勇者(リオン)vs一般民(レト)【scene19】
19
闘技場の周囲は奇妙な熱気がこもっていた。
――勇者が実力を実戦で見せる――
そんな話があっという間に兵舎内で広まり、義勇兵の志願者だけでなく、城内の兵士までもが闘技場に駆けつけてしまったのである。
実際には志願者のための試験だと説明されても、集まって来た者は帰ろうとしない。閑散としていた会場は観客でいっぱいになった。ざわざわする会場を落ち着かせるために、レトの審査は一時中断されてしまった。
レトは闘技場の中央でぼんやりと立ち尽くしている。剣と盾を両手にぶら下げて所在なげのようだ。一方、向かいに立つリオンは、レトに顔を向けることもなく、手にした木剣を撫でながら見つめていた。リオンのかたわらにはスライスが立って、小声で何か話しかけていた。リオンはあいまいにうなずくだけで話を聞いているのかわからない。
「なんか、騒ぎになっちゃってるなぁ」
ケインが辺りを見回しながらつぶやいた。
「無理ないわ。噂でしか知らない勇者の実力が見られるのよ。正直、アタシも興味津々よ」
ガイナスが闘技場から視線をそらすことなく言った。今か今かと待ちわびているようだ。
いったん引っ込んでいた審判が姿を現した。静かになりかけていた会場は、それで再びざわざわしだした。スライスが両手を高く上げて大声をあげる。
「みなさん、お静かに願います! これは、志願者の資質を確認するためのもので、勇者が実力を示すものではありません。勇者は決して本気を出しませんし、特別な技を披露することもありません! そういう期待に応えないものです。予めご了承ください。お願いします!」
会場からは何かぶつぶつ言う声が聞こえたが、言葉としては聞こえてこない。スライスはそれを了承の意と捉えたようだ。彼は周囲にうなずいてみせると、選手の入退場口から出て行った。
審判が進み出てリオンとレトの間に立つ。ふたりは同時に木剣を構えた。
「始め!」
審判は合図とともに後ろへ下がった。リオンは一気にレトのそばへ詰め寄ると、剣を打ち込んだ。
「早い!」ルッチの叫び声に呼応するように周囲からも歓声が沸く。
レトは剣で弾くと、返す刀で打ち返した。リオンはその剣を払いのける。木剣同士がぶつかり合うカン、カン、という音が響き渡る。
「小手調べってところかしら」ガイナスのつぶやきにケインがうなずいた。
「あれは俺たちがガキの頃に受けた試験と同じだ」
「あんたたちが受けた試験?」ルッチはケインに話しかけた。
「そうさ。俺たちはガキだった頃、ある冒険者の小隊に入ったんだ。そのとき、実力を測るということで、ちょうど今のような互角練習みたいに打ち合ったんだ。最初はゆっくりめに打ち合うんだが、徐々に剣速をあげていく。さばききれなくなったあたりがそいつの実力ってことだ。上位の者が新人を試すやり方だよ。リオンはそれであいつの実力を見るつもりなんだろう」
ケインの説明に、ルッチは不安になって闘技場を見つめた。勇者、つまりは常識を超えた者の『剣速』がどれほどまであがるか見当つかないからである。
ケインの説明は正しいようだった。リオンの剣速は少しずつあがっているようだった。初めは打ち返していたレトから反撃の様子がなくなり、終始受けに回っているようだ。ぶつかり合う木剣の音も、カン、カン、と区切るような調子でなく、カンカンと連続したものに変わっている。
「まだ剣速があがるぜ」ケインが笑みを浮かべて言った。
「あれでまだ全開じゃないのか」ルッチは目まぐるしく打ち込まれるリオンの剣を目で追いながらつぶやいた。気がつけば、レトは数回に一度は、リオンの打ち込みを盾で防いでいた。盾がなければとっくに勝負が決まっていたようだ。カンカンと聞こえた打ち合いの音はいつしかカカカカと小刻みな音に変わっていた。
「まだ一本取らせないのか」
ケインのつぶやきは感心した声だった。盾で防がなければならないほどでありながら、レトはそれでも一本取られないように打ち合いを続けている。その粘りに驚いた様子だ。ルッチはふたりの剣の動きを目で追うのがやっとだった。今、レトと同じようにリオンと打ち合えと言われてもここまでもつ自信がない。
