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たかが子爵家  作者: 鈴原みこと
第十二章 天才と呼ばれた錬金術師
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Ⅳ.天才の自覚②


 水差しの中身をとりかえてウリカの部屋に戻ってきたハイジは、部屋の扉に手をかけたところで声をかけられた。

「まったく。仕事熱心なのも考えものね」

 鈴を転がすような女性の声に顔を上げれば、困り顔を浮かべた子爵夫人と目が合った。

 夫人の後ろには、さきほど別れたばかりのジークベルトとマリア、さらに見知らぬ男性の姿が見える。

 ぞろぞろとやってきた彼らに何事か、とハイジは目を瞬かせた。

「母上、とりあえず部屋に入りましょう。姉上の症状を確認してもらうのが最優先ですから」

「……そうね」

 疲れを滲ませた侍女に何か言いたげなクリスティーネ夫人だったが、ジークベルトに促されて、侍女への小言は後回しにし、彼女は部屋の扉を開けた。

 全員でウリカの寝台まで移動して、クリスティーネの許可を得たウィリアムがウリカの病状を確認する。その間に、事情を知らないハイジに、ジークベルトがざっとこれまでのことを説明した。

「やはりラドウル熱のようだ」

 心配した通りだったな、と呟くウィリアムにクリスティーネが緊張した面持ちで訊ねる。

「ラドウル熱というのは、どういった病なの?」

「とある大陸のラドウル地方という所で初めて発病が確認された熱病です。罹患(りかん)した者の四割以上が死亡し、生き残った者もその大半に、ある障害が残りました」

「障害というと?」

「視力を失ってしまうんです」

 後ろで説明を聞いていたハイジの顔がさっと青ざめる。大きなショックを受けた様子で、口元に両手をあてた。

「そんな……お嬢様は大丈夫なのでしょうか?」

 震える声で問えば、錬金術師は感情を見せぬまま淡々と答える。

「顔が青ざめ、額の発疹(ほっしん)がもっとはっきり浮き出るようになると、薬を投与しても障害が残る可能性が高い。そうなる前に薬を飲ませる必要がある」

 説明するウィリアムの袖が後ろからくいっと引っ張られた。

 砂色の視線を移動させると、ジークベルトに抱きあげられているマリア嬢の小さな手が、ウィリアムの左袖を掴んでいた。

「姉さま……死んじゃうの?」

 錬金術師を見上げる緑の瞳が悲しげに潤んでいる。

「姉さま、いなくなっちゃうの?」

 場の緊迫した雰囲気。そばで大きなショックを隠せずにいる侍女。それらに気持ちを引っ張られているらしい。

 幼い少女は泣きそうに表情を歪めつつ、それでもジークベルトとの約束を守って、泣きださないよう我慢している様子だった。

 ぎゅっと小さな手に力が入り、錬金術師の左袖にくしゃりと深い皺が寄る。

 ウィリアムは少女の手を無理に振りほどこうとはしなかった。右手で赤いふわふわの頭髪を撫でる。

「薬はすぐにできる。姉さまは必ず助けるから、大丈夫だ」

 優しく告げると、マリアはきょとんと目を瞬いた。

「姉さま……元気になる?」

「ああ……絶対に元気になる。安心して待っておいで」

 マリア嬢の赤銅色(しゃくどういろ)の頭を優しく撫でるウィリアムの姿を見て、ハイジが不思議そうに首を傾げる。ウリカから聞いていた人物像とはずいぶん違って見えたからだ。

 ただ「薬はすぐにできる」という自信に満ちた言葉には、すごく安心できるものがあった。

厨房(キッチン)を貸してもらえますか? 薬の調合に、火とそれに耐えうる器が必要です」

「手伝いは必要?」

 錬金術師の要求にクリスティーネは質問で応じた。ウィリアムは少し考える素振りを見せてから、ジークベルトに視線を移す。

「簡単な精製だけでも手伝ってもらえると助かるんだが」

 魔術に精通しているなら、最低限の説明でもこなせるだろうと考え、猫の手を借りる思いでそう尋ねた。

 実は鍛冶屋のカール坊やのために薬を作った際、調合のための材料をほとんど使い切ってしまったので、材料作りから始める必要があった。

 時間を考えると一人ではやや厳しいな、と焦りを感じていたのである。

「分かりました」

 赤毛の少年は特に戸惑うこともなく、さらりとした態度で引き受けた。

 ジークベルトは妹を母親に託すと、そのままウィリアムを厨房(キッチン)まで案内する。

「錬金術についてはどの程度まで知っている?」

 厨房(キッチン)に向かいながら、ウィリアムは少年に軽い確認のつもりで質問した。

「錬金術の参考書に目を通したので、基礎程度ならひと通りは」

 ウィリアムは眉を跳ねあげる。以前ウリカが錬金術関連の本が家にはないと口にしていたから、意外に思ったのだ。

「この家には錬金術関連の本がないと聞いていたんだが」

「姉の私物にひとつだけ。貴方に頂いたものだと言っていましたが」

 ジークベルトの返答を聞いて、ああ以前渡したあれか、とウィリアムは合点(がてん)がいった。

 寝不足の錬金術師を気遣って早い時間に帰ると言いだした彼女に、手ぶらで帰すのは忍びない、と謎の罪悪感に駆られてプレゼントした参考書。それがこんな形で役に立つとは思ってもみなかった。

 ウィリアムは思わず苦笑を洩らす。

「その本を読んでみて、どうだった?」

 実際にどれほど理解できているか――それを知りたくて、ウィリアムは試すような問いかけを投げる。

 ウリカに渡した入門書には、ウィリアムなりの考察や説明を書き込んである。魔術への造詣(ぞうけい)が深ければ、あの本を頼りに錬金術を行使できるようになっても不思議ではない。

 とはいえ、実際にはそれほど期待していたわけではなかったのだが――

「とても興味深い技術ですね。簡単な精製をいくつか試してみましたが、魔力干渉で物質そのものが変わるなんて思ってもいなかったので、不思議な感覚でした」

 ジークベルトは事もなげにそんな告白をしたのだった。

「なるほど。優秀な魔術使いというのは本当らしい」

 ウィリアムは嘆息(たんそく)した。

 これなら想定した以上に手間が(はぶ)けそうだと、ひとり胸をなで下ろす。

 この時のウィリアムは、正体の知れない焦燥感で気が急いていた。

 十年前、この病のせいで兄が失ったものは視力だけではなかった。過去の悲劇が(しこ)りとなって、ウィリアムの心に薄い(もや)をかける。

 平静を装いつつも、その胸中は不安に揺れていた。

 それ故に(すが)った猫の手は、ウィリアムの予想を越えて優秀だった。錬金術の基礎ともいえる精製ならば説明せずともこなしてくれるし、応用が必要な調合も、手本を一回見せてやるだけで再現してみせたのである。

 ウィリアムが脱帽するほど、少年の呑み込みは早かった。

(今後も、助手に欲しいな……)

 半ば本気でそう思ったのはここだけの秘密である。

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