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勇者にすべてを奪われた俺、魔王として帰還する  作者: 未定 Ω
第1部 勇者が捨てた男

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001 勇者が捨てた男

夜の森を、赤黒い炎が走った。


「左だ、レオ!」


カインが叫ぶと同時に、地面へ剣を突き立てた。剣先から流し込まれた魔力が根のように土中へ広がり、次の瞬間、森の地形そのものがうねる。盛り上がった土壁が巨大な狼型魔獣の突進をわずかに逸らし、ぬかるんだ地面がその脚を絡め取った。


普通の兵なら、そこでようやく敵の動きが止まったと理解する。けれどレオは違った。勇者として選ばれただけの力はある。カインの声を聞いた瞬間には、すでに踏み込んでいた。


「はあああッ!」


白銀の聖剣が闇を裂いた。魔獣の首が宙を舞い、赤黒い炎が霧散する。遅れて、周囲にいた騎士たちから歓声が上がった。


「やったぞ!」

「勇者様がまた討ち取った!」

「さすがレオ様だ!」


カインは剣を抜き、静かに息を吐いた。


今の一撃に至るまで、敵の誘導、足場の崩し方、仲間の配置、魔力の補助、退路の確保。そのすべてを組み立てたのはカインだった。魔獣の突進速度、炎の性質、レオが踏み込む角度まで計算し、最も危険が少なく、最も鮮やかに勝てる形へ整えた。


だが、戦場で最後に首を落とした者の名だけが残る。それは当たり前だ。


「勇者様、見事です……!」


聖女セレナが、ほっとしたように胸元で手を組んだ。その声を聞いた瞬間、カインの中に浮かびかけた苦さは、いつものように喉の奥へ沈んだ。


彼女が笑うなら、それでいい。


そう思えてしまう自分を、カインは少しだけ嫌っていた。


「お前が無茶するからだ、レオ」


カインが小さく言うと、レオは笑いながら近づいてきて、昔と同じ調子で肩を組んできた。


「悪い悪い。でもさ、お前がいると負ける気しないんだよ」


「なら少しは指示を聞け。三秒遅れていたら左腕が飛んでいたぞ」


「聞いてるって。最後はちゃんと決めただろ?」


「最後だけな」


レオは明るく笑った。その笑顔は、昔から人を惹きつける。王都の訓練校にいた頃から、レオはいつも中心にいた。失敗しても許され、迷っても励まされ、立ち上がれば喝采を浴びる。そういう星の下に生まれた男だった。


対して、カインはいつも一歩後ろにいた。作戦を立て、穴を埋め、誰かの失敗を黙って補い、仲間が傷つけば自分の手柄よりも撤退路を優先する。賞賛されることに慣れていないわけではない。ただ、賞賛を欲しがるより先に、次の危険を考える癖がついていた。


それでいいと思っていた。


レオは前に立つべき人間だ。なら自分は、その隣で支えればいい。勇者が光なら、自分は影でいい。影が濃いほど光は強く見える。そう納得してきたし、その役割に誇りもあった。


少なくとも、最近までは。


「カイン」


優しい声に振り返ると、セレナが治癒魔法を展開していた。淡い金色の光が、カインの腕に走った傷を包み込む。


「腕、また傷が増えています」


「かすり傷だ」


「あなたの“かすり傷”は信用できません。前もそう言って、肋骨にひびが入っていました」


「よく覚えてるな」


「忘れるわけがありません」


セレナは困ったように眉を下げた。その表情を見ると、カインの胸の奥が少しだけ柔らかくなる。聖女候補だった頃から、彼女は誰かの痛みによく気づく人だった。レオのように眩しくはない。けれど、薄暗い場所にいる者へ手を伸ばす強さがあった。


だからカインは、彼女を好きになった。


その想いを言葉にしたことはない。言えるはずもなかった。彼女は聖女で、自分は勇者パーティの副団長。しかもこの国では、聖女は勇者と並ぶ存在と決められている。物語の中でも、式典の絵画でも、教会の説法でも、勇者の隣には必ず聖女がいる。


