『白虎』【scene16】
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魔の森ミュルクヴィズの中心にそびえる古城。現在は『ユグドラシル城』と呼ばれる。その城の本当の名を知る者はいない。そう呼ばれる前からこの城は存在し、森では数少ない岩山の上で、この世界の何世代にも渡る歴史を見つめ続けていたのだ。城は誰であろうと受け入れるが、現在の主人は魔侯アルタイルであった。彼は玉座の間で、魔法使いアルフェッカの報告に耳を傾けていた。アルフェッカは白髪の高齢の老人だが、背筋がしゃんと伸びており、見た目よりは若々しいようだ。
「王国はリオン率いる『勇者の団』のみを向かわせるつもりです。兵力は約9百。迎え撃つ我々は約1万。話になりませんな」
アルフェッカは吐き捨てるように言った。
「ポラリスは何と言っている?」
アルタイルは頬杖をついた姿勢のまま尋ねた。ポラリスとは、ギデオンフェル王国宰相、ヘンリー・リシュリューの本名だ。
「は。ポラリス殿は王国なりの二面作戦だと申しています。つまり、『勇者の団』が閣下を討ち取るのであればそれで良いが、討ち漏らして返り討ちにでもなれば、それを元に休戦協定を結びたいと考えているようです。閣下を討ち取る、というのは名目上の話で、本音で言えば、リオンという若造をいけにえとして捧げたい、ということですな」
「リオンはその命令を呑んだのか?」
「あっさりと受け入れていますね。現在、メネアを出立すべく準備中であると」
「面白い」
アルタイルは立ち上がった。
――ついに来るか。あいつが。
「アルフェッカ。私はリオンという若者をここまで招きたい。やつだけをここまで連れてくるよう伝達せよ」
「は? リオンという若造を、ですか?」
「その通りだ」
「ご命令は皆殺しではないのですな?」
「リオン以外は皆殺しで構わない」
アルフェッカはすぐに行動に移そうとしなかった。アルタイルは冷ややかな視線を向けた。「どうした?」
「は……。いえ、9百の敵を皆殺しにするのは簡単かと思いますが、その中でひとりだけを生け捕りにせよというのは……」
「そんなことか。私の見込み違いでなければ、やつは簡単に死にはせんよ。皆殺しにするつもりでやれば良い。それでやつが命を落とすようなら、それは私の見込み違いだったということだ。お前が気にすることではない」
「そういうことであれば……」
アルフェッカは頭を下げると、身体の向きを変えた。魔侯の指示を伝達するためである。そのとき、玉座の間の外で怒声が聞こえると、扉が砕け飛んだ。扉の破片に混じって、オークの兵士がひとり、血まみれになって投げ込まれた。
「な、何だ!」
アルフェッカはうろたえた声をあげた。一方でアルタイルは不敵な笑みを浮かべる。「ほう、これは珍しい」
「よう、侯爵様よ。あまりにしつこく声をかけて来るんで、直接返事しに来てやったぜ」
1匹のホブゴブリンの頭をつかんで、大柄の男が入ってきた。上半身が裸だが、白いふさふさした毛で覆われている。頭部は人間ではなく虎だった。そこに立っていたのは虎面族と呼ばれる獣人の男だった。筋骨隆々とした体格で、獣人を追って取り囲んでいる兵たちはその圧倒的な体格差にたじろいでいた。
「わざわざ来てくれて嬉しいよ、『白虎』。会えないものかと思っていたところだ」
家来が殺されているにも関わらず、アルタイルの口調はいたって平静だった。『白虎』と呼ばれた獣人、オズロは、ふんと鼻を鳴らした。
「部下の死体を見ても冷静か。噂以上の冷徹さだな」
オズロはつかんでいたホブゴブリンを床に放り投げた。ホブゴブリンは糸の切れた操り人形のように、手足をばらばらの方向に向けて横たわった。完全に死んでいる。
「この玉座の間まで、何人の部下を手にかけたのかね?」
アルタイルは、どことなく楽しそうな口ぶりで尋ねた。実際に面白がっているような表情である。
「さぁてね。最初の3匹までは覚えているんだが、途中で数えるのも面倒になってな」
オズロは両手を上げて答えた。
「ここでの殺戮は楽しかったかね?」
「今ひとつ盛り上がらなかったな。お前の首でも獲れりゃ、満足できるかもな」
オズロはそう言うなり床を蹴って飛び上がった。一直線にアルタイルに向かって行く。アルフェッカが「閣下!」と叫んだ。杖を掲げて魔法を使おうとしたが、オズロは一瞬でアルタイルの目前にまで迫っていた。アルタイルは冷ややかな目で見ている。オズロは鋭い爪の手を振り下ろした。
オズロの一撃は確実にアルタイルを引き裂いたかに見えた。しかし、オズロは玉座から遠く離れたところで振り下ろした自分の手を見つめていた。
