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短編小説「アフロが来たりて笛を吹く」

キヨはバンドの練習の後に小さなバーへ寄るのが習慣になっていた。


 十代で始めたギターは懸命に練習したおかげで、ライブでもキヨの演奏は注目を集めるようになっていた。


 しかし、バンドが人気を集めても、ギターボーカルとして聴衆を唸らせても、キヨが女の子にモテることはなかった。


 キヨは背が低く、分厚いレンズの眼鏡をかけていて、鼻は丸く、小太りで冬でもうっすら汗ばんでいるという風貌で、ようするに不細工だった。


 そのくせ肌はしっとりとして透き通るような色白なのも女の子からすれば「タイプじゃない」を通り越して「なんかキモい」ぐらいの存在で、だからこそ自分にはギターしかないと、他ならぬキヨ自身が思っていた。


 その夜もキヨはライブで喝采を浴び、大いに観客を盛り上げてきたところだった。

 仲間がそれぞれ女の子と姿を消していくのを見送ると、キヨはいつものバーへ向かった。


 客は誰もおらず、マスターがグラスを洗っているところだった。


 キヨはビールを頼むと傍らに置いたギターを撫でた。サンキュー相棒。


 ライブでは女の子達が笑顔を向けてくれる。が、ステージを降りると誰もキヨには見向きもしない。それはギターを弾かないキヨはただの不細工なのだと思い知らされるようだった。


 そのことにキヨはいつも内心傷ついていた。キヨはビールを半分ほど飲んでため息をついた。


 その瞬間、目眩のように体が揺れたかと思うと、店中がたがた揺れて棚の上のボトルが落下し派手な音を立てて割れた。


 地震!キヨは叫びそうになった。


 店内の照明が消えて完全な暗闇になった。キヨは慌ててギターを引き寄せ、椅子から転がるようにカウンターの下へ潜り込んだ。


 揺れたのはわずかな時間だったが、ひどく長く感じられた。


 揺れが収まったと同時に照明がぱっと点いた。キヨはどきどきする胸を押さえてカウンターから這い出し「揺れたね。大丈夫? 今の震度どのぐらいかな」とマスターに声をかけた。


 すると背後のトイレのドアが勢いよく開いて、

「ほんま揺れたなあ!」

 と関西弁で言いながら、背の高い男が出てきた。


 キヨは他に客がいたのかと焦ったが、それより驚いたのが男が非常に立派なアフロヘアであることだった。


 今時こんな巨大なアフロ珍しい……。キヨは妙に関心しながら椅子に座り直した。そして初めてマスターが姿を消していることに気がついた。


「あれ……」

 キヨは呟いた。まさか逃げた?


