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紅葉鬼~鬼に嫁いだ姫~  作者: ariya
8章 古き神の巫女
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3 儀式

 最後の日に須洛の部屋に訪ねてくる者があった。似鳥である。

「どうしましたか?」

 須洛は突然の来訪に少し動揺した。ばれないように連日無名の社へ参っていたが、この巫女に気取られているのではという不安を覚えた。

 そしてそれは的中した。

「儀式が明日になった」

 それを聞き須洛は一瞬驚きそして残念に感じた。

 明日はもう自分は里を出ることになる。さすがに今日明日では無名を連れ出すことは難しいだろう。長く居座るのも訝しまれるだろうし。

「姫さまに会ってはいただけないでしょうか」

「おいおい、会うのは………」

「知ってました。連日あなたが来ているのを」

 須洛は思わず身構えた。それに警戒しなくてもいいと似鳥は言う。

「あなたが来てから姫さまはとても嬉しそうに過ごされていました。なので、私はみてみぬふりをしていました」

 このことは真鬼一族では自分しか知らないことなので安心するようにと言った。

「会ってください。今、姫は社の中に籠り階下へ降りることもできない状態です。声だけでも聴かせてあげてください………大事な儀式の前に」

 どうやら酷く緊張しているから励ましてほしいのだと須洛は受け取った。

「わかった………だけど、大事な儀式の手前だし傍に控える兵とか」

「いません。すでに長の挨拶も終わり、社には姫と私のみの予定です」

 そういわれ須洛はようやく腰をあげた。今日は協力者がいることだし見つかることはそうそうないだろう。

 似鳥の手引きにより社に近づいくと今日はいつもより灯りが多いと感じた。

「おい、来たぞ」

 須洛は階をあがり社の中に声をかけた。

「須洛………来てくれたのね」

 無名はひどく怯えた声で応えた。それに須洛は首をかしげたが、緊張しているからだと考えた。

「驚いたな、まさか儀式が明日になるなんて」

「うん、思ったより早く近づいてきているみたいなの………」

 古き神が。

 須洛はそういえばと佐鳥から聞いた話を思い出す。古き神が近づく影響で里に重苦しい空気が漂ってきているという。昨夜、重さが増した気がしたのは気のせいではなかったのか。

「そっか………緊張するな」

 うんと無名は苦笑いしているようだった。

「ねぇ、須洛………あなた言っていたわよね。私を外へ連れ出してくれるって」

「ああ、儀式が終わったら………だけど今回は難しいみたいだから次来たときにでも」


「今連れ出して」


 無名ははっきりとお願いをした。それに須洛はどうしたのだと考えた。

「今、私をこの里から連れ出して」

「おいおい、いくら緊張しているからって………大事な儀式なんだろう。確かに緊張して逃げ出したいて思うのはしょうがないだろう。だけど、頑張れ。古き神が来たら島が沈んで外の世界がなくなっちまうんだから」

