17 教えてメイドさん
「ういっす! チェリスっす! 今日も遊ぼうぜ!」
朝。
窓の外が明るくなってきて目を覚ました頃、メイド服のチェリスが部屋にずかずかと入りこんできた。
彼女の標準装備である、チェスボードと駒の入った袋を持ちながら。
ちなみに、メイドには標準装備であるはずのホワイトブリムはつけていない。
この城で今まで見てきた、他のメイドたちは皆、ホワイトブリムをつけていたはずなのだが。
「おはようチェリス。お前は朝が早いんだな」
「昼間は色々呼び出されることが多いから、朝方にチェスの研究をしてるんだぜ! 前は夜にチェスしてたんだけど、寝坊してこっぴどく怒られたからやめたんだ。おかげで、寝坊することはなくなったぜ! チェスに夢中になって遅刻することはあるけど、まあ気にしない気にしない」
それは気にするべきだと思うが。
どちらにせよ遅刻するんだから、楽しい方が良い! とはならない気がする。
遅刻しないように別の手段を考えて下さい、と言われるのが関の山である。
にもかかわらず、彼女がこの城でメイドとして今も働けていると考えると、逆に感心してしまうくらいだ。
でも、そのくらいチェスが好きなのだろう。
少なくとも、身支度そっちのけでチェスに誘ってくるくらいには。
「あれ? そういえば、昨日のお姉さんはいないのか? お兄さんと同じ部屋だった気がするけど」
チェリスがきょろきょろと辺りを見渡し、不思議そうに首を傾げた。
しかし、「まあいいか」と呟いて、部屋の机にチェスボードを置き、駒を並べ始めた。
「昨日教えたルールは覚えてるだろ? お兄さん、相手を頼むぜ」
「ああ、わかった。ちょっと待ってろ」
身支度を短時間で完了させ、チェリスの向かいに椅子を持っていき、そこに座る。
チェリスは、俺が身支度をしている間に自分の椅子をどこかから持ってきたようだ。
ティリナの椅子に座るのは、少々遠慮したのだろう。
曲がりなりにも、俺とティリナは客で、チェリスはもてなす側という立場だからそれは当然だ。
とはいえ、ティリナは俺を依り代として、中で眠っているのだが。
「じゃあ、今回はオレが先攻にするぞ」
ちょうどその時、扉が開いた。
その音に、慌ててチェリスが椅子から立った。
素早い動作で机の下に飛び込み、身を隠そうとした。
机の柱にゴンと頭をぶつけて、涙目になっていたのだが。
扉から姿を現したのは、白いドレスを身に纏ったエルキナだった。
彼女が視界にとらえているのは、頭を抑えて蹲っているチェリスである。
怒り心頭、といった様子で部屋の中に入ってくる。
「チェリス! 仕事サボってゲームしないの! シグトさんを呼んできてって言ったでしょ!」
「……ごめんなさい」
しょんぼりとしたチェリスが、エルキナに手を掴まれて連れていかれた。
その様子をなんとなく眺めていたら、エルキナがこちらに振り返り、「あっ」と声を出した。
そして、気まずそうな顔をして、頭を下げた。
「あ、その、すみません。シグトさんの前で、チェリスを叱るのは良くなかったですよね……」
「いや、気にしなくていいよ。それより、俺を呼んでくる、みたいな話をしていなかったか?」
「あ! そうです! 用事があるので、ついてきてもらってもいいですか?」
「ああ、わかった」
★ ☆
さて、夕方になった。
部屋のベッドに腰かけ、今日のことを振り返る。
今日は、俺がエルキナの護衛となるための準備と調整で、一日が終わった。
エルキナの護衛としてふさわしい服装を準備し、実力の確認としてある程度の魔法を試し撃ちし、城の中の面々と顔合わせに回るなど――初日から、思ったよりも忙しかったが、それはつまり充実していたとも言う。
ちなみにあの後、チェリスの姿を見ることはなかった。
しかしきっと、チェリスのことだから怒られてもすぐに立ち直って、今夜もチェスに誘ってくるのだろう。
そう思っていると、やはり来たようだ。
ドアを2回ノックし、それからゆっくりとドアが開く。
ちょっと待て。
チェリスはドアを律儀にノックすることはなかったし、ドアの開け方も乱暴だった。
