メネアの戦い(その1)【scene9~10】
9
「ドラルク様はこちらで?」
1匹のリザードマンが天幕から顔をのぞかせた。中には『緑龍』が絨毯の上でごろりと横になっていた。
「何だ? 俺に用か」
ドラルクと呼ばれた『緑龍』は身を起こした。部下のリザードマンは大将の不機嫌そうな声に動ずることもなく、遠慮なく入ってきた。
「ドラルク様。やつらの様子を見てきた斥候から報告が入りました。やつら、メネアにこもったきり、姿を見せる様子がないそうです。すっかり籠城を決め込んでますね」
「予想通りとは言え、つまらねぇ話だな。こんなに目立つところに陣を張っているんだぜ。夜襲を企むとかもないのかよ」
「その様子もないです。やつらは要塞で俺たちを迎え撃つつもりですぜ」
「日暮れ前に、ちょっとだけメネアっての見たけどよ。あんなチャチな要塞で俺たちに対抗できると思っているのかね? 兵力もたかだか2千って数だしな」
「その兵数に関してですが、どうもアングリアから援軍が来ていたみたいで。どうも、それを合わせて3千にまで増えているそうです」
部下の報告に、『緑龍』は鼻を鳴らした。「たった千の増援? 話にならん」
「それがですね、ドラルク様」
部下のリザードマンは急に小声になって、内緒話をするように身をかがめた。
「その増援ってのは、あの『黒狼』を討ち取った連中らしいんですよ」
『緑龍』の片目が大きく開いた。「ほう」
「『黒狼』って、ドラルク様とどっちが強いか話題になったやつでしょ? ドラルク様なら興味を持つんじゃないかなって」
『緑龍』の口の端がみるみる吊り上がった。部下が期待するまでもなく、『緑龍』は歓喜の笑みを浮かべていた。
「つまらねぇ戦だと思っていたが、運命の神様は粋な計らいをするじゃねぇか」
「ドラルク様は神様を信じてらっしゃるので?」
「まったく。だが、今から信心を持ってもいいかもしれねぇな」
『緑龍』は機嫌よく答えた。部下に歩み寄ると、肩をバンバンと力強くたたく。
「お前も罪なやつだな。おかげで明日が待ち遠しくて寝不足になりそうだぜ」
「喜んでいただけて何よりです」
部下はまったく痛みを感じていないらしく、笑顔のままだった。丈夫なうろこで守られているからだろう。
「まぁ、ガニメデスの大将から指示を受けているからな。何もかも自由にってワケにいかねぇが、なぁに、戦場ってのは混乱で段取り通りにいかないことが多いものさ」
『緑龍』は笑みを浮かべたまま天を見上げた。
「なりゆきでメネアに突入ってこともあるかもな」
リオンはベッドに腰を下ろして、窓の外を眺めていた。ちょうど月が上ってきたところで、青白い光が部屋の中を照らしている。リオンは部屋に明かりを点けていなかった。
聞こえるかどうかわからないぐらい小さなノックの音がして、そっと扉が少しだけ開いた。廊下の明かりが部屋の中に差し込み、遠慮がちに顔をのぞかせた者がいた。エリスだった。
エリスはリオンがベッドに腰かけている姿を認めると、静かに部屋に入ってきた。
「もし、もうお休みになっていたら、そのまま引き返すつもりだったのですけど……」
「構わないよ、何だい?」
リオンはぽんぽんと隣をたたいた。しかし、エリスはそれには従わず、少し離れた位置で立ち止まった。
「私、明日、前線で魔法使い部隊の指揮を執ります。そのことをお伝えしたくて……」
リオンは微笑んで見せたが、エリスの話の意図が汲み取れなかった。仕方なく笑みを浮かべたまま黙って話の続きを待つ様子を見せる。
「私、これまで、全然あなたの役に立ってきませんでした。リオン団の中で唯一の魔法使いであるにもかかわらずです。戦闘であなたを支えていたのは副長、そしてチェックさん。私はお飾りの仲間でした……」
