マスキング
私は、村長の家へ向かった。
事情を伝えると、村長は額に手を当てる。
だが――驚きはなかった。
「……そうか」
それだけだった。
混乱も、怒りもない。
ただ、擦り切れたような顔。
知ってはいない。
だが、起きてもおかしくはない。
そんな受け止め方だった。
村長は、近くにいた男を呼ぶ。
「この人たちについていけ。骨を拾って、共同墓地に納めろ」
短く、命じる。
呼ばれた男は、無言で頷いた。
そして、私へ視線を向ける。
「今度また、ゴミの中で人の骨を見つけたら――この男を呼べ」
村長の声は、平坦だった。
「共同墓地に収める。それだけだ」
それが、この村のやり方だった。
……
一か月。
時間は、確かに動いていた。
老婆の家の周りにあったゴミ山は、跡形もなく消えている。
地面は露わになり、空気は軽くなった。
あの場所にあった死体は、三十五体。
すべて、共同墓地に納められた。
最も強かった悪臭は、もうほとんど感じない。
老婆は、よく眠れるようになったと言っていた。
その代わり――
地面は、スライムの残した丸い糞で覆われている。
ころころとした塊が、土の上に点在していた。
……
家で食事をしていると、ジョンが口を開く。
「あのスライムの糞はどうするの?」
匙を持ったまま、こちらを見る。
臭いは弱い。
放っておいても、困るものではない。
だが――
「そうだな。これは良い肥料になる。農業を始めるといいかもしれない」
私は答える。
妻が、すぐに言葉を重ねる。
「そうですね。果樹がいいかもしれません。土地を耕す手間も少ないですし、数を増やせば、この村の栄養状態も改善できます。ただ……すぐに実はならないですが」
未来の話だった。
「リンゴがいい」
ジョンが言う。
「私はオレンジ」
ロゼが続く。
その顔は、少し明るくなっていた。
以前の張り詰めた影が、薄れている。
妻は、その表情を見て、静かに微笑んだ。
「問題は、苗ですね」
現実に引き戻すように、妻が言う。
「それは商人に頼めばいい。ただ――」
私は、少しだけ間を置く。
「何と引き換えにするか、だね」
言葉は静かに落ちた。
この村では、
何かを得るには、必ず何かを差し出さなければならない。
……
私は、しばらく黙っていた。
この村にあるもの。
使えるもの。
外と交換できるもの。
頭の中で、ひとつずつ並べていく。
樹海。
木はある。
だが、運べない。
ここで切る意味がない。
獣。
捕れるかもしれない。
だが、腐る。
長く持たない。
スライムの糞。
肥料にはなる。
だが――安い。
足りない。
決定的に。
もっと、高く売れるものが必要だった。
「薬草とかどうかな?」
ジョンの声が、静寂を割る。
私は顔を上げる。
薬草。
たしかに、価値のあるものもある。
軽く、腐りにくい。
条件は悪くない。
だが――
「いいアイデアだね。しかし、私は薬草をあまり知らない」
私は正直に言う。
「私も」
妻が続く。
一瞬、沈黙。
「僕、お父様に買ってもらった薬草図鑑を持ってるよ」
ジョンが、少し誇らしげに言う。
私は眉を上げる。
「じゃあ、薬草がわかるのか?」
問いかけると、ジョンは言葉に詰まる。
「ジョンはまだ、読むのが苦手なの」
ロゼが代わりに言う。
「おじさん、字が読めるよね。図鑑、貸してあげるから……僕にも読み方、教えて」
まっすぐな目だった。
妻が、肘で軽く私をつつく。
私は、わずかに笑う。
「もちろんだ。一緒に読もう」
そう答える。
「うん」
ジョンが、力強く頷いた。
その小さな頷きが、
この村に、ひとつの新しい道を開いた気がした。
……
それから――
私は、村の中を歩き続けた。
子供たちが仕事に出ているあいだ、
道端の草を見つけては、立ち止まる。
葉の形。
茎の色。
匂い。
ひとつずつ、図鑑と照らし合わせる。
喘息。
傷。
胃腸。
頭痛。
名前のなかった草に、意味が宿る。
私は、共同墓地のあたりまで足を伸ばした。
樹海から少し離れたその場所にも、同じように草が生えている。
静かな場所だった。
