。周りに聞き役が大勢いて、大事にされてきたからだろう。愛らしさに満ちたお嬢様だと、サムトーは思った。
「では、私は部屋に戻りますが、二人はどうしますか」
「素振りも終えましたし、一緒に戻ります。いいな、サムトー」
「そうですね。戻りましょうか」
うー、寒い寒いとぶつぶつ言いながら、背中を丸めて部屋に戻って行くカタリナの姿は、確かにかわいらしい。ソニアの方を見ると、同じことを思っているのか、笑みを浮かべていた。
「考えていることは同じみたいですね」
サムトーがそう言うと、ソニアも否定しなかった。
「しっかりお守りしなくてはという気になるだろう。あれがお嬢様の良いところだと私は思うな」
「そうですね。俺もそんな気分になってきましたよ」
ソニアとは昨日あまり話がもできなかったが、今朝のこのやり取りでずいぶん接しやすくなったように思う。それはお互い様だったようで、ソニアが拳を突き出してきた。
「しばらくの間、よろしく頼む。サムトー」
「承知致しました。微力を尽くしましょう」
サムトーがソニアと拳を合わせた。
その後、男女交代で着替えをした。片方が着替えている間、もう片方は部屋の外で待つ。以前、サムトーが旅で一緒だった女性の何人かは、お構いなしに一緒に着替えていたものだ。そちらの方が例外だったのだなと、そんな余計なことをサムトーは考えていた。
そして朝食。ベーコンスクランブルエッグに野菜スープ、パンとジャム。シンプルだが素朴でおいしい。お嬢様も、普通の人々がこういう質素な食事をするものと納得できたようで、特に献立に口を出すことはなかった。むしろ、作り立てのスクランブルをおいしそうに食べていたほどだ。度量の広いことで何よりだと思う。
それが終わると、水筒の準備など、身支度をして出発である。
宿の者に礼を言って、外に出る。
街道へと道を戻り、そこから南へと向かっていく。目的地クレージュ伯爵領まではあと二日の道程である。途中、朝から開いているパン屋で昼食を調達し、サムトーがその荷物を引き受けた。女性に持たせるわけにもいかないし、セザールは大きな荷物を引いていたからだ。
出発から順調だと思われた矢先、市街地を抜けた辺りで、またも男達が五人、道を塞いでいた。
「おっと待ちな。今日こそ、金を置いていってもらうぞ」
どうやら、昨日痛い目に遭った五人組のようだった。手には武器になる棒を持っている。素手ではかなわないと知って、用意したのだろう。
脅しのつもりか、それぞれが棒をぽんぽんと叩いて、余裕のある笑みを浮かべている。サムトーはこっそりため息をついた。
「ここは俺にお任せ下さい」
こういう輩を何度退治しただろうか。サムトーは問答無用で近づいた。
「な、何だこいつ」
近づかれた男達が一斉に棒を構える。それより早く間境を越えたサムトーが、一人の男の手首を強く打ち据える。痛みで取り落としたその棒を空中でつかむ。そして、その棒を素早く振って、男達の手首を次々と打った。もちろん、ケガをしない程度に手加減はしている。男達全員が棒を取り落とすまで、一分とかかっていない。
「余計な手間を取らすな。これでも懲りないなら、自警団に突き出すことになるが、どうする」
サムトーが淡々と言う。
強さが違い過ぎることを身に染みて知った男達が、態度を一変させて、詫びを入れてきた。自警団に引き渡され、投獄されれば罰を受けることになる。さすがに無頼の男達でも、それは避けたいようだった。
「す、すみませんでした。もうこんなことはしないので、勘弁して下さい」
サムトーが棒を放り投げた。男達に念を押す。
「分かればいい。二度と悪さはするなよ」
「は、はい。すみませんでした」
そう言い残して、男達は立ち去っていった。
「では、お嬢様、参りましょうか」
サムトーが促すまで、カタリナとセザールは目を丸くしていた。まさかサムトーが、ソニア並に腕が立つとは思っていなかったのだ。驚きの表情のまま、うなずいて足を動かし始めた。
「びっくりしました。サムトーも強かったのですね。さすが旅の剣士と名乗るだけのことはありますね」
「ありがとうございます、カタリナ様」
逆にソニアは、サムトーの剣の素振りを見ていたので、この程度のことは造作もないのだろうと思っていた。
「簡単に蹴散らすとはさすがだな。その強さ、どこで身に付けたのか、聞いても差し支えはないか」
そう尋ねてきた。
「帝都の南、カターニアでです。手ほどきを受けて、あとは独学です。結構実戦も経験しました」
嘘は言っていない。本当のことなのだが、話せないことを告げていないだけである。この三人にも、さすがに素性を知られるわけにはいかない。
「そうか。それなら納得だ。さぞ良く修業したのだろうな」
得心がいったとばかり、ソニアがうなずいている。騙していることになるのだが、その辺は勘弁なと、サムトーは心中で思っていた。
「俺もソニアさんの強さの秘密は聞きたいですね。話しても差し支えなければ、ぜひ教えて頂けると」
ソニアが困った表情になった。しばらく考えて、返答があった。
「全て話すわけにはいかないが、少しだけなら。もうサムトーも察していることと思うが、私は騎士の家の出だ。だから、幼少の頃から武芸を嗜み、道場などで訓練を積んできたんだ」
「なるほど。やはりそうでしたか。素振りの切れも見事でしたしね」
今度はサムトーがうなずく番だった。身分が上の騎士階級なのは、物腰からも察することができていた。本来なら、このように対等に話せる相手ではないのだが、これもお忍びなのでお構いなしだった。それにしても、昨日の戦いでの身ごなしといい、良く修業されていることが分かったからだ。それも、これほど若いのに見事な腕前になっている。大したものだと思う。
「自分でも鍛錬を重ねて十分強くなったと思っている。そうなるとな、サムトーみたいに腕の立つ者を見ると、つい手合わせしたくなってしまうんだ。因果な性分だと自分でも思うが。この旅が無事に終わったら、どうだ、一本手合わせしてみないか」
そういう言葉を、期待感に満ちた表情で言ってくる。確かに因果な性分の娘であった。見た目は栗色の髪が良く似合う、きれいなお嬢さんなのだが。
「まあ、旅が終わった時に、もし時間があればと言うことで」
サムトーは返答を濁した。腕自慢の騎士の強さは、これまでの旅の中で何度も経験しているので、ソニアも相当に強いのだろうとは思う。もちろん、直接対決して負ける気はしないサムトーであった。
日が中天に達した頃、昼食休憩を取った。
それにしても、言葉には出せないが、カタリナは深窓の令嬢だろうに、よくこう長く歩けるものだと、サムトーは感心していた。今も、文句一つ言わず、昼食のパンをかじっている。よほど重要な用件があるのだろう。本来なら、高価な馬車を仕立て、護衛も大勢引き連れて旅をするのが普通ではなかろうか。わざわざお忍びで、従者二人だけで旅をするとは、一体どんな用件なのか気になった。それは聞かない約束だったので尋ねはしないが、さすがに好奇心がうずくサムトーであった。
そんなことを考えながらパンをかじっていると、その焦れた様子に気付いたソニアが声を掛けてきた。
「悪いな、サムトー。気になるだろうが、黙っていてくれてありがたい。目的地に着けば、教えても差し支えないので、勘弁してくれ」
「気遣いありがとうございます。ソニアさんも良い方ですね」
ソニアが表情を緩めた。
「そんな風に言ってもらえるとありがたい。普段は鉄の女で通っているからな。物堅くて融通も利かない、頑固な騎士だから無理もないが」
そういうことを言われると、つい調子に乗るのがサムトーである。
「いやあ、俺から見て、ソニアさんはとても美しくて、それでいて強くて、でも心優しい素敵な娘さんですよ。こんな美人と知り合えて、俺も幸運だなあって思っているくらいです」
不意に褒められて、ソニアの顔が赤くなった。こんなに真っ直ぐな褒め言葉など、言われ慣れていないのだ。
「そ、それは言い過ぎではないか。私はただの堅物だ」
「いえいえ、そんなことはございません。お嬢様への忠誠を尽くしつつ、俺やセザールさんへの配慮も忘れない。繰り返しますが、何よりお美しい。心優しく美しい女性でございますですよ、はい」
歯が浮く世辞であっても、本気でそう思っているとばかり、サムトーは力説した。繰り返される褒め言葉に、ソニアもさすがに照れていた。
「そうか。褒めてくれてありがとう」
そう言葉を返すのがやっとだった。こういうところを見ると、かわいいところもあるなとサムトーは思った。そんな姿を引き出せて、ほめ倒すのに成功したことを内心で喜んでいた。
これ以上、サムトーと会話しているとペースが狂うと思ったか、ソニアがカタリナに声を掛けた。
「お嬢様、お体の具合はいかがですか。お疲れではありませんか」
「ありがとう、ソニア。相変わらず優しいのですね。私なら大丈夫です。もうひと頑張り出来ますよ」
主人にまで相変わらず優しいと言われて、ソニアが表情を変えず、内心で苦笑した。サムトーに言われた褒め言葉が効いていたらしい。褒められてうれしく思ってしまうのを、他人に知られるのはかなり恥ずかしい。
「分かりました。もうしばらくしたら出発しましょう」
そう言って、内心をごまかすソニアだった。
「そうですね。セザールは大丈夫ですか」
唯一の男手なので重い荷物を頼んだのだが、そのことに申し訳なさを感じているようだった。
「ご配慮、ありがとうございます。私なら大丈夫ですので」
セザールも、そんな主人の気遣いをありがたく受け取る。何だかんだと、良い主従だなと思うサムトーである。
「雑用は何でも致します。必要があれば、おっしゃって下さい」
サムトーもそう言って、三人の応援をした。
「ええ。また何かしら頼むと思います。その時はよろしく頼みます」
カタリナがそう言って話をまとめると、四人は出発した。
それから二日間は、のんびりと楽しい旅が続いた。
