第22話 グーテンベルクの遺産の行方
「お墓?」
尋ねた治人に、ああ、と陽次はにがにがしく肯定した。
数日後、陽次たちがいったんシュトラスブルクから帰ってきた。
ルターの協力者と連携して、グーテンベルクの遺産を回収するための作戦を練っているそうだ。
そのためにルターだけはシュトラスブルクに残った。
陽次は帰ってきてさっそく、印刷小屋が無くなり、墓地になっていたことを治人に報告したのだ。
エティエンヌが補足した。
「ヨウジに案内してもらった場所には立派な墓が並んでいた。
で、夜中に片っぱしから漁ったら、1つだけ墓標の中から扉が出てきた」
「いやあキツかった。部活のしごきの方がマシだな、アレ」
その時のことを思い出したのか、陽次が肩を回す。よほど重かったらしい。
「は、墓を動かしたんですか?」
「『中身』はどうせ最後の審判まで使わないんだ。いいだろ」
エティエンヌには悪びれた様子が無い。
ルターがこの場に居ない理由が分かった気がした。
「扉は開けられなかった。
取っ手の所に穴があいてるんだ。カギだと思う」
メンテリンは印刷機を封じた地下室にカギをかけていた。
あの時メンテリンを止めていたら少しは状況が変わっていただろうか。
今さらながら、後悔に似た思いが胸をよぎった。
次に治人が尋ねたのは、
「工房の方は?」
グーテンベルクの仕事場所だ。
印刷技術は秘密にされ、隠語で『事業』と呼ばれ、治人たちが寝泊まりしていた小屋も限られた人間のみ出入りしていた。
そことは別にグーテンベルクは工房を抱え、表向きの仕事はそちらで引き受けていた。
「工房の建物はあったけど、あの時のメンバーの子孫はいなかった。
グーテンベルクさんが死んで解散したみたいだ。ただ……」
そこで陽次は一度口ごもり、テストの難問に取り組むような表情になった。
「変なウワサが流れてた。『グーテンベルクは恋人にカギを託した』って」
グーテンベルクには確か婚約者がいた。治人と陽次も一度顔を合わせている。
ウワサ通りなら、その墓場から地下室へ入るためのカギが彼女に預けられたということだ。
陽次とエティエンヌは婚約者のことを聞いて回ったが、彼女の行方は分からなかった。
それどころか、グーテンベルクの名を出しただけでロコツに避けられたという。
「魔の技術にかかわるものは、妨害を受けるってことだ」
エティエンヌがぼそりとつぶやいた。商人の間では有名なのかもしれない。
グーテンベルクの弟子たちは魔の技術、印刷から手を引いたのだ。
エティエンヌは治人を指差した。
「ハルト、お前も来てくれ。カギを調べてほしい」
「ぼくが、ですか?陽次が知っていることとあまり変わりません」
「こいつドアごとこじ開けようとしやがった。
古いのに入り口が崩れたらどうするんだ」
「なるほど」
納得する治人に、陽次はまったく気にすることなく後ろ頭をかいたのみだった。
やがて陽次が休むために2階へ上がると、エティエンヌは残った治人に話しかけた。
「あいつ、なかなかいいヤツだな」
陽次のことを指しているのは分かったので、治人は無言で先を促した。
「強引なくせに憎めないというか。
気が付いたらあいつのペースに巻き込まれているんだ。
おまけに自分の力で助けられそうなヤツを見捨てないところがあるから」
エティエンヌはそこで言葉を切った。操りやすい、と続けたかったのだろう。
そうでしょうね、と治人は返した。
遠い記憶が思い浮かぶ。祖父母と手をつないで笑っている陽次。
後ろからながめている自分。
まるっきり他人事という態度の治人にエティエンヌは苦笑した。
「お前もだよ」
「ぼく?」
「人のよさそうな顔で相手の警戒心を解く。
普通のことでもお前が言うと妙に説得力が増す。
行きづまってもその達者な口で乗り切ってきたんじゃないか?」
「何ですかそれ」
ひどいほめられ方をしているということは分かった。
陽次の評価に比べまんま詐欺師じゃないか。
「本当のことだろ。
ルターさんの左右にお前らを置いたら結構いい組織ができるかもな。
ヨウジが『表の顔』役で人を惹きつけて、ハルトが補佐で実際の交渉をして」