それでも、セレナだけはカインを見てくれている。そう思える瞬間が確かにあった。


「少し休んでください。あなたは無理をしすぎます」


「副団長ってのは損な役回りなんだよ」


冗談めかして言うと、セレナは笑わなかった。


「あなたは、もっと評価されるべきです」


その言葉に、カインは返答できなかった。嬉しかった。だが嬉しいと認めれば、今の自分の役割に罅が入る気がした。


代わりに、レオが割って入った。


「おいおい、俺の副団長を取るなよ」


「取っていません」


「でも最近セレナ、カインにだけ厳しくない?」


「心配しているだけです」


レオがわざとらしく肩を落とす。


「ひどいなあ。勇者よりカインの方が大事か?」


一瞬、セレナが言葉に詰まった。


本当に短い沈黙だった。周りの騎士たちは気づかなかっただろう。レオも冗談の続きとして流したかもしれない。だがカインには、その沈黙がやけに長く感じられた。


胸が熱くなった。同時に、冷たいものが背筋を撫でた。


セレナは何かを言いかけて、結局、言わなかった。そのことが答えのようでもあり、逃げ道のようでもあった。


最近、教会の視線が妙に冷たい。


遠征報告から、カインの名が消えることが増えた。作戦書に残るはずの立案者の署名が、いつの間にか勇者レオのものへ変わっている。魔獣の弱点を見抜いたのも、村人の避難を成功させたのも、敵将の罠を読み切ったのも、公式にはすべて“勇者レオの偉業”となった。


最初は些細なことだと思っていた。勇者の名が広まれば、人々は希望を持てる。勇者が強く見えることは、戦争を終わらせる力にもなる。そう自分に言い聞かせてきた。


だが、嘘は積み重なると物語になる。


そして物語は、いつか人を縛る。


王都へ帰還したその夜、違和感は確信へ変わった。


「……招集?」


王城の会議室に呼び出されたカインは、重い扉の前でわずかに足を止めた。中から漏れてくる気配が、いつもの作戦会議とは違う。戦場へ向かう前の緊張ではない。何かがすでに決まっていて、自分だけが知らされていない。そんな空気だった。


扉を開けると、王国騎士団の上層部、教会司祭、軍務大臣、そして勇者レオがいた。セレナもいる。だが彼女の顔色は青く、祈るように両手を握りしめていた。


「副団長カイン、来たか」


司祭の声は、儀式用の鐘のように冷たかった。


「どういう話です?」


カインが問うと、司祭は卓上の地図を指し示した。北方。王国の地図の端。そこには黒い墨で、大きな裂け目が描かれている。


「北方深淵にて、魔王級反応が確認された」


会議室の空気が張り詰める。


北方深淵。古い戦の跡地であり、世界でもっとも危険な禁域。底は見えず、魔力は狂い、落ちた者は二度と戻らないと言われている場所。そこに魔王級の存在が現れたなら、放置はできない。


「勇者パーティによる討伐を命じる」


「了解しました」


レオが即答した。その声は勇者らしく響いたが、カインにはわずかに固く聞こえた。


司祭は続けた。


「なお、今回の作戦には囮が必要となる」


嫌な沈黙が落ちた。


カインは、地図から視線を上げた。


「……それで?」


「副団長カイン。君に任せたい」


セレナが椅子を鳴らして立ち上がった。


「待ってください! 深淵の囮なんて、生還率はほとんどありません!」


「聖女殿」


司祭が静かに遮る。


「世界を救うためには、尊い犠牲も必要です」


「ですが、カインである必要は――」


「彼だからこそだ」


司祭の視線がカインへ向く。その目には、人を見る温度がなかった。駒を評価する目だった。


「副団長カインは優秀だ。判断力、継戦能力、魔力操作、統率力。囮として敵を最も長く引きつけられる。勇者を魔王級存在の中枢へ到達させるためには、彼以上の人材はいない」