リオンは腰を浮かせかけた。「エリス、それは違う!」
エリスは静かに首を振ると、立ち上がろうとするリオンを押し止めようとする身振りをした。リオンはそっと腰を下ろした。
「あなたは違うと言ってくれます。ですが、私には現実が見えているんです。戦いの結果を見れば誰だってわかります。私が何かをやって勝利を得られたことなんて一度もありません。この間のアングリアでもそうです。私は懸命に戦ったつもりでした。ですが、勝敗を決めたのは、『聖光十字撃』でした。最前線であなたを守っていたのはケインで、そして、後方にいたはずのチェックさんでした! 私ではなかった。その事実に私は打ちのめされました。あなたも、そして、ケインさんたちも、私に優しく声をかけられ、気を遣っていただきました。でも、そうしていただくほど、自分がここにいるべきではないと思えてきたのです。私の居場所はあなたのそばでありたい。あなたの本当の仲間と認められたいのです! リオン、お願いです。もし、今度の戦いで一等の功績を上げられたら、私を本当の仲間と認めてください。そして、そのように接してください」
リオンはまっすぐにエリスを見つめていた。
――居場所……。
それは、昨日ケインと語り合っていたとき、リオン自らが口にした言葉だった。リオンは思わず立ち上がると、エリスに手を伸ばしかけた。しかし、どう声をかけていいかわからなくなって、その手はむなしく泳いだだけですぐに降ろされた。
「エリス。俺は君のことを仲間だと思っている。俺たちとともに戦うようになってから、ずっと」
「でも、どこか私を避けるそぶりがありました。私と一緒に行動するのを避けるような……」
エリスは食い下がっている。そのとき、リオンの脳裏に王都での出来事を思い出していた。アイリッシュ伯爵夫人のもとへ忍んで行こうとしたとき、彼女が同行を申し出ていた。それに対して、彼は口実をつけて断ったのだ。伯爵の見張りはケインに任せていた。男娼の真似事をしているときの見張り役に、エリスを使うわけにいかない。何より、そんな『真実』をエリスに知られたくなかった。それは今も変わらない。
「俺の行動に誤解をさせる部分があったのだろう。反省する。だから、明日、君は手柄のことなど考えずに、自分の身を守りながら戦ってほしい。君には無事でいてほしいんだ」
リオンは今言える精いっぱいの言葉を絞り出した。
「また、気を遣うんですね」
エリスは目を伏せた。さみしげで虚ろな表情だった。
「私は、あなたが『死ね』と命じれば、死んでみせます。あなたには、そのことを信じて欲しかった……」
エリスは弱々しく背を向けると、とぼとぼと歩いて部屋を出て行った。ぱたり、と扉が閉まる音も弱々しかった。
リオンはエリスが立ち去ると、どすんとベッドに腰を下ろして、大きく息を吐いた。そのままベッドの上で横になると、その姿勢のまま天井を見つめた。部屋に差し込む月明かりも天井までは届いておらず、天井は黒々とした闇だった。まとまらない考えがいくつも頭によぎってくる。リオンは明日、自分は戦うことができるのか、漠然と不安に思い始めていた。
10
メネア近郊の丘に陣を敷いていた魔侯軍は、早朝に陣を出発した。総勢1万の軍勢である。軍勢の多くはゴブリンやホブゴブリンであるが、それらに混じってリザードマンの姿が多く見られた。彼らは胸や腰にベルトを巻いただけの質素ないでたちであるが、オークが使うような大型の槍や斧を装備していた。それだけでも、相当の腕力を有していることは見てとれた。
