第四章「天使創造計画」 5
「ふふ、ふははははは! 天使! そう、それは私が長年追い求め続けた崇高なる存在。それが今まさにこうして現実世界で会い見えようとは、これぞ神の祝福、感激の至りと言えよう。さぁ、もっともっと……その崇高かつ革命的な天術の力を私に見せてみろ!」
毛先だけが少し焦げたように黒い妙な白髪が特徴的な白衣を纏った無精髭の男――――霧雨奏夜は顔を狂気的に歪め、血走った眼をリンネに向けながら容赦のない攻撃を繰り出す。
リンネも防御や回避をしながら幾度となく攻撃を仕掛けるが、奏夜が両爪で虚空を裂くことによって生み出される数多な霧の刃がリンネの投擲する式札を無惨にも切り裂いていった。
奏夜の霧の刃が放たれるまでの動作は単純であるが故に手数も多く、どうしても捌き切れなかったり、避けきれない部分が出てきてしまう。
そのため、リンネの腕や足には幾度か攻撃を受けた際の切り傷などの痕跡が多く見受けられた。
アルデュイナ魔術学院に入学してまだ初日だと言うのに、新品だったはずの制服も自身の血で滲み、ところどころに切れ目などが目立って無惨にも裂けてしまっている。
防戦一方の状況にリンネの息は乱れ始め、次第に防げる手数も少なくなっていく。
「おいおい、どうしたどうした! 天使様とも在ろう者がまさかこの程度で根を上げてんじゃないだろうな? もっと俺を楽しませてみろっ!」
奏夜は勢いづいた調子で連撃の速度を更に加速させて一気に畳み掛ける。
「くっ……このままじゃ……」
自分の体躯より一回り大きな式札を展開して奏夜の猛攻撃を必死に食い止めるリンネ。
しかし、物凄い破壊力を帯びた霧の刃は容赦なく巨大な式札を削り取るように進行してきていた。
この防御策もそう長くは持たないだろう……。
力に押し負けそうになったリンネが『もう、ダメ……』と、そっと目を瞑り、諦めかけた――――次の瞬間、
「焔刀滅ノ相! 薙ぎ払え、《焔ヶ一閃》!」
奏夜とリンネの間合いを引き裂くようにして、どこからともなく焔の一閃が放たれる。
奏夜は気配を素早く察知すると、回避のため咄嗟に地面を強く蹴って一時後退する。
リンネが真横に視線を移すと、そこには刀剣覚醒した状態の《紅焔精霊・アグニ》つまりは《焔刀ヒノカグツチ》を居合の姿勢から横に薙いだ時雨の姿があった。
「……!? 時雨!」
「悪いなリンネ、随分と待たせた」
時雨は熱を帯びた刀身から舞い散る火の粉を振り払うと、急いでリンネの側まで駆け寄る。
リンネの様子を窺う限り致命傷らしき外傷は見当たらないが、制服のそこかしこが無惨にも切り裂かれた状態にあり、そこから覗く透き通るような白い肌には微かに血が滲んでいる。
核力の消費が激しいのもあってか息も相当上がっている様子で、その表情には戦闘による疲労がひどく感じられた。
「リンネは少し休んでいてくれ。後のことは俺に任せろ」
時雨はリンネの肩に優しく触れながらそう言うと、リンネをそっとその場に座らせる。
すると、リンネは後ろめたそうに時雨から視線を逸らして、歯切れ悪そうにゆっくりと口を開いた。
「時雨……ごめんね」
「何言ってるんだよ。別にリンネが謝ることなんて一つもないだろ。こんなにボロボロになって……俺の方こそ、側に居てやれなくて、ごめんな」
「っ!?……そんな、こと……!」
「……リンネ?」
時雨が謝ろうとすると、リンネは血相を欠いたように顔色を変えて大声を上げる。
怯えたように手足が微かに震え、悲痛な叫びのようにも聞こえたその声に時雨は目を見開いて驚いた。
今日一日、学院の施設や魔術街を案内して回り、行動を共にする中で様々な表情を見せてくれたリンネであったが、今こちらをじっと見詰めている彼女の表情は――――どういう訳かとても辛そうに見えた。
それはおそらく、敵によって負傷した腕や足が痛むからだとか、目に塵が入ったからだとか、そういう単純な理由では断じて違うのだろう。
まるで、心の奥底でずっと抑えていた感情が何かの拍子に一気に溢れてしまったかのような――――そんな想像もつかない複雑な心境がリンネの表情から窺える気がした。
リンネの揺らいだ瞳に時雨の心がひどくざわつく。
(……なんだろう、この胸騒ぎは……リンネの辛そうな姿を見ていると、何かが脳裏を過ぎるような……?)
背中から伸びる二対の美しい白い翼を持った少女。
表情をはっきりと窺い知ることはできないが、その少女の瞳には大粒の涙が滲んでいた。
涙を流しながらも、懸命に笑顔を浮かべようとするその少女は自分に何かを呟くように語り掛けている。
しかし、その少女の声はひどい雑音に紛れるように掻き消され、上手く聞き取ることができない。
やがて、少女は悲し気な笑みを浮かべながら、白い光の中へと呑み込まれていく。
彼女を引き留めようと手を伸ばしてみても、蜃気楼のようにただ霞んでゆくだけで、その手は虚空を掠めるだけだった。
脳裏を過ぎるその光景に時雨は妙な不安感と焦燥感を覚えると、途端に動機が勢いを増して早くなっていく。
なぜ、そんな光景が時雨の頭の中を突然過ぎったのかは定かではないが、その少女の姿はどこか《天使》であるリンネの姿に重なるようなものがある気がした。
(……俺はリンネの事を以前から知っている……?)
だが、自分の記憶の中にそのような事実は存在しない。あるいは、ただ忘れているだけなのかもしれないが、これほどまでに印象的な光景をそう簡単に忘れてしまうものだろうか……。とは言え、今考えたところで時雨がこの現象の真相を理解できるはずもない。
ただ、自分が今、信じられる事と言えば――――
(この不安に怯える少女を……リンネのことを守ってやりたい、ってことだけだ!)




