勇者に集まる眼【scene18】
18
『ユグドラシル城』の玉座の前で、ガニメデスはひざまずいていた。身体が少し透けているので、この間と同じように魔法による映像の姿のようだ。魔法陣の中心で顔を上げることなく沈黙している。
「顔を上げろ、とは言わない。正直なところ、お前の顔を見たいと思わないのでな」
玉座から、アルタイルが冷たい声を投げつけた。アルタイルの声に、ガニメデスはびくっと身体を震わせた。
「アルフェッカ。代わりに報告してくれ。損害はどれぐらいだと?」
アルタイルはガニメデスのかたわらに立つアルフェッカに声をかけた。こちらはもちろん実体である。
「……は……。我が軍は半数の約1万を失い、現在残りの戦力は、オーク隊、ゴブリン隊を中心に約9千あまり。魔法使いが30名ほど。ホブゴブリンや暗黒処刑人、それとリザードマンを合わせて9百名ほど。ほぼ1万の戦力となります」
「このいくさが始まったとき、たしか、3万の戦力を送り込んだと思ったのだがな。2万失った、ということか?」
ガニメデスは顔から大量の汗を流していた。何も言葉が出てこない。
「私はお前に聞いているのだ、ガニメデス」
「も、申し訳ありません、父上!」
ガニメデスはぶるぶると震えながら吐き出すように叫んだ。
「このたびの失態。責任を感じています。ま、誠に申し訳ありません!」
「私が聞いているのは失った戦力は2万ということだな、ということだ。お前はさっきから何を言っている」
アルタイルの声は相変わらず冷たい。一切の感情を排した声だ。それを聞いて、ガニメデスはますます恐慌状態に陥った。
「申し訳ありません!」
アルタイルはため息をついた。
「お前には軍略の基本を学ばせた。あんな狭い地形に大軍を配したら、挟撃で大打撃を受けることぐらい知っていたはずだ。それを安い挑発に乗って、まんまとおびき出されるとはな。王国の将軍が機をうかがって防衛に徹していたのではないかと、なぜ考えなかった?」
「あ、あの将軍は、この戦いに消極的でした。ぐ、軍を動かすことなど、ありえないはず、だったのです。チリンスを手薄に、しても、攻めてこない、はず、だったのです!」
ガニメデスはあえぎながら釈明した。
「現実ではどうだ? 将軍はチリンスの丘に進軍して、我が防衛部隊を壊滅させた。非常事態を知らせる兵をメネアの途中で始末するなど手回しも良い。お前は将軍の力量を量り間違えていたのではないのか?」
実際のランブル将軍は、そこまで手回しが良いわけではない。そのあたりを見越したリオンが、ラリーとトルバをメネアへの途中の道に配していたのだった。急を知らせる兵を始末したのはこのふたりだ。アルタイルも、その点では将軍の力量を見誤っていた。あの戦いを支配していたのがリオンであったことを、ふたりはまだ知らなかったのである。
「しょ、将軍の力量を……、見誤って……おりました……」
ガニメデスは悔しそうに声を絞り出した。屈辱感で顔が熱くなる。
「見誤っていたと言うのであれば、私もお前の力量を見誤っていたな。こんな体たらくであったとはな」
「お、畏れながら、も、もし、わたくしに、せ、雪辱の、機会を賜れば、か、必ず、奴らを、み、皆殺しに、して、ご覧に、い、いれます!」
ガニメデスは必死で叫んだ。遠く離れた地にいるとは言え、父から処刑命令が下されると、間違いなく助からない。周囲の部下たちは必ず自分を捕らえ、処刑するだろう。彼らの多くは自分の部下ではない。父の部下なのだ。
「どいつもまぁ、雪辱を誓うものだ」アルタイルは呆れたような声でつぶやいた。ガニメデスは顔を少しだけ上げた。「どいつも……?」
「『緑龍』も同じことを言っていたよ。今度こそ奴らを殺してみせるって……。いや、違うな。リオンを殺すと言っていたな」
「リオンですって? そ、それに、『緑龍』に会ったのですか?」
ガニメデスは思わず顔を上げて叫んだ。そして、慌てて顔を伏せた。アルタイルはその反応に興味を示した。「ほう、お前もリオンを知っているのか」
「は、はい……。不思議な技を使う男で、『勇者の団』の団長だと言っておりました。いつかご報告した、ウィルライト家の末裔という男のことです。あいつが、屍霊を戦場に連れてくるなどという、ふざけた真似のせいで、我々はメネアまでおびき出されたのです。まさか、将軍の策に乗せられていたとは気づきませんでしたが……」
アルタイルはそこで顔つきが変わった。これまで冷ややかな表情から、考え込むものへと変わったのだ。アルタイルは自分のあごをなでながらつぶやいた。
