Ⅳ.外出の条件②
「一位殿下のお考えは理解致しました。深いお考えに感銘を受け、またその広いお心に感謝申し上げます」
礼を言うフィリーネ皇妃からは、アルフレートに対する警戒心が消えたように思う。
しかし彼女は直後に表情を曇らせた。
「わたくしとしても、ツェツィーリエの意思を尊重したい気持ちはあります。ですが、この子が人目につく行動をとることが、とても不安なのです」
「不安というと?」
アルフレートの問いに、皇妃は言葉を詰まらせる。何かを躊躇っているようだった。彼女は膝の上に置いた両手をきつく握りしめる。
急かすようなことはせずに、アルフレートはじっと返答を待った。
部屋に静寂が落ちる。
何分間そうしていただろうか。いや、もしかしたらわずか数秒に過ぎなかったかもしれない。
フィリーネ皇妃には無限にも感じられる重い沈黙が続いた。
手にじっとりと嫌な汗が滲んでくる。彼女は一度ぎゅっと目を閉じて、震える唇から浅い呼吸を吐きだす。
「こ……皇后陛下の……」
弱々しく声を絞りだす皇妃の肩は、わずかに震えていた。後ろに立つ近衛騎士が心配そうに見守るが、妃の体に気安く触れるわけにもいかず、もどかしそうだった。
アルフレートは無理に続きを促すことはせず、ただ静かに待ち続ける。
フィリーネ皇妃は一度深呼吸してから、意を決して言葉を吐きだした。
「皇后陛下の関心を引いてしまうことが、恐ろしいのです」
一瞬で場の空気が張り詰めた。
皇后の関心を引く――つまり派手な行動で目をつけられることを、彼女は恐れている。
皇后カザリンは、他の皇族をとかく敵視している。下手に目立って彼女の不興を買えば厄介な問題に発展することは明らかだった。フィリーネ皇妃はそれを避けたいのだろう。
言いだしづらかったのは当然だ。皇后批判ともとれる発言を、皇后の息子であるアルフレートを前に口にするなど、それ自体が恐ろしい行為に違いない。
それでも、誠意を見せた皇子に不誠実な態度は返せない、と勇気を振り絞ったのだろう。それにどれ程の胆力が必要か、かつて皇后の庇護下にいた皇子はよく知っていた。
またか――とアルフレートは心中で歯噛みする。
(あの人の存在は、いつも俺の邪魔をする……)
何より憤ろしいのは、あれが自分の実の母親であるという事実だ。
アルフレートは深い吐息で気持ちを落ち着ける必要があった。
「皇妃殿下のお気持ちは分かりました。事情が事情ですから、私もこれ以上の無理を申しあげることには抵抗があります」
なるべく感情が表に出ないよう努めながら言葉を返す。
とりあえず今回は皇妃の本音を引き出せただけで満足するしかないだろう。そう思いつつソファーから立ち上がる。
「お時間を頂きありがとうございました」
アルフレートが謝辞とともに頭を下げる。
「いえ、わたくしのほうこそ、殿下のお心遣いにお応えすることができず、申し訳ありませんでした」
皇妃も立ち上がって謝罪するが、アルフレートはそれを受け入れるつもりはなかった。
「ひとつだけ申し上げておきます皇妃殿下」
アルフレートはほんの少し意地の悪い笑みを浮かべる。
「私は諦めが良くないのです」
その発言に意表をつかれて驚く皇妃にくすりといたずらっ子のような笑顔を見せたあと、異母妹へと視線を移す。
「ツェツィーリエ。母君を困らせることのないよう、しばらくは自室に引きこもって大人しくしていることだ」
言ってにやりと笑うと、すぐにその真意を察したジルケが嬉しそうに立ち上がって頭を下げた。
「殿下のお言葉に従います。ご忠言に感謝申し上げます」
聡い皇女の返答に満足して、アルフレートは皇妃の部屋をあとにした。
「何か、悪巧みをお考えですか?」
執務室に戻ると同時に、ユリウスからそんな質問が飛んできた。
「そう見えるか?」
「そのようにしか見えません」
アルフレートは人の悪い笑みを浮かべる。
「今回の交渉。成功とはいかなかったが、収穫はあった。要は、皇女として目立たなければいいわけだ」
悪巧みを楽しげに口にしてから、アルフレートはユリウスに問いかける。
「ツェツィーリエと一緒にいたというお前の従妹に会えるか?」
「お望みであれば、本人に話を通しておきますが」
「……理由を知らせずに呼び出せるだろうか?」
「それは少し難しいと思いますが……皇女殿下に関するものだと伝えれば、興味は示すかと」
「反応次第といったところか……ひとまずそれで構わないから声をかけておいてくれ」
アルフレートの指示に頷きつつも、理由も告げずに呼び出して、この人はウリカに何をさせるつもりなのだろうか、と思わずにはいられないユリウスだった。
【第十一章 湖上に咲く花】終了です。
書いてて楽しいカミルが現在軸で再登場です。
ちゃっかりアルフレートの近衛騎士になってましたね~。
そして湖上花とかいう意味ありげなお花の話題が(’-’*)