カタリナが暇を持て余さないよう、ソニアもセザールも何かと話し掛けていたし、サムトーもそれに乗っかって自分の旅の話を織り交ぜた。一人旅の出来事や、旅芸人の一座、猟師村での話など、サムトーの話は多岐に渡り、お嬢様育ちのカタリナには知らない世界だったので、いろいろと聞くことを喜んでいた。
宿屋での生活も、サムトーの手引きもあって順調だった。洗濯や入浴なども問題なくできるようになった。問題と言えば、カタリナがエールを気に入り、一日一杯だけとは言え、連日飲んでいたことだ。ソニアもセザールも眉をしかめていたが、特に害はなかったので、主人の好きにさせていた。
宿の部屋では、サムトーが途中の町で仕入れたカードを持ち出し、遊ぼうと他の三人を誘った。セザールは賭け事が得意だったのだが、さすがに女性二人にそれをさせるのはどうかということで、結局ババ抜きをしていた。深窓の令嬢のカタリナがそんな遊びを知るはずもなく、初めての経験に顔を紅潮させるほど、熱を入れて遊んでいた。主人が楽しそうに遊んでいる様子を見て、従者二人も顔をほころばせて一緒に楽しんだものである。
こうして一月二十三日の昼過ぎには、四人はクレージュ伯爵領へと足を踏み入れていたのだった。
クレージュ伯爵領の居城があるクレマンス城下町は、人口およそ八万人とかなりの大都市だった。領地全体では十五万人ほど。さすがは貴族の領地だけあって、とても栄えていた。
四人はカタリナに先導され、真っ直ぐに城へと向かっていた。本来ならサムトーは、ここでお役御免となるところだ。しかし、この三日の間に旅仲間として認められ、カタリナが最後まで同行させようと決めたのだった。
「サムトー、これまで黙っていてごめんなさい。私は実は貴族なのです。ここクレージュ伯爵家に用があり、ここまでお忍びで来たのです。ここでは何があっても冷静に、静かに従者役を務めてもらいます。いいですか」
薄々事情は察していたサムトーである。驚くこともなく、淡々と事実を受け入れる姿勢を示した。
「了解しております。後のことは、お嬢様にお任せ致します」
「ありがとう。では、まずは謁見の申し入れからですね」
正門の脇には番兵が立っていて、その奥に詰所がある。カタリナはまず番兵に声を掛け、来訪を告げた。
「私はヴィリエ伯爵家次女のカタリナです。執事頭か騎士隊長に取り次いでもらえますか」
番兵が驚く。他の貴族が突然訪問するなど、普通はあり得ない。カタリナもそれを分かっているので、家紋の入った短剣を取り出して見せ、言葉を続けた。
「執事頭か騎士隊長なら、この紋章が本物だと分かるでしょう。取り次ぎを願います」
これは本物らしいと思った番兵が、伝声管で当直の騎士に報告する。受けた騎士は事情を聞くと、即座に隊長へと報告した。伯爵領では配下に騎士が五十人仕えている。五個小隊で一個中隊を構成し、その中隊長が一番位の高い騎士となる。その騎士隊隊長が報告を受け、城門へとやってきたのが二十分ほど経ってからだった。番兵たちが気を利かせて、詰所の一室に案内してくれなければ、ずっと立たされたまま待つ羽目になっていた。
「お待たせして申し訳ありません。このままで失礼致します。私は当家騎士隊長フェランと申します。ヴィリエ伯爵家ご令嬢、カタリナ様と名乗られた方とお見受け致します。まずはご身分の確認を致しますので、佩剣をお見せ下さいますよう」
「ご丁寧な挨拶、ありがとうございます。それでは、こちらの短剣を改めて下さいませ」
騎士隊長フェランはまじまじと短剣を眺めた。刃渡り十五センチほどの両刃の剣というよりナイフに近い、いわゆる懐剣である。鞘にも柄にも紋章が刻まれていて、明らかに貴族の所持品に間違いはなかった。さすがに隊長もどこの家かは判別できないようだったが。
「確かに。ヴィリエ伯爵家の物と認めます。本日は遠いところ、我がクレージュ伯爵領クレマンス城まで、よくぞお越し下さいました」
「手数を掛けました。本日は、ご嫡男アルマン様への謁見の申し入れに足を運びました。明日、お時間を頂くことは可能かどうか、問い合わせて頂けないでしょうか」
「分かりました。早急に報告し、ご返答申し上げます。少々時間を下さいますよう」
そう言って、騎士隊長は早足で城へと戻って行った。
その間、こうした儀礼に慣れている二人はともかく、サムトーは長々としたやり取りに何度もため息をつきそうになった。正式に会うだけで、申し入れに一時間、そして実際に会うまで一日待ちかと思うと、手続きの面倒さにめまいがするくらいだ。だが、これが公式の手順なのである。以前知り合った貴族のお嬢様が規格外だったのだと、改めて思い知った。
カタリナが笑みを浮か、サムトーの苦労に同情していた。
「冷静に、静かにとわざわざ言ったのは、このためです。時間かかって面倒でしょう。それに巻き込んでしまって悪いと思っています。ですが、この用件から外したら、サムトーは余計に腹を立てるでしょう。面倒ではありますが、付き合って下さいね」
「お嬢様にそう言われると、全くその通りです。せっかく一緒に旅までしたのです。俺も最後までお付き合い致しますよ」
サムトーも苦笑を浮かべて、そう返答した。
待たされること三十分。それでも早い方だろう。先程の騎士隊長が戻ってきて、返答を告げた。
「アルマン様より返答を頂きました。明日十時に謁見するとのことです。無論、当主アルノー様、伯爵夫人イレーヌ様、ご息女アンリエッタ様も同席なさるとのことです。よろしいでしょうか」
「分かりました。明日十時ですね。承知しましたとお伝え下さい」
「ところでカタリナ様、本日のご宿泊はいかがなさいますか。当主アルノー様より、必要なら居館の一室を提供すると言伝を頂きましたが」
さすが騎士隊長。そこまで気を回してくれていた。
しかし、カタリナは頭を振った。
「お心遣い、感謝致します。せっかくのご配慮ですが、今晩は街中に泊まるつもりです。お詫びとお礼をカタリナが言っていたと、当主様にはお伝え下さいませ」
「承知致しました。では、また明日、気を付けてお越し下さいませ」
「少々お待ちを。一つ頼みがございます。お忍びで来ましたので、明日の謁見の際に着る、従者達の服装が手元にございません。予備の騎士服を三着お借り致したく存じます」
「分かりました。着替えの服と部屋を手配しておきます。少し早目にお越し下さい。お待ちしております」
「ありがとうございます。それでは、これで失礼致します」
長々と儀礼的なやり取りが続いたが、これで終了のようだった。サムトーは表情に出さず、内心で安堵のため息をついた。
「しかし、良かったんですかね。貴族なら、貴族の屋敷に泊めてもらう方が普通ではないかと思いますけど」
内心とは裏腹に、そんなことをサムトーは聞いてみた。
すると、どこをどう砕けたか、とんでもない言葉が返ってきた。
「うーん、でもね、やっぱり貴族の屋敷なんて堅苦しいから。やっぱり、ソニアと一緒にお風呂に入って、みんなと一緒にエールを一杯。せっかく旅してるんだから、こうでなくちゃ」
残りの三人が苦笑した。全く、困ったお嬢様である。
クレマンス城下町は、さすが伯爵家の所領だった。商店街も宿屋街も充実していて、公衆浴場もあちこちにある。工房街には様々な工房が立ち並んでいて、いろいろな製品も製造されていた。
四人は数多い宿屋の中から、雲雀亭という名の宿に入った。ここ数日の宿暮らしと同じように、洗濯を済ませ、公衆浴場に行き、エールを一杯飲み、夕食を取った。
そして、夕食後、部屋に戻ってから、今回の旅の目的について、カタリナがサムトーにようやく話したのである。
「結論から言うと、婚約を破棄してもらいに来たのです」
いきなりの言葉に、サムトーが目を丸くした。そんな大事だったとは。しかし、実際問題、直接訪問したからと言って、そんなことを相手が認めるとは思えなかった。
当然、それはカタリナも理解していて、ここで詳しい説明があった。
まだ幼少の頃に、カタリナの父とクレージュ伯当主の間で、カタリナとクレージュ伯の長男との婚約が取り交わされた。もちろん、本人達にも了承を取ってのことである。しかし、幼いカタリナに自分の意思はなく、貴族の家同士の取り決めは守らなければならないという、使命感から承諾しただけであった。
カタリナが長じるにつれ、婚約に対する違和感は大きくなっていった。何せ、相手と一度も会ったことがないのである。神聖帝国では、この時代、貴族同士の婚約などこんなものである。いざ結婚式となって、初めて互いに顔を合わせたなどという事例は、枚挙に暇がない。
カタリナが十六才になって、二年後には正式に結婚するようにと父に言われて、その違和感は大きく膨れ上がった。破裂したと言っても良かった。言われるまま結婚することに強い抵抗感が生まれ、父母に婚約を解消したいと訴えるほどになった。カタリナには兄も姉もいて、兄はすでに妻を迎え、爵位を継ぐことが決まっているし、姉はすでに他の貴族へと嫁いでいた。だから、カタリナが無理に嫁ぐ必要もなかったのである。父母も優しく穏やかな人柄で、娘を溺愛してもいたので、繰り返し婚約破棄を訴えられて、クレージュ伯にその旨を示した詫びの書状を送ったのである。
しかし、クレージュ伯長男アルマン、つまり当の婚約相手がそれを拒否した。繰り返し婚約破棄を訴えた書状が送られたが、その都度当初の約束通りに嫁がせて頂きたいと返書が届いた。それを知って、カタリナはひどく腹を立てた。どうしても自分を妻に迎えたいのなら、なぜ直接ヴィリエ伯爵領を訪れ、自分を説得しようとしないのか。書状だけで済ませようとする魂胆が気に食わず、ならば直接会って断ってやろうと思うまでになった。
そこで、十七才になった直後のこの機に、はっきりと結婚を拒否するためにクレージュ伯爵領までこうして出向いたのだった。父母の了承はとっている。ただ、公式訪問となれば、馬車だの護衛だのと準備も行程も面倒なことになる。だから、お忍びで、従者を二人だけ連れて出てきたのだった。