「どうやら、私も評価を改めなければならないようだな。ひょっとすると、リオンは単なる武辺ものではないのかもしれない……」
「な、何です、父上……。何をお考えなのですか……」
ガニメデスは許されていないことを忘れて顔をあげて尋ねていた。アルタイルはアルタイルで、そのことを咎めることもなく、自分の思考に集中していた。
「ガニメデス。お前の処遇についての判断は猶予しよう。その間、お前はリオンの首を獲ることに専念するのだ」
「は? はい!」
一瞬、ガニメデスは戸惑った表情を浮かべたが、慌てて頭を下げた。となりではアルフェッカが目を丸くしている。「か、閣下。それでは……」
「ガニメデス。実はな、この話は『緑龍』だけにしているのではない。『白虎』にも同じ話をしている。つまり、『五色の武人』のうちのふたりまでもがリオンを狙っているってことさ」
「びゃ、『白虎オズロ』も傘下に加わったと言うのですか!」
ガニメデスは驚きの表情を隠せなかった。部下から漏れ聞いていたのは、『白虎』は再三の要請に応えなかった、ということのはずだが……。
「いいや、彼は彼の興味でやるだけさ。だが、お前は彼らより先にリオンを討ち取ることができなければ、私が裁断を下すことになろう。それは覚悟しておくんだな」
ガニメデスは目を見開いた。彼は自分が最大の窮地に陥っていることを悟ったのだ。
「わ、私が、リオンを討つために、兵を預けてはもらえるのでしょうか……」
「甘いことを……。我が軍の兵は、捕虜の移送と『ユグドラシル城』の防衛にあたる。この件は、お前自身が保有する兵のみで対処するのだ」
「わ、私が保有するのは、わずか2千名です。……い、いえ……。この間の戦いで三割を失ったので、今は千4百ほどなのです。こ、これだけの戦力で……」
「対するリオンの戦力は9百ほどだ。問題があるのかな?」
アルタイルは、話は終わったとばかりに手を打った。
「さぁ、『緑龍』、『白虎』、そして、お前の三つ巴の競争だ。誰がリオンの首を先に挙げるか、私は楽しみにしておこう。話は終わりだ」
ガニメデスは手を伸ばして「お待ちください、父上……」と叫んだが、アルフェッカが通信魔法を解いたので、その姿や声は消えてしまった。あとには光を失った魔法陣が残されているだけである。
「どうした、アルフェッカ」
アルタイルは、ぽつりと立っている家臣に声をかけた。アルフェッカは暗い表情で主を見上げた。
「か、閣下は、ご自身の嫡子をどうなさるおつもりですか? まさか、本当に処刑なさるおつもりなのですか?」
アルタイルは口もとに笑みを浮かべて、「ふっ」と笑った。
「まだ処刑すると決まってはいない」
「ですが、ガニメデス様が、あの『緑龍』や『白虎』を出し抜いて、リオンという男を討ち取るなど考えにくいですぞ。ガニメデス様もそうお考えのはず」
「出来の悪い後継者なら、いなくて結構だ。それに、代わりはいるからな」
「代わりですって? ガニメデス様に弟君がおられるとは存じていませんが……」
「あいつに弟なんていないよ」
アルタイルはそう言うと、急に笑い声を上げた。アルフェッカは怯えたように立ちすくんだ。
「たしかに、タバルの敗北は痛かったが、私の目的がとん挫したわけではない。予定に狂いも生じているが、大きな狂いとも言えない。大局的に見れば順調だよ。だから、私は楽しみながらやっているのさ。この計画をね。お前も楽しめ、アルフェッカ」
アルタイルはさらに笑い続けた。アルフェッカは戸惑いの表情を浮かべながら、主の顔を見つめていた。
「ダメだ、このままでは!」
通信魔法が切れると、ガニメデスは素早く立ち上がった。狭いテントの中をぐるぐると歩き回る。通信魔法を使っていた魔法使いは忙しく歩き回るガニメデスを心配そうな表情で見つめた。彼はアルタイルの言葉も聞いているので、自分が仕える魔侯の嫡子がどれほどの窮地に陥っているか、正確に把握していた。
「殿下、どうされました?」
側近のホブゴブリンがテントの入り口をめくって顔をのぞかせた。明らかに恐慌状態の主人に、側近は戸惑いの表情だ。
「い、急いで暗黒処刑人を呼ぶんだ。全員だ。俺たちは出立の準備も急がねばならない!」
「お、落ち着いて下さい、殿下! 暗黒処刑人は殿下のご命令で周辺調査に向かったばかりです。彼らが戻るまでは、どうかお待ちください、殿下!」
「ええい、クソッ!」ガニメデスは自分の両手を見つめて悪態をついた。すると、彼の周囲から突風が巻き上がり、テントを吹き飛ばしてしまった。魔法使いは驚いてひっくり返った。ホブゴブリンも思わず地面に伏せた。
