『力』
「……う、あ……」
頭の奥を重い鉄球で殴られたような鈍痛と共に、私はゆっくりと目を覚ました。
視界に飛び込んできたのは、見慣れた迷宮の薄暗い天井ではなく、白く清潔な、見覚えのある天井だった。
(ここ……学園の医務室、だ)
まだ全身が鉛のように重いけれど、あの背骨を叩き折られた瞬間の、息もできないほどの激痛は綺麗に消え去っている。
生きている。そう実感して小さく息を吐いた時、シャワーカーテンで仕切られた向こう側から、聞き慣れた男の気怠げな声が聞こえてきた。
「――で、三層はどうなったんだよ」
「どうなったもこうなったもないわよ」
ニデイン先生と、保健医のバネッサ先生の声だ。
バネッサ先生は、カルテの束をデスクに叩きつけるような音を立てながら、怒りを含んだ声で話を続けた。
「あんたたちが空間転移で逃げた後、残されたアルトリウスと、タイミング悪く巡回してたクロムウェルが鉢合わせして、そのまま本気の殺し合いよ。三層の広場周辺の地形、半分近くが跡形もなく消し飛んだらしいわ」
「へえ、そりゃ傑作だな。あいつらまとめて退学にでもなりゃ、俺の仕事も減るんだけどな。殺していいならそれが楽だが」
「笑い事じゃないよ! おかげで今日からしばらく、下級生は迷宮に立ち入り禁止。全クラスのダンジョン実習も、安全が確認されるまで1層までよ。」
カーテンの向こうで、ニデイン先生が「おー怖」と全く怖がっていない声で呟くのが分かった。
上級生とが、三層の地形を変えるほどの戦争を起こした。その事実に背筋が寒くなる。
と、その時。
ぐうぅぅぅぅぅぅぅぅ、と。
私の下腹部の奥から、まるで獣の咆哮かと思うほど強烈な、地鳴りのような腹の虫が鳴り響いた。
(……お腹、空いた。死ぬ、 飢えて……死んじゃう……っ!!)
背骨を、そして内臓を高速で強引に再生させた代償だろうか。
全身の全細胞が、狂ったように強烈な『飢餓感』を訴えていた。今すぐ何かを胃袋に叩き込まないと、自分自身の肉体を内側から貪り食ってしまいそうなほどの、凶暴な食欲。
「レイチェル!! 目が覚めたのね!?」
そのタイミングで、ガラッと勢いよくカーテンが開いた。
飛び込んできたのは、顔を涙でぐしゃぐしゃにしたライアと木葉、そしてホッとしたように胸をなでおろすセシリアだった。三人とも、手には学園の食堂から持ってきたと思わしき、大量のテイクアウト用の容器を抱えている。
「あ……みんな……」
「よかった、本当によかったぁ! 背骨が折れてるって言われた時は、もう、どうしようかと……って、え? レイチェル?」
泣きじゃくるライアの声は、私の耳にはもう届いていなかった。
私の目は、彼女たちが持っている容器に完全にロックオンされていた。
「それ……食べる……ッ!」
「え? あ、うん、目を覚ましたらお腹空くだろうと思って、食堂の大盛りメニューを片っ端から買ってきて――うわぁっ!?」
言い終わるより早く、私はベッドから身を乗り出し、ライアの手から容器をひったくった。
蓋を開けると、そこには分厚い特大骨付き肉のローストと、山盛りの白米。
私はそれを、両手で掴んで、貪り食った。
ガブッ!!! 獰猛な音が医務室に響く。
咀嚼もそこそこに、骨から肉を引き剥がし、口の周りを脂とタレだらけにしながら、獣のように胃袋へ流し込んでいく。間髪入れずに、もう片方の手で大盛り飯を口に放り込む。
「ちょっと、レイチェル!? 落ち着きなさいよ、誰も取らないわよ!」
セシリアがドン引きした声をあげるが、止まらない。二パック目の激盛り唐揚げ丼を開け、狂ったように口へ掻き込む。
「内臓が再生するのに、めちゃくちゃカロリー使ったみたいで……本当に、飢え死にするかと思ったの……!」
そんな私を、バネッサ先生が診察デスクの向こうから慈愛の表情で見ている。
「よく食うガキだな、次からは過信して背伸びするなよ」
ニデイン先生はそれだけ言うと、気怠げに医務室を出て行った。
四パックの大盛り飯と肉をすべて胃袋に収め、ぷはぁ、と大きく息を吐いて口元を拭う。ようやく、脳に血が巡ってきた感覚があった。
「ふぅ……生き返った。……ねえ、それにしても、あのアルトリウスって先輩の骨の城、すごかったな。あんな巨大な魔術陣、どうやって一瞬で編み込んだんだろ」
私が肉の骨をゴミ箱に捨てながら何気なく呟くと、隣のパイプ椅子に座っていたセシリアが、呆れたように深くため息をついた。
「バカねレイチェル。あれは魔術じゃないわ。――あれは魔法よ」
「魔術と、魔法……? 違うの?」
私が首を傾げると、優等生のセシリアは、待ってましたと言わんばかりに人差し指を 立てて解説を始めた。
「全然違うわ。ゾシモス先生に教わらなかったの?魔術は周囲に漂っている魔力を、ルーン文字によって現象を発生させてるの。元々体系化されているから魔術陣の作成速度や維持、魔力の流し方など繊細な部分が多いわ」
「じゃあ、魔法は?」
「魔法は、魔術陣なんていうプロセスを踏まないの。自分の魔力、あるいはその場の周囲の魔力を使ってイメージを具現化させていくの。魔法も人から学べはするけど、イメージの問題だから再現は難しいわ」
私の真剣なまなざしを感じたのか、セシリアも背筋を正して真剣な目で私を見た。
「あの先輩は、魔法の領域まで踏み込んでいると思うわ。アンデッドの作成は魔術でもあるけど、あんな骨の城を作る魔術はなかったはずよ」
セシリアの言葉に、ライアと木葉も重苦しく頷く。
魔術と、魔法。
繊細な技術と、圧倒的な発想の力。
肉で満たされたはずの私の胸の奥が、その言葉を聞いた瞬間、なぜか妙にドクン、と熱く脈打った。
(私の、この出力を抑えられないおかしな力は……どっちなんだろう)
自分の首筋にある、普段は隠された奇妙な紋様に、私はそっと触れた。
迷宮に潜ることが禁止になり、学園が荒れ始める中で、私たちの『力』への渇望が、静かに大きくなっていく。