「面白くなってきたわ」
ガイナスがつぶやいた。しかし、その表情は面白がるというより、真剣な眼差しだ。
「何が面白いんだよ」ルッチは苛立った声をあげた。
「レトちゃんは思った以上にもっている。勇者の剣速はかなりのものよ。アタシだってあんなのに付き合えるかわからない。そうねぇ。普通なら『もつわけがない』はずなのね」
「でも、レトは何とか耐えているじゃないか」
「そう。なぜなら、レトちゃんは攻撃を防いだと同時にもう次の防御態勢に移っている。盾なんか攻撃が来る前にそこに『置いている』感じだわ」
「……そんなこと、できるのか?」
ガイナスはそこで笑みを浮かべた。何かを企んでいるような皮肉な笑みだ。
「普通なら、って言ったでしょ。レトちゃんはずっと勇者と打ち合っている。剣速があがらないうちからね。つまり、勇者の動きやクセを観察する時間があった、ということよ」
ルッチは目を見張った。ケインとエリスもガイナスに視線を向けている。
「つまり……、レトは……」
「勇者の動きを読んで防御しているってこと」
「まさか、こんな短時間でか?」ケインは闘技場に視線を戻した。ふたりの打ち合い、正確にはリオンが一方的に打ち込んでいるのだが、それはまだ決着がつかないようだった。初めはお互い無表情で打ち合っていたのが、リオンもレトもときおり苦しい表情を見せながら、終わりの見えない打ち合いを続けている。
「動きが読めれば対処はできるものよ。それに勇者は、ああいう手合いに慣れていないみたいね。裏をかいて剣の軌道を変えようとすると、出遅れてレトから反撃を受けてしまっているわ。それで勇者も決め手が打てずにいるのよ」
「……まさか、リオンがこんな相手に苦戦するなんて……」
ケインが呆然としたようにつぶやいた。
「リオン……」エリスが不安そうな表情を闘技場に向ける。
リオンは自分の汗で視界が邪魔されそうになりながら剣を振っていた。最初の余裕はすでにない。
……こいつ、いったい何なんだ? 俺の剣をさばくというより、俺の攻撃する方向に剣や盾を『置いておく』ような動きだ。まるで次の動きが見えているようだ。いや、見えているんだ。だから、さっきから俺の攻撃が決まらないんだ。
剣を打ち込み続けながら、リオンの頭の中は困惑で満ちていた。レトの腕前はだいぶわかってきた。上級者とみなしていいが、単なる上級者である。際立って優れたところがない。それにもかかわらず、リオンはレトから一本を奪うことができないのだ。
……まただ。今の攻撃も防がれた。間違いない。俺の動きは完璧に『読まれている』。馬鹿な。こんなに早く、俺が見切られてしまうなんて!
リオンは奥歯をぎりりと噛みしめた。
……認めない。認めない! 『あの頃』の俺だけでなく、今の俺をも上回っているなど!
リオンは勢いよく打ち込み、その勢いのままレトに体当たりを喰らわせた。さすがにそれは避けられず、レトは数歩後ろによろめいた。そこをリオンの蹴りが襲いかかった。レトの手から盾が弾き飛ばされた。
「何だって!」ケインが叫んだ。
「今のありか?」ルッチがケインの顔を見る。
「ああ、実際の競技でも反則じゃない。だが、リオンが『蹴り』を使うなんて。あんなのは力が覚醒してから見たことがない!」
リオンの蹴りに弾かれるようにレトはさらに数歩後ろへ下がった。リオンも蹴りの反動で後ろへ下がっている。ふたりはだいぶ距離をあけて対峙する形になった。
レトは息があがっているのを落ち着かせようとしながら剣を構え直した。盾はレトの足元に落ちているが、それを拾う余裕があるとは思えなかった。
リオンは間合いを詰めようと一歩踏み出したが、急に姿勢を変えるとさらに後ろへ飛んで下がった。そして、自分の剣を後ろに回して構える。その構えを見てケインが顔色を変えた。
「まさか! リオン、それはやめろ!」慌てて塀を乗り越えようとする。エリスがケインの胴に抱きついて止めた。
「ケイン! いったい何です? いきなり闘技場に入ろうとしないでください! リオンの邪魔です!」
「離せ、エリス! あれは、使っちゃいけない技だ!」