「ほんまびっくりしたよな?でも大丈夫。今の地震で津波来たりせんし」

「はあ」

「それにしても君、今夜はラッキーやで。俺なあ、悪魔やねん。今、君のせつないため息と地震のエネルギーと、他に色々な条件が重なって悪魔を召喚してん」


 あ、これ、やばい人だわ。キヨは身構えた。


「とにかく、俺、君の願いを叶えに来てんわ」


 無視して危害を加えられるのも怖いのでキヨは作り笑いを浮かべた。


「信じられへん気持ちは分かるけど、ほんまやねん。清重きよしげくん」

「えっ」


 キヨは驚いてアフロの顔を見た。清重はキヨの名字なのだ。


 驚いた分だけアフロは得意げににやりと笑って、


「ちょっと信じられる気持ちなった?とにかく俺は君の願いを一個だけ叶えてあげに来たんよ」

「でも、そういうのって交換条件あるんじゃ……」

「おっ、乗ってきたねえ。そうやねん。願い叶える代わりに、君の大事なもの一つ貰っていくっていう決まりやねん」

「それって命って意味じゃ……」

「命でもええけどそれやと困るやろ。だから命以外で。君が心底大事にしてるものと引き換えや」


 信じたわけでもないのだが、キヨは自分の大事なものとは何だろうかと思い巡らせ、ふと視線がギターに辿り着いた。


「ギター?それ大事なんやね。高かったん?そしたら願い事はなに?メジャーデビューとか爆売れしたいとか?」

「いえ、そういうのは……」


 自分の力でないと意味がない。言いかけて、でも、気恥ずかしくてキヨはまた少し思案してから、

「モテたいです」

 と答えた。


「ああ、そういう系ね」

「僕、全然モテないんで」

「ふーん。モテたら人生ってそんな変わる?」

「そりゃ変わるでしょ」

「そう?モテた方が楽しいってこと?」

「たぶん。デートしたりとか」

「セックスしたりとか?」

「……」

「冗談やーん。でもぶっちゃけそういうのもコミやろ。まあええわ。ほな、君をモテるようにしたろ。その代わりギター貰うわ」

「それどうやって証明するんですか」

「清重くん、なかなか鋭いとこ突いてくるやん。君が思うモテはどの程度よ?」

「できればなるべく沢山から……」

「意外と欲張りやな!じゃあ来週の日曜。清重くんライブあるやろ。そこでまた会お。必ずモテを実感できるようにするし」

「ライブ来てくれるんですか」

「おお、行く行く」

「じゃあ、これ前売り……」

「金取るんかい」


 アフロは「悪魔から金取ったん君が初めてやで」とぶつぶつ言いながら、くしゃくしゃになった札を伸ばしてキヨに手渡した。


「来週、覚悟しときや」


 アフロはにやっと笑うと、当然のようにトイレのドアを開けて中へと入っていった。


「キヨ?どうした?」

 声をかけたのはいつの間に戻ってきたのかマスターだった。


「え、今どこ行ってたんですか」

「いや、いただろ。ずっと。酔ってんの?」

「……今、トイレにアフロのお客さんが……」

「アフロの客?そんなのいないよ。なにそれ」

「ええ?いますよ。見てくださいよ」


 マスターはカウンターから出てきてトイレのドアをノックした。返事はない。


「キヨ、酔ってるよ。絶対」


 マスターは開け放したトイレを手のひらで示してみせた。

「ほらな?」


 キヨは「ええ……?」と情けない声を漏らした。幻覚?。そうだとしてもアフロの幻覚は唐突にキヨの欲望を浮き彫りにした。モテ、即ち誰かに好かれたいということ。


 奇妙な出来事は翌日から起こり始めた。


 バンドの練習でスタジオに行くと、キヨはロビーに待ち受けていた女の子から「ファンです」と声をかけられ、いつも行くラーメン屋のバイトから「ギターやってるんですよね。ライブとかあるんですか?もしあるなら行きたいです」と言われ、コンビニのレジの女の子が「いつもありがとうございます」と優しく微笑んだ。


 日頃女の子とろくに口をきく機会もないキヨは狼狽えていた。これが、まさか。そういうこと?


 この程度ではモテと言っていいのか分からないけれど、確実にキヨは変化を感じていた。


 キヨは戸惑う分だけギターに集中した。弾いている間は無心でいられる。やはりギターはキヨの大事なパートナーなのだ。


 ライブ当日。キヨは客席の隅で休憩していた。すると一人の女の子がやって来て「お疲れさまです」とにこっと微笑んだ。


「キヨさん、今日ライブの後予定ありますか?」

「いや、別にないけど……」

「もしよかったら飲みに行きませんか?私いつもライブ見てて。すごく好きだなあって思ってて」

「え」


 キヨはどきっとした。女の子から好きという言葉を聞いたのは生まれて初めてだった。


 甘酸っぱいような響きと困惑と、そわそわした感覚で指先まで痺れるようだった。


「二人で会ってもらえますか」


 キヨが答える前に仲間がキヨを呼びに来た。


「待ってます」

 女の子はそう言うとまた微笑した。


 これはやっぱりそうなんだ。キヨはいよいよ確信した。アフロがキヨの願いを叶えているのだ。


 その日、客席はキヨを見に来た女の子でいっぱいで、熱狂的な声と視線を浴びせ、ライブハウスの床が揺れるほどだった。


 キヨのむっちりした顎や首筋を汗が滴る。キヨはこんなにも「モテ」を感じたのは生まれて初めてだった。


 興奮醒めやらぬ終演後、キヨは本当に女の子が自分を待ってくれているのか不安になりつつ、ギターをケースに収めていた。


 すると楽屋のドアが無遠慮に勢いよく開き、

「お疲れさーん!ライブめっちゃ良かったでえ!」

 と大きな声と共に巨大なアフロが入ってきたかと思うと、首からぶら下げていたサンバホイッスルを力いっぱい吹き鳴らした。


 キヨは耳をつんざく甲高い音に心臓が止まりそうなほど驚き、

「なにやってんだよ!」

 と、思わず怒鳴った。


「この笛吹いたら時間止められるねんわ」

「は?」

 

 アフロの言葉にキヨは楽屋を飛び出した。片付けを始めているスタッフ、談笑しているバンドの仲間。居残っている客。全員がマネキンのように静止していた。


 誰の息づかいも瞬きも感じられない。そこには完全なる静寂があった。

「な?」

 アフロがキヨの肩をぽんと叩いた。


「どうよ、モテは」

「まだちょっと自信が……」

「それはこれからちゃう?清重くんまだ若いし、これから色んな人と出会うやろ。自信が持てるようになるんは実績がついてからやで。今からが大事なんや」

「今から……」

「ほんでな、今からってことは、それは今までの積み重ねってことでもあるわけよ」

「積み重ね?モテなかったのに?」

「別に今までモテへんかったわけちゃうねん。君が気づいてへんかっただけで」

「……これから僕はどうなんの?」

「それは知らんわー。でもいっこだけアドバイスしたろ。清重くんは清重くんのままでええねんで」

「ええ……?」

「ライブかっこよかったわ。これからも頑張ってな。ほな、ね」


 止める間もなくキヨの耳に再び激しいサンバホイッスルが炸裂したかと思うと、夢から覚めたかのように人々が動き始めた。アフロの姿は忽然と消えていた。


 ……ギター!キヨは我に返ると楽屋に駆け戻った。キヨの相棒ギブソンは影も形もなくなっていた。


 やられた……。キヨは呆然と立ち尽くした。まだ何が起きたのか分からなくて信じられなくて、頭が混乱していた。


 アフロの言葉の意味が分かったのは、それから一ヶ月後。メジャーデビューの話しがきてからだった。


 大事なのは今からで、変わらなくてもよくて、積み重ねた「今」の先に未来があるということ。


 キヨはギブソン紛失を盗難として警察に届けたが、アフロが単なる泥棒だったのか本当に悪魔だったのか、今となっては知る由もなかった。


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