 それを聞き無名はしばらく沈黙した。いつもと雰囲気の違うことに須洛は少し不安を覚えた。すると中から明るい笑い声が響いた。

「えへへ、ちょっと言ってみただけ。ありがとう。あなたの声を聞けて少し緊張が解れたみたい」

「おお、頑張れ。次来たときは自由の身なんだから必ず外へ連れて行ってやる」

「絶対だよ。絶対………」

 そう笑い合いいつもの他愛無い会話に戻った。一通り話を終え須洛は社を後にした。



 須洛は眠りながらひっかるものを覚えた。それが一体何なのかわからなかったが。

 朝起きるといつものように佐鳥に起こされ、身支度をすまされ里の外へと見送られることとなった。

「お世話になりました。数年後にまたきます」

「全く………これほど肝の冷えた客人は初めてですよ」

 無名とのことを言っているのだろう。どうやらこの男も連日須洛が通っているのに気づいていたようである。

「しかし、よかった……。あなたが姫に手を出さなくて。もし出していたら去勢して里の外に放り込んでいましたよ、似鳥が」

 それを聞き須洛はぞっとした。

「いくら何でもあんな幼い姫に手を出す程飢えていません」

「姫があなたの食指の動かない無垢な娘で助かりました」

 佐鳥は心からそう思った。

「なぁ、もし叶うなら姫に妹を通して言付けを頼みます。次来たときは桜の季節だから桜が見事な場所へ連れて行くって」

 それを聞き佐鳥は微妙な顔をした。

「………わかりました」

 確かに承りましたと佐鳥はぎくしゃくしていた。それに須洛は訝しく感じた。

 何か引っかかる。

 それを問うと佐鳥は何でもないと首を横に振った。しかし、ひどく悲しげに俯いていた。

 何か引っかかる。何かを隠している。

 それを感じ取った須洛は佐鳥に強く詰め罹った。しかし、佐鳥は何でもないと言った。

 須洛はふと昨晩のことを思い出した。

 無名姫の表情を思い出し、このまま帰ってはならない気がした。

「………なぁ、もう一度姫に会わせてくれないか?」

「なりません」

 今から無名姫は儀式の為に岩扉のある空間に入った。そこは外部の者は決して入ってはいけない。

「なら、儀式が終わるまで待とう。儀式が終わったら一目姫の姿をみせてほしい」

 その申し出すら佐鳥は無理だと首を横に振った。その反応に須洛は疑念であったものを口にした。

「もしかして、儀式は贄なのではないか?」

 それに佐鳥は青ざめた。そして顔を背けた。

「何故、姫はあなたを呼び寄せたのだろう。何故、似鳥は客人が来たことを話してしまったのだろう」

 それを悔いるばかりであった。

「儀式の場所はどこだ?」

 須洛は言葉を荒立て詰め寄った。

「言えない。あそこは神域でお前を入れるわけにはいかない。それに儀式が失敗すれば、古き神がこの世に現れてしまう」

 話している間に空気の重さが一層深くなった。

 もうすぐそこまで来ているのだ。

 古き神が。

「前にも言ったが、古き神はこの世界に足を踏み入れてはならない。もしわずかでも足を踏み入れれば何が起きるかわからない。世界が崩壊してしまうかもしれない」

「そんなの………」

 須洛は昨夜のことを思い出した。

 自分を外に連れ出して欲しいと願った少女の言葉を。

 その言葉は佐鳥も似鳥から聞いていた。

「姫の言葉は私も似鳥も一瞬冷や冷やした」

「あれは………」

「むろんあれは姫の本心ではない。お前があのように答えても、応と言ってもついて行かないを選んだろう」

 無名姫は外を知らない世間知らずの娘ではあったが、愚かではなかった。

 あそこで須洛に外へ連れ出してもらったら須洛は真鬼の一族が恐ろしい報復を受けていただろう。そして、似鳥・佐鳥もただではすまなかっただろう。

 ただどんな答えが出るか試してみたかったのだ。

「ただ約束をしてくれるだけでよかったのだ」


   ◇   ◇   ◇


 無名姫は一族の里の奥にある岩廊を歩いていた。身に着けているのは真っ白な無垢姿。

 古き神に身を捧げる為に与えられたはじめての花嫁姿であった。

 似鳥は後ろに控えじっと無名姫の後ろ姿を見つめていた。


 似鳥が無名姫の世話係を任じられたのは三年前のころであった。

 その前に似鳥は徹底的に教育を施されていた。無名姫に無関心でいるようにと。

 無名姫の世話は四年交代制であった。早ければ一年で交代することもある。

 理由は無名姫に強い情を抱かない為であった。

 無名姫が世話人に愛着を抱かないようにするためであった。

 そして無名姫に名を与えないのは必要ないためだ。いずれこの世からいなくなる者なのだから。

 似鳥は教育の通り無名姫から適宜距離を置き世話をした。

 しかし、傍に仕えると次第に幼い無名姫が妹のように感じ、情を抱くようになった。

 上にもしばれれば世話役を交代させられるため、似鳥はなるべく距離を置こうとしていた。無名姫もそれを感じ取ってか似鳥に好意を抱く仕草は滅多にみせなかった。

 彼女も心得ていたのだ。似鳥に懐けば、また世話役交代が待っていると。

 自分を押さえつけ、社でおとなしく儀式の為に身を清める無名姫があまりに不憫で時々似鳥は独り言のように外の世界のことを溢していった。それに無名姫は関心を抱く仕草をみせずただ静かに聞き入っていた。それが無名姫にとっての楽しみになっていた。

