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たかが子爵家  作者: 鈴原みこと
第十一章 湖上に咲く花
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Ⅱ.神秘の青花③


「雨に降られただけにしては濡れすぎているな」

 ウィリアム邸に戻ったウリカを、その一言が出迎えた。

 素朴な疑問を口にしたウィリアムは、直後にはっとした表情を見せる。その視線は、少女の手元へと(そそ)がれていた。

「その花……」

「湖上花って、この花で間違いありませんか?」

 ウィリアムの反応を見て、確信を深めながら尋ねるウリカは、嬉しそうに微笑んだ。

「これをどこで?」

「咲いている場所を見つけたという子に案内してもらったんです。子供の目線だからこそ辿り着ける場所にありましたよ。場所を覚えてきたので、いつでも()りに行けます」

 無邪気に笑うウリカを前に、ウィリアムは遠い過去の記憶を脳内再生(フラッシュバック)させる。

(変わらないな……この子は……)

 嬉しいのか悲しいのか分からない感情が胸中で渦を巻いた。

 無意識に伸ばした手が、少女の頬に触れる。

「ウィリアムさん……?」

 ウリカが不思議そうに顔を上げた。

「今日はもう帰りなさい。そのままでは風邪を引いてしまう」

 少女に感情を読まれないよう視線を伏せて、ウィリアムは静かに告げる。

「……はい、そうします」

 ウリカは素直に頷いた。実際、こんなずぶ濡れの状態で居座ることはできない。

 注文してきた物の報告を簡単に済ませて湖上花を渡し、挨拶をしてからウィリアム邸を出たウリカは、馬を走らせながら、正体の知れない寂しさに胸を締め付けられていた。

 一人になって、研究に戻ろうとしたウィリアムは、寂しげな笑顔を残して帰っていった少女の顔がちらつき、調合作業に集中できずにいた。

「くそっ……」

 小さく呟いて作業台の上にだらしなく上体を(かたむ)ける。

 白い作業台の無機質な感触を頬で受けとめながら、今さらのように沸き上がる葛藤に鬱々(うつうつ)とした自問を投げかけていた。

 この国に戻ってきた時……いや、()()()()()()()()()()()、自分にはもう失うものなどないと思っていた。

 そのはずなのに、心は揺れる。

 脳裏で、かつて兄から言われた言葉が反響していた。


 ――いいかい、ウィリアム。たとえ恨みは忘れても、受けた恩は決して忘れてはいけないよ。


 誰よりも尊敬している兄だった。それだけに、今はこの言葉が耳に痛い。

 他に当てがなかったとはいえ、ステファンを頼ったのは間違いだっただろうか……。今さらながらにそんなことを思う。

 切り捨てたつもりの過去に、本当は誰よりも縛られているのは自分かもしれない。

 あてどない思考の海で、ついには考えることすら放棄して、ウィリアムは工房(アトリエ)を出た。

 思考に埋没することも、調合作業に没頭することも、本来は大好きなはずの行為が今は何よりも辛い。

 客間(サロン)に移動してソファーに横たわると、そのまま目を閉じる。そうすると今度は脳内に別の声が響いた。

『そんな所で寝ていたら風邪を引きますよ』

『こんな常春(とこはる)の気候で簡単に風邪を引くなら、もっと薬が売れて結構じゃないか』

『それ、屁理屈にもなっていないですよ。どれだけ薬を売ったとしても、(もう)け自体は出ていないんですから……』

『りくつ屋は嫌われるぞ』

『なら、へりくつ屋はもっと嫌われますね』

 いつだったかにウリカと交わした会話が脳内を駆けめぐる。あの時は、呆れた子爵令嬢の声を聞きながら、思わず笑ってしまったことを思いだした。

 くすりとウィリアムの口から吐息がもれる。

 今日までのことを思い返しながら、もういい加減、無駄な抵抗は諦めるべきかもしれない、と思い始めていた。

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