3.陸耳御笠
頼光はじっと白髪の女性の前に立った。
鬼の里の社を守る巫女・空閑御を見据える。
「驚いた。本当に存在するとは………」
「………どうやらあなたの目的は須洛ではないようね」
「ああ、酒呑童子も都にとっては脅威だ。だが、それよりも脅威なのは神代から生き続けている鬼の中の鬼のお前だ。空閑御」
そう言い頼光は空閑御に刀を向けた。空閑御は相変わらず閉ざされた目のまま驚きもしなかった。同様に彼女に従う巫童たちも感情を示さない冷ややかな瞳で頼光を見つめていた。
「大江山の最長寿の鬼よ。酒呑童子よりも長く生き、呪術を為し、朝廷にとって長い間脅威となった大江山の始祖の娘。それが空閑御、お前だ」
朝廷は長い間従おうとせず強い呪術を身に付けた存在(鬼)を恐れた。そのひとつが神代より存在していた鬼女、空閑御であった。へたすれば酒呑童子など鬼女に比べれば子供に等しい。
「うーん、私の存在に気づく人もいたのですね」
空閑御は意外そうにつぶやいた。
「大江山の鬼のはじまりの話など人は知らないと思っていました」
昔は書というものはそこまで流通していなかった。伝説は口伝で語られるのが主であった。しかし、神代が終わり朝廷が本格的に体系化され書というものが整備され、各地の口伝を書にまとめようという動きがあった。だが、朝廷にとって都合の悪い内容は省かれたし、人の間に触れられなかったものは記されることなどなかった。だから大江山の始祖の話を知る人は少ない。
「ああ、知り合いに物知りがいてな。お前が長年帝に呪詛をしかける術者というのも聞いた」
朝廷は神代に多くの一族を従えてきた。しかし、まつろわぬ者たちもいた。それが独自の術を持つ異形の集団であった。それは鬼と呼ばれ、土蜘蛛と呼ばれ人々から怖れられてきた。朝廷は幾度と挙兵をあげこれの力を削ぎ退けてきた。それ故にまつろわぬ異形の一族の朝廷への怨嗟はかなりのものだといわれている。それぞれの一族の術者は朝廷に呪詛をかけ、帝の一族や主な臣を苦しめてきたという。
頼光の中ではその筆頭が大江山の鬼の巫女・空閑御だということだ。
「………、それで私を殺しますか」
「無論だ。お前の首は酒呑童子以上に価値がある」
空閑御はすうっと息を吸った。何か呪の詞をかけようとしているのだろうか。そうはさせまいと頼光は刀を構え空閑御に襲いかかった。
「おいっ!」
向こうから須洛が叫んだ。
須洛は頼光の勝手な行動を見ながらも後2匹残っている土蜘蛛を前に動けなかった。
「しねっ!」
頼光は歓喜した。これで悩みの種はひとつ減るのだと。
空閑御の面にまで切っ先がかかろうとした瞬間、空閑御は眼を開いた。その眼が開いた瞬間、頼光は刃を止めた。止めされたというのに近い。そのつもりはなくてもそれ以上、刃を振りおろせずにいた。
空閑御の瞳を見て、頼光は冷や汗をかいた。
金の瞳であった。
この国には滅多にない、いや海の向こうを渡ってもいるかどうかわからない瞳の色である。その瞳に見つめられ、頼光は思わず刃を手から放してしまった。
あまりに美しく、あまりにも神々しく、刃を向けるのも怖れ多いと思ってしまった。
馬鹿な………この私が。
数多の異形を討ち朝廷から信頼を得ていた源頼光が自分よりも華奢な女に恐れを知るとは。
「あ、いけない」
空閑御は頼光の手をとり崩れ落ちた。頼光は空閑御に押し倒される形で床に倒れ込んだのだ。
ひゅんと大きな風を切る音がした。それはすさまじく荒々しく建物の中が大きく震えだした。
頼光の後ろから須洛が拳を振ったのだ。あのまま空閑御に押し倒されなければ頼光は今頃ただでは済まされなかった。
すでに5匹の土蜘蛛は倒された後であった。
「頼光様、大丈夫ですかっ」
季武は慌てて頼光の安否を確認した。美しい白い髪の少女に抱かれている上司をみて季武は唖然とした。
「いい加減離れろ」
「お礼も言えないのですか」
空閑御はにこりと笑った。もうすでに瞳は閉ざされており、そこにあったのは物静かな巫女の笑みのみであった。それでも美しい為、頼光は頬を赤くし空閑御を退け起き上がった。
(私としたことが、………折角の好機を)
土蜘蛛はすでに全て倒され、須洛が目の前にいた。これで振り出しに戻ったか。
「おい、何勝手なことをしてくれてんだ」
須洛は鋭く頼光を睨みつけた。
「まるで、土蜘蛛のことも計算にいれたかのような作戦でしたね」
空閑御はお見事と言わんばかりに手を打った。それに頼光はぐっと眉を崩した。
「ああ………成程」
須洛は納得したように頼光をにらんだ。
「土蜘蛛とつるんでいたのはお前一人だけだったということか」
その言葉に季武は驚愕し、頼光を見つめた。
「ば、馬鹿な。頼光様が土蜘蛛とつるむなどそんな話………」
「土蜘蛛と手を組んでいるつもりはないみたいですが」
空閑御はため息をついた。そして頼光の首筋に手をやる。首にひっかかっている紐を引っ張り出した。守り袋となっており、袋の部分が切り離された。
須洛が守り袋の中を確認し、それを空閑御に渡した。
中にあったものは小さな札だった。
「それは………」
季武は困惑した。
「これはどこで?」
空閑御の冷たい視線に頼光は動じなかった。だが、提示されたものを見せられて観念したようにため息をついた。
