2.共闘
須洛の本拠地である館では渡辺綱、碓井貞光、坂田金時の三名に襲われすでに数名の鬼たちが倒れてしまっていた。
朱音は三人の攻撃を受けながら対峙していた。一応大江山の鬼の二番手と言われている彼女であり、三人の攻撃をうまくあしらっていた。それでも、朝廷がわざわざ鬼退治に選んだ猛者たちである。さすがに何度も攻撃されればもろに直撃することがある。
宴後のことでかなりの酒を飲んでいて倦怠感もある。
余裕そうな笑みを浮かべながらも朱音は内心動揺していた。だが、ここにいる里の鬼や人に不安を煽るような真似はすまいと表情を崩さないようにしていた。
綱と金時の同時攻撃を受け、後方から貞光が弓を構えている。それをみて間違いなく命中してしまうと朱音は思った。だが、朱音を逃さないように綱と金時は見事な連携で剣戟を披露する。
さすがにダメだと思った瞬間、鬼たちのどよめきが館中に響いた。
「朱音様っ! 里に土蜘蛛が大量に………」
その言葉が発せられると同時に、貞光は矢を放とうとした。しかし、巨大な土蜘蛛が出現し貞光の背後をとった。
「貞光っ! 後ろ!!」
金時は貞光に土蜘蛛の存在を叫んで知らせた。その瞬間、攻撃の手を緩めてしまい、朱音の反撃にあってしまう。朱音は懐に持っていた鉄扇で金時の頬を凪いだ。金時はその攻撃で飛ばされてしまった。その崩れにより綱も隙を作ってしまい朱音にはじき飛ばされてしまった。
「金時っ! 綱っ!!」
貞光は土蜘蛛の存在を察知し、土蜘蛛の攻撃をかわした。倒れる金時は見て貞光は声をあげた。
綱は突然の新手の敵の存在をみて唖然とした。
「くそっ」
貞光は自身に襲いかかってくる土蜘蛛の攻撃をかわしながら刀を振るった。しかし、土蜘蛛の強固な体は微塵も揺らがなかった。
「っ、………」
あまりの硬さに貞光はいやな表情をした。
今まで貞光は多くの異形を退治してきた。その中に土蜘蛛もいた。だが、この土蜘蛛は巨体であり貞光が出会った土蜘蛛よりもずっと強かった。
貞光の攻撃など効かないと土蜘蛛はにたあっと笑い、ふぅっと息を吐く。それとともに貞光の腕に白いものが絡みついた。粘り気のある嫌な感触に貞光はますます嫌悪の表情を表す。それは土蜘蛛が吐いた蜘蛛の糸である。ふつうの蜘蛛の糸よりも頑丈で、それにくるまれた腕は動くことができなかった。
これではまともに戦えない。
下がろうと思っても、足元にも糸が絡んでいて貞光はその場に崩れてしまう。
土蜘蛛は獲物を見つめ、巨大な口を見せた。その口の中に鋭い牙が無数に並んでいて、生臭い臭いがした。血と肉の腐ったにおいであった。
どすっ。
おしまいだと悟った貞光は目を閉ざしたが、大きな音と共に土蜘蛛が倒れてしまった。目を開けると土蜘蛛はひっくり返って身動きがとれずにいた。
それに朱音は宙を舞い鉄扇を振りおろした。上から与えられた腹への衝撃に土蜘蛛は耐えれず息絶えてしまった。須洛程の強靭な肉体は持っていないが、朱音は鉄扇など獲物を利用することによって土蜘蛛一体を退治する腕力は持ち得ていたのだ。
「何やっているの………」
土蜘蛛の腹から降り立った朱音はあきれ果てて貞光を見つめた。
その顔には情けないと男を侮蔑する色もみてとれた。
「な、何故助けた」
「別に………、土蜘蛛なんかにこの館を荒らされたくなかっただけよ」
朱音としては鬼の里、館を混乱へ導いた三人組を厄介だと感じていた。だが、それ以上に土蜘蛛に里の中を荒らされる方が不快であった。
「どういうことだ。お前も土蜘蛛も同じ異形だろっ!」
「これと一緒にしないでちょうだい。異形でもいろいろあるのよ」