「私も貴族の端くれ、家同士で取り決めた婚約を破棄するなど、礼儀知らずと言われても仕方のないことは十分承知しています。先方からの返書にも、その指摘はありました。ですが、嫌なものは嫌なのです。そんな気持ちで円満な家庭が築けるはずもありません。わがままと言われようが、私は自分の意思を通そうと思っています」
長々と説明を受け、サムトーは間の抜けた表情になっていた。確かに大事である。だが、直接談判してことが解決すれば良いが、それでも相手が拒否したらどうなるのだろう。違約金でも支払うのだろうか。経過を聞くと、アルマンと言う、その伯爵家の長男はどうにも物分かりが悪そうだ。
カタリナももちろん十分に考えての行動である。とにかく、できる条件なら何でも飲んで、婚約を破棄してもらおうと覚悟を決めていた。決意が揺らぐことはない。
「分かりました。して、謁見の日、俺達もご一緒するのですか」
何か着替えを借りるのを頼んでいたわけだから、当然貴族様に拝謁するのに同行して欲しいということだろう。カタリナも手回しが良く、自分のドレスは、セザールの荷物に入っていた。ドレスはさすがに借りるのが難しい。寸法が人により違うので自分の物である必要があった。
「さすがに伯爵家の娘が、従者もなしというわけにも参りません。三人には苦労を掛けますが、同行を頼みます」
「もちろんです。何もできませんが、お嬢様のお心の支えとなりましょう」
ソニアが即答した。なるほど、それなら俺もと思ってしまう辺りが、サムトーである。
「そうですね。俺がいても役には立たないでしょうが、ここまでご一緒したのですから、同行させて頂きますよ」
「ありがとう。世話をかけますね」
カタリナが安堵の表情を浮かべた。
「後は、私が頑張るだけですね。何とか説得してみます」
そんな話をして、この日の夜は更けていった。
サムトーは、さすがのカタリナも緊張して眠れないのではなかろうかと思い、しばらく様子を窺っていた。だが、そんな心配は無用で、意外とあっさりと眠りに落ちていた。度胸のあることだと、改めて感心したものである。
そしてサムトーも、眠気に身を委ねて、眠りに落ちていくのだった。
翌一月二十三日朝。サムトーがいつものように素振りをしていると、ソニアが同じようにやってきた。
「軽く手合わせしないか」
ソニアがそんな声を掛けてきた。唐突な言葉だったが、何か思惑があるようで、真剣な表情をしていた。
「今必要だということですね。分かりました。お受けします」
何かを察したサムトーが承諾の返答をした。
「ありがたい。では、参るぞ」
ソニアが鞘ごと短剣を振るってきた。上段からの打ち下ろしが鋭く、サムトーの肩口を狙う。しかし、サムトーはそれをあっさりと打ち払った。
続いて横薙ぎ、突き、切り上げと連続技がきた。絡んできた男達を素手で叩きのめしただけあって、武芸の技も見事なものだった。感心しながらサムトーがその攻撃を打ち払い、避け、間合いを取る。
ソニアがそれを許さない。前進して間合いに入り、乱撃を放ってきた。サムトーは一つ一つ、丁寧にそれを受け止める。あまりの攻撃の鋭さに、もし誰かが見ていれば、防戦で手一杯のように見えただろう。
しかし、攻撃を繰り出すソニアは、サムトーの完璧な防御の前に焦りを感じ始めていた。どんな技を放っても、サムトーは落ち着いて防いでしまう。よほどの技量差がないと、ここまで防ぐのは無理だ。
最後に突きからの切り上げ、そして打ち下ろしを三連撃で放った。それも冷静に見切られ、受け切られてしまった。この男、適当なことばかり言っていたが、自分より強いのだと、はっきりソニアは感じていた。
ふうと大きく息をつくと、ソニアは剣を引いた。
「ありがとう。良く分かった。さすが旅の剣士、見事な腕前だ」
「いえ、こちらこそ。久々の実戦、おかげで勘が戻りましたよ」
気が付くと、カタリナとセザールもこの場に来ていた。
「二人共、朝から熱心ですね。良い戦いを見させてもらいました」
「いえ、これも護衛の務めですから」
ソニアが淡々と答えた。だが、サムトーには、剣の腕前を必要とする何事かが、謁見の際に起こるだろうと予測しての行動に思えた。不意の出来事にもきちんと備える、さすがは騎士だと感心していた。
「訓練も終わったみたいですし、朝食に行きましょうか」
カタリナがそう言って促した。今の戦いも、何かに備えての訓練だろうと思い、特に追及はなかった。
「そうですね。参りましょう」
何事もなかったかのように、ソニアも答えて主人に同行する。こうして波乱の一日は、戦いから始まったのだった。
四人は朝食を終えると、荷物を全部持って宿を出た。服装は普段着のままである。伯爵家のクレマンス城で部屋と騎士服を借りて着替えるのである。
九時の鐘が鳴る頃には、四人は城に着いていた。騎士隊長フェランとその部下二名が出迎えてくれた。案内を受けて二階の一室に着く。
「着替えはこちらの控室でどうぞ。荷物もこの部屋でお預かり致します。お時間になりましたら、また参りますので、一旦失礼致します」
騎士達が去ると、四人は若干の緊張を感じながら、着替えに入った。カタリナは持参のドレスに、残る三人は騎士服へと着替えるのである。大きな衝立があって、それぞれ男女別に着替えられるようになっていた。
「サムトーもセザールも似合っていますね。良かったです」
カタリナが笑みを浮かべて言う。二人には着慣れない服だろうが、従者として遜色ないのでよかったと思っていた。そういうカタリナは、あまり華美ではない、青いドレスを着こんでいた。金髪が良く映える、さすが貴族令嬢と思える服装だった。
珍しくセザールが冗談を言った。
「やはり、私には執事服が一番ですね。本物の騎士様方のようには、どうにも決まらないようです。粗相がありましたらご容赦下さい」
他の三人が苦笑した。あまり上手な冗談ではなかったからだ。
着替えが終わる頃合いを図っていたのだろう。扉がノックされ、城の使用人がお茶を運んできた。
「本日はクレマンス城へようこそお越し下さいました。お茶をご用意させて頂きましたので、時間までごゆっくりお過ごしくださいませ」
ソファーと一緒に置かれているテーブルで、四つのカップにお茶を注いでいく。さすが貴族の使用人、手つきも良く、所作が丁寧だった。
お茶の用意が終わると、静かに一礼して使用人が立ち去る。四人もせっかくの好意を無にせず、ソファーに座るとお茶を頂いた。良い茶葉を使っているようで、香りも味も上品で良かった。
カタリナがふうと一息ついて、改めてお願いを口にした。
「昨日も申しましたが、説得は私の役目です。話の間に、いろいろと腹立たしく思うこともあるでしょう。ですが、じっと我慢して下さいね。緊急な報告でもない限り、貴族同士の会話に割り込むのはかなりの無礼になります。きつく咎められても文句は言えません。それだけは避けたいのです」
ソニアが一番にうなずいた。
「分かっております。お嬢様の名誉に関わりますから、しかと守ります」
「もしかして、俺が一番危ないかもってことですな。つい余計なこと言うことありますしね。でも、今日はじっと我慢して黙ってますよ、はい」
サムトーが笑みを浮かべながら言うと、カタリナがぷっと吹き出した。確かにサムトーは突拍子のないことを言い出すことがある。そんないくつかの出来事を思い出し、つい笑ってしまったのだった。
肩の力が程良く抜けたところで、クレージュ伯の当主や夫人、嫡男、令嬢などはどんな人物なのだろうかという話になった。婚約破棄への返書を読む限りでは、丁寧な言葉を使い、貴族らしく威厳のある人物に思えた。だが、実際に会ってみるまで、これは分からない。
「知らない相手に目通りするのは、相手が誰でも緊張しますね」
話がそこまで及んだところで、一名の騎士が部屋を訪れた。時間なので、謁見の間にお越し下さいとのことだった。
四人は立ち上がって、その騎士の案内に従った。
謁見の間は広く、真ん中に大きな絨毯が敷いてあった。その奥は一段高くなっていて、正面に立派な椅子が二つ。伯爵本人と夫人が座る席だった。その両脇にも椅子があり、嫡男と令嬢がそれぞれ座っている。四人共金髪の美しい人物で、ことに夫人は年を感じさせない美貌の持ち主だった。息子も娘もその血を引いているせいか、繊細な顔立ちに秀麗な眉目と、美男、美女であった。
当主の元へ至る通路の左右に、騎士隊の分隊長以上の面々が立ち並んでいた。もちろん警備を兼ねてのことである。四人がその間を通り、前へと進み出る。
三メートルほど空けて、カタリナが立ち止まってひざまずく。一歩後ろに三人が同じようにひざまずいた。
「伯爵様にはご機嫌麗しく、幸いに存じます。この度は、急に謁見をお許し頂き、ありがとうございました。お初にお目にかかります。ヴィリエ伯爵家の次女、カタリナでございます」
堂々と名乗りを上げる。臆したところもなく、さすがであった。
「うむ。そなたもはるばるご足労頂き、痛み入る。お会いできてこちらもうれしく思う。私がクレージュ伯爵家当主アルノーだ。隣は伯爵夫人のイレーヌ。両脇にいるのが息子のアルマンと娘のアンリエッタだ。よろしく頼む」
貴族というのも大変だ。名乗り合うだけでも面倒なものなんだなあと、控えていたサムトーは思った。もちろん、そんなことは表情には出さないが。
「して、今回来訪の用件はやはりあれか。婚約の件か」
アルノーが直球で切り出してきた。世間話を長々とする気はないらしい。手間が省けてカタリナとしては助かる。
「はい。その通りでございます。これまで、父の手より幾度も書状を送らせて頂きましたが、芳しい返答が頂けませんでした。やはり、直接対話するのが良いかと思いまして、こうして足を運んだ次第です。アルノー様には、どうか私めの願いをお聞き届け下さいますよう、改めて申し上げます」
「うむ。その件だが、カタリナ殿は、我が息子アルマンに不満があるわけではなく、あくまでご自身の希望で婚約を破棄したいとのことだったな。しかし、書状でそう記されても、そなたの真意が良く分からぬのだ。何ゆえに破棄を望むのか、直接聞かせては頂けぬか」
