5 願うように
気づけば須洛は岩扉の傍で倒れていた。血だらけになり。
元の世界に戻ったのかと考え、須洛は大量の血と激痛の中再度意識を手放してしまう。
侵入者に気づいた巫覡たちはおおいに激高し、気を失っている須洛を手当することなく里の外へ放り出してしまった。
里の外で待機していた一族の鬼たちは己の棟梁の変わり果てた姿に慌てふためき急いで大江山へと連れ戻した。
それから須洛は半月の間昏睡状態であった。目を覚ますと一族の巫女長の空閑御の社で看病を受けていた。
「真鬼からの通達よ。二度と里に足を踏み入れるなと」
空閑御の言葉に須洛は項垂れた。
寛大な処置といってもいいだろう。聖域を血で汚したのだ。もしかするとその場で嬲り殺されたかもしれない。一族全員呪い殺されたかもしれない。
「すまない」
その一言ではすまされないことを須洛はしてしまったのだ。
一族にとって土蜘蛛への牽制にもなりえた真鬼一族との繋がりを自ら断ってしまったのだ。
「ええ、愚かね」
空閑御はこつんと須洛の頭を小突いた。まるで童を叱るような仕草で。
「でも、過ぎたことはしょううがないわ。土蜘蛛のことは真鬼一族なしで何とかしましょう」
「何も聞かないんだな」
「聞いて欲しいの?」
「………」
須洛は真鬼の里で起きたことを空閑御に話した。
無名姫と呼ばれる少女のことを。
「ええ、聞いたことがあるわ。古き神に捧げられる贄の娘………でも、彼女に会うことは許されないといわれているわ」
まさか須洛がその少女に出会うことになろうとは想像していなかった。
「ああ、ごく普通の娘であった。世間知らずで、だけど外のことをあんなにきれいな瞳で聞きまくっていた」
須洛はせがまれるままに無名姫に外の話をしていた。
純粋で無垢な瞳と笑顔で須洛にせがむ姿は愛らしかった。
なのに、最後にみた姿は巨大な蛇に咀嚼され食われる場面であった。
「あいつは、食われた………俺の目の前で」
あの時目を見開いた娘の激痛はいかばかりだったか。白い蛇はそれすらも楽しむように咀嚼を繰り返していた。
「でも、魂はこの世界に戻してもらえたのでしょう」
今頃はその魂は輪廻の中に入り新たな命として芽生えるだろう。
「いつ、生まれ変わる?」
須洛は弱弱しく空閑御を見上げた。それは今にも泣きそうな童のようであった。こんな姿は久しぶりであった。棟梁になってからは大人びてこんな姿はみせなくなったはずなのに。
よほど今回の無名姫の最期がこたえたのだろう。
「わからないわ。数年後かも、それともずっと先の何百年も後かも」
「そうか」
「さぁ、薬湯を飲みなさい。今のあなたは角がないの。しっかりと養生しなさい」
角がなければ須洛は長く生きられないだろう。館の方では次代の棟梁をどうするかという合議が繰り広げられている。
これでは休めないだろうと空閑御はあえて社で須洛の看病を行ったのだ。
さらに三か月後、どんどん衰弱していくものと予想された須洛は逆に回復へと向かっていた。
「あなた、強運ね」
空閑御は須洛の頭を撫でて言った。
「角が生え代わっているわ」
それは以前のものに比べると小さく拙いものであった。以前のものに比べると醜い造作であり、それに触れ須洛はおおいに恥じた。なるべく髪で隠れるようにいっそう髪をぼさぼさにしていく。
しかし、この醜い角のおかげで須洛は一命をとりとめたといっても過言ではない。
鬼は角を失えば二度と生えないことが多い。生命力を維持できず衰弱するものが多かった。須洛に新たな角が生えなければ今回のような大けがも耐えれなかっただろう。
この回復を聞き館の長老衆たちはおおいに喜んだ。
そして須洛の失態を詰るどころか不滅ぶりに彼こそ棟梁に相応しいと誉めそやした。
とはいうものの一族の祖の血を色濃く継いでいたのは須洛であり、他は須洛ほど一族の力を発揮できなかった。
せめて須洛に跡目を作らせようと死ぬ前に娘をあてがった。子は生まれなかった。はじめは乗り気ではなかった須洛であったが、自分の失態で一族が危機に瀕していたかもしれないと考えると長老の手配を無為にできなかった。はじめは何度か抱いていたが、途中無名姫の姿がちらついてそういう気分になれなくなってきた。
あれから何年、何百年と経とうし、須洛は仕事や鬼とともに外への見回り以外は倉庫に籠ることが増えていった。部屋で寝れば、長老衆の揃えた若い鬼女たちをあてがわれ、そんな気分になれない。
須洛は夜間は倉庫に寝床を作り、暇をみつけては彫刻を行ったり絵を描いたりしていた。




