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負の記憶(その3)【scene24~25】

24


 オーベルスタインの屋敷には小さな花壇があった。庭が広いわりにはこじんまりとしたもので、季節ごとに花が咲くよう様々な種類が植えられていた。リオンは朝からその花壇に屈みこんで、雑草抜きや害虫駆除などを行なっていた。花壇は小さくとも細かい作業を必要とするもので、なかなか時間がかかる。

 リオンは日が昇り、あたりが暑くなる前に終わらせようと思っていたが、作業を終えると昼近くになっていた。リオンは拳で汗を拭った。

 「リオン、ちょっといらっしゃい」

 屋敷を見ると、花壇へ通じるポーチにオーベルスタイン夫人が立っている。夫人は冷たい表情でリオンを手招きしていた。リオンは手袋を脱ぎながら立ち上がると、夫人の元へ歩み寄った。

 「あなた、一昨日にノースの三男坊と会っていたそうね。隠してもダメよ。裏は取れてるんだから」

 リオンはうなずいた。

 「じゃあ、この話は本当かしら? あの三男坊が冒険者グインとともに村を出る。そして、あなたもついて行くって」

 リオンは驚いた。そんな話がどうやって夫人に伝わるのか。リオンは夫人に暇を頂く話をいつ切り出すか悩んでいた。思いがけずに夫人からその話を切り出されたのだ。

 「オーベルスタイン夫人。これまでお世話になりました。俺、ケインと一緒に世界を見て回ろうと思います。どうか、お許しを」

 「ダメよ! 絶対に許さない!」

 夫人は大声をあげた。屋敷の陰から執事が顔をのぞかせたが、ふたりの姿を見ると無言で顔を引っ込めた。

 「絶対にダメ」夫人は繰り返した。両手を伸ばしてリオンの肩をつかむ。かなりの強さにリオンは顔をしかめた。

 「あなたは私のもの。誰にも渡さないし、どこにもやらない。あなたは一生、私に仕えるの。もし、出て行こうとしたら、私のつてを使って連れ戻させるわ。舐めないでよ、オーベルスタインの力を。私の命令に忠実な者は大勢いるのですから。それに、あなたを連れ出そうとするノース家も許さない。絶対に潰してやる。父親も、母親も、長男も、そして隣の街にいる次男も、全部まとめて地獄へ送ってやるわ。主犯の三男坊は特に念入りに殺してやる。天国に行けないほど汚しまくってからね!」

 夫人の両目は憎悪で吊り上がっていた。リオンはこれほどの憎悪を目の当たりにしたのは初めてだった。背筋に戦慄が走る。

 「いい? あなたの世界はここだけなの。下手に出ようとしたら周りの世界を壊すことになるわよ。そのことは肝に銘じておくことね!」

 夫人はうなだれるリオンを置いて屋敷の中へ戻った。リオンは両手をぎゅっと握りしめる。手の中で手袋がもみくちゃになった。


 翌朝、ケインは村はずれの橋の上でリオンを待っていた。リオンは手ぶらでケインの元へ駆けつけた。

 「おい、遅いぞ。グインさんたちは先に出発しちまった。依頼ミッションの打ち合わせがあるから、今日の昼までにケルン市に着きたいんだそうだ。俺はお前を連れて追いかけるって話して待つことにしたんだぜ」

 ケインはリオンの姿を見ると、文句を言い始めた。革袋を肩からぶら下げ、腰には真新しい剣が差してある。ケインはリオンが手ぶらであることに気がついた。

 「おい、お前、どうした? 荷物はないのか?」

 ケインは悪い予感で表情が曇った。この期に及んで「行かない」と言い出すかと心配になったのだ。

 「悪い、ケイン」

 リオンは息を切らせて謝った。

 「ケイン、本当に申し訳ないが、先に行ってくれないかな? 俺、用事が終わらなかったんだよ」

 ケインは戸惑った。「用事? 今さら何の用事だよ?」

 「いろいろさ。村を出るのに必要な手続きってけっこうあるんだよ。俺、昨日で全部済ませられると思っていたんだが、書類に不備があるだの、手続きに問題があるだの。結局、今日も村長とか村の役員とかに会わなきゃいけないんだ。たぶん、半日はかかると思う。そんなに待たせられないから先に行ってほしいんだ」