話の分かりそうな伯爵で良かったと、カタリナが肩の力を抜いた。まずは話を聞こうという態度だけでも、信頼に値する。
「では、ぶしつけながら申し上げます。神聖帝国では、貴族は家同士のつながりで婚礼を行うという慣習があることは、この私でも良く存じ上げております。ですが、その慣習に私は疑問がございました。帝都在住の貴族の方々の中には、社交界で相手を見つけ、婚約を交わす事例も多いとか。それで私も、婚礼を行う相手を自ら見つけたいと願うようになったのです。この辺のことは書状にも記したと思います。そして、今こうして伯と直接話をしているように、直接話して相手のことを知った上で、婚礼する相手を決めたいと願っているわけです」
それを聞いたアルノーの表情が曇った。
「いや、カタリナ殿の気持ちは良く分かり申した。しかし、アルマンが納得しないのだ。アルマン、そなたの気持ちをお伝えせよ」
金髪の御曹司が立ち上がった。
「先程父に紹介頂いた、伯爵家嫡子、アルマンです」
そう言うと、優雅な動作で一礼した。そして言葉を続けた。
「私としては、カタリナ殿が我が妻となることを、幼少の頃より切望していたのです。ところが昨年、突然婚約を破棄したいと書状が届き、私は酷く動揺しました。心より慕っていたカタリナ殿が私を捨てようなどと、とても我慢のできることではないと感じました。ですから、幾度書状を頂いても、破棄をお断りして、婚約を継続していたのです」
言葉は丁寧だが、要は一度決まったのだから、それに従ってほしいということである。貴族の約束事なので、確かに普通ならそれで十分だろう。しかし明らかに相手のことは考えていないのも分かる。それが嫌だから、わざわざカタリナはここまで来たのだ。
「こんな酷いことをお願いする女など、普通は願い下げに思うかと存じますが、アルマン様はなぜ私にそこまで執着されるのですか」
「何を申される。言葉などいくらでも偽れるもの。我が妻となり、当家で良い生活を送れば、カタリナ殿も満足されること間違いない」
「そうお思いなのでしたら、なぜそれを、私に直接伝えようとして下さらなかったのですか。アルマン様が、我がヴィリエ伯爵領に足を運んで下さり、直接私にお話し頂けたのでしたら、考えも変わっていたかもしれません。ですが、アルマン様は返書を送るだけで、訪問しては頂けなかったではありませんか」
「そ、それは私にも公務があり、多忙の身であったゆえ……」
アルマンの歯切れが悪くなった。結局、アルマンも自分の都合が優先で、一度決めた婚約を取り消すことで、新たな相手を探すのを面倒がっていただけだと分かってしまう言葉だった。
カタリナが憤然と訴えを続ける。
「そんな口実で私と会わずに済ませたのですか。結局、アルマン様は私のことを思いやって下さらなかったのですね。もし婚約者が大事なら、事情を尋ねに来訪されるはず。それすらなかったのですから、結局、アルマン様は、相手が私でなくても良かったのではありませんか」
この口論にも決着はついたようだった。明らかにカタリナの方に理があった。クレージュ伯爵家の三人も、アルマンは大事だが、それ以上に貴族としての理非を考え、カタリナの方に理があると認めていた。
「アルマン、カタリナ殿もこう言われているのだから……」
仮にカタリナが翻意して婚礼を認めたとしても、このようなやりとりをした相手とは良好な関係を築くのは難しいだろう。神聖帝国領内には貴族も決して少なくはない。新たな良縁を結べば良いだろうと、当主のアルノーは考え、息子を止めようとした。
しかし、自分の言い分が認められず、父がカタリナの意見に流されそうになったことで、アルマンも相当意固地になったようだ。語気を荒げて、最後の手段に訴えてきた。
「いえ、父上、だからと言って認められません。婚約とは正規の契約なのですから、しかと履行されるべきです。それでもなお、破棄したいなどとカタリナ殿が言われるのでしたら、ここは決闘でどちらの言い分を是とするか決めたいと存じます」
確かに神聖帝国には、騎士や貴族の間で揉め事があった時、どちらの意見を是とするか決めるのに、決闘を行う場合があった。帝国法でも、決闘についての記載があり、双方の同意の元で決闘を行うことや、決闘の結果について異議を申し立てないことなどが記されている。そして、決闘では代理人を立てることが認められている。伯爵嫡男とは言え、アルマンも武芸には自信がない。無論、カタリナもそのような鍛錬を積んでいるわけではない。この場合、双方が信頼できる代理人を立てて行うことになる。
カタリナは異議を申し立てた。
「そんな決闘などと、それはあくまで最後の手段でしょう。ここは話し合いで決着をつけるべきと考えます。アルマン様、考え直しては頂けませんか」
カタリナが決闘を恐れたと思ったのだろう。アルマンの表情が余裕のあるものに変わった。
「話し合いでの決着を望むのであれば、私が主張するように、一度交わした婚約を破棄するなどという乱暴な主張は捨てて、改めて婚約をお認めになるのが良いでしょう。それで全てが平穏に解決します」
カタリナの表情が険しくなった。
「卑怯です。私はアルマン様が、もっと立派な方だと思っておりました。決闘を楯にして、私の思いを踏みにじって、それで満足ですか」
「私は、貴族の名誉を守るのも務めの一つと考えます。契約である婚約を果たしてこそ、名誉も守られるというものではありませんか」
あくまで形式論で推してくるアルマンに、人情論のカタリナの意見はどうしても平行線をたどるばかりである。さすがのカタリナも苛立ちを隠せないでいた。
「カタリナ様」
サムトーが小声で仮の主人を呼んだ。静かにしているつもりだったが、さすがに我慢の限界であった。しかし、謁見の最中なので、一声掛けるだけに留めた。
カタリナがわずかに振り向く。サムトーが軽くうなずいた。任せておけという意思表示だった。
カタリナは大きく息を吐くと、意を決して言った。
「私も婚約破棄を必ず成し遂げる覚悟で、この場に参ったのです。そして、アルマン様がどうしてもそれをお認め頂けない以上、確かに決着をつけるには、決闘を行う以外にないかもしれません」
アルマンが笑った。どう見てもニヤリという笑い方だった。
「お心をお決めになられたようですな。では、この件は決闘にて決めることに致しましょう。父上、よろしいですか」
当主アルノーが大きなため息をついた。こんなことで決着し、アルマンの意見通り婚約が続いても、良い結果にならないのは明らかだった。しかし、父として息子の言い分を通してやりたいという気持ちが勝った。
「双方に異存がなければ、決闘を行うことを、伯爵家当主の名において認めよう。いかがであるか」
「もちろん、同意いたします」
「異存ござません」
「では、本人同士で決闘を行うか、代理人を立てるかを決めよ」
「私は代理人として、騎士隊長フェランを指名致します」
ずっと直立して事態の推移を眺めていた騎士達が、一斉に小さくため息をついた。それは騎士隊長が強すぎるからである。誰が相手だろうが、これでは一方的に決着が付くことは明らかだ。部下達はアルマンの非情な指名に、カタリナへの同情心を誘われた。
カタリナはまずソニアを見た。するとソニアは小さく首を振っている。今朝、サムトーと手合わせしていなければ、決闘の代理人だろうが何だろうが引き受ける心づもりだった。しかし、今は自分より強い味方がいる。軽く首を動かし、サムトーを見た。それだけでカタリナには十分通じた。
次いでカタリナはサムトーを見た。軽くうなずき、手を胸に当てて引き受ける意思表示をした。これまで愉快な旅仲間という認識だったが、どうやら剣士としての本分を果たしてくれるようだと感じ、うなずき返した。
「私は従者サムトーを代理人に指名します」
サムトーとフェランが謁見の間の中央に進み出て、握手を交わした。
一番端に控えていた分隊長が、謁見の間を出た。武器になる訓練用具を取りに行ったのである。その間に、当主アルノーの口より、双方共決闘の結果に異議を唱えてはならないこと、決闘は正々堂々と行われること、過度の声援は控えることなど、決闘時の取り決めが語られた。
しばらくして、木剣が二本運ばれてきた。それぞれサムトーとフェランの手に渡される。カタリナ達も騎士達も壁際へと下がり、決闘の邪魔にならないよう空間を空けた。
「では、これより決闘を開始する。いざ、尋常に勝負せよ」
アルノーの号令で、二人が剣を構える。
先攻したのはもちろんフェランだった。まずは斬り下げから横薙ぎ、そして突きの三連撃。並の相手ならこの攻撃だけで決着がつくだろう。それほど鋭い技だった。
サムトーがわずかに間合いを外し、一撃ずつ丁寧にそれを受け流した。攻撃に失敗したフェランが下がるのと同時に踏み込み、突きの三連撃を放つ。サムトーの鋭く速い攻撃も、フェランは難なく避けた。
なるほど、これは強敵だと、サムトーも気を引き締めた。旅芸人の一座にいた時、町で出会った騎士は鋭い技の持ち主だった。一人旅の時に出会った侯爵家の公子も半端ではない強さだった。城塞都市ニールベルグで会った騎士も見事な腕前だった。このフェランという騎士隊長も、かつて出会った強敵たちに匹敵する強さがあった。
観戦している者達が、あまりに見事な攻防に息を飲んだ。特にすぐに決着が付くと予想していたフェランの部下達は、あまりの驚きに言葉を失った。まさかこれほど凄腕の従者が伯爵令嬢についていたとは予測の外だった。
そこからは互いに駆け引きを交えながらの剣の応酬となった。フェランはフェイントを一切使わず、一発受ければ戦闘力を確実に削ぐ攻撃を繰り返してくる。受け損ねたり避け損ねたりすれば、確実に負ける。それほどの攻撃だが、サムトーは楽しそうに受けていた。剣闘士時代に、生と死の狭間で繰り広げた死闘に比べれば、これでもまだぬるい。
