レトと『荒くれ者』の再戦【scene13】
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魔法使いがかぶる三角帽子を直しながら、エリスは闘技場へ入って行った。彼女の髪は栗色をした色つやのいい髪で、くるくると自然の巻き毛だった。元気な髪が帽子を載せるのを拒絶するので、油断するとすぐ帽子がずれ落ちてしまうのだ。普段も歩くときは帽子を押さえながらである。
エリスは帽子の広いつばをひさし代わりにして、リオンやケインの姿を探した。ふたりが審査の様子を見に行っていると聞いたのである。ふたりの姿は簡単に見つかった。ふたりが立っているところだけ、ぽっかりと空間が広がっていたからである。周囲の者は、ふたりを遠巻きにして距離を置いているようだった。
エリスは帽子を押さえながら階段を駆け下りると、ふたりが立っている席へ近づいた。ふたりとも席に腰を下ろさず、立ったまま闘技場の様子を見ていた。
「やぁ、エリス。どうしたんだい?」リオンはエリスの姿を見つけると、明るい笑顔を向けた。
「ご報告と、相談がありまして」
エリスはリオンに駆け寄るのを我慢して、歩いて近づいた。周囲の視線が自分に集まるのには恐怖心に近いものを感じていた。リオンは注目される状況に慣れているのだろうか。自分にはとても慣れることはできない。
「報告に、相談。何だろう?」
「魔法使いギルドとの折衝なのですが、ギルド側からは積極的に働きかけてはもらえそうにないのです。義勇兵への参加はあくまで個人の意思を尊重するとのことで、王国軍の徴兵であればともかく、この義勇兵は私兵に近い、ということで……」
エリスの報告を聞いたケインが鼻を鳴らした。
「フン、曲者ぞろいのギルドらしい返事だぜ。要は面倒だから、人集めはそっちで勝手にしろってことだろ?」
「少なくとも、俺たちが個人的にひと集めすることを邪魔しない。そういう言質は取れたってことだな。ありがとう、エリス。苦労かけたね」
エリスは慌てたように首を振った。
「い、いいえ。そんなことは……。それで、ギルド内に声をかけて参加を呼びかけたのですが、応じてくれたのが5組の20名ほどなんです。すでに参加が決まっている冒険者に加わっている魔法使いと合わせても、全体の1割になるかどうか……」
エリスは闘技場の中へ視線を移した。
「本日、入団審査を行なう者たちに魔法使いはいるのですか?」
ケインは首を振った。「小隊で来ているのには少しいるが、個人で来た者の中には皆無だな」
「それでは、リオンが望む魔法使い部隊の編制は難しいのでしょうか?」
エリスは不安顔で尋ねる。リオンから叱責が飛ぶのではないかと恐れているようだ。だが、リオンはエリスの頬にそっと手を差し伸べて優しく撫でた。
「気にしないで、エリス。魔法使いの数が少ないのなら、少ないなりの編制をするだけさ。魔法使いの数だけで戦争をするわけじゃないんだ。君が気にすることなんて何もないよ」
「そうだぜ、エリス。こっちはひとりも参加してもらえないことも想定していたんだ。それを20人も集めてくれたんだ。大助かりってもんだよ」
ケインはリオンの肩越しに話しかけた。エリスは顔を赤らめてうつむいた。
「一仕事終えたんだ。今日はゆっくりとしてくれよ。どうだい、この入団審査を一緒に見ないか?」ケインに誘われて、エリスは再び闘技場に目を向けた。そこでは次の対戦の準備中だった。会場係が清掃を行なっている。
「いえ、……私は……」エリスは口どもった。男同士が殴り合ったり、剣を打ち合ったりするのを見るのは好きではない。エリスは辞退しようと思ったが、そうするとここを立ち去らねばならない。報告にかこつけてリオンに会いに来たものの、話はあっという間に終わってしまった。ケインの誘いはここにいる口実になる。どうしようか悩んでいると、リオンが優しく声をかけた。
「ケインの言う通り、今日はもう、用事で駆け回らなくていいよ。君もここで僕たちの仲間になる者を見よう」
エリスはほっとした表情でうなずいた。さりげないようにリオンの横に立って闘技場の様子を見る。ケインがちらりと横目で見ていたのには気づかなかった。
「力になりそうなひとは、たくさん採用できそうですか?」
リオンはうなずいた。「思っていたより手練れが来ている。審査をラリーたちに任せているけど、彼らは苦労するだろうな」
エリスは周りを見回して、ラリーたちが貴賓席に座っているのに気がついた。メリーも審査員として参加している。
「みんな審査員なんですね」エリスはつぶやいた。
「俺たちの仲間になるんだ。俺たちで審査しなくてどうするってことさ」ケインが答えるように言った。
「ま、俺やリオンは審査しないことにしたがね」
「どうして?」
「ここには息抜きで来たんだ。あとしばらくしたら、寄付金集めで出かけなきゃいけないんだ。全員を審査する時間が取れないのさ、俺たちは」
「……そうですか」
闘技場を見つめるエリスの表情が曇った。物憂げな彼女の視線の先に、小柄な若者の姿が現れた。次の対戦者だ。
「次の対戦者、レト、マジ!」会場係の大声が響き渡る。
レトは思った以上に重い木剣に顔をしかめながら歩いていた。一方、闘技場の中央に歩み寄るマジは木づちを抱えて残酷な笑みを浮かべている。
「神様ってのは、いいことをしてくれるもんだな!」
