5-1 一つ目小僧との逢瀬
次の日、ワダチの二日酔いの頭に、裏口の戸を叩く音が響いた。
「……ホタルさん、出てもらっていいですか?」
ワダチは左手で自分の二日酔いの頭を、右手でチャコの首根っこを掴みながらホタルに言う。
「いいんですか?」
「裏口から来るのは島の関係者しかいないのでいいです。
それに今来たのは、灯台で仕事をしてるヒロシですよ。」
「分かりました」
そう言ってホタルは急ぎ足で裏口に向かった。
「神様、なんにゃ。みゃ~は起きないぞ」
「ちょっと面白いものが見れますよ」
「にゃ?」
チャコの眠そうだった目がぱちりと開いた。
「裏口に行きましょう。
ホタルさんとヒロシに気が付かれないようにこっそりと」
ワダチの言葉になにか起こると感じたのか、チャコは手で顔を洗ってから、忍び足でワダチと裏口に足を向けた。
「ヒロシさん、おはようございます」
「お、おはようございます」
玄関ではホタルとヒロシが挨拶を交わしていた。
ホタルはいつもどおりなのだが、ヒロシの声は少し震えており、肩も力が入って不自然に上がっている。
そしてうつむき黙り込んでしまう。
ホタルは首を傾げ、ヒロシの言葉を待つ。
(ヒロシのやつ、まじで背広で来たのかよ)
チャコだけに聞こえるようワダチはつぶやく。
昨日の夜、あれからヒロシとミーコで作戦会議のような会話が行われていた。
ヒロシがこうしたいああしたいと力を入れて提案するのを、ミーコは面白がって褒めたり採用したり、手伝いを約束していた。
その会話に付き合っていた結果が今もワダチの頭を叩く二日酔いだ。
(あんな格好でヒロシはなにしに来たにゃ?)
(逢引? 逢瀬のお誘いとか昨日言ってました)
(にゃにゃ!?
ワダチどうしてそんな面白い話を、昨日の段階で聞かせないにゃ!?)
(神様に話したらホタルさんに喋ってしまいそうだったので
――ほら、気になるなら黙って見ててください)
ワダチがそう促すと丁度ホタルから、
「ああ、ワダチさんに御用ですか? 今お呼びしますので――」
「ぼ、ぼくはホタルさんに御用があって来ました!」
ヒロシが緊張のあまり思わず出てしまった大きな声に、ホタルは呼び止められる。
(なんにゃなんにゃ、この面白い展開は!)
チャコは夢見る少女か、新しいおもちゃを貰った座敷わらしのコノミのような、輝くような目でその様子を見ていた。
(そう思うんだったら黙って見ててくださいよ)
(分かったにゃ)
あまりのチャコの聞き分けの良さに、ワダチは
(――普段からこれくらい言うことを聞いてくれれば楽なんだが)
と口に出さずに思い、再度ホタルとヒロシに視線を向ける。
「きょ、今日はご予定ありますかっ?」
「えっと、まだ決めてないですね」
ホタルの回答を聞いてヒロシは、拳を強く握り、
「よければ、ぼ、ぼくと島を一緒に回りませんか!」
大きな声で言った。
ホタルは少し戸惑い、一歩後ずさりし、胸の前で両手を握る。
「えっと、今日も仕事探しを手伝ってくれるかもしれないので、ワダチさんに確認しに行っていいですか?」
「はい! 大丈夫です」
(神様、居間に戻りますよ)
(にゃ!)
「あのワダチさん? 今日は仕事の紹介とかあります?」
ホタルがひょっとふすまから顔を出してワダチたちに聞く。
ワダチもチャコも、ずっと居間にいましたよと言わんばかりの格好や表情を作って、ホタルの方を向く。
チャコの顔が笑いをこらえてるように引きつっているのをちらっとワダチは見てから、
「そうですねぇ~」
「ないにゃ!」
チャコが答えきれなくなったのか笑顔ではっきりとホタルの質問に答えた。
「なんで神様が答えたんですか?」
「みゃ~だって分かるにゃ!
今日はホタルに紹介できる仕事がにゃいから、行ってくるといいにゃ」
妙に早口に、さっさとヒロシの誘いを受けろと言わんばかりに、チャコは言葉でホタルの背中をグイグイと押した。
「はい……」
ホタルは首を傾げて不思議そうな顔をしてから、
「ですがわたしヒロシさんとお出かけするって話しましたっけ?」
「にゃ!?」
(神様、嘘下手くそすぎ)
そう思いながらワダチは、あからさまに自分に視線が向くよう大きなため息をついた。
「ちょっと声が聞こえてたんですよ。
声と目のでかいヒロシが来てるんでしょう?
