Ⅱ.戦力差②
視界の開けた平地。両軍は五〇〇メートルの距離を置いて睨みあっている。
ベルツ陣営。近接歩兵九六名、弓歩兵一〇八名、魔術歩兵一二名、各小隊長五名、指揮官はユリウス・フォン・ベルツ大佐で副官を一名伴っている。
ライヘンバッハ陣営。近接騎兵三六〇名、弓騎兵一〇〇名、魔術騎兵一〇名、各小隊長五名、指揮官はコンラート・フォン・ライヘンバッハ大尉で二名の副官を従えている。
コンラートの傍らに控える副官の一人、黄土色の髪と薄茶の瞳をもつ四十代半ばの男を薄灰色の瞳に映して、カミルは皮肉げに笑う。
「フェルダー将軍ともあろうお人が、ライヘンバッハ大尉に顎で使われようとは、憐憫を誘いますね」
アウエルンハイマー公爵麾下の将軍ゲオルク・フェルダーは、実績ある優秀な将軍として知られていた。
本来ならば階級を無視して大尉が将軍を指揮下に入れることなどあり得ない。だからこそ、兵員を揃えることも実力のひとつ、などというこじつけでのルールを適用したのだろう。
貴族社会における権力機構の歪さが、カミルの癇にさわるのだ。
「青二才の指揮官に振り回されて、不協和音が生じなければ良いがな」
心にもない懸念を口にして、アルフレートはカミルに同調する。
皇子の皮肉げな視線に見守られながら、第三試合の模擬戦は静かに開幕を迎えた。
「各部隊、進軍を開始せよ。騎馬の機動力をもって、敵部隊の動きを牽制する」
開始を告げられてすぐ、進軍を命じようとしたコンラートだったが、それを制止する声があった。
「お待ちくださいコンラート様。まずは相手の出方を見るべきと存じます」
ゲオルク・フェルダー将軍である。
彼は実戦経験豊富な武官で、これまであげてきた功績ゆえにアウエルンハイマー公爵からの信頼も厚い。
この部隊の表向きの指揮官はコンラートだが、実質的にはフェルダー将軍が手綱を握っていると言ってよい。父親からも彼の言うことは素直に聞くようにと釘を刺されている。
コンラートとしてはそこに不満があった。
「出方だと? あちらは我が軍の半数もいないのだぞ。そのような慎重論になんの意味があるというのだ」
コンラートとて将軍の実力は知っている。だが初手から水を差されるのは、やはり面白くなかった。
しかし公爵から失敗は許されぬと念を押されたフェルダーとしても、簡単に譲るわけにはいかない。
「だからこそです。どのような奇策を企んでいるか分かりません。軽挙妄動は控えるべきかと」
大佐の地位にあるユリウスは、その気になれば連隊規模の兵を揃えることが可能だ。それが二五〇にも満たない少数で試合に臨もうとしている。何かしらの算段があるに違いない。罠があるのではないか――そう考えるのはごく自然なことだろう。
将軍の進言は消極的と決めつけられるものではない。
しかしコンラートは納得しなかった。
「軽挙だと? ありもしない奇策などに怯えて好機を逃すほうがよほど浅慮といえよう」
「ありもしない、と仰いますか?」
将軍が眉をひそめる。
コンラートは眦をつり上げてフェルダー将軍を睨みすえた。
「戦力を整えるのは戦略の基本だ。ベルツ伯爵もそれは承知のはず。だが奴は私の指揮能力を低く見積り、あの程度の戦力しか用意しなかった。昨日の決闘のように、華々しい勝利で私をコケにし、それによって名声を高めようとの算段なのだろう」
手綱を握る手に力がこもる。
「思い上がりも甚だしい愚かな判断を後悔させてやる」
士官学校時代、戦略・戦術論ではユリウスのほうが成績が良かった。だからこうして自分を馬鹿にしているのだと、コンラートは疑わない。
「こちらには倍以上の兵力があるのだ。騎馬の機動力と兵力の差を活かし、包囲殲滅戦をしかけるべきであろう」
戦術の基本としては間違った主張ではない。凡庸な敵将が相手ならば、反対する理由もないだろう。だがフェルダー将軍はベルツ伯ユリウスを過小評価してはいなかった。
「ベルツ伯爵は味方の損害を減らすためなら、躊躇いなく奇策も用いる方です。油断はなりません」
「黙れ!」
なおも食い下がろうとする将軍をコンラートは怒鳴りつける。焦茶色の瞳には苛立ちが見え隠れしていた。
「あの男が得意なのは、自らが陣頭に立って味方を鼓舞する正攻法だ。奇策の類いは奴の腰巾着が考えているに決まっている。奴は今回の模擬戦には参加していない。そなたの心配は杞憂にすぎん」
コンラートはそう言いきった。
「よく誤解されるんですけどね……」
現場が映しだされている画像を見ながら、カミルがぽつりと声をもらす。
「邪道な作戦はすべて俺が立てたもので、ユリウス様は正攻法を好む、という話」
投影されているのは映像だけで、現場の声まで聞こえたわけではない。映像の向こうでいきり立つコンラートの姿を見て、なんとなく思いだしたことを口にしただけだった。
それでも続く言葉には、若き指揮官の思い込みを揶揄する響きがあった。
「ユリウス様の柔軟性を甘く見た、失礼な言い草だと思うんですよねえ」
むしろ正攻法しかないのは、教科書通りの戦い方しかできないライヘンバッハ大尉のほうだろうに。そんな蔑みを含んだ視線を、カミルは映像の向こうへと送っていた。