 「お前、それ本当の話か? 本当にそれだけの理由か?」

 ケインはリオンに問い質した。オーベルスタイン家がからんでいないか疑っている様子だ。

 「本当だ、ケイン」リオンはうなずいた。「後から必ずケルン市に行く。だから、お前にはケルン市の市場で俺の装備を探してほしいんだ。村を出る準備と言ったって、俺は着替えぐらいしか荷物がないからな。頼むよ」

 「そうだな。それなら仕方ないな」ケインはようやく納得したようだった。

 「じゃあ、俺は先に行く。ケルン市に着いたら、街の中心にある冒険者ギルドに顔を出してくれ。俺たちはそこで泊まることになっているから」

 「わかった」

 ケインは身体の向きを変えると、橋を渡り始めた。

 「いいか、待ってるからな。必ず来いよ」

 ケインは手を軽く振ると、村を出て行った。リオンはケインの姿が見えなくなるまで見送った。ケインを見送ると、リオンは一瞬目を閉じて呼吸を整えた。

 両目を開いたリオンの目は、先ほどとは違う光をたたえていた。敏感な者なら、そこに『殺意』を見出しただろう。

 「さて、用事を片付けるか」リオンは小声でつぶやいた。


 その日、オーベルスタインの屋敷で火事が起こった。炎は屋敷を完全に破壊して、屋敷は無残に焼け落ちた。焼け跡からはオーベルスタイン夫人の遺体が見つかった。夫人ののどには何かで斬られたような跡があったが、屋敷が焼け落ちた際に傷つけられたものだと結論された。屋敷には執事や家政婦などもいたが、ちょうど彼らが不在のときに起きた事故で、死者は夫人ひとりだけだった。それが不幸中の幸いだと村人は語り合ったのだった。


25


 「おっ。リオン、目を覚ましていたか」

 ケインがリオンの部屋を扉の陰からのぞいていた。リオンはちょうど身支度を終えたところだった。

 「着替えしていたんだ。ノックぐらいしてくれよ」

 「したさ。お前、何か考え事していたみたいで気づいていなかったぜ」

 言われてみればそうだった。リオンは起き出しながらも、まだ夢を見ながら漂っているようだった。ふとしたことで蘇る、封印したはずの記憶の中を。胸の奥にずしりと沈む、捨てた故郷の風景の中を。

 「そうだな。ぼんやりとしていたよ。まだ本調子じゃないみたいだ」

 ケインが心配顔で部屋に入ってきた。

 「大丈夫か? 昨日は驚かされたぜ。あの聖光十字撃グランド・クロスを人間相手に使うなんてな。やられた相手はケガ程度で済んだが、下手すりゃ殺していたんだぞ」

 「心配させて済まない。ちょっと生意気な若者にひと泡吹かせたくなったんだ」

 「お前だって、まだ若造だろう?」ケインは呆れ顔で自分の腰に手を当てた。

 「聖光十字撃グランド・クロスは威力も大きいが体力の消耗も激しい。一度使えば、体力が回復するまで使うことができない。これが、この技の問題点だと考えていた。でも、威力を抑えれば、体力の損耗も抑えられる。そう考えて、威力を手加減した聖光十字撃グランド・クロスを使ってみたんだ」

 「結果は失敗に見えたな」

 リオンはうなずいた。

 「体力の損耗とあの技の威力は直接的な関係になかったんだ。おかげで、自分の技の秘密に少し近づけた」

 「……ってことは、体力を損耗させずにあの大技が使えるようになるのか?」

 「それはまだだ。だが、あと何回か試していけば、あの技のことがわかるかもしれない」

 「一発でフラフラになる技だからな。そう何度も使って確かめるわけにはいかないが、最大の弱点が解消されるのなら、試したいところだな」

 「また、闘技場を使わせてもらえるかな」

 「出陣まであまり時間がない。本意ではないが実戦で確かめるしかないと思うな」ケインは首を横に振った。

 「そうだな」リオンはあっさりと同意した。口の端に笑みが浮かんだ。だいぶ気分がよくなってきたのだ。

 ケインもその様子に安心したのか、彼も笑顔になった。

 「お前がそんなことを考えていたとはわからなかったよ。だが、人間相手に試そうなんてこれっきりにしてくれ。俺たちは仲間をひとり失うところだったんだからな」

 「……仲間……」リオンの笑みが消えた。一瞬、背筋に悪寒が走る。

 ケインは両手を広げた。

 「そうさ。あいつを、レトを俺たちの仲間に加えることに決めたぜ。ラリーたち審査した全員一致の判断だ。エリスだけは反対したが、それでも過半数だし、そもそもあの子は審査員じゃなかったしな」