マジは木づちを肩に載せて大声でレトに話しかけた。
「いいこと、ですか?」レトは木剣を構えながら尋ねた。
「そうさ、昨日、俺は人生でもっとも腹立たしい気分を味合わされた。神様はそれを晴らす機会をお与えくださったんだ。信心深くない俺でも、神の御業ってのを信じる気になるぜ」
リオンたちとは反対側から観戦しているガイナスがルッチに話しかけた。
「何、あの傷男? レトちゃんと知り合いなの?」
ルッチは塀のふちに両腕を預けた姿勢でうなずいた。「まぁな。いわゆる因縁の相手ってやつだ」ルッチはレトがふたりにからまれた件を手短に説明した。
「試合というより、私刑でも企んでいるような顔つきね。レトちゃん大丈夫かしら」
ガイナスの心配に近いものを反対側のリオンたちも感じたようだった。
「何だ、あれ。体格差が段違いじゃないか。誰だ、あんな対戦を組んだのは」
ケインが顔をしかめた。
「しかし、あの小柄な若者が義勇兵になるには、ああいう体格差にも負けないことを示さないといけない」
リオンの声は冷静で落ち着いたものだった。
「魔族たちは、試合のように階級別で襲ってくるわけじゃないからね」
「でもよ、こんなのとどうやって戦えばいいんだ? 昔、お前があれぐらいのときもどうにもならなかったじゃないか」
「リオンがあれぐらい? リオンが小さいときってあったんですか?」
エリスが不思議そうに尋ねた。ケインが苦笑する。
「当たり前だろ? リオンが16のころは、まだ身体も小さくてな。ちょうどあのちっちゃいのぐらいだったんだ」
ケインはレトを指さした。
「俺たちは駆け出しの冒険者で、がむしゃらに戦っていた。まぁ、ひよっこ同然だからほかの冒険者にからかわれたり、ケンカを売られたりすることもある。ある日、リオンはやたらとデケェ図体の奴とやり合う羽目になったんだ。それもあれと同じぐらいの奴さ。リオンは体格差を埋めるべく、奇襲攻撃で奴を倒そうとした。相手の足元に飛び込み、奴の脚を軸にして反対側に回り込んだのさ。そこから背後を襲う狙いだった」
エリスは続きが気になった。「それで?」
「その作戦は失敗した。リオンが背後に回ろうとしたときに、相手も振り返りながら武器を振っていた。リオンが背後に回ったときには、奴もだいたい後ろを向いていたんだ。奇襲にならなかったのさ。リオンは奴の攻撃で吹っ飛ばされていたよ」
「もうよせよ、そんな昔の話」リオンは険しい表情だ。思い出したくないことだった。かつての弱い自分のことは。
「相手が突っ立ったままなんてないからな。まぁ、あれは仕方がなかった」ケインは話を締めくくった。
審判が合図を送り、試合が始まった。すると、レトは一気にマジの足元へ駆け込んだ。ケインは思わず身を乗り出した。「まさか、あいつ!」
レトはマジの脚に手をかけると、それを軸にしてぐるりと回り込もうとした。マジは戸惑った表情だったが、すばやく後ろへ振り返った。背後からの攻撃にも対応するため、木づちを横殴りに振った。何の手えごたえもない。マジの目の前にレトの姿がなかった。
「あいつ、とんでもねぇ……」ケインはつぶやいた。リオンも目を見張っている。
レトはマジの脚を軸にぐるりと一周回って、再び正面に戻ったのだ。マジは背後を警戒して振り返ったので、今まさにレトから背後を取られた形になっていた。
マジは背後にいるはずのレトを見失って混乱したが、直感で正面に向き直った。しかし、そのときにはすでにレトが攻撃態勢に移っていた。
マジの懐深くから、レトの木剣が勢いよく突き上げられた。木剣はマジのあごを捉え、マジの顔は跳ね上げられた。
「決まった!」ケインは塀のふちを握った。
マジはふらふらとよろめきながら地面にくずおれた。どおんという地響きが客席にも聞こえてきた。
「勝負あり! 勝者、レト!」
審判が手を挙げて判定を下した。一瞬、静まり返っていた会場は、審判の声を聞くや、一斉に歓声をあげた。
「よくやった、チビ!」
「やるじゃないか!」
ガイナスはルッチの頭を抱きしめていた。
「やった、やったわよ。あの子、やったわ!」
ルッチは仮面が外れないように片手で押さえながら、「わかってるって、わかってる!」と叫んだ。
エリスはほうと深い息を吐いた。一瞬の戦いに我を忘れて、息をすることもできなかったのだ。そのとき、背中を押される感触がしてエリスは振り返った。ちょうどリオンが客席から立ち去ろうとしているところだった。
「リオン……?」エリスは怪訝な顔でリオンの背中を見つめた。その背中をケインが追っている。
「どうした、リオン。お前、急にどうした?」
リオンは拳を握りしめて、早足で歩いていた。表情には明らかに『怒り』の感情が現れていた。
……あいつ、あいつ! あのときの俺と同じ戦い方で、俺よりうまくやりやがった! あのときの俺と同じ体格で。あのときの俺と同じような弱さで!
胸の内に不意に湧きあがった怒りの感情に、リオンはその場にいられなくなっていた。一刻も早く、その場を立ち去りたい。この怒りを鎮めたい。なぜ怒りの感情が湧き上がったのか、リオンにはわからなかった。ただ、あのレトという若者は気に入らない。それだけは間違いない感情だった。
闘技場を出る戸口でリオンは後ろを振り返った。レトは、こことは反対側で観戦していた仲間らしい者たちに手を振っている。リオンはその背中に一べつをくれると、そのまま客席から出て行った。