それは褒め言葉の形をした死刑宣告だった。


カインは理解した。


自分の有能さは、評価ではなく処分の理由になったのだ。


「勇者を守ることこそ最優先」


司祭が言った。


その言葉に、誰も反論しなかった。騎士団長も、軍務大臣も、レオも。セレナだけが震えていたが、それでも彼女の声はもう出なかった。


ああ、とカインは思った。


最初から決まっていたのだ。


勇者の物語には、勇者を輝かせるための試練が必要だ。勇者の勝利には、勝利を支えた名もなき犠牲が必要だ。誰かが道を作り、誰かが傷を引き受け、誰かが闇に落ちることで、英雄は光の中へ立つ。


そして今回は、その役に自分が選ばれた。


「……レオ」


カインは、親友だった男を見た。


レオは目を逸らした。


「すまない、カイン」


その一言で、胸の奥に残っていた最後の期待が折れた。


「お前なら、生き残れるかもしれないって……そう思ったんだ」


「本気で言ってるのか?」


「これは世界のためなんだ!」


レオが叫んだ。だが、その声はカインへ向けたものではなかった。自分自身を納得させるための叫びに聞こえた。


「俺だって嫌だ! でも、誰かがやらなきゃいけない。勇者が倒れたら世界は終わる。だから――」


「だから俺ならいいのか」


レオの顔が歪む。


沈黙が落ちた後、彼は絞り出すように言った。


「お前がいると……俺は勇者になれない」


カインはゆっくり目を見開いた。


「……何?」


「みんな、お前を見るんだ。作戦も判断も、お前が正しい。俺が迷えばお前が答えを出す。俺が失敗すればお前が帳尻を合わせる。俺は聖剣を振っているだけだって、みんな心のどこかで思ってる」


レオの拳が震えていた。怒りなのか、恐怖なのか、それともずっと隠してきた劣等感なのか。カインには分からなかった。


「俺は勇者なんだぞ……!」


その言葉は、勝者の叫びではなかった。


主役でありたい男の悲鳴だった。


カインはようやく、すべてを理解した。功績の改竄。教会の圧力。レオの不自然な笑顔。セレナの沈黙。すべては一つの物語を守るためにあった。


勇者レオは完璧な英雄でなければならない。


その隣に、勇者より冷静で、勇者より必要とされ、勇者の未熟さを知る男がいてはならない。


支え続けたからこそ、邪魔になった。


「カイン……」


セレナが泣きそうな顔で手を伸ばした。


その手を、カインは見た。


何度も癒やしてくれた手だった。遠征の夜、冷えた指先で包帯を巻いてくれた手だった。自分だけはあなたを見ていると、言葉にせず伝えてくれた手だった。


だが今、その手は届かなかった。


彼女は最後の一歩を踏み出せない。教会に逆らえない。聖女という役割から逃げられない。


カインは、そのことを責めたかった。


責めたかったのに、彼女の苦しそうな顔を見てしまうと、すべてを怒りに変えきれなかった。


だからこそ、余計に苦しかった。


「……分かった」


カインは静かに言った。


会議室にいた全員が、驚いたように顔を上げる。


「行けばいいんだろ」


「カイン!」


セレナの声を背に、カインは扉へ向かった。


振り返れば、きっと何かを期待してしまう。誰かが止めてくれるのではないか。レオが謝るのではないか。セレナが役割を捨てて駆け寄ってくれるのではないか。


そんな馬鹿な希望を抱いてしまう前に、カインは会議室を出た。


もう振り返らなかった。


北方深淵は、吹雪の向こうに口を開けていた。


黒い裂け目が大地を貫き、底からは冷たい魔力が噴き上がっている。空は灰色に濁り、雪は地面に触れる前に黒く焦げた。普通の兵士なら、立っているだけで気を失うような場所だった。