口調はどこまでも軽く、態度はどこまでも不真面目で。
そのくせ目には異様な光がともっている。
あえて冗談に見せかけているのだ。
エティエンヌは他人の分析が得意なようだ。
グーテンベルクも鋭いところがあったが、それは相手の人となりを見抜くためだった。
それに対しエティエンヌは相手が自分にとってどういうふうに役立つか、利用できるかという点を重視している。
加えて話を大きくするのが好きらしい。
「ぼくらはグーテンベルクの遺産を取り戻せばそれでいいんです」
きっぱり言うと、エティエンヌは肩をすくめた。
「ああ。それでいいさ、今はな」
シュトラスブルクに着いた治人たちをルターが迎えた。
そしてすぐに印刷小屋のあった場所へ向かう。
シュトラスブルクは街全体が広がった印象を受ける。
以前はもっと内側に市壁があったように思うが、今は郊外の外側をさらに高い壁が囲んでいた。
途中でルターが首をかしげる。
「おかしいな。ブーツァーが迎えに来てくれるはずだったんだが」
合流する予定だった仲間が現れないようだ。
いぶかしげにしつつも道を進み、やがて通りの向こうに建物のない空間が見えた。
足が早まるルターを治人が押しとどめる。
「待ってください。あれ」
開けた場所にいくつか大きな墓標が立っている。
そのうちの1つは数人に囲まれていた。
あれがおそらくエティエンヌの言っていた墓標だ。
問題は、数人のさらにその周りを、顔を布で隠した集団が取り囲んでいることだ。
墓標の周りにいるのがルターの仲間だろう。
彼らを囲んでいる覆面はつまり、敵。
攻撃を受けている、と見た方がいい。
様子をうかがおうとした矢先、
「あ、ルターさん!早く助けてくれ!」
囲まれているうちの1人、小柄な男がよく通る声で叫んだ。
集団が一斉にこちらへ注目する。
ややこしくしやがって、とエティエンヌがぼやいた。
これでルターだけを逃がすことはできなくなった。
名指しされたルターが真っ先に通りへ出て、エティエンヌも続いた。
「おれらも行くぞ」
「うん。行ってらっしゃい、陽次」
へ、と目を丸くした陽次の背中を思いっきり押して覆面達に認識させ、治人自身はすばやく路地へと隠れた。
何やら陽次がわめいているが、ケンカなら彼の方が得意だ。
適材適所というものがある。
陽次はこちらを不満げに振りかえっていたが、集団――敵が近づいてくるとそちらに集中した。
3人が加わったことで敵と味方、人数がほぼ同数になった。
陽次が先制の一撃を加え、乱戦が始まる。
エティエンヌも敵の攻撃を上手に流している。
ルターは足手まといになる自覚があるのか、適度に距離を保っている。
やがて治人の準備が整った。大きく息をすい、叫ぶ。
「自警団を呼んだ!もうすぐこっちへ来るぞ」
かすかに警笛の音が聞こえた。
顔を隠した集団は明らかに動揺した。
中心にいたリーダーらしき男に視線が集中する。
彼が一度腕を水平に伸ばすと、集団は引きあげ始めた。
ルターたちはあえて深追いせず、仲間で固まって成りゆきを見守る。
最後の1人が背中を見せたのを確認し、治人はルターのそばへ駆け――去ろうとしていた敵の背中に黒い球をぶつけた。
密度の濃い煙が現れ、しんがりを務めていた男が倒れて転げまわる。
カトリンからもらった催涙弾だ。
覆面の何人かはうろたえたようだが、結局男を残して逃げていった。
陽次があきれ顔で治人を見ている。
「おまえさあ、逃げてるやつに後ろから……」
「大人しく帰したらこの人たちの目的が分からないだろ」
「そりゃそうだけど」
「ぶつぶつ言ってないで、アレ」
治人が手を垂直にして下ろす仕草をすると、陽次は倒れている男に手刀を食らわせた。
気絶した男をルターらに託して、陽次はふと辺りを見回した。
「そういや、警察――ジケーダン?呼んだんだろ?」
治人はスマートホンを陽次に見せた。
知識探索アプリで警笛の音を探し、音量を大きくしたのだ。
陽次は納得した――というよりあきらめたように首を左右に振り、気絶させた男を運ぶ作業に加わった。




