Ⅰ.過剰な息子自慢①
アルフレートは自室に備え付けられた椅子に座って考えを巡らせていた。
フィリーネ皇妃に会いに行った翌日。その朝のことである。
第三皇女ツェツィーリエことジルケの件も含めて、今後の動き方をどうすべきか思考をまとめている最中だった。
コンコン、と自室の扉が叩かれて視線を上げる。二の鐘が鳴ってから十分ほどが経過していた。
時間的には少し早いがユリウスが来たのだろう。そう思ったのは、昨日の朝も来訪が早かったからだ。
アルフレートのことが心配らしく、あの日以降やたらと過保護な言動が目につく騎士である。それがくすぐったくも嬉しく感じる皇子は、無意識に口元を緩めていた。
だからこの時も、軽い気持ちで扉を開けてしまったのである。
しかし開けた扉の先でアルフレートを待っていたのは、豪奢なドレスに身を包んだひとりの女性だった。アルフレートの母親にして皇后のカザリンである。
彼女は息子の顔を見るなり、にこやかな笑みを浮かべた。
「おはよう、アルフレート」
「……おはようございます、母上」
上機嫌で挨拶する母親に険しい表情で返すと、アルフレートは部屋の外に出て扉を閉めた。
彼女を中に入れたくない。その思いが如実に表れた行動だったが、カザリンは息子の心情に無頓着だった。
「最近は忙しくしているのですね。なかなかわたくしの元に会いに来られないようですから、心配で様子を見にきたのですよ」
皇后が吐きだした恩着せがましい言葉にアルフレートは険を深める。
忙しいから会いに行けないわけではない。顔を見たくないから会いに行かないだけだ。そう言ってやりたい気もするが、言ったところで都合よく曲解するだけだろう。
「毎日仕事熱心で素晴らしいことです。貴方が皇帝として立派に玉座を治める日が近づいていることを嬉しく思いますよ」
アルフレートが眉をひそめる。
「滅多なことを仰らないでください。父上は病によって一時的に体調を崩されているだけです。じきに玉座にお戻りになられるでしょう。第一、まだ皇太子擁立もされておらず、私が次の皇帝になるとも言い切れないのですよ」
感情と声を押し殺して忠告すると、皇后は落胆のため息を落とした。
「残念なことです。貴方が国政を預かってこそ、この国はさらなる繁栄を望めるというのに」
なおも不穏な発言を続けるカザリンの姿に、胸中で深い苛立ちが刻まれる。
これだから迂闊に側仕えを置いておけないのだ。
こうした、自分との対話のなかで生みだされる皇后の軽々しい発言が使用人の口伝えで流布されるのは、アルフレートとしても都合が悪い。共謀とみなされたら困るどころでは済まないのだ。
今は彼女が誰も伴っていないことが幸いではあった。
しかし皇子が抱く不満はそれだけに留まらない。
病に苦しむ夫を支えようともせず、毎日着飾って息子自慢に夢中になっている母親。そんな姿に侮蔑の感情が膨れ上がり、皇子の顔には渋面が刻まれた。
たまたま公爵家の長女に生まれ、父親の手腕によって運良く皇后の座を手にしただけの女。我ばかりが強い無能で無責任な女――アルフレートが実の母親に対して下した評価がそれである。
「いかに母上といえど、口が過ぎれば不敬と取られることも御座いましょう。ご自重ください」
洩れ出そうになるため息を何とか噛み殺し、再度諫めようと試みる。
しかし懲りる様子を見せない皇后は鼻で笑うだけだった。
「誰が皇后のわたくしを罰するというのですか?」
カザリンは高笑いを響かせて、息子の神経を逆なでする。
「貴方はもっとわがままを言って良いのですよ。わたくしはいつでも貴方の味方なのですから。もっとこの母に甘えてみせなさい」
愉悦の表情で息子の顔をひと撫でする。アルフレートは何か別の生き物でも見るように母親を凝視した。
それでもやはり、彼女は我が子の心情に気づかないまま、踵を返して立ち去っていったのである。
(あれが、国の母たる皇后の姿とは……)
情けなさと憤り、そこに怒りの成分も加わって、アルフレートは歯噛みする。
深いため息を落とし、重い気分をひきずったまま部屋の中に戻ろうとしたとき、背後から声をかけられた。
「この時刻にご自分から外に出られるとは珍しいですね」
聞き慣れた声に振り返ると、暗緑色の髪と琥珀色の瞳をもつ青年の姿が視界に映る。
アルフレートが最も信頼する騎士がそこにいた。
「ユリウス・フォン・ベルツ。殿下のお迎えに上がりました」
形式通りの挨拶をする近衛騎士に、皇子は反射で応じた。
「遅い!」
定刻よりも早く到着したはずの騎士を理不尽にも怒鳴りつけるが、当のユリウスは動じることなく、ただ首を傾げた。
「何かございましたか?」
「お前が早く来ないから、会いたくない人物に会ってしまった」
先にユリウスが到着していれば不用意に扉を開けなかったものを、とアルフレートはいきり立つ。
完全な八つ当たりではあったが、過保護な騎士から返ってきたのは同情的な視線だった。
「皇后陛下がおいでになられたのですね」
ユリウスの判断は早かった。というのも、後宮内においてアルフレートが徹底して嫌っている人物は一人しかいないからだ。
ユリウスが予定の時間より早く出仕するようになって今日で二日目。間が悪いとしか言いようがない。
つくづくあの女とは相性が悪いな、と諦観の思いを抱きながら、アルフレートはユリウスを伴って自室へと引き上げた。