軍勢は急ぐふうでもなく、ぞろぞろと歩くような印象で進軍していた。彼らの表情に切羽詰まったようなものはない。メネアを守備する王国軍の戦力が彼らの3分の1程度であることは彼らの耳にも届いており、この戦いは楽だという考えが彼らの頭にあったからである。
魔侯軍は間もなくメネアを直接視認できる距離まで進んだとき、先頭を歩いていた分隊長を務めるホブゴブリンが隊列を止めた。彼らが進んでいる道はまっすぐにメネアまで続いている。そのメネアの手前の道をふさぐようにひとの群れが見えたのである。中央にはひとりの魔導士が腕を組んで立ちはだかっていた。ザバダックである。『勇者の団』は、ザバダックを先頭に、メネアの正面で敵を待ち構えていたのである。
ザバダックたちが立っているところまで距離はあるが、両軍は互いに歩を進めることなく対峙した。敵を目前にし、魔侯軍のものたちは次第に鼻息を荒くしはじめた。特に先頭に立つ何匹かのオークは、口の端からだらだらとよだれを流し、殺気に満ちた目で前方をにらんでいる。先頭の指揮を担うホブゴブリンが制するように手を挙げているが、何匹かじりじりと前へ進んでいる。ホブゴブリンよりも前に出ている者も出始めた。
「おい、まだだ」
ホブゴブリンは味方を抑えようと口を開いたが、そのひと言が「突撃」の命令と取ったらしい。オークたちが大声をあげると、『勇者の団』が待ち構える坂の上めがけていっせいに駆けだした。
「バカ! まだだ!」
ホブゴブリンが怒鳴ったが、一度動き出したものは止まらない。つられるように後続のものたちもホブゴブリンを追い抜いて前方めがけて殺到した。先頭の指揮という責任を持つホブゴブリンは忌々しそうに地団駄を踏んだ。
「団体さんが待ちきれずにご来店だ」
ザバダックはすっと両手を前方に向けた。ザバダックを挟むように立っている何名かの魔法使いも両手を敵に向けた。明らかに魔法攻撃をする状況だが、オークたちはひるむ様子も見せずに殺到してくる。
敵を十分に引き付けて、ザバダックは冷静に呪文を唱えた。
「氷柱乱打!」
ザバダックを始め、左右で構えていた魔法使いの両手からも先のとがった氷の塊が現れ、敵めがけて放たれた。氷の塊は巨大な弾丸となってオークたちに襲いかかり、彼らは氷塊に身体をつぶされていった。敵はザバダックの手前から次々と倒れていく。
「よし、撤退だ!」
ザバダックは魔法を放ち終えると、すぐに敵に背を向けて走り始めた。周りの者たちも遅れまいと続いていく。
ザバダックは走りながら、両脇の魔法使いに、
「今度は百匹ぐらい削ったな? 削ったよな?」
と、左右に顔を向けながら尋ねていた。両脇の魔法使いは無言で苦笑していた。
ザバダックたちの魔法の一撃で身を伏せていた魔侯軍はそろそろと立ち上がり始めた。ザバダックの言った通り、百匹を超えるオークやゴブリンたちが死体となって横たわっている。
「何をしている。今だ、やつらを追うんだ!」
ホブゴブリンが剣を抜いて怒鳴った。
「あんな大きさの魔法は呪文の詠唱に時間がかかる。やつらは今のような魔法はすぐに使えない。やつらが逃げているのはそのせいだ!」
最初は意味がわからないような表情でホブゴブリンに注目していたオークたちも、すぐ表情に活気を取り戻した。再びときの声をあげると、それぞれが装備している武器を掲げて退却する『勇者の団』を追い始めた。
退却する『勇者の団』は急な登り坂を一気に駆け上がって、道なりに右へ折れた。そこで王国兵士が門扉を押さえて開いていたメネアの登城門をくぐり抜けた。最後のひとりが駆け込むと、門扉が閉じられ、かんぬきがかけられる。
「早く離れろ。こんな門、長くは持たない!」
