夜。そして……【scene16】
16
王都メリヴェールに「アングリア奪還」の報が届いたのは、その日の夜になってのことだった。チリンスの丘へ向かう王国軍の定期連絡に合わせてもたらされたのである。
「とんでもない大戦果ですぞ」
右大臣ルトガルドは興奮で顔が紅潮していた。左大臣ヘルベルトは冷ややかな表情でそれを眺めている。大臣たちは審議室に集まって、戦いの報告を受けていたのだ。
「とんでもないって、どこがだ?」
「この常識知らずめ。アングリアは城塞都市だ。並みの街を攻めるのとはわけが違う。それをわずか一日で陥落させたのだ。しかも、損害はわずか3名だ。戦死者がたったの3人だぞ。数でも優る魔族たち相手に、これを大戦果と言わずして何と言う?」
「まぁ、数字上では確かにな」
左大臣は不承不承でうなずいた。しかし、報告書を掲げてひらひらさせると、「しかし、ここには、勇者は戦いの後、昏睡状態だとある。これでは次の戦いが思いやられるのではないか?」嫌味のように言った。
「『黒狼のヴォーゼル』を討ち取った代償だ。仕方あるまい」
右大臣は腕を組んで、吐き出すように言った。となりで財務大臣がうなずいている。彼は何ごとにせよ数字を重んじる人物だ。報告書に書かれている数字は、魔侯との戦争開始から見て、もっともすぐれた内容のものである。さすがに左大臣のひねくれた反応に同調することはなかった。
「報告では、『黒狼のヴォーゼル』を討ち取ったのは勇者の『聖光十字撃』だとある。かつて伝承にあった、魔王を葬ったという技の威力は本物だということですな」
財務大臣は書類をめくりながらつぶやく。声の調子では褒めているようには聞こえないが、日頃の大臣を知っていれば、この発言はリオンに対して賛辞を贈っているのと同じだ。
鈍い左大臣も、財務大臣の発言の意図が理解できたのだろう。表情は不服そうだが口をつぐんで腕を組んだ。
「この調子でチリンスの丘でも敵を討ち破ってもらえれば良いのだがな」
「そうはなりますまい」
右大臣の期待に満ちた声に対し、財務大臣が首を振りながら否定した。
「左大臣からもありましたが、肝心の勇者が意識不明とある。『勇者の団』は彼が目覚めぬ限り動きませんぞ。おそらく、彼らは間に合いますまい」
財務大臣の冷静な指摘に、右大臣は「ううむ」とうなった。
「チリンスの丘での戦いが我らの勝利で終わった場合、彼らには追討の命令を出し、魔族どもを王国内から一掃するようにさせましょう。チリンスの丘から敵を撤退させれば、ポラトリス、セルネドにも足が延ばせます。両都市の解放も図れますな」
「財務大臣らしくない楽観的観測だな」
キーマン侯が口を挟んだ。兄の左大臣がだんまりしてしまったので、ようやく出番が回ってきたようだ。
「勇者の欠けた状態で、チリンスの丘で我らが勝利できるとお思いか。この戦は数ではない。純粋に強い者が勝ちを得る戦いだ。数を揃えただけの我らが、魔侯の軍勢にどこまで対することができるか。私は正直、そこが不安です」
「確かに、丘に集結しているのは、ポラトリスやセルネドから撤退した敗残兵の寄せ集めだ。しかし、そこに王国軍が加わるのだ。総勢4万は越える。3万を下回ったやつらを破ることはできよう」右大臣が請け合うように胸を張った。
「さっき申したように、この戦争は数で勝てるものではありません。その3万を下回った敵の中に『黒狼のヴォーゼル』と同等の敵が混じっていればどうするのです?」
キーマン侯は食い下がった。「例えば、『白虎のオズロ』が戦線に加わる可能性は?」
「……『白虎のオズロ』……だと……」
右大臣の額に汗の玉が浮かんできた。冒険者ではない右大臣も、『白虎のオズロ』の名は知っていた。かつて王国内にオズロが現れたという報せを受けて討伐隊を送り出したものの、それが全滅する憂き目に遭っているからだ。
「だが、やつははぐれ者だ。同じ魔族とはいえ、魔侯と与するとは考えにくいがな」
「『白虎』と同様にはぐれ者の『黒狼』が魔侯の傘下にいたのです。可能性は否定できますまい」
