軍議は躍る【scene26】
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ディクスン城の廊下をふたりの男女が歩いていた。ひとりは小柄な老人で、大きな眼鏡をかけていた。豊かな口ひげとあごひげはともに真っ白になっていた。もうひとりの女性は若く、すらりと背が高い。長い髪に大きな眼鏡、体つきはすれ違う兵士が思わず振り返るほど魅力的だった。
「教授。本当に私がここへ来ていいんですか? 私は臨時の助手なんですよ」
若い女性は老人に文句を言っているようだった。表情も渋い様子だ。
「だったら、臨時と言わず、ずーっとワシの助手でいてくれんかのう?」
教授と呼ばれた老人はあごひげを撫でながら答えた。
「ぜーったい、お断りです。第一、私の専門は魔法工学で、教授の魔法史学とは方向性もまるで違うんですよ。私はあくまで新しいひとが入るまでの『つなぎ』なんですからね、つ・な・ぎ!」
「何じゃ、つれないのぉ。ワシと君とは相性もバッチリじゃと思ったんじゃが……」
「……何の相性ですか。何の」
女性は呆れ顔だ。「教授と相性のいい女性なんて、奥様以外におられませんよ。女性に甘えたかったら、お家に帰って、奥様に甘えればいいんです」
「……最近の家内は、ますます冷淡になってのぉ。この半年、まともに口をきいておらんのじゃ……」
「同情はしませんよ。どうせ、あちこちで女性に声かけまくっているのがバレたんでしょ」
「とんでもない。今、ワシの心の中にいるのは君だけじゃぞ」
「この間、居酒屋のキャリーに、そのセリフを吐いていましたよね? 私、たまたまあの店で飲んでましたので、よーっく覚えています」
「マジで?」
教授は気まずそうに黙って歩き続けた。女性はじろりと教授を横目で見る。
「で、教授。何か釈明はあるんですか?」
教授は女から詰問されると、ひとつの扉を指さした。
「おお、あの部屋じゃ! お偉方を待たせてはいかん。急ぐぞ、ウスキ君!」
そう言うが早いか、どたどたと扉へ駆け寄った。
ウスキと呼ばれた女性は、蔑みの目つきで教授の背中を見つめていた。「おっさん、逃げたな」
審議室には、これまで大臣など重鎮の者だけが集められていたが、今日はリオンの仲間たちも集められていた。ラリーやトルバは、宰相や大臣などを前に緊張で引きつった表情で座っている。チェックやスライスは対照的に静かな表情だ。メリーとエリスは居心地悪そうに肩を寄せ合っている。この場に女性は彼女たちふたりだけで、部屋の雰囲気も談笑できるような明るさがまるでなかったからだ。リオンとケインの姿はまだない。審議室の扉にノックの音が響き、ケインが入室した。
「お待たせしました。リオンも間もなく着きます」ケインが頭を下げながら言った。
「勇者殿は、昨日例の技を闘技場で使ったそうだな」
左大臣ヘルベルトが声をかけた。ケインの表情がわずかに動く。「は。その通りでございます」
「そして、また、フラフラの状態になって寝込んだそうじゃないか。本当に彼はここに来られるのかね?」
左大臣は皮肉な笑みを浮かべている。ケインは表情こそ変えなかったが、心のうちで「黙れ太っちょ!」と毒づいていた。
「彼はすでに身支度を整えているところでした。間もなくです」ケインは「間もなく」の部分を強調して言った。そこへ扉をノックする音が聞こえ、入ってきたのはリオンだった。
リオンはやや蒼ざめてはいたが、しっかりとした足取りで部屋の中央に進み出た。弱っている様子は見られない。
「お待たせして申し訳ございません」
リオンは頭を下げると、空いている席にさっさと座った。それを見て、慌ててケインも駆け出してリオンの隣に座る。
「出席予定の皆さまが揃いました」宰相秘書のライアン・リシュリューが席から立ち上がった。
「それでは、皆さま。軍議を行ないたいと思います」
スライスが立ち上がった。
「まずは我が団の陣容について述べたいと思います。我が団に志願した者のうち、審査を行なって優秀な人材を選抜いたしました。それにより、千名の志願兵を揃えることができました。剣士、斧使い、槌使い等の攻撃役あるいは壁役、七百五十名。射手、百五十名。魔法使い、百名。その中に我々リオン団が含まれます。この千名の中には著名な冒険者も入っており、精鋭ぞろいの陣容になりました」
「ほっほっほ」
左大臣ヘルベルトが笑い声をあげた。
「たしか、右大臣殿は勇者殿の援助を申し出ておらんかったかな? 右大臣殿の援助をもってしても、千名の兵員しか揃えられなかったのかね?」
「……勇者殿は、我が援助を遠慮されたのだ。もっと、ほかの使い道に資金を使うようにとな」
右大臣ルトガルドは平静を装いながら答えたが、腹の中では「黙れ太っちょ!」と毒づいていた。