 そして、ちらりと外の世界からの鬼人が里にやってきた話をした。

 その晩に無名姫の社に須洛が現れたのだった。

 似鳥ははじめこそ事を荒立てたが、無名姫の涙をみると事の次第を伏すことに決めた。また、須洛が社に近づくのに気づいていたがあえて見なかったことにした。ばれないように周囲に気を張り詰め無名姫のひとときを守ろうとした。

「ありがとう、似鳥」

 無名姫は後ろを振り向かずにそれを言った。周囲に控える巫覡たちに聞こえないように。

 彼女は知っていた。

 似鳥が須洛との会話の間誰かが近づかないように気を張ってくれたのを。黙認してくれたのも。

「私、うれしかった」

 今まで無名姫に与えられたものは綺麗な衣装と食事と養育のみであった。

 親の顔も知らない。情も与えられることもなかった。

 幼い頃から自分に仕える女たちはよそよそしく、ようやく話すようになったと思えばすぐに使える女は交代させられた。

 それを重ねる毎に無名姫は気づかされた。

 彼女たちと仲良くなってはならないと。

 似鳥が来たときはせめて長くいてほしいと願い、お互い最低限の会話しかしなかった。

「私ね、歴代の無名姫の中で一番幸せね」

 今までの無名姫は情も与えられずただ儀式の日を待つしかなかった。

 それなのに自分は似鳥に守ってもらえ、そして外から来た須洛と出会え約束をすることができた。

 その約束は決して果たされるものではなくても、彼の記憶の片隅に自分がいてくれると思うだけで幸せであった。

 昨夜のあれは実際そのとき連れて行って逃げてほしいというものではなかった。

 ただ、覚えてほしかった。


 ………違う。本当は逃げてほしかった。


 心のどこかにある望みに無名姫は自嘲した。

 里の者たちの配慮は正しかった。無名姫に名を与えず情を与えず、未練を残させないということはきっと正しかったのだろう。

 今から自分に待つ運命は辛く悲しいものである。

 でも、無名姫は後悔しなかった。後悔したくなかった。


 だってはじめて大好きになった人に出会えたのだから。


 一緒に生きるのは無理でも、その大好きな人の未来を守れると思えれば耐えられる。

「大丈夫………私は、役目を果たす」

 巫覡たちが立ち止まった。ここから先は無名姫一人だけで進まなければならなかった。もし、無名姫以外が一緒に入れば巻き込まれてしまう。

 巫覡たちから離れいくらか歩くとようやく大きな扉が見えた。岩でできた扉であった。

 ほんのわずかであるが、岩扉が開きそこから重い空気が流れていた。

 恐ろしい。

 古き神はどんな者であるのか。

 自分はどうなってしまうのか考えると恐ろしい。

 だが、無名姫は後には引けない。

 自分はこの日の為に生まれてきたのだ。

「今、そちらに向かいます」

 そう口にすると岩扉が開き人ひとり通れる広さになった。

 入ってこいと言っているのだ。

 無名姫は前へ進み岩扉の向こうへ入った。扉が閉まる。これで自分は今までいた世界と別れなければならない。


「待て!!」


 聞き覚えのある声に無名姫はどきりとした。後ろを振り返る。扉の隙間の向こうに赤い髪が目に移った。恐ろしい形相で速さでこちらに向かってくる。

 それをみた瞬間、無名姫は喜びに震えた。


 嬉しい………ここまで来てくれたのね。


 無名姫は笑ってその姿を見つめた。しかし、元いた世界に戻ろうと足を動かす気はなかった。

 助けてもらおうとは思わなかった。

 これは必要な犠牲なのだから。

 ここで自分が元の世界に戻れば、世界はどうなるか。

 彼を守る為に自分はがんばれるのだ。

 自分の為にひどい形相で追いかけてきてくれた彼のために。


「ありがとう」


 無名姫がそう言うと扉は閉まってしまった。

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