「リオン、リオン、何もかもリオン! 必ず殺してやる!」
ガニメデスは開いた両手を握りしめながら叫んだ。
「ドラルク様ぁ。やっと情報が入りましたっス」
木の扉を開けて、ドラルクの部下が顔をのぞかせた。『緑龍』ドラルクはベッドから顔を上げると、「ご苦労、入れ」と言った。彼は現在も魔女レイシアの小屋で療養中だった。
部下は辺りを見回しながら部屋に入った。
「魔女様はお出かけで?」
「知らねぇよ、あんな婆ぁ」
ドラルクは不機嫌そうに顔をそむけた。若い女だと思ってアルタイルからかばったのに、はるか年上だと知って困惑しているのだ。魔女を知る者にそれとなく聞いてみると、少なくとも百年は生きているらしい。自分の3倍は生きていることになる。
「侯爵軍と王国軍がタバルってところで激突したそうですが、侯爵軍は惨敗。ガニメデス様は命からがら森まで逃げ帰ったそうっス。おかげでセルネド、ポラトリスに駐留していた侯爵軍が孤立しちゃいました。駐留していた連中は任務を放り出して森へ逃げ出しているそうっスよ」
「セルネドもポラトリスも占領を続ける旨味がない。そこは逃げるのが正解だぜ」
ドラルクは腕を組みながらうなずいた。リオンに斬り落とされた腕はすっかり繋がって、動かすのに支障はないようだ。
「ただ、こうなると、王国から侯爵軍が一掃されることになる。王国はミュルクヴィズの森まで追ってくることはないから、この戦争はここで終わりだな。中途半端な終わりになるが仕方ねぇな」
ドラルクは悔しそうな口調でつぶやいた。それを聞いて、部下がぶんぶんと手を振る。
「ところが、そう簡単に、このいくさ終わらないんスよ。王国は侯爵様を追討する命令を出したんス。あの、『勇者の団』の連中に」
「何だと?」
「間もなく、あいつらが森に入ってくるってことっス」
ドラルクは身体を起こした。「本当か? 今の話」
「間違いないっスよ。ウラはちゃんと取りました。今日、『勇者の団』はメネアを出立してセルネドに向かっています。セルネドの目の前にある運河を渡って、この森に踏み込むつもりっスよ」
「そうか! 来るのか、あいつらが!」
ドラルクは毛布をはねのけて叫んだが、すぐに胸を押さえてうつむいた。
「イッ! 痛たたた!」
「慌てないで下さいよ、ドラルク様ぁ」
部下はドラルクを横にさせると、毛布を掛け直した。
「傷は塞がっても、身体は治りきっていいないんスから。もう少し大人しくしてくれなきゃ……」
「あの、クソ魔女が! 何が3日で治る、だ。今日で5日目だが、いっこうに完治してねぇじゃないか!」
「何をぎゃあぎゃあ喚いているのさ」
戸口から声が聞こえた。そこには魔女レイシアの姿があった。呆れた表情でドラルクたちを見ている。
「くっ! おい、魔女! 俺の傷はいつになったら完治するんだ? いいかげん、ここにも飽きてきたところだ」
「傷そのものは治っているさ」レイシアは右手の手のひらを上に向けて答えた。
「じゃあ、なぜ!」
「あんたの心の傷が治っていなかったのさ」
「心の……傷……?」
レイシアの答えにドラルクは眉を寄せた。何を言われているのかさっぱりわからなかったのだ。
「そう、心の傷。あんたは初めて人間に敗北して、心のあちこちが傷んでいるのさ。人間に対する優越感、自分に対する絶対的な自信、そして誇り。あんたは、それらすべてを打ち砕かれたんだ。頭の中では恐怖なんてないのだろうけど、心はそうじゃないのさ。あんたは再び敗北することを恐れて、心が苦しんでいるのさ」
「俺が人間を恐れているだと!」
「その証拠に、さっき苦しいと思ったのはどこさ? 胸だろ? 覚えているかい。あんたが重傷を負ったのは、斬り落とされた左腕と、裂傷と大きなやけどを負った背中なんだよ。胸の傷はかすり傷でしかなかっただろ?」
ドラルクは無言で自分の胸に手を当てた。たしかに、胸のあたりに大きな傷はなかった。
「あんたが思いのほか繊細だったのが、あたしの見立て違いだったね。あんたは自分で思っているより強くなかったってことさ」
「何だと、死にてぇのか、クソ婆ぁ!」
ドラルクは再び毛布をはね飛ばした。レイシアは落ち着いた様子で杖を取り出すと、くるりと杖を一回転させた。「ちょっと、お黙り」
ドラルクの顎から蔓が這い上がり、ドラルクの口を縛ってしまった。ドラルクは口に両手をかけてもがいた。
「少しはわきまえて欲しいね。あたしが治療しなけりゃ、あんたは今ごろ、あの世に行っていたんだよ。そんなあんたに偉そうな態度がとれるものかね? ええ?」
……クソッ!