「配置につけ!」


レオの声が響く。


魔物の群れが裂け目の周囲から這い上がってくる。獣、虫、人の形を崩したもの。どれも深淵の魔力に侵され、目だけが赤く光っていた。


カインは最前線へ立った。


誰よりも前へ。誰よりも危険な場所へ。


それが役割だと言われたからではない。後ろにいる兵たちを生かすには、そこに立つしかなかったからだ。


彼は剣を振るい、魔物を斬り伏せ、土壁を作り、仲間の退路を開いた。肺が焼ける。腕が軋む。魔力回路が悲鳴を上げる。それでも、身体は勝手に最善を選んだ。


そして、気づいてしまう。


背後の結界が閉じられていた。


退路を塞ぐように、透明な聖光の壁が張られている。外から内へは援護できるが、内から外へは戻れない構造。敵を閉じ込めるための結界ではない。囮を逃がさないための結界だった。


「……最初から逃がす気もないか」


カインは苦笑した。


驚きはなかった。むしろ、ここまで来てようやく腑に落ちた気さえした。


直後、大地が砕ける。


深淵の底から、巨大な黒腕が現れた。指一本だけで城壁ほどもある異形の腕。触れた魔物が悲鳴もなく消え、雪も岩も魔力に呑まれていく。


「来るぞ!」


カインは剣を構え、残る魔力を全身に回した。


ここで引けば、後ろにいる兵が死ぬ。ここで踏みとどまらなければ、レオもセレナも死ぬ。


分かっていた。


裏切られてなお、カインの身体は仲間を守るために動いた。


黒腕が振り下ろされる。


カインは剣で受けた。衝撃で膝が沈み、骨が軋む。吐いた息に血が混じった。それでも受け流し、斬撃を叩き込む。黒い表皮が裂け、深淵の魔力が噴き出した。


援護は来ない。


ふと、カインは振り返った。


結界の向こうに、レオとセレナがいた。レオは歯を食いしばり、聖剣を握っている。セレナは泣いていた。今にも駆け出しそうなのに、司祭たちの張った聖印が彼女の足を縫い止めている。


