Ⅰ.弟子と助手①
第一皇子の近衛騎士たちが闘技会を盛り上げた翌々日。
この日は朝から空の機嫌が悪かった。雨雲に覆われた街に湿った空気が漂い、時間が過ぎるごとに風が勢いを増していく。
今にも降りだしそうな天気のなか、ウリカは錬金術師の屋敷にたどり着いた。
鍵をとり出し、それで玄関を開ける。工房で倒れているウィリアムを発見して以降、万一に備えて預かっていたものだ。
ここに来るのは七日ぶり。薬を飲まされたあの日以来、ウィリアムとは顔を合わせる機会がないままだった。
普通に挨拶できるだろうか、と思いながら緊張ぎみに工房の扉を開ける。
「おはようございます……」
遠慮がちに呟いて部屋に入ったウリカはしかし、次の瞬間にきょとんと目を瞬かせた。
そこには先客がいたのである。
「おはようございます姉上」
挨拶を返した少年の存在を認めて、ウリカはやや大げさに目を見開いた。
「なんでジークがここにいるのよ?」
不服そうな口調で問いかける。
朝から姿を見なかった弟のことは「また部屋にこもって読書でもしているのだろう」くらいにしか思わず、気にしていなかった。それだけにウリカにとっては青天の霹靂というほかない。
「なんで、と言われても……」
赤毛の少年はちらりと隣にいる錬金術師に視線を奔らせる。
「リアムさんに手伝いをお願いされたので」
さらりとウィリアムを愛称で呼んだ弟を怪訝そうに見るが、すぐに気をとり直してウリカは錬金術師を睨む。
「どういうことですか?」
問いただすと、ウィリアムはふいっと視線を逸らした。
なにやら後ろめたいことがあるらしい。
ウリカはムッとして錬金術師に詰め寄った。
「弟子をとる余裕はなかったのでは?」
「ジークは弟子じゃなくて助手だ」
屁理屈のような返答が返ってきた。
ウリカが不納得の様子で首を傾げる。
「何が違うんです?」
「弟子はあくまで指導の対象だが、ジークは説明がなくても基本の調合はひと通りこなせる。だから助手だ」
うぐ、と言葉に詰まってウリカは後退る。
いまだ精製のやり方すら分からない自分とは確かに違う、と認めざるを得なかった。
だが同時に疑問が浮かぶ。
「どうしてジークが調合の仕方を知ってるの?」
今度はジークベルトが目を逸らした。
「怒らないから言ってごらん」
ジト目で詰問されて「もう怒ってるじゃないですか」と思いながらも、ジークベルトは白状する。
「えっと……姉上が寝てる間に勝手に錬金術書を読んだのは謝ります」
「錬金術書?」
はて、と首を傾げてからウリカは思いあたった。「ああ、以前ウィリアムからもらったあれか」と納得したあとに、憮然と弟を見据えた。
「あれを読んだだけで調合まで出来るようになるもの?」
ウリカもあの入門書はひと通り読んでみた。しかし理論は理解できるものの、自力で精製を行うには至らなかったのだ。やはり理屈と実践は違う。
だがジークベルトはなんでもないことのように答える。
「基礎的な精製はあの本を読めば出来ましたけど、調合に関しては先日薬作りの手伝いをした時にリアムさんに教えてもらったんです」
「教えたと言っても、目の前で一回実践して見せただけだったけどな」
と、ウィリアムが補足する。
二人の口調は、大したことじゃない、と言いたげにさらりとしている。
なにその才能……羨ましい――ウリカだけが不納得顔だった。
むう、と子爵令嬢がうなる。
「やっぱり……魔術が得意なほうが錬金術師には向いているんでしょうか?」
「まあ、そのほうが基礎を身につけるのが早いのは事実だな」
ウィリアムの答えに、ウリカはがっくりと肩を落とした。
こんなことならもっとしっかり魔術を学んでおけば良かった。
ウリカとしては剣を振りまわしているほうが面白かったし、魔術ではどうせ弟に敵わないと分かっていたから基礎だけ学んで満足していた。そんな過去の自分が今は恨めしい。
しかし、
「気を落とさなくていい。あくまで上達が早いというだけのことだ」
そんな慰めにも似た言葉をかけて、ウィリアムは小さく笑う。
ウリカはきょとんと目を瞬かせて錬金術師を見上げた。
こんな優しいことを言うなんてらしくもない、と思えたからだ。
次の瞬間、ウィリアムの唇が楽しげに弧を描いた。
「錬金術の本懐は新しいものを創りあげるための研究にある。どれだけ魔術に通じていようと、科学への造詣と柔軟な発想力を持っていなければ一流の錬金術師にはなれない。お勉強ができるだけの優等生が必ずしも優秀な錬金術師になれるかと言えば、そうとも限らないわけだ」
まるで、優等生ぶりを発揮するジークベルトを揶揄するような言い草だ。
(あ、やっぱり、いつも通りのウィリアムさんだ……)
ウリカは呆れた視線をひねくれた錬金術師へと向ける。
一方『優等生』を揶揄された弟は、ただきょとんとウィリアムを見つめていた。