構えているリオンからキイイーンと空気を切り裂くような音が聞こえてきた。身体から黄金色の光を発しているように見える。素人目にも尋常ではない何かを予感させた。レトはリオンの変化に戸惑いながらも剣を握り直した。
「よせ! リオン!」ケインは叫んだ。
ドンッという爆発音が闘技場全体に轟き渡った。リオンからまばゆい光が輝くと、その光は塊となってレトめがけて飛んでいった。レトは目を見張った。
瞬間、レトの身体はまっすぐ闘技場の壁まで飛んで、大きな音とともに激突した。レトはゆっくりと地面に崩れ落ちる。あまりの光景に会場の全員が息を呑んだ。
最初に動いたのは審判だった。レトの元へ駆け寄っていく。それを見てルッチとガイナスも闘技場に飛び込み、レトの元へ走り出した。ほかの者もそれを見て我に返ったようだった。
「……あれが、聖光十字撃……」
「……勇者ラファールが使ったという、あの超必殺技……」
「は、初めて見た……」
会場のあちこちからつぶやく声が広がっていく。やがて、観客はどよめくような歓声をあげはじめた。
「勇者の技! 超必殺技!」
「あれなら魔侯を倒せる!」
ケインはリオンの元へ駆け寄っていた。リオンは黒焦げになった木剣を地面に放り捨てていた。
「リオン! お前、なぜ、あんな技を使った? あれはひとに向けて使うものじゃないだろ!」
ケインはレトが倒れている方角を指さして怒鳴った。そこにはレトを囲んだ人だかりができていた。
「誰か! 救護係を呼んでくれ!」ルッチの叫び声が響く。そこへ白い神官服姿の者が数名駆け寄っていく。回復魔法を使う者たちだ。同じ神官服姿のスライスは入退場口で呆然と立ち尽くしている。
「おい、リオン!」
リオンが何も答えないので、ケインは苛立った声をあげた。リオンは虚ろな表情をケインに向けた。
「大丈夫だ。ちゃんと手加減している」
「手加減って……、そんな話じゃないだろ! あれの威力は絶大なんだぞ!」
ガイナスがレトの様子を調べている神官に話しかけた。「どうなの、この子の具合は?」
神官は額の汗を拭った。緊張から汗が噴き出したようだ。
「たぶん大丈夫だ。気を失ってはいるが」
「どこかの骨が折れているかもしれません。とにかく回復魔法をかけてみます」
女性の神官がそう言いながら呪文を唱え始めた。
リオンはその会話を聞いて、口の端にふっと笑みを浮かべた。
「言っただろ? 手加減したって。そうじゃなきゃ、彼の身体は粉みじんに吹っ飛んでいたさ」
リオンはさらに何か言いかけたケインを押しのけると、ふらふらと入退場口に向かって歩き始めた。それを見て、エリスが会場の出口へ駆け出した。リオンの元へ向かうのだろう。ケインはリオンの後を追おうと一歩足を踏み出したとき、足に何かが当たって立ち止まった。見ると、レトが落とした丸い盾だ。しかし、それは一部がひしゃげて曲がっている。ケインは不思議そうにその盾を見つめた。
リオンはスライスの横を無言で通り過ぎた。ようやく我に返ったスライスはリオンを呼び止めた。
「リオン、あなたは大丈夫なのですか?」
スライスの目はリオンの腹部に向けられていた。リオンがお腹を押さえて歩いていたからだ。
「大丈夫だ。それより、あそこの……」リオンはレトの治療が行われている方角にちらりと視線を向けた。
「彼のことを頼む。それと審査のことも。俺はみんなの判断に任せたい」
「わ、わかりました……」スライスはどもりながらうなずいた。リオンは弱々しく笑みを浮かべると、再び歩き始めた。
リオンはお腹をさすりながら先ほどの光景を思い返していた。
……あいつ、とっさに盾を蹴りあげて俺の腹にぶつけやがった。あんなちゃちな盾もこっちの勢いでぶつかれば強烈な一撃になる。打ちどころが悪ければ、俺も大ケガをしていた。まさか、覚醒者の俺がここまで追い詰められるとは……
リオンは苦痛と屈辱感で口の端がゆがんだ。
……だが、認めない。俺はあいつを認めない。絶対にだ!
エリスがリオンを見つけて駆けつけた。ふらふらしているリオンのかたわらに立とうとする。
「ごめん、エリス。今の俺に構わないでくれ」
リオンは優しく言ったが、エリスは顔を殴られたかのような反応を見せて蒼ざめた。
リオンは立ち尽くすエリスを置いて、その場を去っていった。