4 古き神
岩扉の前で須洛は呆然とした。ここは一層重い圧力がかかっていて息苦しかった。扉が閉まりいくらか重圧は軽くなったが。
「開け!」
須洛はそう叫び、扉を殴りつけた。
扉はびくりともしない。
「頼む………開いてくれ」
何度も殴りつけるが、全く微動だにしない。
この姿では無意味だ。
須洛は大きく息を吸いこみ、自分の首にかけられた数珠を引きちぎった。
すると赤い髪から二つの角が現れ、口からはみ出る程の鋭い牙、体躯は大きくなり手は赤黒く変色し爪が鋭く伸びた。
鬼の本来の姿であった。須洛の代ではこの姿になれる鬼は本家の血筋の者だけであった。分家筋は角を持ち常人より少し強い力を持つ程度であったが、須洛は一族の祖と同等の力を発揮することができていた。
普段は人と変わらない姿であるが、これで通常の倍以上の力を発揮することができる。
「うぉぉぉぉぉぉっ」
大声とともに扉に手をかける。今まで以上の力により強固な扉はわずかであるが開かれた。これにより軽くなっていた圧力が再度強くなる。
わずかに開いた隙間を逃さず須洛はその隙間を通った。
重苦しい空間であった。
真っ暗で果たして自分は地についているのかすら不明である。
だが、そんなことは構っていられない。
躊躇する一瞬の時間すら今は惜しかった。
「ほう、これは珍しい。こんなところに客がくるとは………酔狂な輩だ」
男の声が響いてきた。その方角に須洛が向かうと、そこに白い髪と金の瞳を持つ男がいた。無名姫と同じ特徴に須洛は少し動揺した。
その傍らには無名姫が侍っていた。
「おい!」
須洛が声をかけるが、無名姫は反応しない。気を失っていた。
「気を張り詰めて、疲れてしまったのだろう。愛しい姫だ」
男はいとし気に目を細め、無名姫を抱きしめた。
その姿はまるで初婚の花婿と花嫁のようでもあった。
だが、男の方は足がなかった。男の着物の裾から現れているのは鱗を持った白い蛇の尾である。それをみて男は通常の人ではない。自分と同じ鬼とも違う存在であった。
おそらく佐鳥が言っていた古き神なのだろう。
「その娘はどうなるんだ?」
「しばらくは共に過ごす。そして食らう」
最後の言葉を聞き、須洛はかっと怒りの表情を浮かべた。
「仕方ないだろう。向こうの世界は退屈なのだよ」
だからこそ、彼は須洛たちのいる世界に近づこうとする。しかし、その度に世界はその重圧に耐えれず、足を踏み入れると壊れてしまいそうになった。
これではいけないと真鬼一族は娘を花嫁に見立て、男に献上することとなった。
はじめて献上された娘は舞と歌が得意で男をおおいに楽しませた。しかし、それに飽きてくると男は娘を食べてしまった。その血肉があまりに美味で男はおおいに満足した。
そうして、男は自分が外に出てほしくなければ、定期的に娘を献上するように真鬼一族の祖に命じた。贄に相応しい娘には目印として自分と同じ容姿を与えたのだ。
「無論、大事にするさ」
それは食らうまでの間のことである。
「返してくれ」
須洛の言葉に男はきょとんとした。しばらくしておおいに笑い転げた。
「ははは、ここまでおかしいことは滅多にない。この岩扉に入った酔狂な男が捧げられた娘を返せとな」
須洛は鋭い爪で男に襲い掛かった。男は右手の指をはじき、それにより突風を出した。須洛は突然出た突風により身を吹き飛ばされてしまった。
かなり遠くまで飛ばされたが須洛は急いで体制を整え男のもとへと戻った。
思ったよりも早い到着に男は関心した。
「面白いな………その髪、その眼、どこかでみたな」
男の呟きを他所に須洛は再度男に襲い掛かる。右手拳を男の頬にあてたと思った。しかし、その寸前のところで先に進めずにいた。男は須洛の額を軽く小突いた。その瞬間須洛の頭に衝撃が走り後ろへ倒された。
激しい激痛の中、それでも須洛は立ち上がり男に向き直った。
「ああ、出雲のあいつか。力もそれに似ている。あれの血縁者か?」
男の懐かしむ声が響くが、須洛はそれに答えず男に向き直った。再度男の前まで来たと思った瞬間男は両手でぱんとたたいた。すると須洛の体が震え、須洛の口から血が零れ落ちた。
まったく歯が立たなかった。
これが古き神の力か。