彼女は来ない。


来られない。


あるいは、来ることを選べない。


世界が、それを許さない。


「……そうかよ」


黒腕が再び迫る。


カインは剣を構えた。


胸の奥が、ぐちゃぐちゃに焼けていた。悔しい。苦しい。悲しい。怒りたい。憎みたい。なのに、最後の最後まで、仲間を守る動きをやめられない自分がいる。


それが一番、惨めだった。


「ほんと、救えねえな……俺は」


次の瞬間、深淵の縁が崩壊した。


足場が消え、カインの身体が闇へ落ちる。


上から誰かの叫び声が聞こえた。セレナだったのか、レオだったのか、もう判別できない。光が遠ざかる。吹雪も、戦場の音も、聖女の祈りも、すべてが闇に呑まれていく。


どこまでも落ちた。


落ちて、落ちて、落ちて。


やがて、自分がまだ生きているのかさえ分からなくなった頃、闇の底で“何か”が笑った。


『憎いか』


声ではなかった。


心臓の裏側を爪でなぞるような、呪いそのものの響きだった。


『奪われたか』


黒炎がカインの身体へ絡みつく。熱いはずなのに、冷たかった。傷口から入り込み、骨を伝い、血に混ざり、心の奥底に沈めてきた感情を一つずつ暴いていく。


『尽くしたか。支えたか。守ったか。なのに捨てられたか』


やめろ、と言いたかった。


だが声が出ない。


『ならば怒れ』


脳裏に浮かぶ。


レオの目。


司祭の声。


セレナの伸ばしかけた手。


歓声の中で消されてきた自分の名。


勇者の物語を美しくするために、踏み潰されてきた無数の誰か。


『世界を憎め』


カインは、ゆっくり目を開いた。


そこには巨大な黒い王座があった。


王座の周囲には、無数の影が漂っている。敗者の影。裏切られた者の影。勇者に討たれ、魔王と呼ばれ、悪として語られた者たちの残滓。そのすべてが、カインを見ていた。


『我を継げ』


それは歴代魔王の怨念だった。


『我らは悪として殺された。我らは必要な敵として生まれ、英雄を飾るために燃やされた。勇者が希望であるために、魔王は憎悪でなければならなかった』


影たちの声が重なる。


『お前も同じだ』


カインの胸の奥で、何かがひび割れた。


自分だけではなかった。


勇者の物語の陰で、名を奪われ、居場所を奪われ、命を奪われた者たちがいた。魔王と呼ばれた者も、きっと最初から怪物だったわけではない。誰かに憎まれる役割を押しつけられ、憎まなければ生きられないところまで追い込まれたのだ。


『世界を壊せ』


怒りが溢れる。


それはただの激情ではなかった。心臓の代わりに燃え始める、黒い炎だった。


カインは震える手で、自分の胸を掴んだ。


「……ふざけるな」


声が漏れる。


『ほう』


「勝手に終わらせるな」


黒炎が燃え上がる。


「俺を踏み台にして、俺の名を消して、俺の居場所を奪って、それで美しい物語にするつもりか」


王座が軋む。


歴代魔王の影がざわめく。


「俺はもう、誰かの影で終わらない」


怒りが血となり、呪いが骨となり、深淵の闇がカインの身体を作り替えていく。


『ならば名乗れ』


影たちが告げる。


『勇者に捨てられた者よ。世界に不要とされた者よ。お前は何になる』


カインは、王座へ手を伸ばした。


「魔王でいい」


黒炎が天を衝いた。


「この世界が俺を敵にするなら、俺は世界の敵になってやる」


深淵全体が黒く染まった。


数日後。


王都は歓喜に包まれていた。


白い花が舞い、鐘が鳴り、通りには勇者の旗が掲げられている。人々は笑い、歌い、酒場では早くも新しい英雄譚が語られていた。


「勇者レオ様、万歳!」

「魔王級存在を退けた英雄だ!」

「やはり勇者様こそ、この世界の希望だ!」


王城のバルコニーに立つレオは、ぎこちなく笑っていた。人々が求める勇者の顔を作っている。聖剣を掲げ、勝利を示し、歓声を受ける。その姿は絵画のように正しかった。


だが、その隣でセレナだけは笑えなかった。


彼女の耳には、祝福の鐘が葬送の鐘のように聞こえていた。


何度も思い出す。


結界の向こうで振り返ったカインの目。責めるでもなく、縋るでもなく、ただすべてを理解してしまった目。


彼は最後まで守った。


裏切られた後でさえ、仲間を守った。


その事実が、セレナの胸を締めつける。


「聖女様、どうか民にお手を」


司祭が小声で促す。


セレナは震える手を上げようとした。


その時だった。


空が裂けた。


王都全体を覆う青空に、黒い亀裂が走る。次の瞬間、遥か北の空から漆黒の炎柱が立ち上がった。昼の光を呑み込み、雲を焼き、王都の白い城壁に黒い影を落とす。


歓声が悲鳴へ変わった。


兵士たちが剣を抜き、司祭たちが祈りを唱え始める。レオも聖剣を握った。だがセレナだけは動けなかった。


黒炎の中で、一瞬だけ剣閃が見えた。


誰も気づかないほど短い光。


けれど、セレナには分かった。


あの構え。


あの踏み込み。


力任せではなく、相手の動きと地形と呼吸をすべて読んだ上で放つ、無駄のない剣筋。


何千回も隣で見てきた。


何度も癒やし、何度も叱り、何度も背中を見送った。


忘れるはずがなかった。


セレナの唇が震える。


「……カイン?」


黒炎はさらに高く燃え上がり、北の空を夜のように染めた。


その日、世界は勇者を得た。

そして、勇者が捨てた男を魔王にした。

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