エルキナに怒られて、少しは反省したのか――
「はじめまして。今日からシグト様のメイドをさせていただくことになりました、ロノアと申します。どうぞ、よしなに」
――随分と雰囲気の変わったチェリス……いや、これは明らかにチェリスではない。
スカートをつまんで礼をしたのは、黒髪赤目のミドルヘアの少女。
その所作は、どこかの貴族令嬢のような、場慣れしたような、落ち着いたものであった。
メイド用の制服と思しき白地に黒のエプロンドレスにホワイトブリムを着用しているが、その衣服は彼女に良く似合っているように思う。
「ああ、よろしく」
しかし、彼女は「今日から」と言った。
ということは、チェリスは異動されたということだろう。
かわいそうではあるが、仕事を放り出してゲームをしていたのだから、当然かもしれない。
「この城でメイドというのは、主人の傍に仕え、手足となるための存在です。私は部屋の隅で待機しておりますので、用事のある時は何なりとお申し付けください。また、邪魔だとお思いになるのであれば人払いの命令を下していただければ立ち去りますので、頭の片隅にでも入れておいていただければ幸いです」
そう言って、ロノアは優雅に頭を下げる。
その所作も、洗練された美しさを感じられた。
それほど多くのメイドを見てきたわけではないが、きっと彼女のような人物こそが、一流のメイドと呼ばれるものなのだろう。
そういえば彼女は、「用事のある時は何なりとお申し付けください」と言ったか。
それならば、ひとつ聞いてみたいことがある。
怜悧で落ち着いた雰囲気を纏った彼女なら、きっと多くのことを知っているだろう。
「ひとつ教えてもらいたいことがあるんだが、いいか?」
「はい、何でしょうか」
「この辺の常識や地理について、詳しく教えてほしい」
俺のその言葉に、彼女は少し首を傾げた。
まるで、そのことを聞かれるとは思っていなかったようだった。
「……シグト様はジル・エリヴィスの人間ではないのですか?」
「ああ。東にあるレキシアの街から来た。訳あってこの街に来たのだが、それまで故郷から出たことがなかったからな。だから、エルキナ様に迷惑をかけないように、ここで教えてもらおうと思ってな」
「承知しました。では、地図を持ってくるのでしばらくお待ちいただいてもよろしいでしょうか?」
「ああ、頼む」
一礼して、彼女が部屋から出ていく。
彼女が一瞬首を傾げたときは、スパイかと疑われているのかと心配したが、それは杞憂であったらしい。
そういえば、地図を持ってくると言えば、レキシアの街の冒険者ギルドでリエーラさんにも同じことを任せたのだったか。
あの時はリエーラさんが間違った地図を持ってきた挙句、正解の地図を持ってくるときに転び、ギルドマスターの大切にしていた瓶を割って大目玉を食らっていたのだったか。
見事なドジっぷりを発揮していたリエーラさんのことを思い出しつつ、俺はロノアを待った。
★ ☆
やはり、ロノアは様々な知識を持っていた。
この国の上流階級における礼儀作法やマナーの数々、社会制度などを分かりやすく教えてくれた。
目上の方に会う時は胸を手で押さえて礼をするとか、相手から出された食べ物は少し残すのが礼儀だとか、周囲の領主との関係と社会情勢がどうであるとか……。
もし仮にエルキナに会わずに、冒険者ギルドで情報収集をしたとすれば、ここまでの情報は手に入らなかっただろう。
そんな情報を惜しげもなく教えてくれたロノアには、感謝しなければならない。
一通りの説明が終わり、地図を畳んでいるロノアに向け、告げる。
「ありがとな。こんなにいろいろ教えてくれて」
「いえ、それが私の仕事ですので」
そう言うと、彼女は定位置――部屋の隅へと戻っていく。
その途中でふと立ち止まり、「そういえば」と呟き俺の方へと振り返った。
「ちなみに、これは先ほど得ることのできた情報なのですが、ジル・エリヴィスの南側、バラディアからの宣戦布告がありました。……これが、シグト様の最初の仕事になると思われます」




