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Ragnarok of braves ~こちらメリヴェール王立探偵事務所 another story~  作者: 恵良陸引


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負の記憶(その2)【scene22~23】

22


 翌日、リオンの母親は近くの街にある大きな病院に入院することになった。

 リオンの母親はベッドで上半身だけを起こして、窓から見える風景を静かに眺めていた。頬がこけ、肌は青ざめた状態だが、身体を休める場所に落ち着けたことで、表情は穏やかだった。リオンはベッドのかたわらの椅子に腰かけて、そんな母親の横顔を見つめていた。

 「こんな病院に入ることができるなんて。リオン、もう一度教えて。私、まだ、事情が呑み込めていないの」

 母親の問いかけにリオンは笑みを浮かべて答えた。

 「昨日、父さんの知り合いだというひとが訪ねてきたんだよ。そのひとはずいぶん前に父さんに世話になっていたそうで、おかげで相当羽振りのいい暮らしができているそうなんだ。この街へ用事で来たついでに、僕たちの村へ寄って、父さんに礼を言いに来たんだって。でも、父さんはいないし、母さんが病気だと知って、父さんへの恩返しの代わりに母さんの入院を手助けしたいって申し出てくれたんだ。ただ、このことで逆にお礼を言われたくないから、母さんには自分の氏名は伏せてほしいって頼まれているんだけど」

 昨夜から何度も考えた作り話だった。

 リオンの母親は、その話を疑う様子はなかった。彼女は深くうなずいて、「ありがたいことです。その方だけでなく、その方をリオンと巡り合わせていただいた神様にも感謝申し上げます」と両手を組んで目を閉じた。リオンの顔から笑みが消えた。

 「正しい行ないをすれば、それはすぐに報われなくても、必ずどこかで報われるのです。あのひとは、将来の自分の利益を考えて、その方を助けたわけではないと思います。ですが、その行ないが今の私たちに救いの手を差し伸べたのです」

 母はとくとくと語っている。リオンは腰が落ち着かなくなった。この話は適当に切り上げて立ち去るつもりだったが、今はすぐにでも逃げ出したい気分だった。

 「リオン。あなたにはつらい毎日を過ごさせて、本当に申し訳ないと思っています。ですが、このことに心を曇らせたりしないでください。自分が苦しくとも、ほかのひとの苦しみを取り除くために動く。そんな『正しいひと』になってください」

 「『正しいひと』……」

 「注意してほしいのは、その行ないが将来、自分の利益につながるという考えをしないことです。ただ、すぐに報われなくても、正しい行ないは、いつか、あなたに何らかの祝福をもたらすはずです。そのとき、あなたはきっと、自分のこれまでの行ないの正しさを実感できるはずです」

 母親はひと言ひと言を区切るように話した。本当は口をきくのも億劫なのだろうが、彼女はある種の使命感を持って語っているのだ。リオンはそれがわかっているから、母親の話を最後まで大人しく聞いているのだった。

 「母さん、『正しいひと』って、『正しい行ない』をするひとってことだよね?」

 リオンの母親は息子に顔を向けた。彼女はリオンの質問に、何か真意があることには気づけなかった。彼女はゆっくりとうなずいた。

 「もちろんです。『正しい行ない』をするひとが『正しいひと』なのです」

 「わかったよ、母さん。肝に銘じておく」リオンは立ち上がった。

 「もう行くのかい?」凛としたリオンの母親も、さすがに寂しさだけは隠せなかった。

 「仕事があるんだ」リオンは短く答えて、病室の出口に向かった。扉を開くと顔だけを向けた。

 「母さんはしっかり身体を直してくれよ。また、顔を出すから」

 リオンは病室を出て行った。

 リオンは廊下の壁にもたれると、長く息を吐いた。母親の顔を直視できない自分に、言い知れない不快感を抱いていたのだ。それが『自己嫌悪』であることをリオンは自覚していなかった。そして、自分に言い聞かせるようにつぶやくのだった。

 「僕は母さんをいい病院に入れてあげることができた。僕は『正しいこと』をしたんだ。僕は『正しいひと』なんだ。でもね、母さん。『正しいこと』って、『周りにとって正しい』ことで、そのために自分は間違ったことをしなければならない。そういうこともあるんだ。間違ったことを自分がすることで、周りは間違ったことをしなくて済むんだ。母さん。『正しいひと』って、そういうことをするひとだと思うよ……」

 リオンはのろのろと壁から身を起こし、病院の出口に足を向けた。彼はこれからオーベルスタイン夫人の元へ向かうのだ。彼女は屋敷の寝室で、彼を待っているはずだった……。


 リオンの母親は結局、回復しなかった。彼女は入院からひと月後にこの世を去った。40歳を過ぎたばかりの若さだった。


23


 季節は暑い夏に変わっていた。呼吸すると熱い空気がのどを圧迫する。この年の夏は猛暑と呼べるものだった。

 リオンは川べりで腰を下ろして川面を見つめていた。そこへケインはリオンの姿を見かけて近づいた。最近のリオンはオーベルスタイン家の用事が忙しく、ノース家の仕事まで手が回らなかった。そのせいもあって、柵の修復以来ケインはリオンと顔を合わす機会がなかった。