「右大臣様からはご厚意のある申し出をいただいていましたが、今は皆さまが苦しいときです。我らは我らでできる範囲で国に貢献したいと考え、ご辞退申し上げたのです」
リオンが落ち着いた表情で付け加えた。左大臣はその答えに満足そうだった。
「そうかね、そうかね。右大臣殿の申し出は断ったのかね。自分たちの力で使命を果たそうとは見上げた心がけだ」
ケインはやや伏し目がちになって奥歯を噛みしめた。ぬけぬけとした言い方に怒りが湧いてくる。
……お前らの権力争いに巻き込まれたくないから、こうするしかなかったんじゃねぇか! どれぐらいの数の敵とぶつかるかわからないのに、こちらはたった千人で戦わなきゃならないんだ。最大3万の軍勢相手に、たったの千人だぞ。それがどれだけ不利な状況なのかわかっているのか。そこはヘラヘラ笑っているところじゃないんだぜ。しかも、国を救うはずの勇者への支援を、政治に利用しようとしやがって! 今、俺たちは誰のために戦うのかわからなくなってきているところだぜ……
ケインはちらりと宰相に視線を向ける。宰相はさきほどからのやり取りをまったく感情を見せずに静観していた。宰相は目つき鋭く口を真一文字に結んで、いかにもおごそかな様子だ。
……一方、まったく読めねぇのが宰相閣下だ。国を救うための勇者への資金提供を含め、一切関わろうとしない。大臣たちに任せっきりだ。大臣たちの腹の中ぐらいお見通しのはずなのに、あえて放置しているようだ。『冷血宰相』だの、『鋼鉄宰相』だの、いかにも周りに厳しい人物らしいあだ名がついているのにな。俺たちの存在なんか眼中にもないような態度だ。王国最大の危機に動じた様子がないのはさすがだが、魔族どもを撃退させる秘策でも持っているのか?
ケインは宰相の落ち着き払った様子に不気味なものを感じていた。宰相の冷徹さは有名ではあるが、実際に本人を見てみると、評判とは違う印象を抱く。冷徹というより、冷静すぎる。宰相は心理的に何か超越している気がするのだ。王国最大の災厄に対しても、ちょっと大雨が降った程度の心配も示さない。自分たちの立場を維持すること以外に興味を示さない大臣たちは、不愉快ではあるが理解はできる。だが宰相の内面はまったく読めない。
「何にせよ、千名の精鋭を揃えられたのは喜ばしいことだ」左大臣は満足げな笑みを浮かべながら話を続けた。
「さっそく、軍団名をつけなければならんな」
「それについては考えがございます」
スライスが立ち上がった。
左大臣は話しの腰を折られて、不快そうな表情を見せた。「考えがあると?」
スライスはうなずいた。「はい。リオンが率いる団です。単純明快に『勇者の団』とさせていただきたいのです」
「『勇者の団』? ずいぶんとまっすぐな名前にしたものだね。そうしたい理由はあるのかね?」
「リオンが覚醒者となったのは、もう1年以上も前のことです。ですが、王国内は未だにリオンの存在を知らないひとがいます。ラファールの子孫から、勇者の力に目覚めた者が現れたことを知れば、国民たちは大いに勇気づけられるでしょう」
「そのため、あえてこの名前を選ぶと?」
これまで無言だった王宮魔導士ザバダックが尋ねた。
「わかりやすさは大切だろう、ということです」
スライスはザバダックにかぶせるように言うと、座席の背中側でごそごそと探し物を始めた。目的の物を見つけると、それを両手に持って広げてみせた。
「そして、これが我々の旗です」
「軍旗だと!」右大臣が怒鳴り声をあげた。「私にひと言も諮らずにか!」
「君に諮らねばならぬ道理でもあるのかね?」
左大臣は不敵な笑みを浮かべて言った。「君の部下ではあるまいに」
「構わぬ。話を続けよ」
宰相がさえぎるように言った。低く静かだが、よく通る声だった。宰相のひと声で言い合いが始まりかけたふたりの大臣は口をつぐんだ。スライスは頭を下げると、旗を高く掲げた。
「勇者ラファールが魔王バルバトスに戦いを挑んだ時、魔王軍の黒一色の旗をX状に切り裂き、それを軍旗とした故事にならいました。魔侯に戦いを挑む我々を象徴するものだと思います」
旗は明るい紺色にXの模様が白く抜かれていた。Xの四隅は尖っていて、4本のナイフが外向きに並べられているようにも見えた。
「魔侯の侵略に心を痛めている国民にとっては、心を明るく灯す希望の光となろう。良い旗だ。公式のものとして使用するがよい」
宰相は周りが何かを発言する前に軍旗の件を認めた。これにより、左大臣はもちろんのこと、右大臣でさえも異議を唱えることはできなくなった。ふたりはあいまいにうなずくと、「まぁ、よかろう……」「たしかに良い旗だ……」と口の中でつぶやくように言った。不承不承であるのは明らかだ。
