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たかが子爵家  作者: 鈴原みこと
第十二章 天才と呼ばれた錬金術師
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Ⅲ.厄介な病①


 アルフレート皇子の希望によって企画されたというイベント――その開催が大々的に発表されたこの日。一部の貴族たちが盛り上がりを見せるなか、宮中の事柄から縁遠い市井(しせい)では、表面上いつも通りの日常が送られていた。

 昼を少し過ぎた頃、ウィリアム邸の工房(アトリエ)では、家主である錬金術師が一人で調合作業を行っていた。

 毎日のように顔を出していた子爵令嬢の訪問が途絶えて、今日で三日になる。

(やはり風邪を引いたか……)

 湖に落ちた上に雨に降られたのだから無理もない。そう思って、訪ねてこないこと自体はそれほど気にしていなかったのだが、なにかと賑やかだった少女の姿がない部屋は、妙に静かで寂しく感じられた。

 たかだか十日あまりのことだというのに、あの子はずいぶんとこの空間に溶け込んでいたらしい。

 それを痛感しながら、あの日彼女が持ってきた湖上花を眺めているところに、来訪者を告げる鈴の音が聞こえてきた。

 久しぶりにウリカが訪ねてきたのかとも思ったが、家に入ってくる気配がない。さらにしびれを切らせるように鈴の音が再度鳴り響く。

 首を捻りつつ玄関に向かうと、そこにいたのは街医者のレフォルトだった。まだ三十七歳と若いながらも腕利きで知られる彼は、ウィリアムから見ても博識で好感の持てる人物である。

 穏やかで落ち着いた印象のあるレフォルト医師だが、この日は何だか様子が違っていた。

「そのように血相を変えて、どうされたのですか?」

 いつもきちんと整えられている群青色(ぐんじょういろ)の頭髪は乱れ、知的な(あお)い瞳は焦りの色に陰っている。

「緊急事態なんです。鍛冶屋のカール坊やが高熱を出して寝込んでいるのですが、症状を見る限り、ラドウル熱に侵されている可能性があって……」

「ラドウル熱……」

 レフォルト医師の説明に、ウィリアムは目を見開く。

 それはとある地方で流行った熱病だった。村ひとつを滅ぼしたとも記録される凶悪な病で、発病の原因はいまだに解明されていない。

 病が最初に発生した地域の名からラドウル熱という名称がついた。

「錬金術にラドウル熱の特効薬を作る技術があると聞きますが、ウィル先生はご存じありませんか?」

「知っています。ラドウル熱は薬の投与が遅くなると障害が残る厄介な病です。急いで薬を調合しますので、少し待っていてもらえますか?」

「助かります。あの病は医者の手には負えませんからな」

 自分の無力を(なげ)くように、レフォルト医師が気落ちした様子を見せる。

 しかし症状を診ただけでラドウル熱の可能性に思い至るだけでも大した知識量だ、とウィリアムは感心する。この国ではあまり知られていない病だからだ。

 レフォルト医師を待たせて手早く調合を済ませたウィリアムは、重病に苦しむカールのもとへと急いだ。

 鍛冶屋に到着して高熱にうなされる少年の病状を確認すると、確かにラドウル熱のようだった。高い熱の割には顔色が白く、額にポツポツとした発疹(ほっしん)が見られる。呼吸は浅いが汗をそれほど掻いていない。

 十年前のことになるが、ウィリアムはこれと同じ症状を見たことがある。兄が同じ病に(かか)ったことがあるのだ。その時は薬の投与が間に合わず、障害が残った。

「この子は大丈夫なんでしょうか?」

 カール坊やの母親が不安げな表情を浮かべている。

「発疹がまだ広がりきっていないし、顔色にもそれほど大きな変化はない。これなら障害が残る心配もないかと思います。薬が間にあって良かった」

 少年の両親を安心させるように笑ったあと、この段階でラドウル熱の可能性に気づいたレフォルト医師のおかげだろう、とつけ加えることを忘れない。

 カールの両親がレフォルト医師にしきりと礼を述べるなか、ふと視線を移動させたウィリアムは思わぬ物を目にとめて、砂色の双眸(そうぼう)を見開いた。

 それは、適当なコップに飾られながらも凛とした佇まいで輝いていた。

 六つの花弁をもつ青い一輪花。レフォルト医師の来訪時にウィリアムが眺めていた花と同じもの――湖上花である。

「あの花は?」

「ああ……あれは、先日ウリカ様がくださったものらしいんですけど」

「では、この子が彼女に花の咲く場所を教えた?」

「ええ、そうらしいです。一緒に湖に落ちてしまったウリカ様は大丈夫かしら……?」

 夫人の心配そうな呟きが耳朶(じだ)を打つ。何かが引っかかってウィリアムは考え込んだ。

 湖上花の咲く湖……。

 降りだした雨……。

 直後に発症したラドウル熱……。

 そこまで考えてはっとする。

 昔、兄と共同で作成した研究ノートが脳裏に蘇る。

 湖の特殊な水質と純正魔力を含んだ雨水の融合によって起こる化学変化についての検証――確かそんな内容だった。結論を出す前に兄が死んでしまい、頓挫(とんざ)したまま放置していた研究……。

 ウィリアムは歯噛みした。もっと早くに思いだすべきだった。

 兄の死に繋がる事柄は自分の理性を奪うから、あまり考えないようにしていた。そのせいで思い至るのが遅れてしまった。

(研究者としては失格だな……)

 自分の迂闊(うかつ)さに胸中で舌打ちする。

「とりあえず、熱が下がるまで食事は控えて、水分だけ与えてください。急用ができたので、これで失礼します」

 あとのことはレフォルト医師に任せて、ウィリアムはシルヴァーベルヒ邸へと急いだ。

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