ドラルクは腹の中で毒づいて横を向いた。蔓は完全にドラルクの口を封じてしまっているからだ。
「いいから最後まで聞きな。あんたは手痛い敗北を経験した。あんたが真価を発揮するのはこれからさ。自分が負けた事実を受け入れ、前を向くことが出来るかどうか。あんたが下らない男だったら、これでお終いさ。心の傷を治すことが出来ないまま、あんたはただの負け犬になる。あや、あんたの場合だったら負けトカゲかねぇ」
『俺をトカゲ呼ばわりするな!』ドラルクはそう叫ぼうとしたが、口を封じられているので叫ぶことが出来ない。ただ、うーうーと唸るだけだ。その様子を部下がのぞきこむようにして見ていた。
「魔女様。ドラルク様は『わかった。反省して心を入れ替える』って、おっしゃってますよ」 部下はそう言いながら魔女に顔を向けた。一方、部下の言葉にドラルクは目を剥いた。
「そうかい? 顔つきは『殺してやる、クソ婆ぁ』って感じだけどね」
「ドラルク様は表情での感情表現が苦手なんス」
部下はジタバタ暴れ始めたドラルクを押さえつけながら話を続ける。
「あんた、面白いやつだね。名前は?」
「ピューイです。魔女様」
「ピューイ。あんたの兄貴分を頼んだよ。落ち着かなきゃ、本当に治るものも治らない。それと、さっき、あたしが話したのは本当のことだよ。『緑龍』の復活は、『緑龍』自身の心の内にあるってこと、決して忘れるんじゃないよ」
そう言うと、魔女は部屋を出て行った。魔女が姿を消すと、ドラルクの口を塞いでいた蔓も跡形もなく消え失せた。
「こら、お前! 婆ぁに何を言っている!」
ドラルクは片手を伸ばすと部下の胸倉をつかんだ。つかまれた部下は慌てる様子も見せず、静かな表情でドラルクに視線を向けた。
「ドラルク様。こういう場合、ああ言ったほうが、話しが早く終わるんス。処世術ってやつっスよ。それに、魔女様は間違ったことはおっしゃらない方っス。俺っちも、『緑龍』の復活を早く見たいっス。ここは魔女様の助言を聞いた方がいいっスよ」
ドラルクの全身から怒気が消えた。ドラルクは大人しく手を離すと、深く息を吐いた。
「ちっ。俺もヤキが回ったな。部下に諭されているようじゃ、な。魔女の言い草は気に入らねぇが、心当たりのない話ってわけでもなかった。『勇者の団』か……。やつらが森に入るまでに、俺は心の傷と向かい合うことにする」
「それこそ、俺っちのドラルク様っスよ」
部下は嬉しそうな声を上げた。ドラルクは自分の両手に視線を落として、じっと考え込んだ。さきほどのやり取りで、彼の心の中に微妙な変化が生まれていたのだ。これまで傷を治しながらドラルクが考えていたのは、いかに復讐を果たすかだった。しかし、今の彼は「復讐」という言葉が遠く霞んでいくのを感じていた。その代わりに湧いてくるものが何であるか、彼には見当もつかなかった。