「何だ?」
オズロは立ち上がると玉座の方を向いた。アルタイルはまったくその場から動いていなかった。オズロだけが玉座とはまったく別のところに一瞬で移動させられたようだった。
「どういうことだ?」
オズロはアルフェッカに視線を向ける。アルフェッカは杖を手にしたまま呆然と立っていた。
「けっ。これがハイクラスだけが持つ特殊能力ってやつか。お前の能力はいったい何だ?」
オズロの問いに、アルタイルは微笑だけを返した。
「……教える気なぞ無い、か……」
オズロは頭を振りながら出口に向かった。
「ど、どこへ行く気だ?」
アルフェッカが杖の先を向けながらオズロに尋ねた。
「なんか白けちまった。帰るぜ」
オズロは振り返りもせずに答えた。
「まぁ、待ちたまえ。私の用が済んでいない。君は、私の下で働いてはもらえないのかね?」
アルタイルが声をかけると、オズロは顔の半分だけを向けた。
「……お前はバカか。今のがその返事だってわからないのか? オレは誰の下にもつかねぇ。たとえマイグラン最強と言われる魔王でもな」
「君の誇り高さには敬意を表すよ。わかった。私の傘下に入ってもらう話は諦めよう。すまなかったな、君を煩わせて」
アルタイルはあっさり受け入れたようだった。その態度にオズロも拍子抜けした表情だ。
「そうかい。じゃあ、オレはこれでおさらばするぜ」
「まぁ、急ぐなよ『白虎』。君へのお詫び代わりに、君が興味を持つような話を聞かせてあげよう」
「オレが興味を持つ?」
オズロは足を止めて振り返った。アルタイルは玉座に腰を下ろした。
「実はね。私の命を狙って、人間たちがこの森に足を踏み入れるんだ」
「人間どもが?」
「ああ。たった9百の戦力でね」
「そいつらは……、お前以上のバカ揃いだな」
オズロの吐き捨てるような言い方に、アルフェッカは顔をしかめた。自分の主君を二度もバカ呼ばわりされたのだ。いい気であるはずがない。
「バカか……。そんなにバカじゃないかもしれないんだ。その中にね、ひとりだけ人間離れした化け物が混じっているんだよ」
「化け物だぁ?」
アルタイルはうなずいた。
「そいつはアングリアで『黒狼』ヴォーゼルを討ち取った。さらにメネアでは『緑龍』ドラルクの片腕を斬り落として、彼を敗走させた。どちらもたったひとりでだ」
「……『五色の武人』のうちのふたりもだと? ただの人間が、ひとりで?」
オズロは興味を持ったようだった。身体の向きをアルタイルに向けて両腕を組んだ。
「その話、もっと詳しく聞かせろ」
「その男の名はリオンという。かつてバルバトス王を殺したラファールという男の子孫だ。ラファールだけが扱えたという特殊な攻撃で『黒狼』を跡形もなく消し去ったという話だ。『緑龍』との戦いでは、人間とは思えないほどの速さで『緑龍』を翻弄したと聞いている。いずれも人間たちが言う『勇者の力』だそうだ」
「勇者だぁ? 人間どもは今もそんなおとぎ話を信じているのか?」
オズロは呆れたような声を上げた。心底軽蔑しているような口ぶりだ。
「リオンが現れるまでは、人間たちもおとぎ話だと思っていたらしい。しかし、やつが覚醒したことによって、おとぎ話は真実だったと思われているのさ」
「覚醒……か。面白い」
オズロは組んでいた腕を解いた。
「そいつがオレより強いか知りたいのだな、お前は?」
アルタイルは両手を上げてみせた。「想像に任せるよ」
オズロは鼻を鳴らした。しかし、今度はふてぶてしい笑みを浮かべている。
「ふん、お前の安い挑発に乗ってやろう。オレもそいつに興味が湧いたからな」
「通してやれ」アルタイルはオズロを遠巻きに囲んでいる兵たちに命令を下した。兵たちが脇に下がると、オズロは悠々と玉座の間から出て行った。ずいぶんと機嫌が良いらしく、鼻唄混じりだった。
「このまま行かせるので?」
アルフェッカは床に転がるホブゴブリンの死体に目をやりながら尋ねた。
「面白いやつではないか。私は彼がますます気に入ったよ。彼の活躍に期待したいところだな」
アルタイルも機嫌が良いような口ぶりで頬杖をついた。ひとりであったら、オズロと同じように鼻唄でも歌いかねない様子だ。
「ですが、よろしいので? 閣下はリオンを生きたまま、ここに連れてきて欲しかったのでは?」
アルタイルは手をひらひらと振った。
「さっきも言ったのだが、敗れて死ぬようなら、やつはしょせんそこまでの者だったということだ。私の見込み違いだったという話だよ。それに、確かめてみたいではないか」
アルフェッカは首をかしげた。「確かめてみたい……?」
「ラファールと同じ能力を持つ男が、『白虎』に勝てるのかどうかってね」




