Ⅲ.ジークとリアム①
快晴の空の下、広々とした平地に並ぶ露店から、活気に満ちた声が聞こえてくる。客を呼ぶ声、注文を叫ぶ声、雑談を交わす声。多様な人々のざわめきでイベント会場は賑わっていた。
「あちらにもお店があるみたいですよ」
人混みのなか、器用に人の間をすり抜けながら、赤毛の少年が連れの青年に声をかける。少年のあとを追って、砂色の髪の青年も人の波をかわしながら先へと進む。
野外演習場を利用した闘技会の会場。その南側に立ち並ぶ露店を見物しつつ、西から東へと移動していく赤毛の少年――ジークベルトがふと足を止めた。
食べ物屋が主力となる中、細工物を扱う店が所々に点在している。少年に足を止めさせた露店は、多種多様な髪飾りが並べられた店だった。平民向けの店に並んでいるのは、どれも素朴さを感じさせる手作り品である。
店頭に並べられたバレッタに視線を落として、ジークベルトは黒髪の少女を思い浮かべていた。
ウリカの侍女であるハイジは、ハーフアップにした髪をいつもお気に入りのバレッタで飾っている。青色に塗装された素朴なその髪飾りが、ウリカにプレゼントされた物だとジークベルトは知っている。ウリカの瞳と同じ色であることを、ハイジは特に喜んでいるのだと知っている。
ジークベルトがどれほど彼女に想いを寄せようとも、ハイジはウリカのことしか見ていないから少年の気持ちには鈍感だ。
二人の間にある友愛の情は強すぎて、入り込む隙が見いだせない。
おそらく今ここに並んでいる緑色の――ジークベルトの瞳と同じ色のバレッタを彼女に贈ったとしても、きっとそれが愛用されることはないだろう。ハイジは青いお気に入りのバレッタを使い続けるはずだ。
それが容易に想像できてしまうから、ジークベルトは彼女へのアプローチに及び腰になるのである。
姉に対して嫉妬心を抱く原因のひとつだ。
「買っていくのか?」
鬱々とした思考に沈んでいると、砂色の髪の青年――ウィリアムにそう聞かれ、ジークベルトは慌てた。
女性モノのアクセサリーを買うのか、という問いは「贈り物をしたい相手がいるのか」と同義である。
「いえ、贈るあてがないですから」
ただ見ていただけです、とつけ加えてからジークベルトは別の露店を指差した。
「向こうに串焼きの店があるみたいです。食べませんか?」
と、話を逸らして串焼きを売る屋台へと駆けていく。これまでの落ち着いた雰囲気とは違い、年相応の少年に見えた。
ウィリアムはくすりと笑う。
(たまには、こうした気分転換もいいかもしれないな)
柄にもなくそんなことを思った。
二人がなぜ連れだって闘技会場に来ているのかというと、その発端は昨日のことである。
ウリカに薬を飲ませたあと、クリスティーネ夫人が待つ応接室を訪ねたウィリアムは、お説教混じりの世間話につき合わされた。夫人の話は夕飯時まで続き、一緒に夕食をとるよう促されたのを断れず、さらに食後には「もう遅いから泊まっていけ」と提案されたのである。
初めからそのつもりで長話につき合わせたのは明らかだったが、彼女に対して文句など言えなかった。
(邪気のない笑顔にしか見えないのに、妙な……拒絶を許さない押しの強さがあるんだよなぁ、あの人……)
案外自分は良識人なのかもしれない――あの夫婦に接しているとうっかりそう思ってしまう瞬間がある。それを口に出せば、もちろんウリカに全力で否定されることだろう。
ともあれそうした事情で仕方なく客室に泊まらせてもらった翌日の朝――つまり今朝がたのことである。
ジークベルトから今日のイベントに誘われたのだ。
一方、赤毛の少年が錬金術師を誘ったのには次のような経緯があった。
ユリウスの進退に関わる今回のイベントには、もともと強い関心があった。ジークベルトとしては当然だろう。しかしウリカが高熱に倒れ、一向に改善を見せない最中では見に行く気にもなれず、半ば諦めていた。
そこに現れたのがウィリアムである。凄腕の錬金術師は鮮やかに薬を作り上げた。
(あれは本当に面白い技術だったなぁ……)
錬金術というものに深く触れた感動は翌日になっても冷めず、いまだ高揚感がつきまとう。
今朝がたになって、ウリカの熱が少しずつ下がり始めていると聞いたときは驚いたが、同時にほっとした。このまま姉が元気に回復すれば、ハイジの心労も軽減されることだろう。
そして安心したジークベルトは、今日のイベントのことを思いだしたのである。
しかしこの時点で、少年には葛藤があった。
錬金術にもう少し触れてみたい――その欲求が抑えきれずにいたからだ。
せめてもうちょっとだけでもウィリアムと話ができないだろうかと思った。
興味が湧いたことはすぐにでも探求したくなる。その悪癖がジークベルトの衝動を抑えがたいものにしていた。しかも本人にはそれを抑えるつもりがない。
ジークベルトは悩んだ末に、じゃあ今日のイベントにウィリアムを誘ってしまおう、と乱暴な結論に至ったのである。
身勝手な申し出であることは承知していたから、ダメ元の誘いだったが、意外にもウィリアムは前向きな返事をくれた。
誘いに応じたウィリアムには二つの理由があった。
噂に聞くベルツ伯爵の武官としての実力に、純粋に興味があった。それがひとつ。
もうひとつは、優秀な助手としてジークベルトを勧誘できないものか――そんな不埒な思惑を抱いていたのである。
実は昨日の夕飯時にそれとなく話を振ってみたのだ。
「興味本位だけで手を出すには、まだ少し抵抗があります」
そう答えた少年は、もしかしたら姉から何か聞いていたのかもしれない。
錬金術への強いこだわりを理由にウリカの弟子入り志願を突っぱねようとした小細工が、まさかこんなところで障害になるとは……。
改めて自分のポンコツ具合にがっかりである。
ともあれ、そんな経緯で奇しくも二人の動機は一致していた。もちろん当人たちには知る由もないことであったが……。