かんぬきをかけた兵士のひとりが叫ぶと、ほかの兵士も門から離れて走りはじめた。
メネアの正面に立ちはだかる第一の城壁には、足場となるやぐらが建てられ、ボーガンを構えた射手たちが城壁の上から狙いを定めていた。
ザバダックの魔法で機先を制されていた魔侯軍は、息を吹き返したかのように城壁前へ勢いよく殺到している。ザバダックたちを追っていたものは、道を右に曲がって登城門にぶつかっていった。最初の一撃で門扉が歪み、かんぬきが反った。
手ごたえを感じたオークは背後の味方に大声をあげた。彼らは整列して肩の向きを揃えると、いっせいに体当たりをはじめる。
城壁の上では射手がいっせいに矢を放っていた。メネア正面の第一の城壁はかなりの高さがある。しかし、厚さはひとの肩幅ほどしかなく、頑丈さは心もとない。射手たちは中途半端な厚さの壁に苦労しながら、それでも確実に1匹ずつ狙って敵を仕留めていった。矢を放ち終えた射手たちは次々とやぐらを降りて、第二の城壁をくぐり抜ける内門の中へと撤退していく。
「早く城内へ押し込め! やつらの魔法もボーガンも次の攻撃までに時間がかかる。やつらに次の攻撃の時間を与えるな!」
ホブゴブリンは剣を掲げて走りながら周りに指示を出している。周囲のものたちは言われずともわかっているというふうに、次々と城壁前に押し寄せている。メネアからは大量の矢が空へ放たれ、雨のように降ってきた。何本かの矢に刺し貫かれ、何匹かのゴブリンが地上にくずれおちた。
「死角から撃っている矢だ。狙いが正確じゃないんだ。恐れず突っ込め!」
ホブゴブリンが大声で言う通り、死角から放たれた矢の多くは命中することなく地面に突き刺さっていく。大量の矢に一時ひるんでいた様子のゴブリンたちも剣を掲げて走り出した。
オークたちは登城門に体当たりを続けていたが、彼らの侵入を阻んできたかんぬきもついにはへし折れて門扉から弾け飛んだ。オークたちがそのまま内部へなだれ込む。
「門を破った! 全員突入しろ!」
ホブゴブリンは叫びながら登城門へと向かって行く。城壁には射手の姿はなく、王国軍や『勇者の団』は第一の城壁からも撤退していた。内門は固く閉じられ、第二の城壁の陰にはエリスを始め、多くの魔法使いが息を潜めていた。エリスは樫の木で造られた魔法の杖をぎゅっと握りしめた。
……もうすぐ敵が来る!
登城門を破った魔侯軍は続々と入ってくる。素早いものは、すぐ内門に到達した。しかし、登城門と同じように体当たりしたものは勢いよく弾かれて、その門が登城門とは別ものだとすぐ理解した。
後を追って門をくぐったホブゴブリンは、内門に阻まれて味方が渋滞になっている様子に舌打ちした。やっぱりこいつらは馬鹿ぞろいだ。こっちの指示もちゃんと聞けなかったし……。
「おい、そこのやぐらを動かして、内壁につけろ。そいつをはしご代わりにして内壁を越えるんだ」
ホブゴブリンは外壁にぴったりとつけられたやぐらを指さした。先ほどまで射手が使用していたものだ。
ホブゴブリンの指示に、ゴブリンやオークたちもはじめてやぐらの存在に気づいたようだった。彼らはいっせいにやぐらに手をかけると、力を合わせて持ち上げた。
やぐらは簡単に浮き上がり、やぐらの脚が地面から離れた。すると、その地面からスーッと魔法陣が浮かび始めた。それは、やぐらが動かされた地面のすべてからだった。
「何だ?」
ホブゴブリンは足元に浮かび上がった魔法陣に、戸惑った声をあげた。魔法陣は赤い光とともに炎を立ち昇らせた。ホブゴブリンは急な炎に、両腕で顔を覆った。
同時に、耳を塞ぐほどの爆発音が轟き渡り、真っ赤な爆炎が指揮官のホブゴブリンを含め、道に殺到した魔侯軍を包み込んだ。