 「おい、リオン」

 リオンはゆっくりと振り返った。その顔つきを見て、ケインはどきりとした。しばらく見ないうちに、リオンの顔つきが変わっていたのである。相変わらずの美貌だが、以前に見られた少年らしいあどけなさや穏やかさは消え失せ、近づきがたい冷たさや威圧感が現れていた。それを見て、ケインは最近耳にした噂が真実だと直感した。

 「お前、今日は休みなのか?」

 ケインはリオンの隣に腰を下ろした。リオンは首を振った。

 「いいや。ブロンジーネ男爵へお届け物をした帰りさ。今はちょっとだけ道草を食ってるところだよ」

 口調にも変化を感じた。だいぶぞんざいな感じだ。

 「すっかり、オーベルスタイン家の使用人になっちまったなぁ。まぁ、あっちのほうが手当はいいし、こっちの用事もそれほどあるわけじゃないからなぁ」

 「母さんのことでは君の父さんには大変世話になった。病院の紹介もしてもらったし、火葬の手配も助けてもらったし。なかなかきちんとした礼ができなくて申し訳ないと思ってるよ」

 「夜に挨拶だけ来た時の話か? 親父から聞いたが、お前、顔色がかなり悪くて心配したってさ。それに、お袋さんが亡くなった晩に挨拶に来るなんて、義理堅いって感心していたよ。俺に見倣えとまで言ってたんだぜ」

 冗談めかしたケインの言い方に、リオンはふっと微笑みを浮かべた。そこにはかつて見た穏やかさが残っていた。ケインは胸の奥で安心した。良かった。まだ、リオンはリオンのままだ。少なくともまだ、あの『リオン』は残っている。

 「ほっとした」

 ケインが言うと、リオンは不思議そうな顔をした。「ほっとした?」

 「ああ。最近、お前、お袋さんを亡くして荒れてるんじゃないかと思ってな。周りでいろいろ言っている奴もいるし……」

 ケインはそこまで言って、あっと口を押えた。しかし、もう遅い。

 「いろいろ言っているって、俺とオーベルスタイン夫人とのことかい?」

 リオンは正面を向いて、脇に生えている草をむしった。それを無造作に投げ捨てる。むしり取られた草は夏の熱風に乗って、さぁっと川面へと舞い散っていった。その間、ケインは無言だった。しかし、無言だからこそ、リオンの言っている話を指すのは自明のことだった。

 「本当の話さ」

 リオンはあっさりとした口調で言った。

 「お前、本当に……」

 「おかげで母さんはいい病院に入院できた。病気は治らなかったけど、穏やかで静かに逝ったよ。それだけでも正しいことができたって思うさ」

 「じゃあ、お前はもうオーベルスタイン家に義理立てする必要はないんじゃないか。もう今の仕事、辞めていいんじゃないのか?」

 ケインはリオンの肩に手を載せた。リオンはびくっと震えると、ケインの手を払いのけた。リオンは自分の行動に驚いた表情になった。「悪い、ケイン……」

 「何を謝ってるんだよ、お前」

 ケインは不機嫌な顔になって正面を向いた。ふたりはしばらく無言になった。

 再び口を開いたのはケインだった。

 「お前、俺と一緒にこの村を出て行かないか?」

 「村を……出る……?」

 ケインはリオンと向かい合った。

 「俺さ、冒険者になるんだよ。今、俺の家に、グインってひとがリーダーの小隊パーティが逗留してるんだが、彼らと一緒に旅に出ようって考えているのさ」

 「冒険者になるって……、お前、実家のことはどうするんだよ?」

 「俺って三男坊だからよ、実家を継ぐなんてないんだ。2番目の兄貴だって、もう村を出て、街で建築士の修業中だぜ。実家のことは上の兄貴がどうにかするから、俺は家に縛られずに自由にできるんだ。自由にできるんだったら、それこそ、その自由を満喫できる生き方をしたいじゃないか。そう思わないか? リオン!」

 ケインは両腕を広げた。

 「俺たちの世界はこの村や隣の街で終わりじゃない。もっともっと広がっているんだ。生きてる間に世界のすべてを見た奴なんて、誰もいないんだぜ。ワクワクしねぇか? 世界初の『すべてを見た者』になるってのさ」

 「ずいぶんと大きい話だな。まったく考えたこともなかったよ、世界のことなんて」

 リオンの表情に明るさが戻ってきた。「うらやましいな、そんな夢が持てて」

 「俺の夢じゃない。『俺たち』の夢の話をしてるんだ」

 リオンは目をしばたかせた。「俺たちの……夢……?」

 「そうさ。お前が一緒に来れば、それは俺の夢じゃない。俺たちの夢になるんだ。どうだ、そんな夢に賭けてみないか? 自由いっぱいの夢だぜ!」

 ケインはリオンの両腕をつかんで揺すぶった。リオンはされるがままに身体を揺すられ続けた。リオンはぼんやりとケインの顔を見ながら、小さくうなずいた。

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