「う、ううむ……」
キーマン侯に論破され、右大臣は再びうなった。
「アングリアでの勝利はただの通過点で、予断を許さぬ状況に変わりはない、ということだ」
これまで沈黙していた宰相が口を開いた。
「『勇者の団』には早い戦線復帰が望まれる、という話だな」
宰相は結論を下すように言い、周囲は無言で頭を下げた。宰相のかたわらに立っていた秘書官の小リシュリューは、胸の内でため息をついていた。
……何て、意味のない会議だ……
『勇者の団』の団員たちは、解放したアングリアで夜を過ごしていた。街のあちこちに明かりが灯り、宴会をしているような談笑が聞こえる。彼らは互いの無事を喜び、そして、作戦の成功を讃えて酒を酌み交わしているのだ。多くの負傷者に重篤な者がいなかったのも理由のひとつだ。勇者の仲間のひとりが戦死しているという話は伝わっているが、ケインが見張りなど一部を除いて酒を飲むことを許したことも背景にある。スライスは自分たちが落ち込んでいる感情が団全体を覆うことを心配した。そこでケインに団員の気持ちが塞ぐことがないよう、戦勝会を開くよう提案したのだ。相談を受けたとき、ケインはやや上の空の様子だったが、うなずきながら「こちらからも頼む。みんなをよくねぎらってくれ」と答えていた。趣旨を理解できるだけの平静さは持っていたようだった。
ルッチは宴会が開かれている広場に姿を現わすと、カイル班の輪を探し当てて、その輪に加わった。ルッチが腰を下ろすと、ガイナスが話しかけた。
「あなたひとり? レトちゃんは?」
ルッチは首を横に振った。「あいつはテントの中だ。膝を抱えて震えているよ」
「震えている? どこか体調が悪いのか?」
オーギュストが肴をほおばったまま尋ねた。口の隙間から肴の食べ屑がぽろぽろ噴き出す。ハイデラはその様子を見て露骨に嫌な顔をした。
「少しケガはしているが、擦りむいた程度のキズだ。そうじゃなくて、あいつ、今日初めて魔族を斬ったんだ。俺を助けたい一心で剣を振ったそうだ。そのときも様子がおかしかったが、戦いが終わっていなかったので、すぐ気持ちを切り替えて戦っていたよ。でも、戦いが終わると、テントに引きこもっちまったんだ」
デュプリがうなずいた。「なんだ、そういうことか」
「そういうことって、どういうことだ?」
ルッチの質問に、カイルが身を乗り出した。「新人特有のアレってことさ」
「新人特有のアレ?」
カイルは酒の入った杯をぐいっとあおると、口の端をこぶしでぬぐいながら話し始めた。
「冒険者にせよ、兵士にせよ、新人のときは『殺し』に慣れちゃいない。ま、当たり前だわな。そして、初めて殺しを経験すると、気持ちがどおんと落ち込むのさ。あるいはガタガタするほど恐怖で震えるんだ。心に衝撃を受けるからさ。だがな、その衝撃で心が揺さぶられるのは、ほんの一時のことさ。戦い続けていくと、心に衝撃の耐性ができて、動じなくなるんだ。もっとも、動じないだけでなく、自分の殺しに物足りなくなって殺戮に手を染める者が出てくるようにもなるんだがな」
「……それが、新人特有のアレ」
「そういうこと」カイルは再び酒をあおった。
「勇者とやり合っているのを見たときは、あいつは度胸のあるやつだと思ったんだがな。意外と普通の若造だな」
ペックがカップを人差し指でぶらぶらさせながら言った。顔がだいぶ赤い。もう相当酔っているようだ。
「そうかしら」
ハイデラが静かな口調で口を挟んだ。
「あの子、北の城壁を攻撃していたとき、城壁の指揮官が物見の搭ではなく、塔のそばの城壁にいたことを見抜いたわ。おかげで私は指揮官を射落とす手柄が取れた。そうでなかったら、私は危険を冒して物見の搭の頂上を狙える位置まで前進していたわ。当然、敵から狙い撃ちに遭う危険が高くなるんだけどね。でも、そうしないと戦局の打開は望めそうにないと思えたから。あの子の観察力がなければ、8番隊には死者が出ていたかもしれない。それは私だったかもしれないのよ」
「レトはすごいやつだよ」