自分たち大江山の鬼の一族・御暈は古い時代より土蜘蛛の一族と対立していた。御暈の縄張りを欲し一方的に荒らしまわる土蜘蛛とそれを操る鬼の一族は御暈一族にとって忌むべき存在であった。
それを知らされて綱は信じられないという表情をした。
「信じないなら別にいいわ。だけど、土蜘蛛の餌になりたくなかったら、しばらく大人しくしておいてくれる」
そう言う朱音の後ろに別の土蜘蛛がにゅっと現れていた。巨体であるのに音もなく。
「うぉおおおおおおっ!!」
土蜘蛛の巨体は朱音に襲いかかることはなかった。土蜘蛛の後ろ脚の二本を金時が素手で掴み投げ飛ばしたのだ。
土蜘蛛は先のものと同様にひっくり返った。朱音はそれに間髪いれず宙を舞い先ほどのように一撃を土蜘蛛にお見舞いした。
「うん、驚いたわ」
朱音はおかしげに笑った。
まさか対土蜘蛛戦で戦力にならないと思っていた人に助けられるとは。それも腕力のみで土蜘蛛の巨体をひっくり返してしまった。
坂田金時といったか。
中性的な体格をした青年であるのに、三人の中で一番強い腕力を持っている。
「でも、どうして私を助けてくれたのかしら?」
「そうだ。鬼を何故助けたっ!」
綱はきっと金時をにらんだ。金時はうーんと頬をかいて応えた。
「お前は鬼だけど、貞光を助けてくれた」
その言葉に朱音はぽかんと口を開いた。綱も同様に口を大きくあけた。綱の場合はあきれ果てた表情であったであったが、朱音は別であった。すぐにくすりと笑っておかしげに金時を見つめた。
「百年生きると変な人間に遭遇するものね」
「それより次に備えないといけないぞ」
金時は両手をぶんぶん振り回しながらその場にいる者たちに警告した。
「どういうことだ。金時」
嫌な予感がすると綱は思い内容を聞いてみた。
「館の周り、びっちりと土蜘蛛に囲われているぞ」
建物内であるのに外の様子のことを知っているように金時は言う。
綱はいやな表情をした。
冗談であって欲しいと思ったが、金時の話を信じないわけにはいかない。
金時は三人の中で一番異形の者の気配に敏感なのだ。それが危険なものであればあるほどに。
「朱音様………」
鬼たちの不安の声を聞き朱音はすぐに指示を出した。
「お前たちは急いで五人組になりなさい。いくら御暈一族でも周囲にはびこっている土蜘蛛相手に一人では無理よ」
棟梁である須洛とその右腕の朱音、朱音と近い立場の者でもない限りは。
「戦力にならない人と女子供とあとじーさまたちは館の奥で避難しているように」
その言葉にぴきっとなった老人鬼が前にでた。
「わしだって戦えるぞ!」
真っ赤になったのは怒りによるものか、昨晩の酒がまだ切れていないか。食いつかん勢いで朱音に言い張った。
「はいはい、おじーちゃんたちは危ないから安全なとこで大人しくしててね」
年老いた祖父をあやすように朱音は言った。老人鬼は朱音に詰めかかろうとした。それを鶴耶が制止する。
「わしらは避難する女子供や人をまとめあげる仕事があるのじゃ。ここは若い者に任せよう」
そうなだめすかし老人鬼はしぶしぶ従った。
鶴耶はじっと朱音をみた。
「やれやれ、そうやって老人をおちょくるのはやめなさい」
「何のことかしら。本当のことを言ったまでよ」
朱音はあっけらかんと言った。それに鶴耶はやれやれとため息をついた。
「とにかく無理はするなよ。棟梁にもしものことがあった場合、お前が一族を束ねるのだから」
「私が? 無理でしょ」
朱音は肩を揺らしながら笑った。
老人鬼たちが女子供の人や鬼をまとめ、館の奥へ避難させた。
残った戦力となりえる鬼たちは朱音の指示通り五人組に分かれた。また朱音が単体で土蜘蛛で挑んでも大丈夫と考えた手練たちはその五人組の援護にまわり、適宜朱音の指示を仰ぎ伝令する役目を担った。
