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第22話:箱舟の名はアルカディア

世界滅亡まで、あと十日。

死線を乗り越えた翌朝、アルカディアには、これまで経験したことのないような、穏やかで、それでいて力強い空気が流れていた。昨日の激戦で負傷した者たちの呻き声は、ミサキさんの献身的な治療によって和らぎ、ホールには、安堵のため息と、時折漏れる抑制された笑い声が響いていた。


その夜、俺は医務室のベッドを半ば抜け出し、ホールの片隅で行われていた、ささやかな祝勝会を眺めていた。主役は、ゴトウさん、タケダさん、そしてカサイさん。異なる背景を持つ三人のリーダー格の男たちが、備蓄倉庫から見つけ出された、貴重なウイスキーを分け合っている。


「…しかし、タケダさん。あんたの指揮は見事だったぜ。バスであの包囲網に突っ込んでくるなんざ、俺でもちったあ肝が冷えた」

「いや、あれはリーダーの判断だ。そして、それを可能にしたのは、カサイさんの運転技術と、キョウスケの眼があったからだ。俺は、自分の役割を果たしたにすぎん」

「謙遜するな」と、カサイさんがグラスを傾けた。「あなたたち二人のような戦士がいなければ、我々はとっくに全滅していた。俺のようなビジネスマンにできるのは、せいぜい、物事を効率的に進めることくらいだ」


彼らは、互いの能力を認め、尊敬し合っていた。元消防士、元警察官、元経営者。終末前の世界では決して交わることのなかったであろう三人が、今、同じ目的のために、同じ酒を酌み交わしている。その光景は、アルカディアという共同体の、多様性と強さそのものを象徴しているようだった。


俺は、そんな彼らの姿に目を細めながら、自分の無力さと、リーダーとしての新たな決意を噛み締めていた。俺には、ゴトウさんのような突破力も、タケダさんのような戦術眼も、カサイさんのような交渉術もない。だが、彼らのような、全く違う個性を持つ人間たちを、一つの場所に繋ぎ止め、同じ未来へと向かわせること。それこそが、俺にしかできない、俺だけの役割なのだ。


そして、一夜明けた今日。俺たちの新たな、そして最後の巨大プロジェクトが、ついに始動した。

確保した、たった一台の大型バス。この鋼鉄の塊を、四十人近い仲間全員を乗せて、熊野の聖域まで無事に送り届けるための、究極の「移動要塞」へと改造する。『アルカディア号計画』の始まりである。


「まず、居住空間だ!」


会議室に広げられたバスの設計図を前に、カサイさんが澱みない口調で説明を始めた。彼の目は、もはや企業のプロジェクトマネージャーのものだった。


「既存の座席は、全て撤去する。そして、三段式のベッドを、可能な限り設置する。居住性は最低限になるが、これで、全員分の休息スペースは確保できるはずだ。設計は、サクラ君に頼みたい」

「任せて!」サクラは、目を輝かせた。「空間効率の最適化!燃える展開ね!」


「次に、防御力。前回の戦闘で、通常の鉄板では、ヘルメスのライフル弾を防ぎきれないことがわかった。より強固な装甲が必要だ。窓は、視界確保のための最小限のスリットを残し、全て厚い鉄板で覆う。銃眼ガンポートも設置し、内部からの応戦を可能にする」


「燃料も問題だ」と、ゴトウさんが付け加えた。「大阪から熊野まで、往復分の燃料を確保しておく必要がある。俺の部隊で、周辺に乗り捨てられている大型トラックやタンクローリーから、根こそぎ抜き取ってくる」


次々と、具体的な計画が形になっていく。それは、絶望的な状況の中で、未来を自分たちの手で作り上げようとする、力強い意志の表れだった。

そして、その日から、アルカ-ディアは、巨大な造船所のように、活気に満ち溢れた。


ホールでは、男たちがバスから座席を運び出し、解体していく。技術ラボでは、サクラとハルト、そしてカサイさんのグループにいた元プログラマーたちが、バスの内部設計と、搭載する通信システムの開発を進めている。

