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たかが子爵家  作者: 鈴原みこと
第十二章 天才と呼ばれた錬金術師
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Ⅲ.厄介な病②


 貴族街ではユリウスとコンラートの対決イベントが話題となっている。貴族たちは二人の噂話に花を咲かせ盛り上がっていた。

 シルヴァーベルヒ家は当事者のひとりユリウス・フォン・ベルツの親族である。本来ならば噂の渦中にいてもおかしくはないはずだった。

 しかし子爵邸はこの日、世間から切り離されたような静けさで、その屋敷内では沈痛な空気が渦を巻いていた。

 元気がとりえの令嬢が高熱を出して寝込み、そんなときに限って当主が留守にしているのだ。不安げな雰囲気が屋敷を包み込むのも致し方ないことだろう。

「姉上の様子はどう、ハイジ?」

 ウリカの部屋から出た矢先、赤毛の少年に声をかけられる。

 水差しの中身をとりかえようと、厨房に向かうところだった。

 声をかけてきたジークベルトが緑色の瞳で、気遣わしげに侍女の顔を覗き込む。

 ハイジはぎゅっと水差しを持つ手に力を込めた。

「熱の下がる気配が一向になくて……」

 なるべく心配をかけないように――そう気をつけたつもりだったが、意思に反して声が震えてしまった。

 相変わらず余計な気を遣おうとしているな、と悟った少年は、困ったように眉根を寄せて年上の少女を見つめる。

 いつも凛とした自信を(みなぎ)らせているハイジの黒い瞳が、今は不安の色に揺れていた。顔色も悪く、目の下にはうっすらと窪みができ始めている。ロクに休憩もとらずにつきっきりで看病しているのだ。無理もない。

 高熱に苦しむ姉のことはもちろん心配だが、憔悴(しょうすい)したハイジの姿を見ているのも、ジークベルトには耐えがたかった。

 だから言わずにいられなかった。

「ハイジも少し休んだほうがいいよ。姉上の看病は他の人に代わってもらって大丈夫だから」

 この提案は昨日から数えてこれで三回目だ。そして過去二回と同じく、彼女は首を横に振る。

「ウリカ様のことが気になって、休んでなど……」

 ハイジはきゅっと唇を噛む。

「こんなに何日も寝込むなんて、成長されてからは一度もなかったのに……」

 艶をなくした褐色の髪の毛が肩に落ちる。それが微かに震えたと思った瞬間、少女の瞳に涙が浮いた。

「ハイジ……」

 なんと声をかけていいか分からず、ハイジの背を軽くさすってやるのが精一杯だった。

 こんな時、敬愛する従兄なら、もっと気の利いたことも言えるのだろう。自分の未熟さが恨めしく、同時に無力感を覚えて悔しくなる。

「すいません」とハイジが弱々しく声を絞りだす。

「なんだかどんどん不安になってしまって……高熱で辛いはずのウリカ様が笑うんです。大丈夫だから、って笑って私を励まそうとなさって……逆に気を遣わせてしまっている自分が、あまりに情けなくて……」

 涙がつっとハイジの頬を滑っていく。

「それは違うよ、ハイジ」

 弱音となってこぼれ落ちた自責の言葉を、ジークベルトはとっさに否定していた。

「ハイジがそばにいてくれるから、姉上も安心して笑えるんだ。だから姉上が眠ったら、ハイジも少し休んで。そうして元気な笑顔を見せてあげたほうが、姉上もきっと喜ぶから」

 気休めではなく、これは本音だ。

 ハイジにとってウリカが大切な存在であるのと同じように、ウリカにとってもハイジは唯一無二の親友だ。ジークベルトはそれをよく知っている。

 本心からの言葉だったのが良かったのか、ハイジはようやく少しだけ笑った。

「はい。そうですね……ありがとうございます、ジーク様」

 無意識にジークベルトの手がハイジの頬へと伸びる。しかし涙を拭おうとした指の動きは、その寸前でぴたりと止まった。

 思わぬ横やりが入ったからである。

 不意にハイジのスカートがくいっと引っ張られた。二人がそろって目線を落とすと、スカートの裾を小さな手で握りしめる赤毛の少女が、あどけない緑の瞳で二人を見上げていた。シルヴァーベルヒ家の末っ子マリアである。

 ウリカが家にいるとそのそばをついて歩くことが多いマリアは、ウリカの侍女であるハイジにもよく(なつ)いていた。こうしてスカートの裾を掴むときは、構ってほしいという合図である。

 少し困ったように眉根を寄せるハイジに代わって、ジークベルトが妹に声をかけた。

「マリア。ハイジは姉上の看病で忙しいから、あまり邪魔をしてはいけないよ。退屈なら、僕と一緒にお部屋で遊ぼうか?」

「ウーリ姉さま、まだ起きないの?」

 兄を見上げて、幼い少女はかくんと首を傾ける。

「姉上はまだ熱が下がらないから、ゆっくり休ませてあげないと。マリアも姉上に早く元気になってもらいたいだろう?」

 柔らかい口調でやんわり説明すると、マリアは素直にこくりと頷いた。妹のふんわりとした赤毛をやさしく撫でる。

「いい子だ」

 ジークベルトが妹を抱きあげると、マリアは小さな手をハイジに向けて振った。

「またね、ハイジ」

「はい。ウリカ様が元気になられましたら、またご一緒に遊びましょう、マリアお嬢様」

 マリアの無邪気さに癒されたのか、ハイジは多少なりと元気をとり戻した様子だった。ちょっとだけ安心して、ジークベルトは妹の部屋へと向かうことにした。

 その途中のことである。

 廊下で執事のモーリッツとすれ違った直後、ひとりの召使い(フットマン)が駆け寄ってきた。彼はモーリッツに声をかけると何やら耳打ちする。

 いつも落ち着き払っている執事は、ひとつ頷いたあとに、珍しく小走りで一階へと向かった。

 その様子が少し気になったジークベルトは、妹を抱えたままそのあとを追うことにしたのである。

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