神代の先祖より受け継いだ力を以てしても男には全く通用しなかった。
ちらりと男の傍らの少女を見つめた。
「面白いなぁ。こんなに歯が立たないのに、また立ち向かってくるなんて」
男は愉快そうに笑った。
「そんなにこの娘が大事か? この娘は何も持っていないはずだが」
ただ古き神に捧げられる為だけに育てられた娘である。
それでも古き神にとっては長い退屈の時間を和らげる大事な贄である。
「何も、持っていないからだ」
須洛はぽつりとつぶやいた。
名も与えられず、物心ついたころから寂しい社で過ごされ自分と接するのは世話係の巫女だけ。だからこそ外から来た須洛に強い関心を抱き、きらきらした瞳で見つめてきた。
「約束したんだ。海をみせてやると、桜を、紅葉を………」
「そうか。それは残念だ。未来永劫無理なことだ……死んだ後も」
男はさほど残念な表情をしておらずむしろ須洛の反応を楽しむように笑った。
「死んだ、後?」
「この世界は元の世界とは理屈が異なる。通常の人が死んだ後輪廻に入るが、この世界では輪廻に入ることは無理だ。そのため、死んだ後の魂は迷わないように私の一部とさせる」
「…………」
「捧げられる娘は肉だけでなく魂も美味であるからな」
それでは無名姫は死んだ後も救われることはないということなのか。
「返して、くれ」
須洛は弱弱しい声で男に頼みこんだ。それに男は首を傾げた。
「頼む………」
須洛は必死に頭を下げた。
「わからんな。なぜそこまで頭を下げる。娘が不憫に感じたのか?」
「………約束したんだ」
「ああ、さっき言っていた約束か」
男はちらりと無名姫を見つめた。例年通り無垢な表情の娘である。そこから香る血肉は食指がわくものであった。
目の前の須洛を見つめた。自身気づいているか気づいていないかわからないが、この娘にひどく惹かれているようである。それは情愛とも呼ばれるものである。
一匹の鬼がたかが可哀想な娘の為にここまではしないだろう。
大きな体躯の鬼が弱りはて頭を下げる姿は滑稽で面白い。
「そうか。では魂だけは元の世界へ戻してやろう」
男は上機嫌に言った。血肉はもらうが、魂だけは輪廻に入るように返してやると。
「だが、一度は捧げられたものだ。魂に足る代わりのものを差し出せ」
それに須洛は困った。娘の魂に足るものが思いつかなかったのだ。
男はそれが何か答えてやった。
「お前の角だ」
見事な光に反射すれば虹色に輝く美しい角を示した。
「………」
須洛は困った表情を浮かべた。
角は鬼にとって大事な生命の源であった。
力を制御し、生命力を補う大事なものである。
これを失うと鬼は生命力を維持できなくなり衰弱してしまう。
「そうだな。角がなければ娘が転生したころに生きていないだろうな。だが、神である私が鬼のお前の願いを聞き届けるのだ。大事な贄を手放すのだからそれくらいの代償は払ってほしいものだ」
男は困った表情の須洛をみておおいに楽しんだ。
いくら愛しいとはいえ、自分の大事な角を手放す程かどうか試していたのだ。
須洛は微動だにしなかった。
これに男は笑いを止めて言った。
「岩扉を少し開けたままにしてやる。帰るがいい」
そういい無名姫を抱きかかえ消えようとした。
後ろで須洛の悲鳴が聞こえた。今までにない痛みに対する悲鳴であった。
男が振り返ると須洛の頭から血がぼたぼたと流れ落ちていた。須洛の両手には2つの角が握りしめられている。己の角を折った激痛に意識が朦朧としながら須洛は男に己の角を差し出した。
「頼む」
それに男はおおいに笑い転げた。
「愚かだな。大事な角をたかが小娘の為に手放すとは。あいつの子孫だけあり、お前はたいそう馬鹿だ」
男は久方ぶりの大笑いにしばらくまともの会話ができなかった。
「ああ、いいさ。その角の代わりに娘の魂は元の世界に戻してやろう」
そういい須洛から角を奪い、須洛の肩をぽんとたたいた。
須洛の体は後ろへ力が働き、男から引き離されていた。朦朧とする意識の中、男は人の姿をやめ大蛇へと姿を変えた。そして大きな口を開き無名姫の体をかぶりつき、咀嚼を繰り返していた。噛まれた瞬間無名姫は大きく目を見開き悲鳴をあげようとしてものどを破かれ声が出せずにいた。そして、ごくりと丸のみしていく。




