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たかが子爵家  作者: 鈴原みこと
第十三章 近衛騎士の矜持
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Ⅰ.過去のトラウマ②


 ウィリアムは右手に持った薬入りのグラスをゆっくりと揺らす。中の液体が動きに合わせて小さく波を打った。

 薄く色づく赤い液体を砂色の瞳に映して、わずかな逡巡(しゅんじゅん)を見せる。だがそれはほんの一瞬だった。

 どうしたのだろう、と目を瞬かせる子爵令嬢に顔を近づけると、あろうことか彼は、グラスを持っていないほうの手で突如、彼女の鼻をつまんだのである。

「……っ!?」

 驚きのあまり混乱する少女の口にすかさずグラスの中身を流し込む。

 そして言うのだ。

「早く飲み込まないと窒息(ちっそく)するぞ」

 手伝うとはこういうことか!?

 あまりの傍若無人な手法にびっくりである。

 羞恥(しゅうち)と怒りに青ざめながら、ウリカは必死になって口の中の液体を飲み下した。

 それを確認したウィリアムが手を離す。

 だが直後には液体が咽喉(のど)を逆流してくる感覚にぞくりとした。

 やはり駄目なのだ。いくら理屈をこじつけても、反射のように体が反応してしまう。

 ウリカはとっさに両手で口元を押さえようとした。しかしウィリアムがそれを許さず、彼女の手を捕まえる。

 度重(たびかさ)なる理不尽に涙目で錬金術師を睨みつける少女の顔を強引に上向かせると、ウィリアムはそのまま自分の唇を少女のそれに押しつけた。

「……っ!」

 予想もしていなかった行為に驚いたウリカは、反射的に呼吸を止めて硬直する。同時に、逆流しかけていたものが再び咽喉(のど)の奥に下がっていくのを感じた。

 反射には反射で対抗する。単純だが確かに効果はあった。

 それにしたって――とウリカは思うのだ。しかし思考が混乱して、続く言葉はなにひとつ出てこなかった。

 ウィリアムがゆっくりと唇を離す。

 間近に迫った砂色の瞳に、頬を紅潮させた自分の顔が映っている。

 思わぬ口づけから解放された少女は、文句を言うことも忘れて戸惑っていた。

 何が起こったのか、頭の整理が追いつかない。

 口のなかに広がる甘い香りに頭がくらくらする。

 いや、酩酊(めいてい)を感じるのは、本当に甘さのせいなのだろうか……?

 自分は今、どんな顔をしている?

 いや、そうじゃない……目の前の錬金術師は、どんな感情でいま自分を見ているのだろう?

 ぐるぐると浮かんでは消える思考のなかで、少女の視界は(かす)んでいく。ウィリアムの顔がよく見えない。

 (まぶた)が異様に重くて、ウリカは唇を引き結ぶ。

 意識を手放すまいと必死に顔を歪める少女を引き寄せると、ウィリアムはその体を優しく抱きしめた。

「俺の薬はよく効くから、安心して休むといい……おやすみ、ウーリ」

 おやすみ――その優しい囁きに、ウリカの体は脱力した。

 抵抗しなくていい。怖がらなくていい。安心して休んでよいのだ。

 その事実に(なぐさ)められるように、ウリカはゆっくりと目を閉じて眠りへと落ちていく。

 少女の体から力が抜けて、静かな寝息が聞こえてくるのを確認したウィリアムは、彼女を布団の中に戻した。

 薬に混ぜた即効性の睡眠薬が効いてくれたようだ。強張っていた体が弛緩(しかん)し、さきほどよりも幾分か落ち着いた寝息が聞こえてくる。

 ラドウル熱の特効薬が効いてくるまでの時間稼ぎにはなるだろう。

 完治にはまだ数日かかるだろうが、薬を飲めたからには心配いらないはずだ。()()()()()、ウィリアムが薬の調合に失敗したことはないのだから。

 ベッド脇の椅子に力なく座ったウィリアムは、自己嫌悪に(おちい)りながら、少女の寝顔を眺めるでもなく頭を抱えて落ち込んでいた。

 口から深いため息が落ちる。

 他にもっといい方法があったのではないか?

 今さらながらに、なんの役に立つかも分からない内省(ないせい)が胸中を駆けめぐっていた。

 手遅れになる前に助けなくてはとの焦りがあった。兄の二の舞だけは避けたかった。悲劇を繰り返すことへの恐怖があった。

 焦燥に駆られた思考回路ではあれしか方法が思いつかなかったのだが、冷静になって考えれば、取るべき手段が他にたくさんあったようにも思う。

 いや、あの時点で思い浮かんだのは、一時的な対処法ばかりで、心的外傷(トラウマ)の根を完全に絶とうと思えば、方法はやはりあれしか考えつかなかったのだ。

 だとしても……いや、だからこそ、自分のあまりのポンコツぶりにがっかりである。

「失態だ……」

 鬱々(うつうつ)とした独白(どくはく)が虚空に溶けて消える。

 かつて誤った調合で生みだしてしまった失敗作――その薬で引き起こした負債は帳消しにできたかもしれないが、代わりに新たな負い目を生みだしてしまった気がしてならない。

 今後のことを考えると、頭を抱えたくなるのも無理からぬことだろう。

 ウリカの寝顔をちらりと視界に映して、ウィリアムは再度、深く大きなため息を落とすのだった。


  ◇◆◇◆◇


 それは朧気(おぼろげ)な……とても朧気な思い出だった。

「ウ、ウィ……?」

 教えられた名前を、まだ幼い少女は上手く発音できなかった。

 少女の前にいるのは異国から来たという兄弟。二人とも砂色の髪の毛と砂色の瞳で、兄のほうは髪が長く、弟は短い。

 兄のほうが、少女に優しく笑いかける。

「言いづらいなら、ビルでもいいんだよ」

「ビル?」

「そう。僕はそう呼んでる」

 柔和(にゅうわ)な笑顔を浮かべて、その青年は自分の胸に手をあてる。

「僕はパトリック……パットだ」

 と、改めて自己紹介した。

「パット?」

「そう。僕の名前、パット。そしてこっちが弟の――」

 パトリックの視線が隣の少年へと注がれる。その視線を追って、少女の眼差しは砂色の髪の少年へと向けられる。

 幼い少女の(あお)い瞳に見つめられて、少年は微笑んだ。

「僕はウィリアム……兄さんからはビルって呼ばれてる。よろしくね、ウリカちゃん」

 しゃがんで少女に目線を合わせると、ウィリアムと名乗った少年が優しく頭を撫でてくれた。

 少女はなんだか嬉しくなってにこりと笑う。

「あのね、父さまと母さまはウーリって呼ぶの」

「そっか……じゃあ、ウーリ。今度いっしょに遊んでくれるかな?」

 少年の申し出に、小さなウリカは満面の笑みで頷いた。

 パットとビルは少女にとって大切な……とても大切なお友だちだった……。

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