時折、サムトーが反撃を織り交ぜる。連続で技を仕掛けて隙を作ろうとするも、フェランはその全てを受け流し、あるいは避けていた。さすがの腕前だと感服しつつ、一進一退の攻防が続いていった。
カタリナが手を組んだ。このままなんとか勝って欲しいと、願わずにはいられなかった。心の中でだけ、サムトーに声援を送る。ソニアもセザールも同じように固唾を飲んで見守り、サムトーの勝利を願っていた。
打ち合いが五十合を超え、互いに息も上がってきた。それでもフェランの攻撃の威力は衰えない。だが、さすがに技の切れや速度が落ちてきた。そろそろ好機だろうとサムトーは思った。
サムトーがフェランの攻撃を受け流した直後、その剣めがけて追撃を放った。フェランが意表を突かれ、バランスを崩す。そこへさらにサムトーが連撃を加える。フェランが完全に防戦一方になった。そこで再び武器を狙った連撃を加える。たまらずフェランが後ろに下がって間合いを取ろうとした。その一瞬の隙にサムトーは大きく踏み込み、鋭い突きを放つ。辛うじて木剣でフェランがそれを受け止めた直後、サムトーの木剣がフェランの首筋に軽く当てられた。真剣なら首を斬られている。
フェランが両手を挙げた。
「私の負けです。見事な腕前でした」
サムトーが大きく後ろに下がって、深々と礼をする。見事な戦いを演じた相手への敬意を表したのだ。フェランも同じように深々と礼をした。
「勝者、カタリナ殿の従者サムトー。以上をもって決着とする」
当主アルノーの宣言に、一同が深々と礼をした。そして、白熱した見事な戦いを演じた両者への拍手が送られた。
「お、お待ち下さい。これは何かの間違いです。フェランほどの騎士が負けることなど、あるはずがないじゃないですか」
アルマンが必死に訴えた。自信があったのに、まさかの敗北を喫したために婚約が破棄されることになってしまうのは、どうにも我慢がならないようだった。
だが、父でありながら、アルノーは厳しく言い渡した。
「決闘の結果を受け入れぬことこそ貴族の恥。この場にいる全員がその証人だ。ゆえにカタリナ殿の主張を認め、婚約破棄をこの場で認める。紙とペンを持って参れ」
その一言でアルマンは頭をうなだれ、押し黙った。アルノーは影のように控えていた侍従に声を掛け、必要な物を用意させた。
そして、その場で一筆したため、証文を書き上げた。その文面には、
『本日、クレージュ伯嫡男アルマンとヴィリエ伯次女カタリナの代理人による決闘が行われた。勝者であるカタリナの主張を認め、アルマンとの婚約破棄をここに認めるものとする。神聖帝国歴五九八年一月二四日、クレージュ伯当主アルノー』
と記されていた。そして、カタリナを近くに呼び、その証文を手渡した。
「すまなかった。私としては、カタリナ殿のような素晴らしいご婦人に、アルマンの妻となって欲しいという願いがどうしても捨てきれず、あなたの気持ちも考えずに事を進めようとしていたのだ。だが、これほどの覚悟で我が領地まで足を運び、説得のために言葉を尽くされようとは、実に見事な行動力だった。その上、決闘に備え凄腕の従者まで連れてくるとは手配も見事、あなたは立派な貴族のご婦人だ。今回の一件、これで終わりとさせて頂くが、同じ伯爵位同士、今後も変わらぬ友誼を保って頂けると幸いだ」
カタリナは一礼して証文を受け取ると、真剣に答えた。
「両家の友誼は今後も変わらないこと、ヴィリエ伯の名に懸けてお約束致します。アルマン様には申し訳なきこととなりましたが、私より素晴らしい女性はいくらでもおりましょう。どうか良き出会いのありますことを」
「ご心配痛み入る。私も新たに相手を探すことと致しましょう。カタリナ殿こそ、今後のことをよくご両親と相談なさるが良いでしょう。それと、カタリナ殿、もしあなたさえ良ければ、せっかく我が領を訪問されたことゆえ、歓待の宴を設けるが、いかがかな」
アルノーの好意は本物だったが、カタリナは首を振った。
「いえ、あくまで非公式に訪問した身、過分な接待は不要に願います。本日は不意の来訪にもかかわらず、こうして謁見して頂き、誠にありがとうございました。それでは、これにて失礼させて頂きます。アルノー様、そしてクレージュ伯領の皆様には、今後も元気でお過ごし下さいますよう」
「丁寧なご挨拶、私共も、カタリナ様ご一行が無事帰参し、今後も息災で過ごされることを願いましょう」
そう言うと、アルノーは立ち上がって宣言した。
「では、これにて謁見を終わりとする。一同の者、大儀であった」
「ありがとう。本当にありがとう」
城を出て、カタリナの最初の一声がこれだった。感極まったように、サムトーの両手を握りしめる。四人共、また旅の服装に戻っていた。さすがにドレスで町中を歩くのもはばかられたし、騎士服を返す必要もあった。
「いえいえ。俺なんかでもお役に立てて、光栄でございますですよ」
強敵を下したサムトーは、戦いの余韻に浸りつつも涼しい顔をしていた。お安い御用と思ってもらった方が、お嬢様の負担も軽かろうというものだ。
「それより、昼飯にしませんか。腹が空きました」
カタリナが目を丸くして、続けてくすっと笑った。さすが美貌の持ち主、笑顔がとてもきれいである。
四人は商店街へと足を運び、そこで一軒の料理屋へと入った。カタリナも庶民風の生活に慣れ、普通のパスタ屋を選んでいる。そこでデザート付きのセットを頼んだ。サムトーとソニアは大盛りである。
食事をしながら、今回の決闘について、カタリナがサムトーに尋ねた。
「どうしてサムトーは決闘の代理人になってくれたの」
サムトーは咀嚼した物を飲み込んでから答えた。
「ソニアさんが無言で頼んできたからです」
朝一番に、ソニアがサムトーに手合わせを申し込んでいる。サムトーの腕前を確かめるためだったのは言うまでもない。つまりこの時点で、ソニアはこうなる可能性があることを予見していたことになる。
「ですよね、ソニアさん」
「まあ、そうなるな。謁見の場で、腕試しのようなことがあっても不思議ではないと思っていた。最悪、決闘も十分にあり得ると思っていた。何せ、相手は爵位の高い貴族だからな。自分の主張を通すのに、最善の手として、最強の配下に戦わせるというのは、ありそうだと思っていたんだ」
そこまで言って、麺を口に放り込む。表情は冷静だったが、内心自分を不甲斐なく思う気持ちも、多少混じっているようだった。
やがて、言葉を続けた。
「朝、手合わせをした時、私よりサムトーの方がはるかに強いことが分かった。私も一人前の騎士、認めるのは癪なのだが、事実を受け入れない方が余計にみっともないからな。だから決闘の話が出た時、サムトーに目で訴えたのだ。サムトーはそれを一目で察して、自ら引き受けてくれたな。遅くなったが、改めて礼を言う。ありがとう、サムトー」
カタリナがなるほどとうなずく。
「そうでしたか。ソニアがサムトーに譲ったのには、そんな理由があったのですね。ソニアから見てどうでしたか、フェラン騎士隊長の強さは」
「私でも勝つのは難しいでしょう。それほどの強さがありました」
サムトーが凄腕なのが良く分かった。ソニアでさえ及ばないと言わせ、ここクレージュ伯領最強の騎士に勝てるほどの腕前なのだと。それゆえに自ら引き受けてくれたのだと理解した。
「そうですか。サムトーとの偶然の出会いのおかげで、旅の目的が無事果たせたということですね。ならばサムトーには、この恩を何かの形で返させて欲しいです。ですが、旅の身の上ではお返しできる物もありません。なのでサムトー、この後、我がヴィリエ伯領まで一緒に行きませんか。領地に戻れば、私にも自由にできる物もいろいろありますし。ここからだと、五日ほどかかってしまいますが、どうですか」
このお誘いは魅力的だった。偶然知り合った貴族のお嬢様の領地が、どんな所なのかには興味がある。こんなしっかり者のお嬢様を育てた領地だ。さぞかし豊かに発展した良い土地なのではなかろうか。
「いいですね。お嬢様の生まれ育った土地なら、さぞかし豊かなのでしょうね。ぜひご一緒させて下さい。あと、それから」
サムトーは少し真面目な表情で言った。
「希望が叶って良かったですね、お嬢様。俺も代理人を引き受けた甲斐があるというものです」
すると、カタリナが満面の笑みを浮かべた。大輪の花にも匹敵する、実に美しく優しい感じの笑顔だった。こんな表情を見てしまうと、やはりこのお嬢様はとても魅力的だった。アルマンも自分から足を運び、婚約継続を訴えていれば、この美しい女性を娶ることができたかもしれない。何とももったいない話だと、サムトーは思った。
「ありがとう。それからね、サムトー」
「はい、何でしょう」
「いい加減、丁寧な口調で話すの疲れたでしょう。もっと普通の話し方でいいですよ」
確かに。そんな事まで気遣えるとは、さすがだなあと思う。
「いえいえ、慣れれば何とでも。ソニアさんやセザールさんの手前、多少窮屈でも、なるべく丁寧に話しますですよ、はい」
その返事がおかしかったのだろう。カタリナが声を上げて笑った。それに釣られて、ソニアとセザールも軽く吹き出している。この三日の間に親しみが増し、そして決闘騒ぎのおかげで信頼も得られたサムトーは、三人にとって、すでに必要な旅仲間となっていた。
この五日間の旅は楽しかった。気軽に話せるようになり、歩いている間でも良く会話をするようになった。景色の中で見つけた物、すれ違った馬車の荷物、街道辻の休憩所など、ちょっとしたことで話題が膨らみ、交流を深めていた。
洗濯には、カタリナも自ら加わるようになった。使用人の仕事だからとソニアもセザールも止めたが、これも旅の楽しさの一環だとばかり、水の冷たさを我慢しつつ、頑張って洗っていた。
入浴時も、ソニアに言わせると恐れ多いことだが、カタリナの希望で互いに体を洗い合ったらしい。背中を流してもらえてありがたいのと同時に、やはり人に洗ってもらう心地良さがあったと、ソニアは語っていた。
