第一章 天眼異変編 第四話「静かな草原の旅路」
妖幻郷――鞍馬第二山を抜けた先。
山肌はゆるやかに傾斜を終え、やがて視界の広がる草原へと変わっていた。
左手には、どこまでも続く深い森。
それは死霊の森へと繋がる道筋であり、近づく者を拒むように、黒々とした影を落としている。
しかし今はまだ、風は穏やかで、草は静かに揺れていた。
鳥の声もあり、空はどこまでも明るい。
「……静かですね」
源 梨花は歩きながら、小さく呟いた。
「そうだな」
八咫烏は視線を森へ向けたまま、淡々と返す。
「だが、静かすぎるというのも問題だ」
「問題、ですか?」
梨花は首をかしげる。
「何もないというのは、何かが“隠れている”可能性もある」
その言葉に、梨花はもう一度森を見る。
黒い木々は風に揺れているだけで、特に異変は感じられない。
「……うーん」
しばらく考えたあと、梨花は視線を前に戻した。
「でも、今のところは何もないですよね」
「そうだな。だからこそ歩く意味がある」
八咫烏はそう言って、足を止めずに進む。
梨花もそれに続いた。
草原の道は長い。
踏みしめるたびに、柔らかな草が静かに沈む。
風が吹くたび、遠くの森がわずかにざわめく。
それだけの時間が、ただ流れていく。
「ねぇ、八咫烏」
梨花がふと口を開いた。
「なんだ」
「この世界って、ずっとこうだったんですか?」
「どういう意味だ?」
八咫烏が少しだけ横目で見る。
「人と妖が一緒にいて、森があって、村があって……」
梨花は少し言葉を選ぶように続ける。
「平和、というか……当たり前みたいに見えるけど」
風が草を揺らした。
「昔は違ったのかもしれないな、って」
その問いに、八咫烏はしばらく黙った。
やがて、静かに答える。
「昔は“違う形の当たり前”があっただけだ」
「違う形……」
「世界は常に変わる。妖幻郷も例外ではない」
その言葉は、草原の風よりも静かだった。
梨花は小さく頷く。
「……そっか」
しばらく、また無言の時間が続く。
左手の森は相変わらず暗く、右手の空は明るい。
その境界線をなぞるように、二人は歩いていく。
「それにしても」
八咫烏がふと口を開いた。
「この辺りは本当に何もないな」
「ですね」
梨花も周囲を見回す。
風景は変わらない。
草原、空、森。
ただそれだけ。
「何もなさすぎて逆に落ち着きます」
「それはそれで問題だがな」
八咫烏は軽く肩をすくめた。
梨花は小さく笑う。
「でも、こういうのも嫌いじゃないです」
「ほう」
「なんというか……普通、というか」
その言葉に、八咫烏は何も言わなかった。
ただ、少しだけ歩く速度を緩める。
草原の旅路は続く。
変わることもなく、止まることもなく。
左手には森。
右手には空。
そして二人は、その境界をただ静かに進んでいった。
ここまで読んでくれてありがとうございます。
次回もお楽しみに




