36 夕方のお茶会
翌日。
俺はエルキナから、休日を貰っていた。
エルキナの護衛をし、暗殺者からエルキナを守り、次の日は交渉役としてエダグスと会談をし、その日の夕方から夜にかけて飛竜の群れと戦った。
これが僅か5日間の出来事なのだから、過密な日程であったことは間違いない。
ティリナもまだ精霊力が回復しておらず、彼女は俺の中にいたままだった。
久しぶりに、俺は部屋の中でのんびりとくつろいで過ごした。
一日中をだらだらと過ごしたのは冒険者見習いの時以来だが、たまにはこういう日があってもよいものだ。
こういう日こそが、予定が詰め込まれた日々の息抜きになるのだから。
そうして夕方まで特にすることもなく過ごしていたのだが、そこで俺の部屋に来客があった。
「あの、今、ちょっといいですか?」
扉越しに聞こえたのは、エルキナの声。
俺は身だしなみを整えて、自室の扉を開ける。
「どうした? 何か急用でもあったか?」
そう言い終えて、彼女の姿を改めて見る。
こころなしか、彼女の服装はいつもより豪華で、身だしなみもより一層整っているように感じた。
純白のドレスには銀糸で刺繍が入っており、薄桃色の髪はまっすぐに伸ばされている。
頬に赤みが差しているのは、廊下の窓から射しこむ夕日に照らされているせいだろうか。
彼女は目を泳がせながら、消え入りそうな声でぽつりと言った。
「……あの、ちょっと、外でお茶でもどうですか……?」
「そうだな。それもいいかもしれない」
首肯すると、エルキナは安心したように「ほっ」と息を吐いた。
俺としても、断るという選択肢はない。
時間を持て余していたというのもあるが、何よりも俺の主君であるエルキナからのお誘いだ。
それに、彼女が少し口ごもっていたというのも気になる。
俺に関することで、城内の者には聞かれたくない何かがあるのだろうか。
それで、お茶をするという口実で、城の外で話す口実を作ると。
そう考えれば、納得のいく話である。
「えっと……準備は出来ているので、私についてきてもらってもいいですか……?」
「ああ。もちろんだ」
特に他の用事があるわけでもない。
何しろ、今日は休日なのだ。
だから、至急の案内だろうとも問題はない。
おそらく、メイドに案内させるわけにはいかないような案件なのだろう。
俺はそう納得して、エルキナの案内で城の外まで出た。
☆ ★
赤、黄色、白。様々な色の花が咲き誇り、一面に広がる城の庭園の一角。
夕日の橙がそれを照らし、幻想的な景色が広がっていた。
そんな花畑の中にひっそりと佇む、屋根付きの休憩場所。
そこに椅子が二つ向かい合うように並び、中央には円卓が置かれていた。
円卓の上には、お茶が入っていると思われる瓶と、カップが二つ並んでいる。
「どうぞ、座ってください」
エルキナに椅子を勧められ、言われたとおりに席に座る。
彼女も、俺の対面にある椅子に座った。
周囲には、他に誰もいない。
彼女には常に誰かが付き従っているが、今はメイドも使用人もどこにも見当たらなかった。
きっと、彼女が人払いをしたのだろう。
それほどに、重要な案件か。
俺はエルキナの言葉を聞き逃さないよう、集中力を高めた。
「……いきなり呼び出しちゃってすみません」
「それについては、全然大丈夫だ。それだけ急ぎの用事があったんだろう?」
「……いや、それは、その……。そういうわけじゃ、ないんですけど…………」
彼女は口ごもって、目を逸らす。
どうやら、緊急の話ではないらしい。
では、なぜ俺をここに呼んだのか。
そうやって問うと、エルキナは俯きながら、呟くように言葉を紡いだ。
「……ちょっと、シグトさんと、これからの話がしたくて……。その、これからもずっと私の護衛でいてくれたらなー、なんて……。すみません。わがままですよね」
これからもずっと護衛でいてほしい、か。
そのことを人払いして伝えたのは、彼女の他の従者に聞かれると嫉妬を抱かせてしまい、俺にとっても不利益につながりかねないという、彼女の思いやりなのだろうか。
それとも、ただ単純に、他の人に聞かれるのが恥ずかしいと言うだけかもしれない。
一旦、人払いの理由の話は置いておくとして。
確かに、何度も彼女の命が危ないことはあったし、護衛が俺でなければ今の彼女は無いかもしれない。
もし俺が、貧民街の少年のままであれば。
もし俺が、冒険者見習いの少年のままであれば。
これ以上ない喜びと共に、この申し出を受け取ったのだろう。
だが、残念ながら、俺はティリナとの先約がある。
今は、世界を救うための旅の途中なのだ。
「本当に申し訳ないが、ずっと、というわけにはいかないかもしれない。俺はティリナと世界を救う旅をしなければならない。しばらくは護衛を続けられるとは思うが、何が起こるか分からないというのが本音だ。だから、申し訳ないが、その願いは叶えられそうにない」
「そうですか……。やっぱり、そうですよね……」
エルキナは悲しそうに笑いながら、まるで最初から分かっていたかのような口調でそう言った。
そうして、手元のカップにお茶を注ぎ、お茶を一口飲む。
そこで手を止めて、再びカップをテーブルに置いた。
「でも、しばらくの間は、私の護衛を続けてくれる予定なんですよね?」
「ああ、俺はそのつもりでいる」
「でしたら、非常に心強いです。これからも、よろしくお願いします」
「ああ、よろしくな」
彼女がお辞儀をしてきたので、こちらも頷き返す。
ティリナにも、しばらくはここで働いていていいとお墨付きをもらっている。
だから、『元始の魔獣』とやらの復活が近づくまでは、エルキナの護衛をしていても構わないだろう。
俺も、なんだかんだ言ってこの職は気に入っている。
続けられるだけ、エルキナの護衛をやっていたいと思っているのは間違いない。
ふと、何かを思い出したかのようにエルキナがこちらに視線を向けた。
「……そういえば、ちょっと気になったんですけど。先ほど、シグトさんは「世界を救う」って言いましたよね? それってどういうことなんでしょうか? もしかして、もうすぐ世界が滅亡しちゃうってことですか?」
「俺もあまりよくわかってはいないが、ティリナはそうやって言ってたな。『元始の魔獣』が世界の滅亡をもたらすとか、それを防ぐためには『生命の宝玉』が必要だとか」
「なんか、神話の物語みたいですね」
「神話?」
「はい。シグトさんは創世神話をご存じないですか?」
創世神話。
その響きはどこかで聞いたことがあるが、果たしていつだっただろうか。
……そうだ。
5年前、ルクトがそんなことを言っていた。
確か彼は、俺を最初の人間であるルーグトリスの生まれ変わりだと言った。
同時に、彼は誰かに創世神話を教えてもらうことを勧めていたような気もする。
「名前だけ聞いたことがあるが、中身は知らない。今度、詳しく教えてもらえないか?」
「はい、喜んで! まとまった時間が出来次第、呼び出します!」
このようにして、エルキナとのお茶会の時間は過ぎていった。
その後はしばらく他愛もない話をして、夕日が完全に落ちるのを合図にお開きとなった。
晩餐の時にもう一度エルキナを見かけたが、彼女は周囲に笑顔を振りまいており、機嫌が良さそうだった。
それを見て、エルキナは俺とお茶会がしたかっただけだった、ということに気づき、安心して自室に戻った。
ティリナは未だに姿を現していないので、代わりに部屋の隅に立っていたロノアにお休みを告げて、俺は眠りについた。