宿でもエールを一杯飲むのは変わらなかった。実家では食事にワインが付くのだから、この程度では大して酔わない。むしろカタリナから話がいろいろと出てきて、三人もそれに乗って楽しく会話していたほどである。夕食後はカードで遊ぶのが定番となった。さすがに賭け事は避けていたが、単純なゲームでも十分楽しいようで、カタリナの笑顔は絶えることがなかった。
カタリナにしてみれば、自領に戻れば貴族として振る舞うことが要求される。こんな風に自由に生活できる時間が、とても貴重で喜ばしいものだったようだ。そんなお嬢様の内心を他の三人も察していたので、好きに振る舞わせていたのはもちろんのことである。
そして一月二十九日。サムトー達一行は、ヴィリエ伯爵領のランセット城下町に到着した。カタリナ達にとってはほぼ二週間ぶりの帰参である。
カタリナが正門で帰城を告げ、番兵が急ぎ城内へと連絡する。しばらく待たされて後、侍従長を務める年配の男性が、使用人二人を伴って現れた。
「カタリナ、無事に戻りました。お父様、お母様、お兄様にご報告申し上げたいのですが、どちらへ行けば良いのですか」
「はい。応接室にご案内せよと申し使ってございます」
そして侍従長に案内され、ランセット城内へと入る。この前入ったクレージュ伯領のクレマンス城に勝るとも劣らない、見事な作りの城だった。さすがは伯爵領の城である。
二階へと上がり、その中の一室に通された。決して華美ではないが、十分に配慮の行き届いた美しい部屋だった。中は無人で、いくつものソファーとテーブルが置かれている。ここはカタリナだけが座り、従者三人はその背後に立って控えるということになる。
さほど時間も経たず、男性が二人、女性が一人、先程の侍従長と使用人二人を伴って現れた。カタリナの向かいに三人が座り、使用人達が四人分の茶を用意した。従者の分はない。それが身分差というものだった。
カタリナが立ち上がり、深々と礼をする。
「お父様、お母様、お兄様。カタリナ、無事に戻りました」
三人がそれぞれにうなずき、カタリナに座るよう促す。
「して、クレージュ伯やご家族は壮健だったか」
「はい。みなさま、とてもお元気そうでした」
「それは良かった。それで、旅の目的は達成できたのか」
「はい。無事にこうして、クレージュ伯より公式の書状も頂けました」
そう言って、婚約破棄を認めるとした書状を父、母、兄の三人に見せた。確かに伯爵直筆の書面であった。
「それは良かった。平穏に収まって何よりだ」
「いえ、それが、簡単にはいかなかったのです」
そして婚約相手のアルマンと議論が平行線となった挙句、決闘を申し出られたことを伝えた。さすがに伯爵家の三人も眉をひそめた。
「それで、どうなったのだ」
相手は代理人として、領内最強の騎士隊長を指名してきた。ソニアと示し合わせて、こちらも最強の助っ人を指名した。それがここにいるサムトーという剣士であると話した。旅の途中、ちょっとしたきっかけで旅仲間となった人物だと伝えた。
「五十合を超える、実に見事な戦いでした。最後は相手の武器を封じ、突きで守りを崩したサムトーが勝利致しました」
これはソニアである。本来なら決闘に出るはずだったので、一言補足しておき、任せて良かったのだということを言外に伝えたのである。
「その結果、こうして婚約破棄を認めて頂きました。決闘などもありましたが、クレージュ伯も、今後も変わらぬ友誼を保ちたいとの事でした。僭越ながら、その旨了承の返答をさせて頂きました」
「それで良い。同じ伯爵位を持つ者同士、変わらぬ友誼を保つのは大事だ。今回の旅、無事済んだことに安堵しておる。カタリナ、ご苦労だったな。ソニアとセザールも、よく役目を果たしてくれた。礼を言う」
ヴィリエ伯もよくできた人物だった。家臣にも気配りを忘れない。次いでサムトーの褒賞へと話が移った。希望があるかと問われたので、サムトーはしばし考えて、はっきりと答えた。
「過分な褒賞は不要です。俺はただの旅の剣士、お嬢様のお人柄を知り、さぞ良いご領地なのだろうと、この領内の様子を見物しにきただけでございます。強いて希望するなら、お嬢様にこの領内を案内して頂ければ、望外の幸運でございましょうか」
その返答は予測していなかったようだ。伯爵家の三人が小声で話し合いを始めた。指名されたカタリナの方は、これは旅と同様、自由に行動できる絶好の機会だと察し、大きく期待していた。
しばらく時間が経ってから、ヴィリエ伯から返答があった。
「良いだろう。ただし、ソニアとセザールも同行せよ。領内を巡るに当たってはあくまで素性を伏せ、旅人のように振る舞うこと。良いな」
本来なら、伯爵令嬢の視察ともなれば、仰々しい行列を作って巡るのが筋である。だが、それではこの旅人の希望とは違ってしまうだろうと、伯爵は考えたのだった。同時に、カタリナもこうして自由に領内を巡りたいと希望していることを察していたのだった。
「ありがとうございます、お父様。しっかり領内を案内致します」
「俺のような賤民の希望をお聞き頂き、恐悦至極でございます」
カタリナとサムトーがそれぞれ礼を言う。
ヴィリエ伯が軽く微笑みを浮かべ、言葉を付け足した。
「なに、貴族というのも不自由な身の上だ。普段、自分の領内でさえ、自由に見て回れないくらいだ。今回の旅、カタリナにとってはとても楽しいものだったようだな。その続きとして、自由に見て回る日が一日くらい増えるのも良いかと思ってな。サムトー、ソニア、セザール、カタリナの事、よろしく頼むぞ」
そして、明日の朝、城の正門に集合ということまで決められた。
「では、これにて解散としよう。カタリナは残って、旅の出来事を報告してくれ。他の者は、それぞれ一休みするといい」
伯の言葉で、ソニアは騎士寮に、セザールは城の使用人棟にそれぞれ戻ることになった。サムトーは行き場が決まっていなかったが、いつも通り適当な宿に泊まろうと動き出した。さすがに伯爵家の屋敷に、平民を泊めることはできないのは十分承知していた。
「それでは失礼致します」
三人は応接室を出て、城の外へと向かった。
「サムトー、良い提案をしてくれたこと、感謝する。お嬢様も、もう少し自由な時間が欲しい様子だったし、私としても楽しい旅が一日増えたようなもので、うれしく思っている」
別れ際、ソニアがそんなことを言った。図々しい提案だったが、結果的には良かったようだ。
さて、いつも通り宿で一休みするかと、サムトーは城下町の宿屋街へと足を向けたのだった。
翌朝、九時の鐘が鳴るのと同時に、四人は城の正門に集まっていた。カタリナ達も、それぞれ街中に溶け込める服装になっていた。サムトーも荷物を宿屋に預け、ポーチ一つの軽装だった。
「今日はよろしく頼みます、サムトー。それからこれは軍資金だそうです」
カタリナの手から、サムトーに金貨が五枚手渡された。
「食事でも買い物でも、好きに使って良いとのことです。余ったお金は褒賞として、そのままサムトーの懐に収めよ、とも言われました」
何とも気遣いの上手な伯爵である。それならばと、サムトーも遠慮なく受け取ることにした。
「どこから見て回りましょうか」
カタリナがうれしそうに尋ねてきた。自分の家の領地であっても、こんな風に自由に見て回れるのは初めてなのである。郊外の農地などは、昨日城に戻る時に見てきたし、ここは市街地巡りが良いかとサムトーは思った。
「そうですね。まずは商店街でも見てみましょうか」
サムトーが提案し、カタリナがうなずく。お目付け役として同行しているソニアとセザールの二人も、サムトーの面倒見の良さを信頼しているので、遠慮なく任せることにした。
最初に一軒の雑貨屋に入る。小物やアクセサリーなどを見て回る。
「なるほど、こういうのを街の娘達は好むのですね」
カタリナが興味深そうに小声で感想を言う。
「かわいらしくて、とてもいいですね。街の者が買い求めるのも分かる気がします」
言いながら、楽しそうに商品を眺める。時には手に取って、使い道をソニアに尋ねている。ソニアも騎士道一筋で生きてきたので、こういう品物の知識はなく、返答に窮していた。それでも、街の女性が好む物だという認識はあり、カタリナと同じように感心しながら眺めていた。
「せっかくですから、一つくらい買っていきましょうか」
カタリナがサムトーにそう言った。
「いいと思いますよ。どれでもお好きな物をお選び下さい」
サムトーの太鼓判も押され、カタリナが目の色を変えた。本気で良いものを選ぼうと考え込みながら、いろいろな物を見て回る。
蚊帳の外だったセザールも、ここで入ってきて、こちらはいかがでしょうなどと勧め始めた。そんな姿が微笑ましく、サムトーとソニアが笑みを浮かべた。
結局、普段使いにも出来るだろうと、リボンを買うことになった。髪を止めるのも良し、服につけるのも良し、使用人にあげるのも良しである。代金の銅貨十枚は、カタリナにもらったお金でサムトーが支払った。
「買い物するのって、とても楽しいですね。こればかりはきぞ……えと生まれた家のしきたりですから、仕方のないことですが、損をした気分になってしまいます」
小声でそんな感想を話すカタリナは、本当に純真なお嬢様だった。他の三人が温かな笑みを浮かべて、そんな姿を見ていた。
それから食料品を売る店を眺める。青果店、肉屋、乾物屋、お茶屋など、多くの店が並んでいる。肉屋のうち一軒は、揚げ物も扱っていて、これはちょうどいいとサムトーが立ち寄ることを勧めた。
「何か買うのですか」
「昼飯前ですが、一つくらい買い食いしてもいいですよね」
サムトーの言葉に、カタリナが過剰に反応した。
「買い食いですか。噂には聞いたことがありますが、実際にするのは初めてですね。すごく興味あります」
目の色が変わっている。さすが深窓の令嬢、こんな庶民的なことは未経験なのだった。
「では失礼して。コロッケ四つ下さい」