ルッチは周りを見回しながら言った。
「最初にあいつを見たとき、デカブツにからまれているところだったけど、機転で切り抜けた。入団の審査会は、相手の苦手を見抜いて手玉に取ってみせた。勇者との対戦では、勇者のクセを見切って戦ってみせた。……ただ、あいつは変に優しすぎるところがある。誰にからかわれても怒る表情を見せないし。そういう意味では、あいつは戦いそのものには向いていないかもしれない」
「あの子に最も近しいあなたらしい意見ね」ガイナスが目を細めて言った。
「でも、あいつの洞察力は俺たちの助けになる。あいつの才能は、この戦争の勝敗を分けるほどの重要なものになると思う。あいつをあまり低く見ないでやってほしい」
ルッチは力を込めて言った。本心から出た言葉だった。
ふと、カイルは昨日の村でのことを思い出した。あそこでレトは敗残兵の存在に気づき、さらには潜伏場所まで言い当てたのだ。なるほど敵の首をあげることでは大して手柄もあげていないが、戦い全体に関わることでは、レトの貢献度は大きいと思う。
「俺はレトを低く見ていないつもりだ。ただ、お前ほど高く見ていないかもしれないがな」
カイルは腕を組むと、ルッチに向かって話した。
「やはり、戦いの貢献ってものは、どれだけの数の敵を倒したかで測られる。数字ってものは嘘をつかないからな。どうしてもそれが判断の基準になる。数匹のゴブリンやホブゴブリンを仕留めたぐらいじゃ、レトを高く評価するのは難しいさ。実際のところ」
ノギスがカイルの気持ちを代弁するように口を開いた。
「でも、俺もあいつには期待しているところが大きい。それは認めるぜ、ルッチ」
ノギスは話をまとめるように杯を上げて言った。ルッチはノギスの言葉にうなずくと、今夜はレトのことを話題にするのは避けようと思った。カイル班の仲間たちは、程度の差はあれ、レトのことを評価しているのがわかったからだ。今のところはそれで十分だろう。
ルッチも注がれた酒をぐいっとあおると、別の話題に入っていった。
全身が悪寒でガタガタ震えている。寒くないのに、ここまで身体が震えるなんて……。
レトはテントのなかで小さく身体を丸めて、うずくまるように横たわっていた。暗闇にいるので様子がわからないのにもかかわらず、自分の手が血のりでべったりしているように思える。もちろん、戦闘が終わったあとに、浴びた返り血は洗い落としている。両手にこびりついた血もきれいに洗い落とした。だが、闇で見えない自分の手に、レトは血にまみれている様子が浮かんでくるのだ。
……覚悟はしていた。魔族であれ、『生きている者』を殺すのが戦争だと。それを行なうのが自分であると。それなのに、いざ数人の魔族を殺すと、僕はここまで動揺するのか? あの覚悟はウソだったのか? 僕は自分自身をあざむいたのか?
そんな自問は無意味だった。答えを得ることはできないと、とっくに諦めていたからだ。
……情けない。僕はまた、無様な姿をさらしてしまった。ルッチさんは僕を心配してくれている。ずっと気にかけてくれている。だけど、このままじゃ、あのひとにも呆れられてしまうだろう。
レトは奥歯をぎりりと噛みしめた。
「いい加減、こんな震え止まってくれ!」レトは口の中で叫ぶと床に顔をつっぷした。『勇者の団』の戦いは始まったばかりだ。今回は大勝利に終わったそうだが、レトにとっては屈辱の初陣になってしまった。この気持ちは必ず雪がなければならない。何としてもだ。
ふと、目の端に鈍く光っているものが見えた。手を伸ばしてみると、それは自分の剣だった。レトは自分の剣を引き寄せると、それを抱きかかえた。金属のひんやりとした冷たさが腕や胸に伝わる。しかし、そんなものでもレトの震えを鎮めるのには役立った。レトは自分の手が震えていないことに気がついた。剣を抱くことで安心感が生まれたようだった。
……本当に他愛ない、僕は……
レトは剣を抱えたまま心の内で自虐した。そして、いつの間にか、そのまま眠りに落ちたのだった。