市民会館の駐車場は、ゴトウさんが指揮する燃料調達チームが持ち帰った、ドラム缶で埋め尽くされていった。

そして、建物の外壁を覆う鉄板や、駐車場のフェンスまでもが、元溶接工のメンバーの手によって、バスの新たな装甲へと姿を変えていく。


誰もが、自分の持つスキルを、惜しみなく提供した。元整備工の老人は、バスのエンジンを分解し、完璧な状態にオーバーホールしていく。元料理人の女性たちは、カサイさんたちが持ち込んだ食材と、アルカディアの備蓄食料を組み合わせ、長距離移動に耐えるための、効率的な保存食(乾物やピクルスなど)を作り始めた。


その日の昼食。アルカディアの全員が、久しぶりに満ち足りた食事にありついた。安田さんの畑で収穫された、最初の二十日大根を使った、温かいスープが振る舞われたのだ。

鮮やかな赤い色が溶け込んだ、少し塩辛いスープ。それは、この終末世界で、俺たちが自分たちの手で初めて生み出した、命の味だった。その温かさが、メンバー全員の心を、じんわりと溶かしていく。


俺は、ほぼ全快した体で、その共同作業の輪の中心にいた。リーダーとして、全体の進捗を管理し、資材の配分を決め、メンバーを励まして回る。それは、これまでで最も忙しく、そして最も充実した時間だった。


だが、一つだけ、奇妙なことがあった。

あれだけの激戦を繰り広げたヘルメスの動きが、あの日を境に、完全に途絶えたのだ。

偵察部隊『シャドウ』のタケダさんとキョウスケが、連日、大阪市内を偵察して回っている。だが、彼らが報告するのは、不気味なほどの静寂だけだった。あれだけ市内の至る所に設置されていた監視ポイントは、全て撤去されている。奴らは、まるで、この街から消えてしまったかのようだった。


「嵐の前の静けさ、と見るべきだろうな」


作戦会議室で、タケダさんは厳しい表情で言った。


「黒田は、我々が大阪から脱出する瞬間を、待ち構えている。それも、中途半端な戦力ではない。我々を確実に仕留めるための、総力を結集させているはずだ。我々が、この檻から一歩でも足を踏み出した瞬間、その顎は、閉ざされる」


その言葉は、俺たちに、残された時間が本当に僅かであることを、改めて突きつけていた。


一方、研究解析チームのラボでは、博士たちが、熊野までの最も安全なルートの割り出しを進めていた。

「プロジェクト・アークのシミュレーションによれば、通常なら最短距離である南へ向かう主要国道は、エーテル濃度が極めて不安定だ」博士は、モニターに表示された地図を指差した。「これは、ヘルメスが、そのルート上で、何らかの実験…あるいは、我々を誘い込むための罠を仕掛けている可能性を示唆している」


博士が示した安全なルート。それは、一度西へ向かい、大きく紀伊半島を迂回する、険しい山道だった。距離も時間も、倍近くかかる。だが、シミュレーターは、その道が最も生存確率が高いと示している。


「道は、決まったな」


俺は、仲間たちの顔を見回した。

全員の顔に、覚悟が決まった。


世界滅亡まで、あと九日。

市民会館の前には、異様な姿へと変貌を遂げた、一台の大型バスが鎮座していた。

窓は厚い鉄板で覆われ、無数の溶接痕が、生々しい傷跡のように走っている。車体には、銃眼がいくつも設けられ、屋根の上には、山のような資材を積んだ、巨大なキャリアが設置されている。

それは、もはやただのバスではなかった。

不格好で、歪で、だが、力強い。

四十人の命と、人類の未来への、僅かな希望を乗せて、終末の荒野を駆け抜けるための、鋼鉄の箱舟。


俺は、その威容を前に、深く息を吸い込んだ。そして、集まった仲間たちに向かって、宣言した。


「出発は、三日後の早朝。夜が明ける前だ」


不気味な沈黙を続けるヘルメス。容赦なく迫る、タイムリミット。

俺たちアルカディアの、人類の存亡を賭けた、最後の旅立ちの準備は、今、最終段階に入った。

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