一つ当たり銅貨三枚。貨幣の交換レートは銅貨五十枚で銀貨一枚、銀貨二十枚で金貨一枚だから、軍資金としてもらった額など、とても使い切れそうにない。もちろん、そうと分かっていて、伯爵は金貨を五枚も渡してきたのだろうが。
さて、そのコロッケだが、これが見事にカタリナのツボを突いた。
「何ですか、これは。旨味がぎゅっとして、ほくほくした食感で、舌触りは滑らかで、とてもおいしいではありませんか」
そう言って、うれしそうに食べていた。手づかみだし、ある意味下品な食べ方なのだが、それはパンでも同じことなので、おいしさに負けてもぐもぐとやっていた。
ソニアとセザールは食べたことがあるらしく、それでも久しぶりだ、いつ食べてもおいしいですな、などと感想を言っていた。
「これジャガイモですね。ポテトサラダと似た作りです。同じように茹でて潰したジャガイモに、衣をつけて油で揚げた物ですか。なるほど、手間暇がかかってますね。それなのにこの値段、すごく安くて驚きました」
カタリナが食べながらそんな分析をしていた。調理法は見事にその通りである。指摘が足りないとしたら、風味を良くするために、揚げる油がラードであることくらいだった。
「さすがカタリナ様、正解ですよ。作り方はその通りです」
サムトーも心底感心して、お嬢様を褒めた。満更でもないらしく、カタリナが胸を張って笑みを浮かべた。
「サムトーこそ、城にいたら味わえない、こういう食べ物を勧めてくれたこと、感謝してます。こんな風に今日は楽しめるとうれしいです」
「承知しました。なら、次は古着屋などどうでしょう」
貴族の衣服は基本オーダーメイドだ。普通の人達が、新品の衣服は高いため、古着屋を良く利用することは、カタリナも知識としては知っていた。だが、実際の店を見るのは初めてである。
「行きましょう。何事も実際に見てみることは大事です」
そんな流れで、次は古着屋へと向かった。
「なるほど、ここですか。これは壮観です」
とにかく店中一杯にハンガーに吊るされた衣服がずらりと並んでいる。男物の上着やズボンから、女性用のワンピースなどまで、肌着の類を除き、あらゆる種類の服があると言っても良かった。数も圧倒的に多く、三桁を超える数がありそうだった。
新品の服なら銀貨で三、四枚する物が一枚程度で買える。なるほど値段が格段に安い。それに前の持ち主が大事に着ていたのだろう。程度の良い服が多かった。中には繕いの跡があり、それでもまだ着られると、かなり無理して売っている品もあった。そういう品はさらに安くなっている。
「街の人達が、こうやって節約して暮らしていることを忘れてはならないですね。私も贅沢をし過ぎることのないよう、心掛けなくては」
元々はサムトーが領内を案内して欲しいと頼んだことが発端だったが、いざ蓋を開けてみれば、お嬢様の社会勉強のための街巡りになっている。だからと言って不満があるわけではない。こうして楽しそうにしたり感心したりするカタリナの姿を見ることは、サムトーにとっても楽しかった。
そんな調子で道具屋、文具屋、金物屋などを覗いて回ったところで、ちょうど昼食の時間になった。もちろん、せっかくなので町の料理屋で食べていくつもりである。
そして料理屋の並ぶ通りへとやってきた。煮込みの店、麺類の店、焼き物の店など、店の種類も数も豊富で目移りがする。カタリナが真剣に考えこむほど、どこの店も良さそうである。サムトーがその中から一軒珍しい店を見つけた。
「鍋料理の店がありますね。鍋の中に具材を入れて煮込んだ料理ですが、直接鍋から箸でつついて食べるんです。確かカタリナ様も、箸は使えましたよね。これなら城では絶対出てこないメニューですから、良いのではありませんか」
「確かにそうですね。ぜひ挑戦してみたいです」
ということになり、四人は鍋料理の店へと入った。鶏鍋を四人分注文し、出てくるのを待つ。一人銅貨十枚。相場通りの値段である。
出てきた鍋は四人前だけあって、結構な大きさだった。色とりどりの冬野菜に豆腐、練った小麦粉、そして鶏肉に鶏のモツまで入っていた。そして赤い。唐辛子で辛みを付けた鍋だった。
「では、いただきます」
サムトーは遠慮なく鍋をつつき始めたが、他の三人は赤い鍋に少し腰が引けていた。
「大丈夫ですよ。それほど辛くはないです。旨味と辛みが調和してるって言うか、一度食べると病みつきになりますよ」
そう言われて恐る恐る手を伸ばす。そして口に入れると、まず辛みが舌を刺してくる。
「あ、辛い……けど、それほどでもないですね」
痛いような辛さは一瞬で、その後は程良い辛さが口の中に残る。後からじんわりと旨味がでてきて、確かにおいしい。
「本当ですね。思ったより、いえ思った以上においしい」
「私もこれは初めてですが、とても味わい深くていいものですな」
ソニアとセザールもそんな感想を言っていた。平気だと分かった後は、みなおいしそうに鍋をつついていた。
「一つの鍋を四人でつつくなんて、城の者に見られたら、何と行儀悪いと叱られそうですね。鶏のモツも初めて食べましたが、おいしいですね。辛いけどおいしくて、これはとてもいい経験でしたね」
カタリナがうれしそうにそんなことを言う。
「喜んで頂けて何よりでした。俺もこういうの久しぶりですね。やっぱり大勢で一緒に食べると、おいしさ倍増です」
猟師の元にいた時の事が思い出される。たまに獲物のモツ煮を猟師の一家と一緒に食べたものだった。味付けは全然違ったが。
ともあれ、四人できれいに鍋を片付けたのだった。
「ああ、何か体がすごく温まりました。いい料理を紹介してくれて、ありがとう、サムトー」
心身共に満足して、カタリナは礼を言うのだった。
その次は、日の出ているうちにと、街の大広場へと向かった。用事で行き交う者、散歩する者、デート中のカップルなど、いろいろな人々がいた。
周囲には常緑樹が植えられていて、夏場は日陰で涼むことができるようになっている。花壇もあちこちにあり、今は冬の花が咲いていた。そうした景色を眺めながら一休みできるように、あちこちに長椅子が置かれている。その長椅子の一つに座って、四人は食休みしながらのんびりしていた。
こうした公園の整備は、当然ながら城主が責任をもつ。資金を出して街の商会に委託し、きれいに維持するのも必要な仕事である。よくよく見ると、落ち葉などを掃く仕事をしている人の姿も見られる。そうした者達の給金を支払うのも城主の務めだ。貴族領では当主がそれを行っているのだ。
「街の者の憩いの場を整備することも、大切な仕事ですね。お父様もこうした仕事に心を砕かれているのが良く分かります。こうして実際に見て、それが良く分かるので、来て良かったです」
本当に生真面目で考え深いお嬢様だと、サムトーはここでも感心した。やはり身分の高い者は、その高さに応じた責任感をもって欲しいと思う。カタリナはその点でも文句なしのご令嬢だった。
「そうですね。しっかり整備されているおかげで、街の者みなが、この場を憩いの場として活用できるのです。これも当主様のおかげですね」
サムトーがそう褒めると、カタリナも鼻が高かったようで、笑みを浮かべた。ソニアやセザールも主君の功績を知って誇らしそうであった。
「大広場を美しく保つことだけでなく、領主の大事な役割として、他にも領内の人達に何が返せるか、よくよく考えて施策を行うことが大事ですね。私も一層心を砕こうと思います」
行き交う人を眺めながら、カタリナがつぶやく。その瞳は、自分の領地を愛する当主の娘のそれだった。
「さて、少し散歩でもしますか。街の人々の様子でも、ご覧になるのも良いかと思いますし」
サムトーの言葉にカタリナがうなずき、四人は再び歩き出した。
住宅街へと足を向け、通りの様子を眺める。さすがはヴィリエ伯爵領は生活水準が良いようで、行き交う人たちの表情はみな明るい。路地や公園では子供達が楽しそうに遊んでいる姿も見える。神聖帝国では、街中に適度に公園を作ることが法で定められている。火災などが起こった場合に延焼を防ぐためと、避難場所として活用するためである。普段公園は人々の憩いの場として活用され、子供の遊び場としても最適である。子供達もみな笑いながら遊んでいて、元気そうで何よりだと思わされる。
ふと通りすがりに、泣いている小さな男の子を見かけた。どうやら遊んでいる最中に転んでしまったらしい。ケガはないようだが、一緒に遊んでいた子供達も寄ってきて、大丈夫かと心配そうに見守っていた。友達を気遣える優しさをもった子供達の姿は、人心が安定していて、みな満足のいく生活ができている証拠でもあった。
しばらく見守っていると、友達に励まされて男の子もなくのを止め、やがて遊びにと戻って行った。それを見届けて、カタリナも良かったとばかり、自分の事のように微笑みを浮かべた。
「良かったですね、お嬢様。あの子が元気に遊びに戻れて」
「ええ、そうですね。子供は元気なのが一番です」
サムトーとそんな話をしている姿を、ソニアとセザールも温かく見守っていた。今回の市街地巡りは、カタリナにとってとても良い経験となり、将来の財産となるだろうと二人も考えていた。主人の成長は従者としてはとても喜ばしい。それと同時に、こうなることを予見し、今回褒賞として自由な見物を認めたヴィリエ伯の慧眼にも感服していた。
一通り見て回ったところで、お茶でもしながら一休みとなった。
一軒の店に入り、ケーキとお茶を頼む。ケーキはそろそろ旬も終わりに近いリンゴを使ったタルト。甘く煮つけられたジューシーなリンゴの味わいとタルトのどっしりとした味わいとの対比がうれしい。お茶もいい葉を使った紅茶で、香りも高く、すっきりとしつつ旨味も出ているおいしい物だった。これで一人銅貨七枚。少し高めなのだが、この程度の出費では褒賞金はなかなか減らない。ここでも伯爵の好意に感謝した。
「城で出るものと遜色ないです。さすが商品として出しているだけのことはありますね。街の店も大したものだと思います」