「と、あなたたちは」
朱音は思い出したように綱たち三人を見た。
「まだ私と戦う? 悪いけど、土蜘蛛をなんとかしてからにして欲しいんだけど」
そう言われ、綱は難しそうに眉を潜めた。
「いや、私も手伝おう」
鬼に手を貸すなど不本意なことである。しかし、ここで朱音を倒せたとしても圧倒的な数の土蜘蛛を三人で切り抜けるのは困難である。
綱の考えに貞光は否と言わなかった。金時は貞光が応というのならそれについていくという姿勢であった。
「土蜘蛛の糸には十分注意してね」
それだけ言い朱音は指示頭となり、鬼たちを散らした。
◇ ◇ ◇
千紘は耶麻禰に連れられる形で里の外へと出てきた。二人の後ろにはしっかりと大きな蜘蛛がついてきた。後ろを振り返ればおぞましい蜘蛛の姿を見てしまう為、千紘は後ろを振り向こうとしなかった。耶麻禰に支えられる形で山道を歩いて行く。
「姫、きつくないですか?」
耶麻禰は優しい声色で千紘に声をかける。千紘は苦しそうな表情をしていたが首を横に振った。
千紘にとって山道はまったく苦にはならなかった。
後ろの土蜘蛛も恐ろしいが、今のところ自分に害を加えるわけではないというのはわかっていた。
千紘にとって苦しいことは今も自分のせいで須洛が苦しんでいるかもしれないということだった。
(ごめんなさい。須洛………、私が必ず助けるから)
操られていたとはいえ、この手で須洛を小刀で刺してしまったのだから。そして、その小刀によって須洛を呪詛にかけてしまったのだ。今でも彼は苦しんでいるのに違いない。
須洛の元に戻れるなど考えていない。ただ、須洛をその苦しみから一刻も早く解放させたい。
その為ならば自分はどんな目に遭っても構わないとさえ思った。
急にぴたりと耶麻禰の足取りが止まった。土蜘蛛もそれに応じるように不安そうに鳴いた。
「どうしたの?」
そう尋ねると視界がくらりと揺れた。
「ふん、今まで土蜘蛛があたりを徘徊しても表に出ることはなかったくせに」
耶麻禰の表情が険しくなる。ぎゅっと千紘を抱き寄せ、千紘が離れないようにしていた。
「なんなの?」
今までにない山の光景に千紘はぞっとした。あたりが揺れ、震え、鳴いているようであった。
「全く。なんて子孫想いだろうね」
耶麻禰は皮肉げに笑い、千紘を抱き上げた。
大きく息を吸い、瞼を閉ざす。そして、大きく息を吐いた。それと同時に音と音がぶつかり合い震えたような共鳴音が響いた。
その瞬間、耶麻禰は千紘を抱き上げたまま山を駆け巡る。
土蜘蛛も後を追ってくる。その後ろを何かが迫ってくる気配がした。
(なに?)
千紘は目に見えない追ってくる者に首を傾げた。
二人は一気に駆け巡り山の麓まで降り立った。気づけば追ってくる気配はなくなっていた。
「一体………」
「山の主さ」
耶麻禰は千紘の問いに応えるように言った。
それが何なのか千紘は質問したが、耶麻禰は応えようとしなかった。
あまり余裕がなかった。
神代の頃、一族を伴ってこの山に流れついた金属の扱いに長けた鬼がいた。鬼はこの山に棲む精霊と心を交わし共存するようになった。そして精霊に薦められるまま元々以前より山に棲んでいた鬼女と結ばれ、最後には山の主に上り詰めたという。
須洛の祖先のことであった。
(可愛い直系の子孫の為に嫁を奪われまいと出てきたのか)
山の主にあのまま囚われていたら自分は山の狂気に中てられていただろう。土蜘蛛もただではすまなかったはずだ。
だが、何とか山の外に出ることができた。このまま急いで千紘を己の里まで連れて行かねばならない。