「道中土蜘蛛から譲られたものだ。これで大江山の鬼の眼力に惑わされずにすむと」
「土蜘蛛………山伏に扮した神道では」
季武はこの大江山までの道中のことを思い出す。
道中宿をとった時に世話になった山伏の男が鬼退治の為に身を守るものとしてくれたものだった。季武は神仏からの加護とありがたく思っていた。
「まぁ、現に私の眼を見ても無事だったのですがね」
空閑御はふふと笑って札に手をかざした。札から黒い靄が現れたと思ったら彼女の手振りひとつで消え去ってしまった。
空閑御はその札を袋に戻し頼光に差し出した。
「土蜘蛛からのものとわかっててもあえて受け取ったのですね」
「ああ、何かしらの呪術を仕組まれているとわかっていた。だが、お前の眼を直視しても無事にすむ手だてがある分良いと考えた」
「そして、土蜘蛛の言い分………言われた日時の通りに里に侵入してきたのですね」
「遠い九州の鬼の一族の情報は無駄なものではなかった。ならばまずは近場のお前たちを倒すため力も情報も利用しようと思った」
「なかなか面白い方ですね、あなたは」
空閑御は興味深そうに頼光の全体を眺めた。瞼は閉ざされたままであったが、その裏でしっかりと頼光からの雰囲気を感じとっているのだろう。
「一見厳格な武士であるのに、目的の為ならば敵の助力すらも利用する。自身が利用されていると気づきながらも、私たち一族を崩すことを優先した」
「そうだ」
「とても危うい人ですね」
空閑御は微笑み、頼光の頬を撫でた。その触れ方はとても優しいものであった。
「私があなたに何か望んでも悪いことではないですよね」
有無を言わさない言葉に、先ほどの土蜘蛛から救い出したでしょうという意味も含まれていた。
それに頼光は笑い空閑御に問う。
「何を望む? 帝を裏切れと」
「してくれるのですか?」
「するわけないだろう」
「そうでしょうねぇ………」
二人は楽しげに会話をしている風にみえた。まるでかつて恋人であったかのように。
それに季武は理解できずにいた。
先ほどまで殺そうとした鬼の女に平然と笑い話す頼光に、先ほどまで自分を殺そうとした敵に優しく触れる鬼の女に。
「空閑御、俺は行くぞ」
須洛は苛立ち二人の会話を断ちきった。無論彼も二人の雰囲気についていけなかったのだ。
「待ちなさい。行くと言ってもどこへ行くのです?」
「千紘の元だ」
「今はやめておいた方がいいです」
「何故。こうしている間にもあいつは苦しんでいる」
早く会いに行って須洛自身無事であったことを伝えたかった。
「もう彼女は山にはいません」
「っ………」
「彼女の気配が完全に山から消えました。今は山の外にいるでしょう。この状況で一族の棟梁たるあなたが山を抜けるのは良いことではありません」
「馬鹿な。あいつの足では山を抜けることは」
「土蜘蛛の使役者が連れ出したのでしょう」
この騒動の中現れたのは使役物である巨体な蜘蛛たちだけである。それを使役する鬼がまだ現れていない。里の中に気配すらない。
「考えられるのは使役者は大量の蜘蛛を野に放ち騒動を起こし、その隙に使役者は三の姫に近づいて山から連れ出したのでしょう」
それでは土蜘蛛の狙いははじめから千紘だったというのか。
朝廷から現れた人の資格の存在、それに乗じて土蜘蛛が里中を蹂躙し始めた。里の者たちは当然千紘の行方どころではなくなっていた。無論、須洛もである。しかも、彼は呪詛による負傷を背負っていたのだ。
「まんまとあいつらの望むままに事が進んだのか」
「ええ、ですがあなたの首は奪われずにすみました。そして里も壊滅までには至っていません」
無論、土蜘蛛の一族も可能であれば邪魔者である須洛の首も取れればよいと思っていただろう。そうすれば憎き朝廷のすぐ傍にあるの大江山の拠点を得ることができたのだ。
「俺はすぐに千紘を取り戻しに行く」
「その間の一族の指導は誰がするのです?」
「そんなことは朱音に任せる」
あっさりと言う言葉に空閑御は落ち着くように促した。しかし、それに須洛は耳を貸さない。
「止めるなよ。俺にとって千紘が全てなんだ。千紘がいなければ俺が生きる意味なんてないんだ」
「落ち着きなさい!」
須洛の後頭部に衝撃が走った。里の館で守りを固めていた朱音が扇で思いきってはたいたのである。
「全く、今のあんたでは無理ね。土蜘蛛の姫の呪詛をもろにくらって何とか一命を取り戻したのに、先ほどの土蜘蛛との戦いで体を浪費して………それで土蜘蛛の使役者の鬼に敵うとでも思っているの? ぼこぼこにされるのが落ちよ。それを見た姫はきっともっともっと悲しむでしょうね。自分なんかの為に須洛が傷ついて行くのだから」
「……………」
「頭を冷やしなさい。今、あなたが倒れてしまったら里の鬼も人もあなたという指導者を失い散り散りになってしまうわ。姫もそれを望んでいないと思うわ」
そう言いながら朱音は須洛の胸に物をぶつけた。物ではなく小さな生き物・小鬼であった。しかも、千紘の身の回りのお世話を任せていた小鬼であった。
「姫さまぁ………」
小鬼は傍に千紘がいないのを強く悲しんでいた。手のひらで雀のように泣くものを見て須洛はようやく頭を落ち着かせた。
しかし、それでも千紘を助けたいという想いは消えることはない。