カタリナがそんな感想を言った。自領の店の質が良いことを、心から喜んでいるのが分かる。それは良かったと、他の三人がうなずく。
「ただ、街の者には、これも贅沢な品なのですね。よほど稼ぎが良くなければ、毎日など食べられるわけではないのでしょう。こういう物を食べたいとき食べられるよう、街の者達の仕事や報酬を安定させるのも、やはり領主の務めということですね」
しみじみとそんなことも語った。
「そうですね。ですから、たまにする贅沢を楽しみにしている人々も多いのですよ。稼ぎに余裕があれば、その贅沢ができる回数も増えますから、領主様の治政が良ければ、みなも喜ぶのはおっしゃる通りだと思います」
「ありがとう、サムトー。私もお父様のお役に立てるよう、今後も学んでいきますね」
カタリナはにっこりと笑うと、フォークでタルトを口に運ぶ。おいしさにさらに口元がほころぶ。その姿はとてもかわいらしく、年相応のきれいなお嬢さんという感じだった。見ていて気分がいい。
「そう言えば、お嬢様、城にはいつ頃戻ればいいんですか」
ここでカタリナが再び笑った。
「本当は夕食までに戻るよう言われてたのですが、無理を言って、夕食を食べてから帰ることになってます。なので、公衆浴場に寄って、またエールを飲んで、夕食を食べて、それで帰ります」
旅先で何度もしてきた行動だった。それを自領でも再現したいということなのだろう。サムトーが思わず苦笑すると、ソニアとセザールも同様で、三人で思わず顔を見合わせてしまった。
「ごめんなさいね、ソニアとセザールも巻き込んでしまって」
「いえ、私もそれは楽しいので構いません」
「そうですな。私も最後にみなと一杯やりたい気分でした」
二人から了承を貰って、カタリナが素直に喜んでいた。
「なら、最後に騎士隊の施設や宿舎とかを見て回って、それから公衆浴場へ行きましょうか」
「分かりました」
四人はケーキとお茶を片付けると、また軽く歩きに出かけたのだった。
騎士隊の施設は、広い敷地にいくつもの建物がある。本部の建物の他、訓練場、倉庫、牢屋などからなっていた。一般人の振りをしているので、さすがに立ち入ることはできない。柵の外から眺めるだけである。
当直の騎士が立っていて、ソニアの顔を見て、あっとなった。ソニアが指を口に当てて声を出さないよう合図すると、それで事情を察してくれたようで、何も見なかった振りをしてくれた。
施設の周辺には、騎士隊員の住居が数多く並んでいる他、寮もある。単身者が住まう寮は、部屋数に比して使用している者が少ない。騎士の家系の者は自宅から通っているからである。騎士隊員の住居はそれぞれが立派な庭付きの一戸建てで、使用人を雇っている者も多い。ソニアの自宅もそうした家の一つである。
「ここがソニアの自宅ですか。立派な家ですね」
二階建てで八部屋くらいはありそうな建物だった。ソニアの父母ももちろん騎士の出で、結婚した際、父が騎士団に残り、母は引退したのだそうだ。また弟と妹がいて、弟は騎士の叙勲まであと少し、妹は騎士見習いになりたてという話だった。さすがに主筋の者が突然押し掛けるわけにもいかず、家の外から眺めただけだったが。
「いいご家族なのですね」
そこはソニアも自信をもって答えられるところだった。
「はい。自慢の家族です」
そうやって他の家もざっと見て回り、いよいよ公衆浴場へと向かう。
「ソニアと一緒のお風呂なんて、これで最後かもしれないですし、今日は楽しく入りましょうね」
「過分なお言葉、ありがとうございます」
そんな二人を見て、サムトーとセザールも笑みを浮かべた。その彼らもまた、女性達と同じように背中を流し合い、一緒にゆっくり浸かって、風呂を満喫したのは言うまでもない。
それからサムトーが泊まっている宿へと向かう。
これまでの旅と同様にエールを一杯ずつ頼み、飲みながら話し込む。
「このエールを飲むっていう楽しみも、サムトーに教えてもらったものでしたね。明日からはこんなこともできなくなると思うと、少し寂しいです。そのくらい、旅の間はとても楽しく過ごせました。ありがとう」
やはり、ここでもカタリナが思いを打ち明けるのが主になっていた。サムトーとしてもそれでいいと思う。このお嬢様が本音で過ごして、楽しい時間だと思ってくれることが、サムトーにとってもやはりうれしいのだ。ちょっとしたきっかけで知り合い、短い間一緒に旅をしただけでも、やはり仲間は仲間なのだと思っていた。
「良くも悪くも、俺の、というか旅人の流儀に、お嬢様もずいぶん染まりましたね。明日から、元の身分での生活は大丈夫ですか。旅の癖とか出たりしませんかね」
「出てしまうかもしれませんね。夕方になったら公衆浴場へ行って、エールを一杯とか、使用人に言ってしまうかもしれません」
カタリナには珍しい、下手な冗談だった。その下手さにか、冗談を言ったという事実にか、あるいはその双方か、他の三人が吹き出していた。遠慮なく笑って、せっかくの冗談を盛り上げた。
「冗談は置いておくにしても、今回の旅が楽しかったのは、ソニアやセザールが頑張ってくれたおかげもありますが、何と言ってもサムトーのおかげです。私の知らないことをたくさん教えてくれて、たくさん見せてくれて、旅の間ずっと目新しいことばかりで、素晴らしい経験ができました。最後に城下町を回らせてもらえましたし、きっと一生の思い出になると思います。感謝してもしきれませんが、本当にありがとう、サムトー」
カタリナがまた礼を言った。何度礼を言っても、足りないくらいの気分なのだろう。同行して良かったと、サムトーもしみじみと思う。
「俺も楽しかったですよ。カタリナ様が何事にも新鮮な反応を返してくれるのがうれしくて、俺も案内のし甲斐がありました。それに、お見せ出来たのは世の中のごく一部でしかありません。ですから、これからはカタリナ様がご自分で新しい何かを見つけていって下さい。それが回り回って、伯爵家のためにも領民達のためにもなるのだと思います」
言い方は穏やかだったが、サムトーには珍しく、本気の言葉だった。身分の高い者がしっかりしていれば、大勢に良い影響を与えるものだ。その心がけを忘れずにいて欲しいと願っていた。
「いい言葉ですね。肝に銘じることにします」
カタリナもその真剣さを正面から受け止めていた。互いに顔を見合わせ、笑みを浮かべる。ソニアもセザールも同じ表情になっていた。
そこから先は、旅の楽しかった思い出を語り合った。洗濯一つでも最初は苦労していたこと。カタリナが自分の服を洗濯できて喜んでいたこと。食事が質素だがおいしい物が多かったこと。他の客の噂話に耳を傾け、他人の事を褒めたりけなしたりする姿に共感したこと。街道を歩いている時、目の前を動物が不意に横切って驚いたこと。昼食のパンが固くて、かじるのに苦労したこと。宿の部屋ではカードで遊び、夢中になって楽しんだこと。
語り出せばきりがなく、夕食を取り終えても、話が終わる事がないくらいであった。
しかし、約束の時間は夕食までである。そろそろ切り上げて、解散しなければならない。
「最後ですから、城まで送りますよ。行きましょう、カタリナ様」
サムトーがそう言って、三人と共に宿を出た。飲食代ももちろん支払っている。
夜の街を歩くのもカタリナには初めてだった。行き交う人も少ない通りは静かで、気分もいい。冬場で寒いのだけが難点だった。
カタリナがうれしそうに、だが少し残念そうに歩いていく。こんな風に自由に出歩けることも当分はないだろう。その名残を惜しむように、笑顔を浮かべながら、解放感に浸っていた。
ソニアとセザールも、そんな主人の様子を察し、穏やかに見守りながらその後をついて行った。二人もこの時間を充足したものと感じていた。
やがて、道も終わりとなり、城の正門に着いた。
「サムトー、最後に一つお願いがあります」
カタリナが振り向いて言った。
「何でも遠慮なくどうぞ」
「では、失礼しますね」
そう言うと、カタリナがサムトーに正面から抱き着いた。ソニアとセザールも、正門を警備していた番兵も驚いたが、見て見ないふりをすることに決めた。変に騒いで事を大きくすべきでないと思ったのである。
カタリナは、力一杯、締め上げるくらいの勢いで抱き着いていた。
「これがサムトーなんですね。この感触、よく覚えておきます。この人のおかげで、とても充実した時間が過ごせたのだと」
しばらく感触を確かめていたカタリナだったが、やがて手を離すと、改めて別れの挨拶を口にした。
「それでは、サムトーの旅が、この先も楽しいものでありますように。ここに来ることがあったら、また会いましょう」
「ありがとう。カタリナ様も、幸せな時間が過ごせますように」
そして二人は改めて握手を交わした。サムトーは思った以上にごつい手をしていて、カタリナが軽く目を見張った。なるほど、これが凄腕剣士の手なのかと感心したのだった。
「お別れだな。元気で。サムトーのことは私も忘れない」
「今までありがとうございました。この年ではなかなかできない、とても楽しい旅でしたぞ」
ソニアとセザールも、それぞれサムトーと握手を交わした。
「こちらこそありがとう。では、みなさん、元気で」
そう言うと、サムトーは三人の元を離れ、去っていった。
それを見送って、三人は城内へと戻って行った。
翌一月三十一日。サムトーは、ヴィリエ伯爵領のランセット城下町を出発した。相変わらず行き先は未定である。
「さて、今度は何があるのかな」
一人つぶやくと、街道を歩いていく。まだまだ旅は続くのだった。
──続く。
お忍びの貴族という、時代劇では定番の展開です。一応ファンタジーなので、剣での決闘場面もあります。今回は裏方に徹してサムトーが活躍、表ではお嬢様が、身分の高い者らしく純真な様子を見せてくれます。今回も描いているうちに勝手に登場人物が意外な反応を返してきて、描写が変わったところがいくつもありました。ともあれ、相変わらずほっこりした話です。そんなところをお楽しみ頂ければと思います。