いいですよ。行ってきてください」
ワダチもチャコの失態を大き隠すように言う。
同時にあまりにもマヌケなヒロシを馬鹿にしてみた。
「島を知るいい機会だにゃ!
もしかしたらなにか他にやりたいことが見つかるかもしれないにゃ」
さらにダメ押しと言わんばかりにチャコが言う。
ワダチは『心にもないことを言ったな』とチャコを一瞥。
「他にやりたいことですか」
だがホタルの反応を見ると、意外と良いことを言ってるかもしれないと感じた。
ワダチから見て、ホタルの視界は今かなり狭くなっている。
瘴気や厄を受けているというのもあるが、それ以上にひとつの仕事に集中しすぎて他のものを見ていなかったように思える。
それならば、自分たちが島を紹介するよりも、ヒロシが紹介したほうがなにかを見つけるかもしれない。
たまには遊ぶのもいい。
もちろんチャコのように遊んでばかりは困るが。
ワダチは表情を穏やかにして、
「そうです。
いくつか紹介してきましたが、新しくやりたいことをするために、島に来たひともたくさんいます。
ほら、ジャックとか」
「そうなんですね」
島で別の世界の酒や飲み物を出す店がだしたいという妙なことを思って、店を開いたのがジャックだ。店の外見も自身のあだ名も別の世界のものを参考にしているあたり徹底している。
「にゃ、にゃからヒロシと島巡りしてくるのも面白と思うにゃ」
「面白いですか」
「そ、そうにゃ」
ワダチは仕方なくチャコの言葉に続けて、
「仕事は人生の多くを賭けてするものですからね。
楽しみがないとやっていけないかもしれませんよ」
らしいことを言ってみせた。
するとホタルは納得したように笑い、
「分かりました。では行ってきますね」
「うぬ!」
「危なかったかもしれないにゃ……」
ホタルが玄関に戻っていくのを見送ってから、チャコはヘタれるように脱力して倒れ込んだ。
「神様は思ったことを口に出しすぎです。
神様なんですから、もうちょっと考えて話してください」
「そんなことしたら面白くないにゃ!
正直に生きないでどうするにゃ!?」
「まあ、そうですが」
その言葉については否定できない。
ホタルもそうだが、自分もそうして生きてこなかった時期はとてもつらかった。
正直にやりたいことをする。
これを教えてくれたのはワダチの大切な神様だ。
「にゃけろ、ヒロシ大丈夫かにゃ」
「まあ不安要素は多そうですが、なにを気にしてます?」
「知らないのか?
イロ島で逢瀬や逢引があると、その連れは破局するって言われてるんだにゃ」
「なんでです?
そんな妖術の類は聞いたことないですが」
ワダチが島に暮らしだして数年、初めて聞く話にワダチは目を細めながらチャコに詳細を聞く。
それが本当ならば、島と本州を渡る橋は修羅場のような光景になってるだろうが、そんなことはない。
「先々代の猫神が嫉妬して別れるように喧嘩を煽ったり、熱が冷めるように動いたそうにゃ。
今でもその思念が残っているという噂にゃ」
「なんで島を収める神様が変な噂を信じてるんですか……」
そういう話題は観光客がするもので、島の象徴であり、島を管理するものであり、島を守るものである猫神がする話ではない。
ワダチはため息をどっぷり混ぜ込んだ口調で、呆れた。
「ワダチはこういうの信じないにゃ?」
逆にチャコは信じていないワダチが不思議なようで首を傾げた。
「信じません」
「つまらんにゃ」
きっぱり答えを投げたワダチに、チャコもそう言葉を投げ返した。
「さて、今日はホタルさんの仕事探しに港に行ってみますか」
信憑性のない噂はどうでもよく、自分たちも仕事をしなければならない。そうつぶやきながら、朝食を作るために前掛けをする。
「なに言ってるにゃ。
今日はホタルたちの後をつけるにゃ」
「神様こそ、なにを言ってるんですか?」
「ワダチは面白そうだと思わないのかにゃ?」
「ひとの逢引のあとをつけるなんて悪趣味です」
「先日のヒロシの様子が面白いと思わなかったにゃ?」
「見てて愉快でしたが」
「だったら見に行くにゃ!」
「はいはい、分かりましたからあまり大きな声を出さないでください」
ワダチはチャコの声が響く二日酔いの頭を抱えた。