 「メリーやトルバ、チェックもか」

 「スライスもいるぜ。あいつは進行係兼任の審査員だったからな」

 「スライスもか」リオンは顔を伏せた。リオンの反応にケインは真顔に戻った。

 「お前はあいつと直接試合してどう思ったんだ? 何か不満を持ったのか?」

 「レトと言ったか。あいつは剣士として特別褒めるところはない。たしかに腕前は上級者のものだった。だが、『ただの』上級者だ。みんなはそう思わなかったのか?」

 「そうだな。リオンの言っていることは間違いじゃない。あいつを腕力、剣の技量で判断すると、けっこう並みの剣士だ。わざわざ合格させる必要もない。だが、実際に戦ったお前は実感していたと思うんだがな。あいつと戦うのは骨だと」

 リオンはハッと気づいたように顔を上げた。「そうだ。なぜ、俺はあいつから一本が取れなかったんだ? たしかに俺の太刀筋は読まれたように思ったが、それだけでは説明がつかない」

 「レトと同部屋の仲間にガイナスという男がいるんだが、やつが面白いことを言っていた。レトは剣士としては『並み』だが、まったく違う強さを持っているって」

 「違う強さ?」

 「あいつは『洞察力』が優れているんだ。それについては俺たちよりも数段上と言えるほどに。その能力で、戦う前から相手の太刀筋を見極めて戦略を組み立てながら戦うんだ。お前は最初、剣速を落として戦っていただろ? 俺たちがグインさんにやられたやり方を真似してな。その間にレトはお前の動きやクセを分析しちまっていたのさ。だから、先回りして防御することができた。お前が蹴りだの聖光十字撃グランド・クロスだの使わなかったら、ひょっとすると反撃技カウンターで一本取られていたかもしれないぜ」

 「……それが、あいつの強さの正体か」

 ケインはうなずいた。「ああ。ガイナスはこう表現していたな。レトの強さは違う概念のものだ。腕力や技量とは別のものだと」

 「お前はその意見に納得しているのか」

 「正直なところ、それが正解なのかまではわからん。でも、納得はしたな」

 リオンはふううと大きく息を吐いた。「わかった。俺もあいつを歓迎しよう」

 「お前ならそう言うと思ったぜ」

 ケインの顔に笑顔が戻った。リオンの肩をポンと叩く。

 「面白そうなのが仲間になるんだ。久しぶりにワクワクしてきたよ」

 ケインは目を輝かせている。その顔を見て、リオンは目を見張った。

 「じゃあ、俺は先に詰所へ行くぜ。ここには、お前を起こすつもりで来ただけだからな。いよいよ、俺たちの団を編成して出陣だぜ!」

 「あ、ああ……。そうだな……」リオンは口ごもった。

 ケインは元気よく扉まで歩くと、顔だけをリオンに向けた。

 「早く来いよ。リオン!」

 ケインは部屋を出て行った。部屋にはリオンがひとり残された。リオンはさっきのケインの笑顔に動揺していた。あれは、かつて故郷の川べりでリオンを冒険に誘ったとき、彼の両腕をつかみながら向けた、あの笑顔だったのだ。希望に満ちた少年の、まったく邪気のない笑顔。空虚で何の希望も持っていなかったリオンの心に温もりの炎を灯したものだ。リオンはあの笑顔に導かれるように、冒険者になることを決意した。現在のリオンは、あの笑顔から始まったと言っていい。リオンとケインはすでに成年になっていたが、ケインはあのころのように純粋な笑顔を向けた。リオンを思ってではなく、あのレトを思って。

 呆然としていたリオンの口がゆがんだ。怒りの感情がリオンの胸から湧きあがってくる。リオンはかたわらのサイドテーブルに自分の両手を叩きつけた。そして、その姿勢のまま歯を食いしばる。手の痛みなどまったく気にもならなかった。

 「ダメだ。俺はやっぱり、あいつを認められない!」

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