追跡【scene7】
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ひとりと1匹の見つめ合いは、ほんの数秒のことだった。しかし、そのときのラリーには何分もの出来事だと思った。極端な話、そのとき『時は止まっていた』のだ。
先に動いたのはゴブリンだった。「ギャウ!」と叫ぶと、ラリーの手を振り払って樹から飛び降りた。地面に着くや、一目散に南へ走り出す。その先にはアングリアがある。
「見つかった!」ラリーは叫んで駆け出した。
「何やってるのよ、あなた!」
もやで視界は良くないが、メリーは事態を理解して大声をあげた。彼女もボーガンを手にゴブリンを追い始めた。
「あいつを狙撃できるか?」走りながらラリーはメリーに尋ねた。
「樹が邪魔なの。相手の足も速いから、さらに狙いづらいわ!」
メリーは走りながら答えた。
「だよな、やっぱり」ラリーは懸命に走り続けた。
森のはずれまでは1里ほど離れている。さすがにゴブリンも全力で走り続けられないだろう。疲れて足が遅くなったときに仕留めなければならない。
ラリーは一度足を止めて、後続を確認した。6番隊の隊員たちはそれぞれ武器を手に後を追っている。
「後続は周囲を警戒しながら追ってきてくれ! やつの仲間がいるかもしれない!」
さきほどのゴブリンが偵察任務の者だとしたら、おそらく仲間と来ている。すぐ近くに姿は見えなかったが、樹の陰に隠れているかもしれない。こちらをやり過ごして逃げられると厄介だ。
……とは言っても、この事態は俺が原因だからなぁ。俺が何とかしないと……。
再び走り出しながら、ラリーは気が重くなっていた。自分の行動のせいで、この作戦が失敗することになれば、自分はおそらく生きていられない。作戦の失敗は、リオンが勇者としての立場を失うだけではない。大勢の仲間を死なせることになるのだ。そのとき、ラリーは軍事法廷で裁かれるはずだからだ。
ラリーはぶんぶんと頭を振った。
……させるか、そんなこと。絶対、やつを仕留める!
ラリーは必死の形相で南へ走り続けた。
森の樹々はひとひとりが走り抜けられる間隔で立っていた。そうは言っても全速力で抜けられるものでもない。小柄なゴブリンは器用に駆け抜けて、ラリーたちとの差を広げている。急がないと、もやも手伝ってゴブリンの姿を見失う。ラリーは気持ちだけが急いていた。
どのぐらい後を追っただろうか。不意に目の前が開けて、ラリーは足を止めた。数百メルテ離れた先に左右いっぱいに広がった高い壁がそびえている。アングリアの城壁だ。ラリーは森を抜けたのだ。ラリーは慌てて森の中へ駆け戻り、樹の陰からアングリアの様子をうかがった。
「アングリアに着いたの?」背後からメリーの囁き声が聞こえた。ラリーは振り返ると親指で城壁を指した。
「ああ、着いちまった。やつは逃げ切ったようだ」
「それにしてはおかしいわね」メリーはラリーの隣に立って外を眺めた。
「おかしい? どういうことだ?」
「アングリアの様子が静かすぎる。敵襲で騒ぐ様子も、城壁に仲間を集める動きもない。もやで見えづらいけど、城壁には何匹かあいつの仲間が立っている。でも、ただ突っ立っているようにしか見えないわ。あのゴブリンは仲間に私たちのことをまだ知らせてはいない」
「……ということは、俺たちはあいつをいつの間にか追い抜いたのか?」
「違うと思う。想像だけど、あのゴブリンは森を出るのをためらったのよ。それで、どこか近くに身を潜めているのだわ」
「どうして?」
「もし、あのゴブリンが自分の命を顧みず、仲間に危険を知らせるのであれば、今ごろ大声をあげてこの平地を走っているはずよ。そして、私のボーガンで射殺されていた。この程度のもやなら、私が撃ち損じることはないしね。でも、あいつはそうしなかった。仲間に危険を知らせるより、自分の命を守るほうを優先したのよ。まだ間に合うわ。あいつを仕留める機会はまだ残っている」
ラリーは自分の周りを見回した。「いるのか、この近くに。あいつが、まだ」
「私の見立てだけどね。信じる?」
「ああ。メリーの話は理屈が通っていた。俺はさっきの説明に納得している」
「そう」メリーはボーガンを構え直すと、ラリーと背中合わせに立って周囲に目を向けた。ラリーは胸から投げナイフを取り出して構えた。
「念のために確認するけど、あの平地でうつぶせになったら、ゴブリンは身を隠すことが可能かしら?」
メリーが尋ねるとラリーは首を横に振った。
「無理だ。あそこの平地は貴族の庭みたいにきれいに刈り込まれていた。襲撃者が隠れられないように、アングリアのひとたちが定期的に手入れしていたようだ。おかげで、こっちも身を隠して近づくことができないわけだがな」
「なら、あいつはここにいる。私たちのすぐそばに」
メリーは左右にすばやく視線を走らせた。森の周囲からはようやく追いついた仲間の影があちらこちらに見える。彼らの様子を見る限り、誰もゴブリンを見つけてはいないようだ。
不意に、ラリーがメリーの肩をつついた。振り返ると、メリーの肩に小枝が載っている。ラリーがその小枝を指さしていた。今しがた肩の上に落ちたばかりのようだ。それを払い落とすと、その肩に今度は木の葉が舞い降りてきた。ラリーはナイフを持った手で、無言のまま小さく上を指す。メリーも微かにうなずいてみせた。
メリーはさっと上へボーガンを構えると、間髪入れずに矢を放った。「ギャッ」という小さな悲鳴とともに、ゴブリンが地面に落下した。ゴブリンは太ももに矢を受けて、地面でのたうち回っている。
「悪いな」ラリーはナイフを閃かせて振り下ろした。
物言わぬ塊となって横たわるゴブリンを前にして、ラリーとメリーはしばらく無言だった。
「感謝してよね。これ、貸しにしとくわよ」
メリーが腰に手を当てて、ポンとラリーの肩を叩いた。いたずらっぽい笑顔だ。ラリーは苦笑してメリーに顔を向けた。
「お礼に俺の熱い抱擁とキスをあげるよ」
「あ、それ、全然いらない」
メリーは素の表情に戻って、手をぶんぶんと振った。