「兵は揃えた。団名も軍旗も決まった。あとは支援物資などを用意して出陣するだけですな」
財務大臣が手元の書類に目を落としながら言った。財務大臣が何を話題にしたいのか察したらしい。スライスが再び口を開いた。
「実は、アイリッシュ伯爵家、バークリー子爵家、チェスタトン男爵家の御三家より、団への寄付の申し出がございました。合わせて1千万リューを超える金額です。先に支給頂いた額と合わせ、支援物資やそれらに係る者を雇い入れるつもりです。王国にさらなる予算の追加を願うことはございません」
「それはよろしかったですな。我々も安堵いたしました」財務大臣は満足げにうなずいた。スライスが察したように、追加の予算を要求されると思っていたようだ。予算追加の必要なしと言われて、心底ほっとした表情だった。それを見て、ケインは再び不愉快になった。
……どいつもこいつも戦争に勝つことを考えていねぇ。状況の深刻さが見当もつかないのか……
「支援部隊の編制、およびそれらに係る準備を含めますと、おおよそで一週間後には出陣できるものと考えています」
スライスが書類をめくりながら説明する。スライスはこの会議で議題にのぼるであろう事項について網羅してきているようだ。
「いよいよ、我々が戦うときです。どうか、攻撃目標のご指示を」ケインが身を乗り出して言った。
「……うむ、それなんだが……」右大臣は斜め上を見ながらあごを撫で始めた。ケインは嫌な予感がした。
「……今日、ここで攻撃目標の設定はない。一週間後、準備が整った時点で指示を出すことにする」
「そんな!」ケインは立ち上がった。
「攻撃目標が決まらなければ、我々は細かい準備ができません。平地での作戦なら平地用の武装と作戦を、攻城戦であれば攻城用の装備や武器を用意しなければなりません。スライスが報告した一週間とは基本体勢の準備が完了するまでの話です。そこから改めて作戦の指示では、さらに準備に時間をかけなければならなくなるんです。我々の出陣がさらに遅れてしまいます」
「決まってないのは、決まっておらんのだ!」右大臣はテーブルに拳を叩きつけた。
「何だ、その顔は? 我々が手をこまねいているとでも言うつもりか!」
左大臣は目を閉じてうなずいている。左大臣も同様らしい。つまり、彼らは何も考えていないのだ。戦略や作戦指示の権限を持ちながら、それを行使するための策を持ち合わせていないのだ。ケインは唇を噛みしめて横目でリオンの様子を見た。リオンは静かに目を閉じている。その表情から何を考えているのかうかがうことができない。ケインは憤りの行き場を失い、椅子に腰をどすんと下ろした。
軍事的なことであればランブル将軍に意見していただくべきか。ケインは大臣たちから視線を将軍に移した。しかし、将軍も腕を組んで両目を閉じて沈黙している。考えてみれば、両大臣や将軍は軍事的な功績で出世したわけではない。家柄と政治力で、この高い地位についているのである。この王国始まって以来の国難に、彼らがどれほどの決断が下せるというのか。これほどの規模による魔族の侵攻は、ここ3百年起きていないのだ。小規模の魔族狩りならともかく、軍事に明るい人材がいなくても当然の話だった。
気まずい沈黙が場を支配した。誰かが作戦について発言しなければ、この会議は進まない。だが、誰も話を進められずにいるのだ。
外の廊下でどたどたと慌ただしい足音が響いてきたのはそのときだった。審議室の扉を気忙しくノックする音が聞こえると、返事を待つことなく扉が開いた。そこから白髪の老人が顔をのぞかせた。
「お邪魔しても良いかね?」老人はあたりをうかがいながら尋ねた。
「何者だ、貴様!」右大臣が怒鳴り声をあげた。「今、大事な会議中だ! 今すぐ去れ!」
「私が招いたのです」
小リシュリューことライアン・リシュリューが立ち上がった。
「お前が? どういうことだ?」宰相は鋭い視線を甥の秘書官に向けた。
「この人物は王立魔法学院、魔法史学の学者です。魔侯の軍事行動について興味深い考察を申しております。皆様にもお聞かせしたいと考え、ここに招いたのです」
「魔侯の軍事行動の考察だと……?」秘書官の説明に宰相の目が光った。宰相は小さくうなずいた。「よかろう。あの者の入室を許可する」
老人が部屋に入ると、すぐ後ろから背の高い女性が続いた。女性は進み出ると自分の胸に手を当てながら自己紹介を始めた。
「大切な会議のなか、私たちにお時間を下さり、まことにありがとうございます。あちらは王立魔法学院、魔法史学が専門のシドニー・パジェット教授。私は助手を務めるヴィクトリア・ウスキと申します。これより、魔侯の軍事目的についてご説明いたしたく存じます」