Ⅰ.お手本のような剣術①
王都で三の鐘が鳴り響く頃、首席近衛選抜闘技会の会場では、弓の的当て勝負が終わり、休憩がとられていた。
第一試合はコンラート・フォン・ライヘンバッハ大尉が接戦を制して、戦績を一勝〇敗としている。
人々が思い思いに食事や買い物を楽しむ間に、会場では二戦目への準備が進んでいき、いよいよ第二試合となる決闘が行われようとしていた。
司会者のルール説明が終わり、競いあう二人がそれぞれ対戦場へと足を進めた、その直後のことである。
イベント会場の中心にある正方形に仕切られた闘技場。それを囲む客席から、戸惑いの色を帯びたざわめきが波紋となって広がっていく。
視線の中心には、武器を持たぬまま対戦場に立つユリウス・フォン・ベルツの姿があった。
「ベルツ伯爵。武器の用意をお願いします」
ブルンクホルスト公爵の補佐官であるブロス中佐が、戸惑いの声を上げた。引き続き司会進行は彼が務めている。
しかしユリウスは首を振った。
「このままで結構だ。始めてくれ」
会場のどよめきが増した。
これにはアルフレートも驚いて思わず身を乗りだしていたが、カミルは軽く眉を跳ねあげるにとどまった。
さらに平民に混じって観戦を続けているウィリアムは訝しげに眉をひそめ、ジークベルトは表情を変えぬまま目を瞬いている。
「どういうつもりだ!?」
柳眉を逆立てて怒りの声を張り上げたのは、対戦相手のコンラートだった。無理もない。侮辱と受けとって当然の状況だ。
しかしユリウスは顔色を変えるでもなく坦々と答える。
「武器は必要ないと判断したから用意しなかった。それだけのことだが、何か問題か?」
ユリウスにしてはぞんざいな口調だった。
酷薄な表情で対戦相手を一瞥する姿は、コンラートを見下しているようにも見える。その態度は当然ながら相手の神経を逆なでた。
しかしコンラートはそれで我を失うほど直情型の人間ではない。そのことをユリウスも知っている。
彼は無礼な伯爵を烈気に満ちた双眸で睨みつけるだけで、激昂はしなかった。
「いいだろう。ならばその判断が間違いだったと教えてやる。自分の力量を正しく見極めることも実力のひとつだ。まさか負けたあとで言い訳などすまい」
静かに怒りを滾らせながらも、相手が無手で臨むことを容認する。
「当然だ。アルフレート殿下の名誉にかけて、無様な姿を晒す気はない」
特別に許されたその名を口に出し、ユリウスはさらなる挑発を重ねる。
「その言葉、よく覚えておくがいい」
コンラートが鋭くユリウスを睨みすえ、改めて剣を構えると、会場全体に緊張が走った。
「あのコンラートという者は、素手で勝てるほど弱い相手なのか?」
闘技場でのやりとりを見守りながら、アルフレートがカミルに尋ねる。
「そうであれば、士官学校卒業前の武芸大会で優勝はできていないでしょうね」
カミルが遠まわしに否と答え、薄灰色の瞳を眇める。
「忖度が働く状況とはいえ、あからさまな手抜きは逆効果になりかねません。上位貴族様の矜持を傷つけない範囲でうまく手を抜く必要があるわけです。それには、相手にも相応以上の技量を持っていてもらわなければなりませんからね」
揶揄的な口調で解説を入れて、さらにこう付け足した。
「以前ユリウス様が言っていたことがあります。ライヘンバッハ大尉の剣技はお手本のようにきれいだと」
褒め言葉のように聞こえるが、ならば何故あんな対応をとっているのか、とアルフレートは訝しく思う。
視線の先では、試合が始まろうとしていた。
見物客たちが息を呑むなか、この試合の判定役も兼ねているブロス中佐が右手を掲げる。対戦者双方に視線を送り、両者の意思を確認してから試合開始を宣言した。
「始め!」
声と同時にコンラートが間合いを詰め、ユリウスに肉薄する。剣を持った両手を高く頭上に掲げると、それをそのまま振り下ろした。
ユリウスが右に体を捻ってかわす。
すかさずコンラートは左下から右上へと剣を切り上げた。
ユリウスが今度は左に体を捻ってかわす。
苛立たしげに舌打ちしつつも、コンラートは一度体勢を立て直す。そうする間にユリウスは後ろに下がって距離をとった。
コンラートが再び間合いを詰めて、今度は横一文字に剣を一閃。
ユリウスが後方に飛びのいて避けると、すかさず突きを繰りだすが、それもあっさり右側に体を捻ってかわされる。
ひたすら攻撃をかわし続けるユリウスの動きを見ていたカミルが、あることに気づいた。
「ああ、なるほど……そういうことか」
ぼそりと独り言のような呟きが頭上で響き、アルフレートが物問いたげな視線を臣下に向ける。
「ユリウス様が言っていた通り、ライヘンバッハ大尉の剣技は乱れもなくとてもきれいです。そしてそれ故に読みやすくもある」
「どういうことだ?」
「殿下も剣術を学んでいらっしゃいますから、基本の大切さはご承知のことと思いますが」
カミルの言葉にアルフレートは頷く。
基本の構えや動きは、日課として体に叩き込んでいる。そうすることで、とっさの時にも体が反射的に動いてくれるからだ。コンラートはその基礎がしっかりしているのだとカミルは説明する。
確かにコンラートの動きはきれいだとアルフレートも思った。
説明を続けるカミルの唇が意地悪くにやりと持ち上がる。
「ライヘンバッハ大尉の動きは確かにきれいなものですが、それ故に基本に忠実すぎるんですよ」
アルフレートがはっとして、改めてコンラートの動きに注目する。カミルの言わんとすることが分かったからだ。