だが、その足元にも、使えるものがあった。
夕方、子供たちが戻る。
私は、見つけた草を並べて話す。
ジョンに本を持たせ、
書かれていることを一つずつ読み上げる。
難しい言葉は、噛み砕く。
ゆっくりと、何度も。
まるで――
先生になったような気分だった。
……
いつからか。
ロゼとジョンは、覚えた薬草を村人たちに配りはじめていた。
最初、村人たちは疑っていた。
受け取っても、すぐには使わない。
だが――
効いた。
その事実が、少しずつ広がっていく。
視線が変わる。
言葉が変わる。
やがて――
わずかな食料が、渡されるようになった。
ほんの少しずつ。
それでも、確かに。
「おじさん。薬草のおかげで、ご飯もらえるようになったんだよ」
ロゼが、嬉しそうに言う。
「この前なんか、このスコップもらったんだ」
ジョンが、錆びたスコップを掲げる。
その顔は、誇らしげだった。
「これが、お仕事なんだね」
ロゼが、笑う。
私は、その二人を見る。
胸の奥が、少しだけ詰まる。
嬉しい。
確かに、そう思う。
だが同時に――
ここでは、それが“仕事”なのだと、
改めて突きつけられた気がした。
……
気がつけば、捨て場は消えていた。
かつて山のように積まれていたものは、跡形もない。
地面が露わになり、風がそのまま通り抜ける。
スライムは、餌を失い――
静かに数を減らしていた。
分裂ではなく、合体。
ゆっくりと、一つへ戻っていく。
次に与えられた餌は、
人の排泄物だった。
この村に、トイレはない。
皆、樹海の外で用を足していた。
ばらばらに。
私は村長に話を持ちかけた。
区域を決めること。
スライムの移動範囲を、絞るために。
最初、反発はあった。
習慣を変えることへの、無言の抵抗。
だが――
変化は、すぐに現れた。
臭いが消える。
それが、何よりの説得だった。
スライムの近くで用を足す者が、
少しずつ増えていく。
やがて、それが当たり前になる。
村の外を包んでいた匂いは、
ほとんど消えていた。
風は、ただの風に戻っていた。
次に残ったのは――家々の汚れだった。
長い年月、誰も手をつけなかったもの。
壁に染みついた黒ずみ。
床にこびりついた汚れ。
積もり続けた時間そのもの。
やがて、噂が広がる。
あの家は、きれいになった――と。
我が家を見た村人たちが、訪ねてくる。
最初は遠慮がちに。
やがて、はっきりと。
依頼。
私は、スライムを貸し出した。
掃除係として。
ぬめる身体が、床をなぞる。
壁を伝い、汚れを取り込む。
静かに、確実に。
家の中から、時間が削り取られていく。
ひとつ。
またひとつ。
やがて、村は変わっていた。
以前とは、比べものにならないほどに。
空気が違う。
光の入り方さえ、変わったように見える。
汚れが消えたことで、
ようやく――人の暮らしが、形を取り戻しはじめていた。
穢れや汚れは、
人間の尊厳を削り取るのかもしれない。
かつての村には、視線がなかった。
言葉も、交わされなかった。
だが――
汚れが消えると、空気が変わる。
スライムが通ったあと、
家々は輪郭を取り戻し、
道は人のためのものになる。
やがて、声が戻る。
「おはよう」
「ありがとう」
小さな言葉が、行き交いはじめる。
人の顔に、光が差す。
……
薬草と引き換えに、果樹の苗が届いた。
細く、頼りない枝。
だが、それは確かに未来だった。
ゴミ山だった場所に、穴を掘る。
苗を植え、水をやる。
土の中に、夢を埋める。
すぐには実らない。
何年もかかる。
それでも――
誰も疑わなかった。
数年後に手に入る果実に、
それぞれの希望を重ねていた。
……
一方その頃――探偵ボンズは、消えた三十五人の資産家を追っていた。
だが、その“行き着いた先”は、まだ誰も知らない。
END
ここまで読んでいただき、ありがとうございました。
この作品は完結していますが、
反響があれば続編を書く可能性があります。
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